4章
決闘、開戦
朝焼けに溶け、影を落とす異国の街並。
常あり続けるのだろう人気が失せきったその町を、和装の男は一人歩む。
腰に佩くは無銘の業物―――巡り巡って今この時、唯一頼みとする一振りの太刀。
癒えきらぬ傷を負った体に力みはなく、悠々と歩んだ末に、宵虎は立ち止まった。
見上げるは異国の古城。なるほどどうして立派なそれと、観光気分で眺めようにも、どこか寒気に似た気配がその僅かな緩みを妨げる。
居る。
立会いは二度。
これまで出会った中でも指折りの強大さを持った魔物―――。
この気配に、ただ闇雲に突っかかって行ったのだから、およそ緩みとは恐ろしい。
だが今、宵虎は一人―――どうして緩む事ができようか。
身体が僅かに震える。恐怖か?………否、武者震いだ。
「フ………」
獰猛な……そしてやはり自嘲の混じる笑みを口元に、宵虎は古城の門を潜り抜ける。
気配は近い。それこそ、すぐ目の前に………。
苔むした石畳。低い階段、城の戸――。
踏みしめ、踏みしめ、思い切り蹴り開く。
ダン、―――蝶番が外れ、吹き飛ぶように開かれた戸の先にあったのは、それなりの広さの
方々の窓から差し込む鋭い陽光が、そこらにある石像を照らす。
舞う埃がやけに輝き、その霞の天幕の向こうには、幅広の階段。
そこに、青年は座り込んでいた。
銀色の髪、血の色の瞳、あどけなさの残る顔立ち、放たれる強烈な気配。
吸血鬼、とやらだ。宵虎の身に傷を負わせ、アイシャを連れ去って行った、魔物。
ただ、今この時………吸血鬼の雰囲気はこれまでとは僅かにちがっている。
表情がちがう。どうでも良いと、ぼんやり全て眺めているような、そんな気の伴わない顔つきではない。
階段に座り込み。退屈といわんばかりに頬杖を突き………血の色の瞳は明確な敵意を帯びて宵虎を睨みつけている。
片腕は今も落ちたまま。治らないのか………治さないのか。
どれだけ長く生きているのかは知らない。ただ、今この時目の前にいるのは、見た目表情あいまって、もはやそこらの勝気なガキだ。
安い挑発にずいぶん気分を害したようだ―――そう、宵虎は笑みを口元に、吸血鬼……否、青年へと声を投げた。
「………出迎えがあるとは思わなかった」
「僕は眠いんだ。……早く済ませたくてね」
表層だけはこれまで通り退屈そうに――だが眼孔の鋭さはこれまでの比ではない。
「準備が必要でしょう?……待つよ」
あからさまに舐めたような口で、青年はそう嘲ってくる。
「……ずいぶんな自信だな」
そう、宵虎は、獰猛な笑みを口元に―――突然、駆け出した。
鋭い足運びで、宵虎は正面広間を駆け抜ける――退屈そうに、ただ瞳に敵意を帯びた青年へ、肉薄する―――。
抜き打ち、一閃。
打ち払った太刀の剣閃に、鮮血が飛ぶ。
両断とまではいかず、だが避けなかった青年の胴を、太刀は深く裂き―――だが青年は涼しげな顔で、ただ不機嫌そうに顔を歪める。
「……効かないってわかるでしょ?」
「気にするな。………準備を手伝ってやっただけだ」
嘲る笑みと共にそういった直後、宵虎は大きく背後へと飛んだ。
一瞬遅れて、飛び退く宵虎の眼前を、幾つもの棘が貫いていく。
たった今裂いた傷口。そこから流れ落ちる血が、棘の形で宵虎を襲ったのだ。
予想していた以上、喰らうことはない。
飛び退き距離を取る宵虎の前で、棘となった血が飛び散り、正面広間に撒き散らされ………血痕となったそれが、ぶくぶくと膨れ上がる。
手勢を作り上げるようだ………青年自身は、未だ頬杖をついたまま。
徐々に形を帯びていく血の色の騎士、魔物を前に……宵虎は距離を取ったその場所で、太刀を構える。
