扉のスキマ・下 <禁忌と喪失のNTR専門店>

 出た。寝取りチャラ男。


 浅黒く焼けた肌に安物の宝飾品を付けた人間の男。軽薄な笑みが癇に障る。普段のスタンクも大差ない笑い方ではあるのだが。


「……このひとは?」

「こちらは街の商人の方で……織物を買い取ってもらっていて」


 シロップの目が一瞬、ゆらりと泳ぐ。表情は薄いのに絶妙な狼狽の演技。まさに熟練のテクニックだ。おかげで胸が無闇にざわめく。


「ちぃーす、はじめまして。シロップちゃんとは仲良くさせてもらってまーす」


 チャラ男はシロップの肩をぽんぽん叩いた。

 あまりにも馴れ馴れしい態度に、頭が瞬間的に沸騰する。


(やべぇ、殺意湧くわ)


 受付で武器を預かってもらってなければ、ちょっと危なかったかもしれない。


「今日の商談はもう終わりましたので、お引き取り願います……」

「へへぇ、今日も気持ちよくお仕事させていただいてアリガトゴザイマース。次はもっと時間かけてたっぷり商談しようね?」


 ビクン、とシロップの背が跳ねた。

 彼女の肩に置かれていたチャラ男の手が背に消えている。角度的にはさらに下だろうか。スカートに隠された、肉付きのよい彼女の――


「ちょっとタイム」


 スタンクは挙手してプレイを停止した。


「だいじょうぶですか、お客様?」

「なんかすいません、ちょっと動悸がひどくて……」


 胸が痛い。心臓が暴れている。呼吸が苦しい。

 シロップがチャラ男にこっそりケツを揉まれている――そう理解した瞬間、爆発的に鼓動が速まったのだ。


(これがNTRの威力か……!)


