扉のスキマ・上 <禁忌と喪失のNTR専門店>
*
見あげればいつも月のように静かな笑顔があった。
白絹色の相貌に、ほんのりと目を細めるだけの、あるかなしかの微笑み。
歓喜というよりも、満足感を表すための控えめな表情。
この家ですごす時間がただ幸せだというような慎ましさだった。
きっと彼女はいまもおなじ笑顔で家事をしているのだろう。エプロンに変じる長い白髪を絹の艶にきらめかせながら。
彼女たちはシルキーと呼ばれている。
家に住み着いて家事を手伝う妖精の一種だ。
それが自分と違う種族だと知ったのは、彼女の豊かな胸に頭が届く年ごろである。
ただの優しくて美人なメイドさんだと思っていた。
冬場にどれだけ洗い物をしてもアカギレにならなくて、ほかのメイドから「魔法の手を持っている」と羨まれる特別なメイドさん。
幼いころから実の姉のように慕っていた。
けれど、彼女と相対すると奇妙な胸騒ぎを覚えるようになっていく。
胸騒ぎに「ときめき」という呼び方があることを知ったのは、すこしあとのことだ。
ときめきの意味を理解するのは、さらにあとのこと。
初恋だった。
*
「……スタンクが気持ち悪い」
メイドリーは容赦なくそう切り捨てた。
翼を折りたたみ、カウンターの陰からテーブル席のスタンクを眺めている。
「わざわざ隠れる必要あるんですか……?」
クリムはその後ろからひょこりと顔を出した。
ふたりの見つめる先で、スタンクはタバコをくゆらせている。
立ちのぼる紫煙をぼんやり見つめる。ただ見つめる。
テーブルのつまみとエールには三〇分ほど手を出していない。
「……ただぼーっとしてるだけに見えますけど」
「そりゃアイツいつもぼやけたツラしてるけど、今日はちょっと違って……」
はあ、とスタンクが嘆息する。
「ほら、なんかいま目がウルッてなった! うーわ鳥肌立つ!」
メイドリーは給仕服越しに二の腕をこすりまわした。
「単に煙が目に染みただけじゃないですかね……」
「違うでしょ! いつもは死んだ魚みたいな目か腐汁でぬめついたような目か発情したイボイノシシみたいな目してるくせに、今日にかぎって妙に感傷的っていうか、遠くを見る目してるじゃないの! ありえないでしょ、あのスタンクが!」
「言いたいことはわかりますけど、もうちょっと手心を……」
ゴツ、とジョッキがカウンターに置かれた。
ふたりの横でゼルがエールを片手に呆れ顔をしている。
「やいやい言うなよ。男だって物思いに耽りたいことぐらいあるだろ」
いつもならスタンクの対面が定位置のエルフが、ひとり呑みでそう言うのである。一抹の説得力があってもおかしくはない、かもしれない。
「ゼルがそういうこと言うのもちょっと、いや相当気持ち悪いんだけど」
「おまえ本当に俺たちのことなんだと思ってんだよ」
「エロ狂いのチンピラ」
ゼルは言い返せず、面白くもなさそうにエールをあおった。
食酒亭の客に色狂いの遊び人は珍しくない。なかでも急先鋒は間違いなくスタンクとゼルだ。とくにサキュバス店のレビューをはじめて以降、その行動力には多くの男が一目置いている。
サキュバス嬢ならぬ給仕娘にとっては白眼視の対象にほかならないのだが。
「でもメイドリーさん」
クリムは身を乗り出してメイドリーに訴えかけた。
「スタンクさんもゼルさんもいちおう人の心は持ってるんですよ。はじめてボクを助けてくれたときもけっこう気を遣ってくれて……いやその結果なんていうか、変なこと教えられたわけですけど……親切心がズレてるっていうか……」
「ほんと最悪よね、アンタたち」
「クリム、フォローするならしっかりしてくれ」
「やっぱり無理なものは無理かもしれませんね」
「もしかしてメイドリーよりおまえのほうが辛辣じゃないのか」
三人でごにょごにょと話していると、テーブル席に変化があった。
スタンクが墨壺を取り出し、羽根ペンで紙になにかを書きだす。
「またいやらしいレビュー? いやね、サキュバス店ばっかり行って……」
「でもスタンクさん、昨日レビューを発表したばかりですよ。新しいお店に行く時間はなかったんじゃないかな……」
サラサラと羽根ペンが走る。
留まることなく流れるような筆捌き。
鋭く激しい剣技とは正反対の優雅さと言っていい。
