扉のスキマ・中 <禁忌と喪失のNTR専門店>

 目的地を決めてから出立までに二日の間を空けた。

 善は急げのスタンクたちが猶予期間を設けることは珍しい。

 長旅になるわけではなく、歩いて数時間といった距離。必要なものは心の準備だけ。

 だがその準備はまさに覚悟というべき熾烈なものである。


 目的のサキュバス店前に到着したとき、男たちの顔は戦士のそれであった。


「ついに来ちまったな……」


 スタンクはフル武装の巨人を前にしたかのように固唾を呑む。


「ああ……今回ばかりは尻込みした連中を責められねえ」


 ゼルは全属性耐性のスライムと対峙したかのように汗をぬぐう。


「ボクは興味なかったんだけど、ゼルの提案が面白かったからね!」


 カンチャルはハーフリングの幼げな顔にぴったりの悪戯な笑みを浮かべていた。

 今回もっとも乗り気だった悪魔サムターンはと言うと、


「こういう趣向もよいではないか。すでに血が沸いているぞ、フハハハッ!」


 魔王のごとく傲然と高笑いをしている。


「そういうテンションで入る店じゃないと思うんだけどな……」

「いまさら怖じ気づいてどうするのだ? 天使の小僧でもあるまいし」

「クリムはしゃーないだろ。アイツの気性だと下手したら死ぬんじゃないか」


 食酒亭で概要を聞いた瞬間、クリムは魂レベルで理解できないという顔をしていた。

 天使でなくとも理解できない者は多いだろう。

 スタンクは店の看板を見あげた。



《禁忌と喪失のNTR専門店――扉のスキマ》



 ※寝取られであって寝取りではありません。

 ※基本プレイにお客様の本番は含まれません。


 などの但し書きあり。


 見ているだけで喉元に剣の切っ先を突きつけられている気分だ。


(さすがに俺も寝取られシチュは初めてだな……)