 心臓に干渉する系の即死魔法を食らったらこうなるのかもしれない。


「あの、俺もしかしてチャラすぎました?」


 チャラ男が申し訳なさそうに縮こまる。プレイ中とは打って変わって腰が低い。スタンクを気遣う態度も真に迫っている。


「もうすこし控えめな演技で行きますか? チャラ男系でも表面上は礼儀正しくて愛想のいい偽装タイプとかありますけど」

「私のほうも演技のパターンを変えましょうか? もうすこしお客様にベタベタして、表面上はぼっちゃまラブラブ好き好き大好き系にするとか」

「どっちにしろ表面上ってだけだよね、うん、まあわかるけど」


 どうあがいても寝取られ前提。詰んでいる。

 こんなにつらいとは思わなかった。肉体的にいたぶられるSMのM役のほうがまだ気楽かもしれない。なまじ直接の被害がないからこそ精神的なダメージが際立つ。


「でも、この動悸はたぶん、あと一歩ってことだと思うんだ……この胸の苦しさがインモラルなドキドキに変われば、ひとつ上の男になれるような気が……」


 本音を言えばケツまくって逃げたいぐらいなのだが。

 それでも男には男のプライドがある。


「俺はこんなところで負けたくないんだ……!」

「わかりました。お客さんの一途な瞳を信じて……シロップ、本気で行きます」

「え」

「高みを目指すのが男の浪漫ですよね。わかるっすよ、お客さん。俺も全力でチャラくゲスくいきますから、気を強く持ってください」

「え、え?」

「では、再開!」


 余計な熱が伝播してしまった。

 チャラ男はいったん退場し、部屋にはスタンクとシロップだけが残される。

 並んでベッドに腰を下ろした。

 肩と肩が触れあうささいな瞬間を、妙に初々しい気分で味わう。本当に初恋の女性と再会しているみたいに思えた。


「ぼっちゃま……たくましくなりましたね」


 シロップが上体をこちらに向ける。

 むにゅり、と特大の柔乳がスタンクの腕に押しつけられた。

 もうそれだけで好きになってしまう。だって男だから。


「キミと一緒になるために俺は生きてきたんだ。それなりに苦労もしてきた。いまならキミに抱きしめられるんじゃなくて、キミを抱きしめることができる」

「ぼっちゃま……」

「抱きしめるよ、シロップ」


 くさいセリフをスムーズに言いきれた。短時間で成長しつつあるらしい。大好きなおっぱいちゃん、もとい年上メイドさんのために苦労してきた成果か。

 昔よりずっと太くなった腕で彼女を抱きしめる。

 胸板で乳肉が潰れる感触がもう、好きで好きでたまらない。


「……このときを、ずっと待っていました」


 腕のなかのメイドはとろけた顔で見あげてきた。

 白髪に白い顔。洗いざらしの絹のような、清らかな容姿。

 なのに、どことなく青臭い。


「シ、シロップ? なにか薬品でも使っていたのかい?」

「いえ、とくに……あっ」


 シロップは顔を逸らして口元を押さえた。そこに臭気の原因があると言うように。


「さきほどの方から、すこし匂いの強い食料をいただいて……」


 いやもうバレバレだろクソッ、と言いかけたが飲みこむ。


「そうか。おいしかったのかい?」

「はい……癖は強いのですが濃厚で、野趣があって……」


 白い顔がうっとりと呆けた。

 スタンクは気づく。

 横反りにさらされた白い首筋に、赤い鬱血痕がある。

 どう見てもキスマーク。


「タイム! タンマタンマ!」

「いかがなさいましたか、お客さま」

「キツイっすか、お客さん」


 チャラ男まで駆けつけて心配してきた。


「いまのはキツい……ちょっと心臓止まるわ」


 二日間かけて組み上げた設定と思い入れが、鋭い刃となって心を突き刺す。

 自分は金を払ってまでなにをしているんだろう?

 いや料金は依頼主からもらっているのだけど。


「キツかったのは、首のキスマークでしょうか。それとも襟の内側に一本忍ばせておいた、シルキーにはありえない黒い陰毛でしょうか」

「気づいてなかったよ! 聞いただけで吐き気がする!」

「気をしっかり持ってください、お客さん! NTRの痕跡はほかにもいろいろ部屋中にセットしてるっすから! ゲーム気分で探してください!」

「見つけるたびに心が死ぬゲームってなんだよ!」


 怒鳴りはしたが、なおもスタンクは諦めなかった。

 せめてプレイ時間を使い切らなければ、真っ当なレビューなど書けはしない。

 ベッドからシーン再開。


「スタンクさま! スタンクさまはいらっしゃるか!」


 しわがれた声で呼ばれた。入り口のドアがノックされる。


「旦那さまがお呼びです。すぐ母屋へ来てくだされ」

「旦那って……弟か?」


 そういえば弟の名前は設定していなかった。まあどうでもいい。


「行ってください、ぼっちゃま。わたくしはずっとお待ちしています」

「……わかった。すぐ済ませてくる」


 名残惜しさを抱きながら部屋を出た。

 ちなみにプレイルームは二部屋で構成されている。ベッドと簡易浴槽のあるメインルームと、その手前の手狭な待機室だ。

 待機室には白髪まじりの人間男が待っていた。


「旦那さまは先代の遺産について、出奔した兄上には渡せないとのことを綺麗事の建前で飾り立てて申しつけるおつもりです。で、スタンクさまはシロップだけ寄越すよう交渉し、約束を取りつけます。むしろ清々した心持ちで、胸に愛だけ抱いて離れに戻る、という流れですね。いただいたシナリオには詳しく記載されていなかったので補完しておきました」

