久方に騒がしく、だが静かな夜
講堂、教会。医務室は、夜とは到底思えないほどの喧騒に満ちていた。
突然の吸血鬼の襲来。撃退は出来たものの、怪我人は多く出て、その治療にまだ講堂に留まっていた町の女が駆け回っている。
そんな中にアンジェリカの姿もあった。
ヒールを使えるのは、アンジェリカだけ。とりあえず恩を売っておいて、後で徴収しよう。
そんな些細な思惑を胸に、アンジェリカは重症な順にヒールをかけて、回り……その途中で、一つのベットへとちらりと視線を向けると、そこに寝転ぶ患者へと、笑みと声を投げかける。
「あら、まだ寝てても良いのよ。良かったじゃない。屋根のあるところで寝るのが何よりの望みだったでしょう?大怪我しないと叶わないなんて、大層な望みね」
ただそれだけ言って、アンジェリカは立ち去って行った。
それを見送り、ベットの患者………長髪の男は肩を竦めようとして、傷跡の痛みに顔を顰めた。
「……まったく。可愛げのない女だ」
オーランドはそう呟き、騒がしい医務室の中で、瞼を閉じた。
*
夜だとは到底思えない喧騒を見せるのは、医務室だけではなかった。
講堂のそこら中で、戦闘終わりで気の立った兵士達やハンター達、その無事に安堵する声など、軽い騒ぎが巻き起こっている。
そんな喧騒が壁越しに届く一室。そこには、3人と1匹の姿があった。
「………で、とにかく、難は去った。と言いたいところですが……」
思案顔で、キルケーはそう言う。
「あ、待つにゃだんにゃ。それはちょっと……あ、やめるにゃ!冷静になるにゃ!」
騒がしい声を横に、キルケーの向かいで、ウェインが頷いた。
「また来るかもしれないですね。なんで立ち去ったのかも、よくわかんないですしね……」
「待つにゃだんにゃ!そんな硬いモノを……ああ!?駄目だにゃ!そんな無理やり、力づくで~」
「…………」
「…………」
やたら騒がしいネロの声に、ウェインとキルケーは一旦会話を中断し………キルケーは迷惑そうな視線をネロに向ける。
「……ネロ」
「なにかにゃ?」
「紛らわしい声を出さないで下さい」
「紛らわしいも何も……だって、だんにゃが、スープも飲まず固形物を食べようとするから~。病み上がりで干し肉はハードすぎるにゃ!」
そう酷くどうでも良い事を熱弁するネロの横で、宵虎は我関せずと干し肉に噛み付き、硬いパンを噛み千切っている。
そんな光景を、キルケーを冷めた目で眺め、こう言った。
「ナーガを食べる人に何の心配をしているんですか?とにかく、静かにしていなさい」
「にゃ……言われて見れば。だんにゃ、静かにしろってにゃ」
「………俺は一言もしゃべっていない」
それだけ不満げに唸った上で、宵虎はまた食事に戻る。
ウェインは、そんな宵虎の様子を眺めながら、キルケーに尋ねた。
「あの……ナーガを食べると言うのは?」
「ああ。このただ飯大喰らいは節操なく、魔物でも食べるそうです」
「はあ………それが強さの秘訣なんでしょうか?」
「妙に耐性がある理由では、あるのではないかと。……それは、今は良いでしょう。それよりも、吸血鬼の話です。なぜ退いたのかはわかりませんが、何かしら方針が変わったと見て間違いはないでしょう。すぐにまた襲ってこないとも限りません」
「そう、ですね………」
キルケーの返事に、ウェインは気のない返事を投げる。
その視線は、宵虎………もっと言えば、宵虎の手元にある食べ物に向いている。
ウェインはウェインでおなかがすいたのだろうか………。
あるいは、宵虎も同じような事を思ったのか。
手に取った新しいパンとウェインの顔を見比べ……やがて若干名残惜しそうにしながら、宵虎はパンを一つ、ウェインへと差し出した。
「あ、ありがとうございます……」
すぐさま笑みと共に手を伸ばしたウェインを前に、キルケーは一つ、咳払いする。
「ウェインさん。今は、夜中ですよ」
「え………はい。……はい?」
「……太りますよ?」