「そういえばスタンクってわりと字がキレイよね」
「言われてみたらたしかに……レビューも読みやすいですし」
「あれでけっこう教養あるような気がするぞ、アイツ。所作にもさりげなく気品……とまでは言わないけど、礼儀作法を学んだ名残ぐらいは感じられるし」
ゼルの発言にメイドリーは「えー」と眉をひそめる。
「なんかの錯覚か頭ぶつけたかじゃない?」
「いやまあ、俺もあんまり自信はないんだが。単に幼なじみが貴族だとか仕事でそういうのと接する機会が多かったとか、エロ目的で知識溜めこんだだけとかかもな」
ゼルは自分で言って納得したのか、うんうんと何度もうなずいた。
「まあ、男にはいろいろあるもんだ」
「秘密ぐらい女にだってあるわよ」
「ですよねぇ……男にも女にもありますよねぇ」
好き勝手言う三人をよそに、スタンクの筆は走りつづけた。
ときに視線を紙から離すと、はるか遠くを見つめる。
そのたびに双眸は物憂げな光を宿すのだった。
*
彼女の仕事ぶりが好きだった。
いつだって彼女は最低限の動きでテキパキと家事を執り行う。
拭き掃除、掃き掃除、ベッドメイク、裁縫、織物、食材の点検、調理手伝い、来客の応対、庭仕事、馬の世話、などなど。
屋敷と庭でなすべき仕事はなんでもできる。
だれかが失くし物をしても、塀の内側にあれば即座に見つける。
シルキーという種族にはそういう力があるのだという。
「彼女たちは人間とは違うのだよ」
父はそう語った。
「家屋に住み着く妖精で、そう、ブラウニーや座敷童子の近縁種だ。違いと言えば、姿形が年ごろの女というところだな。あとは血の色を通さぬ白い肌に、純白の髪……そう、髪だ。彼女の髪は服に紛れこむようになっているだろう? 髪を変じて服となすのもシルキーの特性で――」
なぜそうまで種族の個性を説明するのか、当時は理解できなかった。
いまにして思えば、彼女は家族ではないと父は言いたかったのだろう。
でも、わからないのだから関係ない。
手際よく、献身的に家事をこなす彼女は、いつだってカッコいいメイドさんだ。
目を離せなくて、扉の隙間からこっそり彼女を覗くのが日課になっていた。
仕事が一段落すると、彼女は振り向いて視線を合わせてくる。
「わたくしの顔になにかついていますか、ぼっちゃま」
疑問があると口元に人差し指から薬指までの三本指を添える。そんな茶目っ気のある仕種もときめきを誘った。
「あら、ぼっちゃま。つまみぐいはいけませんよ、めっ」
厨房では、ミトンをつけた手で寸止めチョップ。
ときめいた。
「ぼっちゃま……わたくしは構いませんが、女性の胸やお尻ばかり見るのは失礼ですよ。女は目線に敏感なものですから」
いや、だって、そんなに大きくてムチムチのものをぶら下げてたら。
仕事で動くたびにゆっさゆっさ揺らされたら、ムラッとくる。
何度もムラッとして、何年もムラムラしつづけた。
ムラムラで凝り固まった体の一部を揉みほぐすと、超気持ちいいことを知った。
私室にこもって、ムラムラ退治にハッスルした。
「……ぼっちゃま? なにかうめき声と、わたくしを呼ぶ声が聞こえたのですが」
ノックもなしにドアを開けるのはひどい。
「なぜズボンを下ろして……あ、ぼっちゃま、もしかして」
聞くな。聞かないでほしい。恥ずかしくて、情けなくて、涙がこみあげてくる。
逃げ出したい。この家から。彼女の前から。
「いいのですよ、ぼっちゃま……わたくしは気にしていません」
彼女はベッドに腰を下ろすと、頭を撫でてきた。
腫れあがった肉棍にも手を添える。
血の色が透けない人外の肌が、艶めかしく絡みつく。
「わたくしも詳しくはないのですが……これは、わたくしを想ってくださっているから、なのでしょう? だとしたら、わたくしは……過分な幸せが面映ゆいぐらいで……嬉しい、と思います」
あるかなしかの月の笑顔で安心させて、彼女は手を動かしだした。
しこ、しこ、と若々しい反り立ちを擦りあげる。
あ、あ、と声変わりもしていない喘ぎが鼻を抜けた。
「気持ちいいですか? わたくしを感じてくださってますか? いいのですよ、たくさん感じてくださって……わたくしはけっしてぼっちゃまを厭いません」
メイドたちの羨む「魔法の手」はかつてない快楽を生み出した。
