物語の生まれる島  <異世界ファンタジー>

物語の生まれる島

 ここは小さな島の、古い森の奧の奧。

 古いわだちの残る草深い道を、ふさふさした赤毛に白い帽子をのせた少年が鼻歌まじりに歩いている。


 青いバッグを斜めにかけた肩には、タヌキがフクロウのコスプレをしたような珍獣がとまっていて、少年の歩くリズムで揺れながら「イチゴ大福、九十九里浜、マダガスカルオビトカゲ、ゲルマニウム温泉。ン。しまったー! 三十五戦三十五敗かーい」と一人シリトリに興じている。


「なあ、フースカ。この道、間違ってね? 俺、不安になってきたんだけど」


 少年が話しかけると、フースカと呼ばれた珍獣は呆れたように羽をひろげる。


「この道で間違いないって言ったのは、カタリじゃないかーい」


「そうだけど。オレ、とびっきりの方向音痴だからさ」


「自慢かーい」


「住所は間違いなく、このあたりのはずなんだよ」


「鞄の中の地図は何の為に入れてあるんかーい」


「お守り的な? 心の支えみたいな?」


「読まないのかーい」


「オレ、字とか読むの苦手だし」


 やがて木の間隠れに赤煉瓦の屋根が見えて来た。


「家だ! やったぜ、フースカ! これ、奇跡じゃね?」


「奇跡なのかーい」


 木立に囲まれた小さな家の扉の前に立ったそのとき。


「でていけっ!」


 乱暴に扉が開いたと思うと、カラフルなミニのワンピースに青いベレー帽の女の子がころころと転げ出てきたので、カタリは赤くなって目を覆った。


「待ってください! もう一度はなしを――!」


 女の子の伸ばした手の先で、扉が音を立てて閉まった。


「ああ、もう!」


 女の子はさもがっかりしたように地面に坐り込んだ。


「あの、君、大丈夫?」


 カタリが話しかけると、女の子はぴょこんと跳びあがってスカートの前を押さえ「きゃあ!」と叫んだので、カタリも「わあ!」と叫んで後ろを向いた。


「ごめん! 見てないから! 白いものなんて、なにも見てないから!」


「見たのかーい」


 女の子はカタリの後ろ姿を帽子の羽から靴の踵までまじまじと観察すると、早口で「ルルルルルルル……」と一分ほどつぶやいた。そして嬉しそうな声で「カクヨムユーザーのカタリィ・ノヴェルさんですね。はじめまして。わたしはリンドバーグです!」と言った。


「ええっ? なんでわかるの?」


 カタリは目を丸くして振り返った。


「登録ユーザーの個人情報はすべてインプットされていますから」


 自分の頭を指差した少女は爽やかに頬笑んだ。大きな瞳が愛らしかった。


「インプットって? 君は何者?」


「わたしはAI。創作活動をサポートいたします」


「人間じゃないのかーい」


 珍獣が驚いてバサバサ羽ばたいた。


「へえ。ビックリだなあ。リンドバーグさんか。長いね。バーグさんでもいい?」


「そこかーい」


「ご自由にどうぞ」


 バーグさんは明るく頬笑んだ。


「オレはカタリって呼んでくれよ。こいつは相棒のフースカ。見た目はぬいぐるみだけど、意外とよく食うんだ。よろしくな」


「お二人はなぜ、ここに?」


 バーグさんは細い首を傾げる。


「この島にすげえ面白い物語を書く人がいるって聞いて訪ねてきたんだ。実は俺たち『至高の一篇』っていう世界中の人々の心を救う究極の物語を探してるんだ」


 カタリは得意気に胸をそらす。


「すごい! そんな素晴らしい物語があるのですか?」


 頬を紅潮させたバーグさんは胸の前で両手を握りあわせた。


「ある。あるはずなんだ。でも、まだ手掛かりさえなくてさ」


 カタリは帽子をずらして頭をかいた。


「バーグさんこそ、ここで、てか、さっきは何があったの?」


「わたしのセンサーに、今すぐサポートを必要としている作家反応があったので駆けつけたのですが、キッパリとお断りに……」


 バーグさんは悲しそうにうつむいた。その表情の豊かさはAIとは思えない。


「どんな人だったの?」


「それが……」


 そこへガタガタと車体を揺らして走ってきたのは、恐ろしく旧式の赤いオープンカーだった。運転しているのは丸々と太った女の人で、運転席にきっちり詰まった豆のようだったが、カタリとバーグさんが急いで飛び退いた場所にピタリと停車した。


「はい。こんにちは。お二人さん。おや、二人とも見ない顔ね。わたしはこの島の小学校の校長のポッチョですよ。お名前は? ――カタリ君に、バーグちゃんね。はい、よろしくね。なにか困ったことがあったら相談にのりますよ」


