立ち合いは果てに静けさ……
真紅の長剣――正面から、真一門に振り下ろされる。
宵虎は2歩下がった。それで、相手の空振りを誘い、直後に太刀を横なぎに振るう。
その剣閃を吸血鬼は屈み、かわし、剣を返す。
切り上げ。横にかわし。
突き。首を横に、髪を落とし。
袈裟。弾きそらし、踏み込み小手を打ち込む。
引き胴。足を止め空ぶらせ、1手遅くまた踏み込み、突く。
声もなく、競り合いすらも無い攻防が続いていく。
音はお互いの振るう風鳴りのみ。1手、1手、反射に思惑を混ぜ、だんだんとその派手さは失せていく。
感情を思い起こしている暇はない。ただ頼るのは、染み付いた反射、積み重ねた研鑽のみ。
一手で死ぬ。
そうお互いに知っているからこそ、かわす事に重きを置く。
お互いに、お互いの剣を受けきれる保証はない。
血の剣は破邪に焼かれかねず。
太刀は単純な怪力に折れかねない。
剣戟すら響かない立会いは続き、やがて、沈み込むように、動きが少なくなっていく。
ついには、二人が共に動きを止めた。
10歩ほどの距離をあけ、宵虎は、青年は、鏡合わせの様にお互いに切っ先を向け、動きをとめる。
戦闘は続いている。ほんの僅かな動きが全て牽制になり、その先の動きを予測しあい、仮定に仮定を重ねた上で、常に勝負が決し続ける。
だからこその膠着。だからこその、静かさ。
「………望みは」
「多分、ここにあるよ」
「………そうか」
会話は、ただのそれだけだ。
そして決着の故もまた、そこにあった。
口を開いたのは宵虎。口を結んだのも宵虎。
そこに、僅かに隙があった。………青年はそう見て取ったのだろう。
鋭い足運びで、青年は迫る。10歩の距離が一瞬で詰まるのは、相対しているのがそういう魔物だからだろう。
結局のところ、真っ当にやれば、宵虎に勝ちの目はない。幾ら神下ろしで差を埋めようと、根底の体力の差は揺るがない。
延々立ち合えば、先に体力が尽きるのは、どう考えても宵虎の方。
………だから、宵虎は己から隙を作った。
経験の差だろう。同格かそれに近いものを相手に、実際に命を賭けた経験が吸血鬼には少ない。
だから、匂わせれば食いついてくる。
吸血鬼が、袈裟に長剣を振り下ろす。
その一閃はかわせない。……かわす気もない。
甘んじて食らおう。だが、死ななければそれで良い。
宵虎もまた太刀を振るう。迫る吸血鬼の首を狙うように、横なぎに太刀を振りながら―――同時に、背後へと歩を進める。
踏み込む上体のまま、足運びだけは背後に。
吸血鬼の目算がずれたか、首から胴を引き裂こうとする真紅の長剣は、宵虎の肩に当たり、深く食い込み、けれど両断する前に宵虎の身が間合いの外に。
宵虎の太刀は、吸血鬼の首に触れる事もなく、走りぬけた。だが、それで狙い通りだ。
首を狙うかのように見せ、けれど本当に狙っているのは腕の方。上体の動きは変えず、ただ足運びだけで剣閃の軌道を変える――。
死闘に囚われすぎている。それが敗因だ。
血が、腕がはねて飛ぶ―――血で出来た右腕、未だついていた左腕、そこに握られる真紅の長剣が、切り離されて飛び退っていく。
吸血鬼は即応する。跳ね飛んだ腕がすぐさま血に覆われ、再生される。
―――けれど、そこにある一瞬こそが致命。
宵虎は引いた一歩を、そのまま前へと踏み込んだ。
同時に、横なぎに振った太刀を返す事もなく、ただそのまま切っ先を吸血鬼の心臓へ向ける。
薙ぎから、突きへ。
ただ2歩、前後に足を運び、それで2撃。
鮮血が舞う。
太刀が吸血鬼の心臓を穿ち、跳ね飛んだ血が、帯びた輝きに焼かれ、消え去っていく――。
ぴしゃり―――そんな音と共に解けたのは、吸血鬼の両腕に成り掛けていた、鮮血。
確かに捉えた感触を両腕に、宵虎は、吸血鬼を睨む。
その心臓の辺りが、燃えるように、溶ける様に、霞に変わり………。
それを、吸血鬼は静かな表情で眺め、やがて、呟いた。
「……終わり、かな」
「ああ。………でなければ、お前の勝ちだ」
「そっか。……惜しかったな、」
吸血鬼の心臓から、宵虎は太刀を引き抜く。
青年の身体が力なく倒れこんでいく。
演技、ではないだろう。演技で、まだ動けるのなら………それこそ宵虎に勝ち目はない。
仰向けに倒れこんだ吸血鬼。宵虎はふらつきかけながら、けれど意地で立ち続け、吸血鬼を見下ろす。
吸血鬼の顔には、僅かな笑みがあった。十分遊んだ、そんな、子供のような……同時に疲れきった老人のような笑みが。
不意に、懐古するように、青年は呟く。
「……国があったんだ」
「ああ」
「ただの馬鹿が王様になってね」
「そうか」
「もう、あんまり、思い出せないけど………国は好きだったんだよ。多分」
「…………」
「戦に負けた後に。人間止めてね。……そうだ、そうだよ。国に戻ったら、もう酷くてさ……それしか、思い出せなくてね。いや、全部なかった事にしたのかな。ずっと昔の話。その前に、楽しかった事が、色々あった気がするんだけど」
「…………そうか」