白くて長い指がしゅるりと絡みつき、強弱をつけて揉みこみながら上下する。
性に目覚めたばかりの男をもてあそぶように巧みに。
自虐の縁に立つ少年をいたわるように優しく。
「ぼっちゃまもご自分の気持ちに胸を張ってください……ちゅっ」
額にキスをされると、股ぐらで痺れが爆ぜた。
見たこともない濁り汁が飛び出して、彼女の白い手にへばりつく。
魔法の手をおぞましい体液で穢してしまった。そんな罪悪感を溶かし消すように、彼女は掌中の粘り気を指先でもてあそぶ。
「これが、ぼっちゃまの……え、はじめて出すのですか? まあ……それは、それは、なんてことでしょう……わたくしなどで、まあ」
抑揚のすくない静かな口調だが、くり返される「まあ」が昂揚感を示している。
そして彼女は汚れた手に唇をつけた。
ぢゅっ、ぢゅっ、ぢゅるる、ぢゅっ、ぢゅるるるるぅ……
楚々として上品な彼女に似つかわしくない、下品な音が奏でられた。
「ぼっちゃまのはじめての雫……いただいちゃいました」
浮かんだ笑顔は普段よりすこし深い。
――俺、やっぱりこのひとのことが大好きだ。
もはや想いは止まらなかった。
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+++++++カクヨムでは見せられないよ++++++
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抱けば抱くほど想いは募りゆくのに。
ふたりの絆は強くなっているはずなのに。
それが幻だなんて信じたくない。彼女の言葉は本心でないと思いたい。
だから贈り物をした。
小遣いを貯めて買った粗末な指輪である。
「いけません……いけません……ぼっちゃま」
「こんなの、こんなふうにわたくしを喜ばせても仕方がないではありませんか……ああ、もう、ぼっちゃまったら、いけないひと」
「わたくしは……」
見つめあえば、いつの間にか視線の高さがおなじになっていた。
もう自分は彼女を見あげるばかりの子どもではないのだ。
「ご立派になりましたね、ぼっちゃま……すっかり一人前の殿方です」
彼女は指輪を左手の薬指にはめた。浮かぶ笑顔は太陽のようにほがらかだった。
その夜の交わりは、たがいの気持ちを確かめるための儀式となった。
もうなにも怖くない。身分の差も、種族の差も。
なのに――
翌日の夕食の席で、父が厳格な顔で言ったのだ。
「彼女にはこれから離れで織物をしてもらう。庭仕事もしてもらうが、母屋での仕事は若いメイドたちに任せる」
「おまえは旅に出るといい。世間を知って大人になるんだ」
となりで母も固い顔をしていた。
どうやらすべてを知られてしまったらしい。
遊びであれば良し。だが本妻として娶ることは許さない。当家の跡取りとしてふさわしい相手を迎えるべきだ――といったところか。
ふざけるなと激昂した。
若かったのである。子どもだったのである。
口論は殴りあいとなり、父を骨折させるに至って、すべては終わった。
「勘当だ。跡目は生まれたばかりの弟に継がせる。二度と当家の敷居をまたぐな」
やっちまった。取り返しがつかなくなってしまった。
家督などに興味はない。剣の腕には自信があるし、家を出てもひとりで生きていくことはできる。そのことは大した問題じゃない。
心から求めるものは、たったひとつなのだから。
なのに彼女は寂しげに目を伏せるばかり。
「わたくしがシルキーでなければ、ぼっちゃまについていけたのに」
シルキー種は原則、住処と決めた家の敷地から出られない。
家が潰れれば命も消えゆく。
引っ越しの儀式をすれば移住も可能だが、かなり大がかりな作業となる。当然、金もかかる。スタンクが母に持たされた金ではとうてい足りない。
「ぼっちゃまがどこにいても、だれと結ばれても、わたくしの心はいつまでもどこまでも、ぼっちゃまとともにあります――」
別れの言葉をキスで締めくくり、ふたりは袂を分かった。
永遠の別離ではない。
引っ越しの儀式の予算を貯めるまでの別れだ。
「待っててくれ……きっと帰ってくるからな」
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