「ああ、はい、解説ありがとう」


 わざわざ嬢と寝取り男以外にも役者をそろえるあたり、店の本気が窺えた。


「ではここからが寝取られの本領です。扉の隙間から愉しんでください……あ、新品マジホここに置いときますから、使ってください。無料です」


 かたわらにマジカルホールをポンと置かれた。

 男が立ち去り、スタンクが取り残される。

 まさにそのタイミングで、扉の向こうから地獄の足音が聞こえた。


「あぁ、いけません……許して……」


 鼻にかかった官能の声がスタンクの胃と心臓を穿つ。


「つまり、もっとしてほしいってこと? へへ、スケベなシルキーちゃんだ」


 下卑た笑い声が神経を逆撫でする。なにが腹立たしいかと言えば、わりと自分もほかの店でそんなセリフ回しをしていることが腹立たしい。

 こわごわと、薄く開いた扉の隙間を覗きこむ。


 チャラ男がシロップに後ろから抱きついていた。手からこぼれそうな乳房をねちっこく揉みまわし、耳たぶに唇をかすらせる。


「あんッ、ぼっちゃまが帰ってきてしまいます……! だから……!」

「まだまだ平気でしょ。いまごろ遺産の話してるんだぜ? 揉めて揉めて刃傷沙汰になってもおかしくねえさ」

「ぼっちゃまは遺産などに囚われたりしません……!」

「いやいやいや、金だぜ? アンタだって金がないと生きるのは大変だって体で知ってんだろ? 俺が教えてやったんだからなぁ、この自慢のグレートソードで」


 シロップは跡継ぎに手を出したことで離れに隔離されていた。敷地内にいながら生活の援助も受けられず、すこしずつ困窮し、ついにはチャラ男に頼ることになった――という設定は、スタンクが考えたのだが。


「……俺、やっぱり無理かも」


 タイムをかけて壁にもたれかかった。

 もう壁とでも結婚したいというぐらいに体重を預け、白目を剥く。

 メインルームからふたりが出てきて、左右からスタンクを励ましはじめた。


「お客さんならいけますよ! ファイト、お客さん!」

「可能性を信じてください……あなたに秘められた無限の可能性を」

「無限の……可能性?」

「ここが正念場です……試練を乗りこえる力を、あなたに――」


 恋人設定のシルキーはエプロンの裾をつまんで引っ張った。

 するり、と糸が一本ほつれる。シルキー種の変質能力を持った髪。その端が、スタンクの左手薬指に結びつけられた。


「指輪に隠して結びつけたこの糸こそが、本当のふたりの絆……想いが通じあうかぎり外れることはありません――」

「という設定でどうっすかね。実際はシロップさんが自由に外せるんですけど、とりあえず気分を盛りあげるアイテムってことで」


 なるほど。それで最後の一線を視覚と感覚で理解できるということか。


「いや、待て。これってクライマックスで外す布石では?」

「当然です……ワクワクするでしょう? 明確な喪失の瞬間……」

「だからなんで心を殺す方向に行くのかな! もっと初心者に優しいNTRになってくれてもいいんじゃないかな!」

「初心者向けに手加減をするなどという惰弱な考え、わたくしは好みません」


 慎ましげだったシロップの目つきに強い意志が灯った。


「むしろ初手だからこそ、トラウマになるほど深く穿ち抜くべきです。最低でも向こう一週間は苦悶と快楽の狭間で転げ回っていただきたいのです」

「シロップちゃん、もしかしてけっこうS……?」

「仕事に真摯なだけです」


 スタンクは物静かなシロップの意外な情熱に気圧されていた。

 シルキー種は家事の鬼である。この店に住み着いているシロップにとっては、NTRプレイも家事のうちに入るのだろう。だから真摯に、全力で、チャラ男に寝取られるのだ。


(でも、一番最初だからこそ本気を見せるってのは理解できるな)


 真髄に触れもせずに高をくくるようでは体験する意味もない。


「そこまで言うなら……俺だって負けてられない。やってみるよ、ふたりとも」

「そうこなくっちゃ、お客さん!」

「ここからがわたくしの不貞演技の真骨頂です……刮目してください」


 刮目なんてしたくないのだが。

 ふたりが扉の向こうに移動して、仕切り直し。


「うりうり、アイツはこんな気持ちいいことしてくれたか?」

「し、しないぃ……! ぼっちゃまはこんな意地悪な手つきなんて……!」

「意地悪なのは手つきだけじゃないぜぇ」

「いやぁ……! そこで意地悪なことされたら、もう、もうわたくしは……!」

「タイム! 待って待って、マジ待ってください!」


 ふたたびスタンクは壁に抱きついて嗚咽を漏らす。


「ううぅぅ、あんまりだ、あんまりだぁ……!」


 泡でも噴きそうなぐらいキツい。

 あまりにも過酷すぎて、体がどうにかなってしまった。


「惨すぎて死にたくなってくるのに、なのに俺、なんで……なんで俺、こんなにも勃起しちまってるんだぁ……!」


 ズボンの下で男の誇りが敗北感に張りつめている。

 こんな意味不明な勃起は生まれてはじめてで、とにかく、こわい。


「いけてるじゃないっすか、お客さん! やったぁ、お客さんがついに鬱勃起に目覚めてくれたぁ……! 俺、感動してるっす!」

「その胸の痛みを忘れないでください……その吐き気を抱きしめてください……そしてその勃起の力強さがあれば、あなたはきっとNTRの深奥にたどりつける――」


 彼らの言うとおり、無限の可能性の一端が股間に芽生えたのだとしたら。

 もう一歩踏みこめば、完全に覚醒できるのだとしたら。


(いやもうマジで引き返したほうがよくね?)