 ポッチョさんはテキパキと二人と握手すると、豆が弾けるように車を降りて、小さな家の扉をノックして叫んだ。


「ハーイ、ダズル! ポッチョよ! 迎えに来たわよぉ!」


 すると鍵を開ける音がカチリと鳴って、扉が開いた。

 姿を現したのは、熊のように大きな男で、フースカがカタリの陰に隠れた。

 髪も髭も長く伸ばしているので顔が見えない。薄汚れた服の上からフードのついた大きなマントを巻きつけている。


「さあ、行きましょ。ダズル! みんながお待ちかねよ!」


「ポッチョさん、俺はやっぱり……」


「いまさら、ドタキャンはなしよ!」


 ポッチョさんは大男を助手席に押し込むと、自分はまたきっちりと運転席にはまり込んでハンドルを握った。そして、こちらに笑顔を向けて呼んだ。


「ほら、お二人も乗るんでしょ? 早くして!」


 カタリとバーグは慌てて狭い後部座席に乗りこんだ。フースカはカタリの膝の上だ。揺れて二人がマントにしがみついてもダズルは何も言わなかった。


 オープンカーが着いた場所は、この島の病院だった。

 車を降りたポッチョさんはダズルを引きずるようにして、真っ直ぐにホールに入っていく。二人と一羽がその後を追いかけると、ホールは車椅子や長いすにくつろいだ大人や子どもの患者でいっぱいだった。みんな、ダズルが入っていくと嬉しそうに拍手した。


「ダズル! おはなしして!」


「ダズル! 待ってたよ!」


 だがダズルはうつむいたまま、一番隅の席にうずくまるように坐ってしまった。

 その姿を優しい目で眺めていたポッチョさんは、ホールの真ん中の椅子にすわり、ダズルから渡された黄ばんだ原稿を取り出して、よく通る声で読み始めた。



 それは心優しい少年が仲間とともに恐ろしい魔物をやっつける物語だった。だがストーリーが進むに連れて、魔物にも愛する家族や仲間がいると知った主人公は殺されかけた魔物をかばい命を落とす。魔物は主人公の亡骸を抱きしめて咆吼する。



 観客たちが泣き出した。

 魔物がかわいそうだと、主人公がかわいそうだと涙を流した。

 カタリもバーグさんも泣いたが、フースカが一番泣いた。

 バーグさんがふと見ると、ダズルもほろほろと泣いていた。


 朗読を負えたポッチョさんは、カタリとバーグさんの間に坐ってささやいた。


「ダズルにはターシャっていう、あなたたちくらいの娘がいてね、この病院に長いこと入院していたの。ダズルは娘のためにお話を書いては読み聞かせていたのよ。ダズルのおはなしは面白くてね、ターシャだけではなくて他の患者も心待ちにするようになったわ。ダズルの物語を聞くと心がほんとうに楽になるの。ダズルは毎週のようにみんなに物語を聞かせてくれていたの。ところが半年前、ターシャは急に病気が重くなって亡くなったの」


 カタリとバーグさんは言葉をなくした。


「それ以来、ダズルは家に引きこもってしまったの。みんな、ダズルのおはなしが聴きたいって待ち望んでいるのだけど、ダズルはもう何も書けないって言ってね。さっきわたしが読んだおはなしはターシャが生きていた頃に書いた原稿なのよ」


 カタリとバーグさんは顔を見合わせた。


「悲しみが深すぎると悲しくても泣けなくなってしまうように、ダズルも悲しみが深すぎて書きたくても書けないんじゃないかと思うの。いま一番苦しいのはダズルだと思うのよ。だから今日はこうして、無理に連れ出してみたんだけどね」


「ダズルさん!」


 人目を避けるように病院を立ち去ろうとするダズルを、カタリは追いかけた。


「なんだ」


 ダズルがフードの中から返事をした。


「オレは詠み人なんです。こうすると心の中に封印されている物語が見えるんです」


 カタリは両手の人差し指と親指を使って枠をこしらえ、ダズルの心を詠目よめで見透かした。


「ダズルさんのなかに、すげえ面白くて心が震えるような傑作が見えるよ。書きなよ、ダズルさん! ここにいるバーグさんにサポートしてもらって!」


「わたし、精一杯お手伝いします!」


 バーグさんも言った。


「ダメだ」


 ダズルは悲しげに首を横に振った。


「この物語は書きたくない」


「どうしてですか」


「この物語の主人公は娘のターシャだからだ」


「え……」


 カタリは胸を突かれ、ものが言えなくなった。


「でも!」 とバーグさんが叫ぶように言った。


「さっきのみんなを見たでしょう? ダズルさんの物語を読んで救われる人がきっといます。そして、その人たちの流す涙でダズルさんも救われるのではないでしょうか」


「俺が救われる……」


 ダズルの足がとまった。


「あのね」


 ポッチョさんが三人の顔を代わる代わる見て頬笑んだ。


「この病院のみんなにはダズルの物語が必要なの。それは確か。そしてきっとダズルにも聴いてくれるあの人たちが必要なんだと思うわ。だって物語ってそういうものでしょ? 決して一方通行なものじゃないのよ」


 校長はオープンカーに乗り込んでエンジンをかけた。ブルッ、ブルッ、ブルン。


「ダズル、送るわよ。乗ってちょうだい」


 フードの奧の悲しげな眼差しが、カタリからバーグさんへと注がれると泣きそうにまばたいた。


「ごめんな。せっかく来てくれたのに」


 低く優しい声だった。


「君たちのおかげで痛くてたまらなかった心がすこし救われたよ。ありがとう。今はまだ書けないけど、いつかきっと書くよ」


「物語は美味しい木の実と一緒よ。熟すまでに時間がかかるわ」


 ポッチョさんが笑った。


「待ってます。いくらでも」 カタリが言った。


「いつでも呼んでくださいね」 バーグさんが笑った。


「ありがとう」 ダズルが肯いた。


 カタリとフースカとバーグさんは、赤いオープンカーが夕陽の丘のむこうに見えなくなるまで、いつまでも見送っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

リリカルミニマム掌編集 来冬 邦子 @pippiteepa

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説