「………これから行く所で、思いだせるかな?」
「ああ」
短くそれだけを応えた宵虎を前に、青年はまた微笑み、視線を向ける。
「……遊んでくれてありがとね。胸を張って負けたって言えるよ。……どっかで会ったら、また遊んで?」
「二度とごめんだ」
声を上げて笑おうとしたのだろう。けれどその声も出ず………。
青年は瞼を閉じる。その身体が、焼け、灰に変わり、消え去っていく………。
宵虎は、ただその姿を見取り続けた。
望みを叶えられたのか。いや、今更そんな事を考えたところで、先のない話か。
やがて、宵虎は太刀を収めた。青年の身体は、もう煙となり、風に吹かれて消え去っていく………。
それを見送るように、宵虎は座り込んだ。
体力がもう、つきかけている。傷口は開いた上に、肩に更にまた傷を増やした。
まったく、意地など張るものではない。やはり、誰かしらに頼るべきだっただろう。
それもまた、過ぎたこと。
「………名を聞き忘れたな」
それだけ、呟いた。
墓は作ってやれそうにない。作ろうにも、この街の人間は許さなかったろうが。
どうあれ、研鑽を積んだ若者、達人が一人、かつて居た。
それだけを胸に刻み、宵虎はよろめきながら立ち上がる。
………まだ、終わりではない。むしろ、この先の方が大変かもしれない。
アイシャを連れ戻しに来たのだ。探す………必要はない。
困った話だ。気配がする。これまでの旅路で、ついぞ捉え切れなかったアイシャの気配が、今はもう、わかるようになってしまっている。
惚気たような話ではなく、もっと別の………別のモノになった、か。
傷を負った。体力は、底をついている。
それでも、ここで休んでいるわけにもいかない。
アイシャがどう変わったか、見極める必要がある。アイシャが、アイシャのままなのか。
そのために、宵虎は来たのだ。
………わざわざ一人で来たのも、そのためだ。もしもの話。他に、毒牙が向いてしまわないように。
壁に手をつき、宵虎は歩みだす。
城の頂上………アイシャの居る場所へ。
*
てんてんと、血は流れ。
足跡は城を緩く進み。
回廊を抜け、階段を昇り、やがて目の前に現れた朽ちかけの扉………そこに寄りかかるように、宵虎は戸を開く。
眼前に広がるのは、天窓から四角い明かりの差し込む広大な広間。中央には低い階段、台、玉座。
玉座には誰も座っていない。
方々見回す………必要もなかった。鼻歌が聞こえてくる――強大な気配と共に。
天窓から差し込む太陽の明かり、その内の一つ。
降り注ぐ明かりへと、恐る恐る、と言った風情で、一人の少女が手を差し出していた。
ずいぶん久しぶりに見た気がする。見た目には、変化はなさそうだ。流れる長髪は金色のまま、服装も見慣れたそれ、美貌も変わらず………。
ただ、瞳の色がちがう。
見慣れた、澄んだ青い瞳ではない。
血の色の瞳だ。先ほどまで立ち会った、永遠を生きるものと同じ、真紅の瞳。
「うわっ………。なんか、ちりちりするけど、溶けたりはしないんだ………」
声は聞き慣れたものと何も変わらない。道中聞き続けたそれとまるで同じ響きの声音。
ただ、一つだけちがうのは………その、アイシャの言葉の意味が、宵虎に通じてしまうという、ただのそれだけ。
「アイシャ………」
そんな低い呟きを聞き届けたのか。
それとも、最初から宵虎が来た事に気付いていたのか。
アイシャは視線―――血の色のそれを宵虎に向ける。
顔に浮かんだのは喜色のような笑み………けれど、飛びついてこようと言う気配も無い。
どこか遠巻きに、どこかぼんやりと、アイシャは声を投げる。
「あ、お兄さん。なんか久しぶり?」
「ああ………。ずいぶん、会わなかったな」
そう宵虎が呟いた途端、アイシャはどこかわざとらしく、声を上げて笑い出す。
「あははははは、凄い!何言ってるかわかる!そっか、そうだよね~。そうなったみたいだし?やっとおしゃべりできる?」
ひとしきり笑った後……だんだんと、アイシャの顔から表情が抜け落ちていく。
「………でも、なんか、それも、割とどうでも良いな~……。もうちょっと嬉しそうなもんなのに………」
自戒なのか。自嘲なのか。平坦な響きのまま、アイシャは自身の腕を眺め……直後、アイシャは自身の手に思い切り噛み付いた。
痛いのか、アイシャは僅かに顔を顰め、けれどすぐに表情を消し、呟く。
「……私ね。おなか、空いちゃった……」
アイシャの手から血が滴り落ちていく………その血が、意思でも持っているかの様に独りでに動き、形を作っていく………。
「ねえ?お兄さんは、美味しいのかな?」
見慣れた形状、見慣れた紋章、ただただ色だけが赤の弓を手に、アイシャは宵虎を見る。
真紅の……吸血鬼の瞳で。
アイシャは、弓を引き―――それを宵虎へと向けた。
………甘やかさないでね。
いつか、夢で聞いたアイシャの声が、宵虎の脳裏を走った。
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