構えは大上段。切っ先を天に向け、宵虎はその太刀を渾身で振り下ろす。
「
言霊に風が吹く。剣閃に大気が揺らぎ、宵虎の身が風を纏って行く――。
雑魚が増えるらしい。なら、まとめて吹き飛ばしてしまえば良いだけの話。
「
青年は何も言わず、紋章を作る宵虎を眺めていた。
邪魔をする気がないらしい。油断であり、意地だろう――。
やはり、そうだ。青年は元来、勝利よりも勝負にこだわる性質なのだ。夢の中で宵虎を嘲り、宵虎の安い挑発に容易く乗り………。
それを、宵虎がとがめるわけも無い。
「神下し…………演武・
シンと、風が凪ぐ。
静寂の差中、風を纏うは、掲げ上げた太刀のみ――。
「ふうん。また別?……器用だね」
嘲る青年―――その周囲で、血の色の魔物達は蠢きだす。
僅かに魔物達の動きが緩く見えるのは、やはり昼間は弱体化するのか―――。
観察しようと言う気もない。まとめて、今すぐ、薙ぎ払ってしまえば良い。
宵虎は嗤う―――構えは大上段。刃に帯びる風は渦巻き、膨れ――千刃と成す。
「
言霊と共に宵虎は太刀を振り下ろす―――
―――放たれたのは、そよ風の様な、静かな……それでいて、威力を秘めた幾つもの風の刃。
石像が割れ傷を帯び、床が、壁が裂け、風は血の色の魔物を飲み込んではぐちゃぐちゃに引き裂く―――。
前方一体。全てを引き裂く、対軍勢用の演武―――。
迫る剛風を前に、青年はただ眉を顰めた。
直後、青年の身を血が覆う。
流石に食らう気にはならなかったのか、吹き出た血は即座に形を帯び、作り上げられるのは血で出来た大盾。
ガガガガガガガガ―――大盾が風を阻む。
引っかくような傷は出来ている。だが、割れるほどではない。
あるいはそれが実物のある盾だったならば、割れるまで力押ししても良かったが、………。
暴風が止み、青年の身を守りぬいた直後―――血の盾は独りでに溶ける。
これを繰り返そうと、幾度も盾に阻まれるだろう。
溶けた盾の向こう――青年は嘲りを投げてくる。
「……それも効かないね」
「らしいな………」
そう応えた直後………宵虎は太刀を収めた。
かと思えば、すぐさま宵虎は、何も無い空へと抜き打ちの一閃を払う。……言霊と共に。
「
宵虎は太刀を翻す。宙に帯びる剣閃は、僅かに稲妻を帯びていく―――。
宵虎の手札は一つではない。効かなければまた別、あるだけ試すとしよう。
「
言霊、紋章を描き終え、宵虎は太刀を収める。
「神下し…………演武・
キン―――鍔鳴りと共に、宙に浮かぶ剣閃が稲妻に爆ぜ、……消え去る。
静まり返った
直後、宵虎は横薙ぎの抜き打ちを放った。
僅かに火花散る、流麗にして神速の薙ぎ――。
ただの空振り…………そうとしか思えない一閃の後、宵虎は緩やかに、太刀を収める。
「
キン、………鍔鳴りは直後の轟音にかき消される。
不退転、必殺を誓う対巨獣用の演武。
閃光、轟音、稲妻が正面を飲み込んでいく――。
かろうじて残っていた石像、傷を帯び抉れた壁、青年の腰掛ける階段。全てが真っ二つに断たれる。
「……ッ、」
遂に顔を顰めた青年の姿もまた、閃光に消える。
捉えたか。否………閃光の中に見えるのは黒い煙。
避けたと言う事は、効かないことも無いのだろう。ただ、当たらなければ幾ら威力があろうと意味はない。
残心の最中、目を凝らす宵虎―――青年の姿は、宵虎の目と鼻の先に現れる。
青年の頬に僅かに傷がある。どうも、捉えかけてはいたが、ぎりぎりで逃がしたらしい。
「……飽きたよ」
その言葉と共に振り下ろされる左手には、血で出来た
宵虎は寸でのところで鞘ごと太刀を上げ、その一閃を受け止めるが、しかし、青年の細腕は、見た目からは想像できないほどの怪力を秘めている。
