秘奥・四神演武

 和装の男――吹き飛ばした拍子に傷口でも開いたのか、僅かな血の匂いを漂わせ始めながら、けれど顔には余裕にも似た表情を浮かべ。


「……一応、聞いておこう。吸血鬼とやら。これ以上何もせず、立ち去る気はないか?」


 尋ねてくるのはそんな、愚問だ。

 吸血鬼――青年は答える気にもならず、逆に問いを投げかける。


「それで、やっと全力?……何もおきてないように見えるけど?もしかして失敗した?」


 青年の問いに、宵虎はただ口元に笑みだけを浮かべて、歩みだす。

 特に太刀を構えているわけでも無い。ただだらりと下げ、ただ散歩するような気楽さで………宵虎の目は青年を捉えている。


「お前の望みはなんだ?死ぬ事か?孤独でなくなる事か?」


 その問いかけにもまた、意味はない―――答える必要がない。

 青年は顔を顰め、強く宵虎を睨みつけ、左腕で真紅の大剣を掲げながら、言葉を投げる。


「全力って、考えて良いんだよね?ならもう、死んでも負け惜しみは言わないんだよね?」

「真剣勝負か?負ける事を望んでいるのか?」


 お互いに、相手の声に応える気もなく―――ただ宵虎は歩む。

 太陽の下から、再び正面広間えんとらんす。影の、中へと。


「………人に戻りたいか?」

「ふざけるな……」


 全ては同時だ。

 宵虎が問いと共に、再び影の中に踏み込んだのも。

 青年が、反射的にそう返事を投げたのも。


 そして、真紅の大剣が宵虎を引き裂いたのも。


 影に踏み込んだその瞬間に、青年――吸血鬼は踏み込んだのだ。

 巨大な剣を隻腕に、力任せに―――ただそれだけで人間には到底反応できないはずの速さで、大剣バスターソードは横薙ぎに、大気を、宵虎を引き裂く――。


 全力になったのならば、もう生かしておく必要も無い。

 ………その思考を、青年はいまいち、自分で、理解しきれていなかった。


 鈍い頭痛と共に訪れる記憶の残滓。郷愁の果てから届く声。

 言い訳はもう出来ないだろう。舐めるな。理解しろ、僕の方が強い。わざわざ、強いモノになったんだ……。

 これで、お終いだ。

 良くわからない郷愁も、下らない頭痛も………気持ちの悪い気分も。

 終わりになる―――はずだと言うのに、薙ぎ払った手に感触がない。

 引き裂いたはずの宵虎――その身体がかすみの様に溶けて消え、その姿は、大剣の間合いの外、未だ正面広間に踏み込まない太陽の下。


 青年は思い起こす。昨夜の戦闘。切ったはずだというのに、宵虎の姿がそこになかった。

 まるで霞を切ったかのよう―――同じ技を使ったのだろう。だが、まるで同じと言う訳でも無いらしい。


 太陽の下で、宵虎は太刀を構えている―――抜刀に似たような、刃を後ろに腰に構えた、脇構え。

 その一閃が、横薙ぎに振るわれる―――。


「遠雷・剛迅断空」


 言霊は短く、剣閃は迅く―――。

 横薙ぎは稲妻となり、轟音と共に周囲を吞み込む。


「………ッ!?」


 咄嗟に、青年は飛び上がる。

 その体の下を稲妻が奔り抜けていく。

 これも、さっきと同じだ。付加効果もなにもなく、ただ単純に威力が高いだけの技。

 先程よりも威力は落ちているか?だが、技の出の速さがまるでちがう。


 溜めが必要な技ではなかったのか?専用の紋章と言霊が必要なのではなかったか?


 交わしながらそう考え、青年は飛び退いた背後へと着地し―――着地の瞬間、青年の身体が僅かに傾いた。


 青年は自身の身体を、左脚を見下ろす。

 欠けている。左脚の足首から下がない。今、かわしきれなかったようだ。

 傷口が再生しない。僅かにこげているように見える。あの炎――食らったら不味い奴も混じっているらしい。

 痛覚は………いつの間にか消えていた。長い年月の果てに、怪我をしたところでどうせ治るのだからと、痛みを殆ど気にしなくなっていた。


 だが、そのせいで――今、1手遅れた。

 よろめきながら、青年は反射的にそう考え―――また、自身の素早い思考に疑問を持つ。

 遅れた?対応が遅れたところで、どうせ――

 

 ――視界の先で、宵虎が太刀を構えている。

 今度は、上段。先ほどみたのと同じか。


 倒れこみながら、青年の眼前を血の壁が覆う。


「静薙・鎌鼬」


 言霊の直後―――風が流れる。

 静かに、だが威力を持った風。熱さが同時に漂ってくるのは、その風にもまた炎が混じっているからか。


 ガガガガガガガガ―――。


 盾を風が削っていく。その音を聞きながら、青年が考えるのは次、この先の宵虎の動き、自身の動き。


 脚はまだ治っていない。戦闘中は治らないかもしれない。片足で勝てるか?