 寝取りプレイなら経験がある。

 奥さん、こういうの好きなのかい? うりうり、旦那さんはこういうことしてくれないのかい? うへへ、ドスケベ妻めお仕置きしてやるっ、的な。


「寝取られ」はその逆である。

「こういうことしてくれない旦那」には自分がなるのだ。

 大切な女性を奪われてなにが面白いんだ馬鹿かオマエ、と吐き捨てたい気持ちもある。それでも、絶対に引けない理由があった。


「今回は依頼されての取材だ。もう引き返せないからな」


 サキュバス店のレビューをはじめて以降、たまに依頼を受けることもあった。参考にしたいから某店を体験してレビューを書いてくれ、と。


 今回は必要経費として通常サービス分の料金もいただいてしまった。

 二日かけてみっちり準備をしてきた以上、いまさら引けるわけがない。

 股間の羅針盤は引き返せと言っているが、すでに戦士の魂が決意している。


 ――俺、今日、寝取られます……


 悲壮な決意をもって、スタンクは店のドアを開けた。

 ほかの三人も後続して死地に踏みこむ。


「いらっしゃいませ~、《扉のスキマ》へよ~こそ~」


 腰が砕けそうなゆるい声で迎えられた。

 受付で待ち受けていたのは、ドラゴンらしき長身の女だった。雄大な二本角を頭に生やし、トゲじみた鱗をあちこちに帯びている。

 ぼんやりした顔をしているが、静かな威圧感がにじみ出ていた。


「最初の最初に言っておきますけど~、あくまで店内の行為はプレイですから~、怒って暴れたりしないでくださいね~?」


 ドラゴン嬢の口内で小さな炎が揺れる。暴れたら焼きつくす、ということか。店の特色を考えれば、怒った客を取り押さえる用心棒も必要なのだろう。


 もちろんスタンクも暴れるつもりはない。

 どんなにNGな嬢だろうと、どんなに理不尽なシチュだろうと、自分で店に踏み入った以上は最後まで味わうのが男の礼儀だ。


「レビュアーズ名義で予約してるはずなんだけど、シロップちゃんを頼める?」


 予約は依頼者があらかじめ入れてくれているはずだ。

 シロップなる嬢の外見と特徴も依頼書に記されていた。そのイメージが気になったからこそ、仕事として引き受けた面もある。


「あ~、レビュアーズさんですね~、一番人気のシロップちゃんいますよ~」

「じゃあ、ついでにこれ、シチュエーション詳細」


 スタンクは懐から文書を取り出して手渡した。

 ドラゴン嬢は二日間で書きあげた力作にざっと目を通すと、鷹揚にうなずく。


「いけますよ~。うちの子たちは演技力重視で研修してますので~。とくにシロップちゃんは女優顔負けですから~。シロップちゃ~ん、力作つきでご指名ですよ~」


 ドラゴン嬢が手を叩くと、奥から楚々とした仕種で嬢が現れた。

 おお、と連れの三人が感嘆の声を漏らす。


 ばゆんっと揺れたのだ。

 灰色地に白エプロンのメイド服が、一部パッツンパッツンで、揺れるのだ。

 けしからんほどに、揺れまくるのだ。

 そんな体つきが下品に映らないのは、やや面長で秀麗な顔立ちと白磁の肌、白絹の髪あればこそだろう。


「シルキーのシロップです……どうぞ、お見知りおきを」


 スタンクは脳が痺れる思いをした。

 この二日間、昼夜問わずに思い描いていた「憧れのメイドさん」がそこにいた。


「想像以上に想像どおりでちょっと感動する……」

「シロップちゃんは顔なじみのおねーさんシチュや、貞淑で健気な新妻シチュなどで~、とっても根強い支持を受けてるんですよ~」


 もし違う店に勤めていても顔と体だけで支持されるだろう。

 だってオッパイだし。というか、オッパイだけは想像以上かもしれない。

 サイズにしてH――いや、Iはあるのではないか。


「ヘヘッ、想像するだに汗が止まらないぜ……二日間で考えつくしたオッパイお姉さんとの想い出が蹂躙されるなんて……」

「あ、もしかしてスタンクおまえ、ずっと上の空でなにか書いてたのって」

「シチュ重視の店って聞いたから、ちょっと本気で構築してみた」

「たまにおまえの執念が怖くなるわ……」


 ゼルに引かれるのだけは心外なのだが。


「でもスタンク、本当にいいのか?」

「なにがだよ」

「いや、なにがって……寝取られるんだぞ?」


 痛いところを突かれた。

 いかに魅力的な嬢を選んでも本番はできない。見せつけられ、胸の痛みに悶えるばかりだ。


「やるからには前のめりだ……俺は全力で寝取られを楽しんでやる……」

「おまえってやつは……わかった、骨は拾ってやる」

「スタンクって絶対にろくな死に方しないよね」

「たとえ死んでも執念のレビューは残りつづけるであろうよ」


 連れの三人は他人事の体だった。自分たちも寝取られるくせに。


「寝取り役はどうします~? すぐに用意できるインボーはこちらですが~」


 ドラゴン嬢がカタログを出してきた。インボーとはインキュバス・ボーイ。サキュバス嬢の男版である。


「……このちょっとチャラそうな、でもガタイはいい巨根のインボーで」


 あえて寝取られたら嫌な相手を選んでみた。ここで加減しては意味がない。