「大丈夫です!太ったことないので」
「……………」
「え?ああ、いや、その………運動しているからであって……」
「そういえば、つい先ほど、門番の職があきましたね」
「あ、はい。あの方も無事だったようで……」
「門番になりなさいウェイン。………育たない壁にはお似合いでは?」
「………壁……キルケーさんにまで、言われるとは……」
「それはどういう意味でしょうか?」
「なんでもないです」
「………着やせする性質なだけですが?」
「通じてるじゃないですか………」
そんな風に、結局ロクに話は進まず、その割に宵虎の眼前は姦しい。
その様子をぼんやり眺めながら、宵虎は食事を続けた。
会話の意味がわからない騒がしさは、宵虎にとっていつもの事だ。………と言っても、やはり、騒がしさはいつもよりも少ない気がする。
もう一人がここにいれば。誰より口数の多い者がいれば。騒ぎは、この程度ですまなかっただろう。
きっと、もっと派手に……それこそ宵虎かウェイン辺りが割りを食っていたことだろう。
宵虎の食事の手が止まっている……その事に気付いたのか、ネロは、声をかけてくる。
「だんにゃ?」
「……………なんだ」
「まず、元気になってからだにゃ」
「……わかっている」
そう、低く唸り………宵虎は食事を続ける。
夜は更けていく……姦しく、緩やかに。
*
天窓から月光の差す広間――その玉座に収まっているのは、静かに眠る一人の少女。
吸血鬼は――銀髪の、自身の名を忘れた青年は、その光景を、空間を、ぼんやりと眺めていた。
郷愁。
………見覚えがある気がする。
玉座に。謁見の間に。
昨日今日の話ではない。この場所そのもの、と言う訳でも無い。
霞がかった過去。ここではないどこか遠くの、玉座の間。
戴冠の儀。周囲に民を、兵をはべらせ、冠を戴いたのは、10代も半ばの少年。
何がしかの文言が語られる。覚えのある、……もはや吸血鬼のみが知るはずの言葉。
継ぎ接ぎの記憶。シーンはあるが、それが繋がることはない。漠然とただ郷愁が走るのみ。
小国。任せきった政。
戦乱。己が武勇を誇ろうと望み。……けれど、王位をあける事は叶わず。どれだけの研鑽を積もうと、継ぎのない王に戦場に立つ許しは出ない。
目の前で部下が倒れていく………。
なぜ、国は潰えたのだろう。
戦に負けたのかもしれない。
内政の不安が過ぎたのかもしれない。
もしくは、青年が己の手で、もはや餌にしか見えない宝物を引き裂いたのか?
あるいは、その全てがあったのか。
夢ではなく
吸血鬼は、郷愁を打ち切り、自身の右腕を眺めた。
生えて来ていない。右腕は失われたままだ。すぐに治らない傷を負うのは珍しい。
いやそもそも、傷を負うこと自体が酷く珍しいのだ。
永劫の生を得た後は勿論…………おそらく、その前も、だ。
吸血鬼は不意に、自身の左手を噛み切った。そこから滴り落ちる血が、膨れ上がり形を帯び―――剣と成る。
血で出来た剣。巨大な、装飾を施されたバスターソード。
その形状、装飾には覚えがある気がする。
けれど、どこか手に馴染まない。利き手ではない左手で握っているからか、それとも、抱えた郷愁の様に希薄に、ふやけて、無様に肥大化してしまっているからか………。
脳裏にこびり付くように、延々と繰り返される郷愁。
手放した
久しぶりに、傷を負った。軍勢を分け入った猛者に。
からかわれた。嘲られた。つい先日負かした相手に、『俺の方が強い』と。
郷愁。
記憶。
希薄な、けれど確かにある感情…………。
「………頭痛い……」
自身でそうと明言できないまま、ただ青年は顔を顰め………やがて玉座の間に、そこに寝込む少女に背を向けた。
嘲ったからには、あの男は挑みに来るのだろう。
それを切り捨てれば、きっとこの頭痛は消える。なんなら、食べてしまっても良い。
片腕がない。きっと、昼に襲ってくる。………それに、どれほどの問題があるのだろうか?