ただ、闇雲に振り回すような……その一閃の威力を宵虎は受け止めきれず、まるで鞠の様に軽々と、宵虎の身は吹き飛ばされる。
「ぐ………」
衝撃に息が詰まる。吹き飛んだ先は壁――それを突き破るほどの勢いで、宵虎は正面広間からはじき飛ばされた。
頭上には陽光。背後には門。眼下にはこけた石畳。目の前には、砕け散った壁と、そこから覗き見る正面広間。
即座に起き上がる一瞬、宵虎は僅かに顔を顰めた。
今のでまた、傷口が開いたようだ。かといって焦燥が過ぎたと今更後悔するわけも無い。
宵虎はすぐに苦悶の表情を消す。
青年は未だ正面広間、影の最中に身を置き、宵虎を眺めている。
まだ様子見なのか、あるいは、太陽の下に出たくないだけか。
宵虎もまた青年を眺め、思案する。
これで、宵虎が会得している分の演武は全て、この青年に届かなかった。
中段、破邪、汎用の迦具土。
上段、広範囲、対軍勢用の天御柱。
下段、後の先、対人用の天津彦根。
抜刀、必殺、対巨獣用の武御雷。
全て試した。全てが、青年には届かなかった。
なるほど指折りの魔物だ。これだけ使って倒しきれない、どころか碌に傷を負わせる事もできない敵も珍しい。
「……もう、手品は終わり」
青年はそう嘲ってくる――その頬の傷が、緩やかに癒えていく。当たりはする。ある程度効きもする。だが、足りない。
そう、足りないのだ。一つでは不足………ならば全て使えば良い。
「まさか。……これからだ」
そう、宵虎は声を投げ――同時に、太刀を抜き放つ。
構えは正眼―――切っ先を青年に向け、宵虎はその太刀を翻す。
中に浮かび上がる剣閃―――火花の様に、そこから熱気が散る。
「破邪たる
迦具土は効いた。おそらく最も有効だろう。あたりさえすれば、の話。本体を捉えきれず、また軍勢を潜り抜けきれず。だが、当てさえすれば勝てる。
けれど、………迦具土だけでは足りない。
剣閃、演武、迦具土の中途。そこに一瞬だけある、上段の構え。
周囲に炎を帯びたまま―――振り下ろす太刀を包むのは、風。
「
雑魚を払う。避け場がないほどに攻撃で圧倒する。天御柱――織り交ぜたそれが、吹き始める風が、炎と混じり、宵虎の周囲に熱波を散らす――。
更に変異。振り下ろす過程、そこにある下段。そこから派生する剣閃は、炎風を残したままに、周囲に霞を漂わせる。
天津彦根を使えば、当たる。かわす事もできる。当たったところで効かないが、織り交ぜれば良いだけのこと。
「………沈め。眠れ。其の
更に、剣閃は踊る。火炎、渦巻き、霞がかる蜃気楼………その最中に稲妻が奔る――。
威力、速さ。一閃にかける心意気―――捉えかけたのだ。これで、速さは足りる。
「
変異、織り交ぜた4つの演武―――相食み猛りあうようにやたら騒がしいそれらを周囲に、宵虎は型の通りに、太刀を納めた。
直後、宵虎の周囲にあった騒がしさが、全て霧散する。
消えたわけではない。ただ、太刀に、鞘に鎮められただけ。
緩みは、捨てた。誰かを頼みとする事も出来ない。
宵虎が今、この時、信じるのは己と一振りの太刀のみ。
積み重ねた演武。積み重ねた研鑽。一つ会得するのに何年掛かったか………その果てに宵虎が辿り着いた、一つの極み。
スラリと、宵虎は太刀を抜く。即座に周囲に放たれたのは、荒ぶる神々の交じり合う、形のない明確な威圧、輝き。
「神下ろし………秘奥・
抜き払った太刀。輝きを帯びたその切っ先を、宵虎は青年へと向け………獰猛な笑みを口元に。
「……一応、聞いておこう。吸血鬼とやら。これ以上何もせず、立ち去る気はないか?」
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