 心が死んでも突き進むべきだ。

 と、そこまで思いつめているのはスタンクだけだったらしい。


「俺はこのドリアードの嬢でいくけど、寝取り役が見ず知らずの男ってのも嫌だな」

「いやゼル、顔見知りのほうが気まずくないか?」

「どうせプレイなんだから、顔見知りのほうがあとで笑い話にできるだろ」


 そういうものだろうか。ゼルにはゼルなりのこだわりがあるのだろう。

 彼は気楽な様子でカンチャルの低い肩を叩いた。


「この店って、寝取り役を連れてくるのはありなんだよな?」

「ボクが寝取ろうと思うんだけど、いいよね?」

「アリですよ~。おひとりでご来店の方が寝取り役を希望したら~ゴメンナサイですけど~、寝取られ客のお連れさまであればオーケーで~す」


 寝取り希望客を制限しているのはオーナーの方針だという。

 制限をなくせば寝取り目的の客が際限なく増えてしまう。たとえ一時の儲けになろうと、特色を失っては有象無象に落ちるだろう。

 あくまで寝取られ専門店として、違いのわかる客にサービスしたい。

 そもそも最近はNTRを寝取りの記号としても以下略。


 ……とりあえず、こだわりが強いことはよーくわかった。


「ちなみに~、オーナーの奥さんもここで嬢やってるんですよ~」

「素で引きそうだからそういう情報は控えてほしい」

「あらら~ごめんなさ~い」


 ドラゴン嬢は申し訳なさを欠片も感じさせない軽さで頭を下げた。


「そのオーナー的に寝取らせはアリであるのか?」


 サムターンはカタログの嬢とインボーを尖った爪で指し示した。


「魔王である夫が部下のミノタウロスに妻を抱かせ、暗い笑みで背徳の愉悦に浸るシチュをワインつきで興じたいのだが」

「らせはアリですね~。そこはオーナーも許せるそうで~」


 こだわりの幅がよくわからない。

 はたして門外漢が挑んでよい店だったのだろうか。

 シルキーの静かな佇まいを見るにつけ、スタンクは言いしれぬ不安に襲われた。




 ドアのまえで深呼吸をした。


 これからスタンクは憧れのお姉さんメイドと再会する――

 という設定でシルキーのシロップと顔をあわせる。

《扉のスキマ》は小芝居が前提のサキュバス店だ。シチュエーションプレイの店は珍しくないので、スタンクもそれなりの経験はある。


(と言っても、大胆にキャラ変える必要はないけどな)


 あくまで状況設定を飲みこむだけで、別人になる必要はない。自分を自分として保って自然に振る舞うのが一番いい。でないと演技で手一杯になって、プレイを愉しむどころではなくなってしまう。NTRを愉しめるかはまだわからないが。


「あー……シロップ、俺だよ、スタンクだ」


 ノックをして返事を待った。


「ぼっちゃま……? あ、ああ、そんな、ぼっちゃま、ぼっちゃまなのですか?」


 ドアが向こうから開かれた。

 ずっと会いたかった――という設定の――白絹の精が、かすかに目を潤ませていた。


「お帰りなさいませ、ぼっちゃま……お待ちしておりました」


 薄く目を細めるだけの慎ましい笑顔。

 初見のはずなのに、なんとなく懐かしい気がする。


(ここだ、入りこめ、俺!)


 二日間で設定を練りこんだ執念を、そのまま恋慕の念に変換する。

 じわっと目が熱くなり、涙がにじんだ。


「ああ、帰ってきた。キミに会うために」


 想定よりくさいセリフが出てきた。


「毎日祈っていました……ぼっちゃまのくれた指輪に、ぼっちゃまとの再会を」

「指輪……大切にしてくれていたんだね」


 シロップは左手の薬指に安っぽい指輪をしていた。高級感のなさが、かえって子どものころの純粋な想いを象徴しているように思えた。

 幼い恋心だった。

 無邪気で幼稚な憧れだった。

 けれど、これまでスタンクを支えてきたのは、その想いにほかならない。幾多の冒険、数多の死線を生き延びられたのは、シロップへの愛情あればこそ――という気分になってきた。


「もう寂しくなんてさせないよ、シロップ……」


 スタンクは彼女の左手を両手で優しく包んだ。


「親父は落馬で死んだ。当主は弟に任せておけばいい。俺、新しい家を作ろうと思うんだ。シロップにはそこに《引っ越し》てきてほしい」

「ですが、ぼっちゃま……」


 シルキー種の命は住み着いた家に連動する。家の敷地を出れば命も尽きる。

 その命をつなぐために《引っ越しの儀式》が必要なのだ。

 スタンクが危険な冒険に身を投じてきたのは、儀式のためにほかならない。


「金のことなら心配いらない。時間はかかったけど、ちゃんと充分な予算を稼いできたから。儀式をしてもおつりがくるぐらいだ」


 ともに生きてゆきたい。

 想いを込めて、すこし強めに彼女の手を握りしめた。

 シロップは陶然と吐息を漏らすが、すぐには返事をしない。


「どしたのー、シロップちゃん?」


 部屋の後方を仕切るカーテンが押しのけられた。

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