 勝てる――それは、何も考えていないの意見。

 対処しておくべき――それは、頭痛と共に訪れる、郷愁の果てにある冷静な意見。


 欠けた左脚の先に、血が集まる。義足の様に、欠けた部分を補うように。

 両足で床を踏んだ青年――。


 ――その身に影が落ちる。すぐ近く、燃え盛る巨大な刃を光源に、長い影を落とす異国の男の影………。


「焔纏・大刃烈火」

「ッ、」


 間違いなく、食らったら不味い技だ。1手遅れた。これのことだ。

 遠距離技もある。移動も速くなっている。技も速い。

 着地直後の遠距離は防げても、その後の肉薄への対処が遅れてしまう。


 燃える刃は、袈裟に振ってくる。範囲が広い。避けて避けきれるか―――。

 思考の前に、青年はその手の大剣を振るっていた。


 反射だ。ずいぶんと遠い昔に、人で、王であった頃に。

 いや、更にその前に生まれ持った、反射的な攻撃性。


 ただ負けるのは、我慢ならない。最低、相打ちでないと、我慢ならない。

 そう、プライドの問題だ。


 燃える太刀が。

 真紅の大剣が、奔る。


 切り結ぶ軌道ではない。

 お互いにお互いの身体だけを狙い、防御を捨てて切り合う―――。


 青年は鈍く感じた。

 迫る火炎の刃、ではない。

 自身が振るう大剣バスターソードが、酷く鈍く感じる。

 片手だから。利き手ではないから。サイズの合わない武器だから。いや、それだけではない。

 踏み込みがない。身体の軸がぶれている。ただ腕だけで振っている。

 技が無いのだ。かつて、確かに詰んだはずの研鑽が消えうせている。


 人ではなくなった。人間より強くなった。工夫する必要性を感じなくなった。ただ適当に振っていれば敵が死んだ。


 けれど、今は?

 ―――なるほど、敵は強い。研鑽が見て取れる。鋭い振り下ろしだ。人間のままで、良くそこまで到っただろう。

 だが、尚―――吸血鬼の暴力の方が僅かに速い。


 迫る熱気に髪が焼けたか、僅かにこげたような匂いをかぎながら――それでも、先に届いたのは青年の剣。

 真紅の剣が宵虎の身を両断し、太刀に帯びる火炎が消え去る。


 雑な暴力で勝ってしまえる――だから、何もかも、面白くない。

 ………けれど。


 消え去る。

 火炎が、太刀が。

 切り払ったはずの宵虎の姿が、蜃気楼の様に失せて消え―――その姿は数歩先。


 下段の構え――その姿勢から切っ先は上がり、なんの呼び動作もなく、ただただ素早い刺突が迫る。


霞狩かすみがり牙龍点穿がりゅうてんせん


 回避と反撃が同時になった技か――鋭く迫る突き、その切っ先はどこかおぼろげで、そして僅かな炎をまとってもいる。


 食らったら不味い技。

 そして、避けきれない技だ。

 虚を突かれた。暴力的に振り上げた大剣を戻しきれず、また体勢も崩れている。

 

 迫る太刀を眺める、臨死の一瞬。

 胸中に宿ったのは、郷愁。


 たとえば、こんな戦いの末の終わりなら、まだ青年も納得できただろう。

 相手が強かった。だから、負けた。それならば、まだ、納得の出来る終わり方だった。


 郷愁。郷愁。郷愁。

 小国は、立地の問題で戦が多かった。

 王となった少年は、自他共に認める武才を持ち、それを磨きぬいていた。

 だと言うのに振るう場がなかった。振るう事を許されなかった。


 継ぎのない王に死は許されない。

 戦場に出ようとも、後陣でただ座り込むのみ。

 部下の死を待つのみ。

 剣をとる事を許されるのは、部下が全ていなくなり、そこまで敵群に食い入られたその時だけ。

 人、人、人、人、人………。全てが敵だ。

 多勢に無勢。

 武才があろうと、どうしようもない死がそこにはあった。


 その躯には、後悔だけが残った。その瞬間、求めたのは他の終わり方。


 せめて正々堂々と、全力を賭し、上回られた上での敗北を。


 願いが通じた、だから続いた。永遠がそこにあった。何の面白みもなくなった永遠が。


 郷愁が奔る………それを突き抜けるほどの思想が奔る。

 僕の方が強い。……僕はまだ本気じゃない。


 反射的に動いたのは、だ。失せているはずの右腕。集った血が腕を形作り、その手はやはり、血で出来た剣を握る。


 大剣ではない。細身の両刃の剣ブロードソード

 現れた腕が、現れたブロードソードが即座に跳ね上がり、迫る突きを弾き上げる。


 逸れ、流れていく太刀は頭上に―――。

 青年は即座に背後へと跳ねていく。


 距離を置く途中で大剣を捨て、右手のブロードソード―――大剣と同じく紋章を帯び、だが無様に膨れ上がってはいないそれだけを、手に、………距離を置いた青年は、両手で、ブロードソードを構えた。


 宵虎は、追撃してこない。

 その場に佇み、太刀を正眼に構えたまま………獰猛な、どこか楽しげな笑みを口元に浮かべている。


 何が面白いのか―――苛立ちに似た思考をもった青年を嘲る様に、宵虎は問いを投げてきた。


「……それで、やっと全力か?」


 似た問いを先ほど、青年も投げた。

 意趣返しか?青年の腕が揃うまで、手を抜いていたとでも言いたいのか?

 いや、ただの挑発だろう。馬鹿にしているだけだ。


 青年は何も応えず、ただ眼光だけは鋭く宵虎を睨みつけ――構えを取った。

 確かに研鑽のある構え。

 青年の顔に、もはや、ぼんやりとした雰囲気はなく………。


 そこにいたのは、肩書きのない、ただ一人の武人。

 青年は、何も言葉を投げる事もなく、正面から宵虎へと切り掛かっていく――。

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