 股間の羅針盤が狂ってしまったので、判断基準すら揺らいでいる。

 わかるのは、不快感と表裏一体の暗い愉悦が、新たな境地に通じていることだけだ。


「ファイト、お客さん!」

「ファイト、ぼっちゃま!」

「……う、うおおおおおお! 見ててくれ、ふたりとも! 俺は一人前の男として、この寝取られで全身の体液が尽きるほどに射精してみせる!」


 テンションを無理やりあげて、スタンクは扉の隙間を見据えた。

 寝取られの情景を咀嚼するように何度もまばたきをする。

 何度も生唾を飲む。

 マジカルホールを手に取り、そして――



 薬指の糸が切れる瞬間までに、五発も出してしまった。




       *



《扉のスキマ》のレビューが食酒亭の掲示板を飾った。


挿絵


 例のごとく掲示板に群がる人々を尻目に、メイドリーは容赦なく吐き捨てる。


「……スタンクがやっぱり気持ち悪い」


 カウンターの陰から半眼で眺めるテーブル席に、死んだ魚の目があった。

 スタンクがゾンビじみた脱力体勢でテーブルに突っ伏している。


「俺のメイドさん……将来を誓ったのに……一緒になろうって……なのに、あんな……チャラ男め、ちくしょう、チャラ男め……ふぐぅううううううッ」


 だぁー、と滂沱の涙でテーブルを濡らす。

《扉のスキマ》から帰ってきて以来、スタンクはずっとそんな調子だった。

 テーブルにはすっかり涙の跡が染みついている。


「ヤバい店だってわかってるのに全力で踏みこみすぎなんだよ、スタンク」


 ゼルはカウンター席から朋友の醜態を眺め、呆れ半分に嘆息した。


「まあ、レビュー的には俺よりいい内容だけど。ほんと完全に失敗した……ハーフリングは絶対にない。近所のクソ餓鬼に腹立つような気分にしかなれねぇ……」


 さらにまた息を吐く。

 すこし離れたテーブルで、カンチャルがブルーズに熱弁を振るっていた。


「やっぱりサイズよりもテクニックが大事だね。ボクは手先が器用だからさ、魔力頼みの種族より直接的な愛撫は格段にうまいよ。ほら、この指遣い見て!」


 豆粒をつなげたような指が卑猥に動く。

 ちらりと一瞬、ゼルとカンチャルの目が合った。

 双方、そっぽを向く。


「なんだかギスギスしてますね……」


 メイドリーの後ろでクリムが怯えた声を出す。


「変なお店いくからこういうことになるのよ……」

「ボク、断って正解でした……」


 クリムはメイドリーの後ろで両手を組み、小さく天に祈った。

 哀れな遊び人たちに救いあれ、と。



 その後、スタンクのもとに依頼人から木箱が届いた。

 入っていたのは感謝状と動画保存用の水晶。


『おかげさまで気になっていたNTR性癖に完全覚醒しました! シロップちゃんとの絆の糸が断ち切れる瞬間の絶望と絶頂は一生の宝物です! お礼を同封しましたので、ぜひともご覧ください! めちゃシコです!』


 水晶の動画を見てみると、シロップがチャラ男に手込めにされていた。

《扉のスキマ》にはプレイ内容を録画して有料で購入できるシステムがある。ラストで視聴者にメッセージを送ることから水晶レターと呼ばれる。

 シロップはWピースでだらしなく笑い、

『ごめんなさい、ぼっちゃま……わたくしもう、このかたのおち』


「うるせえ割れろッ!」


 スタンクは水晶を床に投げつける寸前、やっぱり思い直して懐にしまった。


 まだしばらくは闇深い楽園から抜け出せそうにない。

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