だって、そうだ。昔から……それこそ不死になる前から、僕は、負けたことがない。
僕の方が強いに決まってる。
そう。あの男の血を目覚めの祝杯にしよう。
それで、この………名前を何て言ったか……とにかく、青年と同じモノになりかけている少女も、理解するんじゃないだろうか。
………自身が、別のモノになったのだと。
*
夜が更けていくごとに、講堂の中はまた静けさに落ちていった。
吸血鬼の襲撃からしばし時間を置き、誰しもがまた寝入り始めたのだろう。
そんな講堂の一室。キルケー、ウェインは自室に戻り、部屋の隅で黒猫が丸まり寝息を立てる、先ほどまで食事をしていたその部屋。
宵虎は一人静かに、夜明けを待っていた。
姦しい騒ぎの末、漸く本題に入った辺りから、ネロに通訳され、宵虎は大体の状況を知った。
アイシャの居場所は、そのままあの青年――吸血鬼とか言うらしい――の住処になっている城。いずれ、アイシャも吸血鬼になる………どうも、そういう魔物だそうだ。
今後の方針、どう動くかについてはキルケーは決めあぐねているらしい。
吸血鬼の動きがまるで理解できない、予想できない………だから、どう対応するべきかが思い浮かばない。
目的すらわからないらしいのだ。
宵虎には断言できる。
アレに、特に目的はないだろう。
ただその瞬間瞬間思いついた通りに行動しているだけで、一本の思惑があるわけでも無い。
思い起こすのは、あの夢。吸血鬼の過去らしき、あの語らい。その最後の、吸血鬼の表情。
アレの本質は子供だろう。どれほど長く生きてきたのかは知らないが、根幹は間違いなく子供だ。いや、子供であった頃を懐古し、子供になろうと振舞っている、か………。
どうあれ、安い挑発を投げたらいたく食いついた。
負ける事が望みか。勝気な少年の上に色々と積み重なっているらしい。
切る気で、殺す気で。その方針は緩まない。
吸血鬼は格上だ。間違いない。真っ当に相手の土俵で勝ちを拾える類ではない。
だから、宵虎は夜明けを待つ。
大体の特性は聞いた。結局、どれも噂話に尾ひれがついた程度の話だが、昼間は弱体化するらしい。ならば、昼に挑もう。
吸血鬼は片腕を失っている。それが永劫か、あるいはすぐにでも生えるのかは知らないが………生え揃う前に挑むべきだ。
明日、挑む。
勿論、宵虎も完全に傷が癒えきっているわけではない。腹は満ちた、動くに支障はない……ただ、体力が戻りきっているわけでも無い。
かといって好機を逃すわけにも行かない。明日の夜、吸血鬼の方がまた襲いかかってこないとも限らないのだ。
あるいは……結局、ただ単にアイシャが心配なだけか。
「フ………」
自嘲を漏らし、宵虎は静かに、夜明けを待ち続ける―――。
―――窓の外が白み始める。それと同時に、宵虎は立ち上がった。
太刀を腰に佩き、長旅ですっかり傷つき汚れきった装束のまま、宵虎は一人、静かなその部屋を後にしようとする。
「だんにゃ?」
と、不意に、寝入っていたはずの黒猫がそう声を上げ、宵虎は足を止めた。
ネロは今、物音に起きたのか……あるいは、ずっと寝たふりでもしていたのか。
「なんだ?」
「……マスター達、起こしてくるかにゃ?それとも、なんか食べ物貰ってくるかにゃ?」
「いや………」
「一人で行くのかにゃ?」
疑問を投げるようで、それで居てわかっていた、とでも言いたげに、ネロはそう言った。
その言葉に、宵虎は振向く。
黒猫は部屋の隅で丸まったまま、ただ黄色いその両の目を宵虎に向けていた。
「仲間は、要らないのかにゃ?」
ネロはそう、どこか見透かしたような言葉を投げる。
何もかもまるでちがう……だと言うのにあの、影のような光のような、不可思議なそれとの対話を思い出しながら、宵虎は言った。
「……緩みだ。あまりに、頼る癖がついた」
「それは、悪いことじゃないと思うにゃ」
「だが……今、この時は拭うべきだ」
宵虎はそう断言する。
達人、達人と………この旅路で甘やかし続けた少女に、どうも頼りがいがありすぎた。
立ち止まったどの場面であれ、あるいは宵虎が居なくとも、全て問題はアイシャが解消していたかもしれない。そう思えるほど、あの達人はぬきんでていた。
甘やかしていた。そして、甘えていた。
だから、今は、それを緩みと断じよう。
ネロは宵虎を暫く眺め、やがて、呆れたと言わんばかりの溜め息と共につぶやいた。
「……だんにゃは……自分で、取り返しに行きたいだけだにゃ」
「…………」
核心をつかれた心持で、僅かに目を見開いた宵虎を前に、ネロは変わらぬ暢気さで言う。
「負けてもってかれたのが悔しいだけだにゃ~」
………恐ろしい事に反論できない。僅かな自嘲と共に、宵虎は唸る。
「……かもな。お前は……」
「だんにゃと真っ当に話してるのは、結局あたしだけだしにゃ」
どこかめんどくさそうな、それこそあくびでもしそうな風情で、ネロはやすやすと宵虎の問いに先回りして答え………それから宵虎を見る。
「もう1回聞くにゃ。……一人で行くのかにゃ?」
「ああ」
「勝てるのかにゃ?」
「ああ」
「こないだ、完敗したのにかにゃ?」
「………今度は負けない」
「やっぱり、子供だにゃ~」
やはりどこか暢気にそう呟いて………ネロはそれっきり瞼を閉じる。
引きとめる事もなければ、誰かを呼びに行く事も無いらしい。
呆れられているのか、信頼されているのか、あるいは尊重されているのか………。
どうあれ、一人扉に手をかけた宵虎に、ネロは瞼を閉じたまま声を投げた。
「だんにゃ。………いい加減、ちゃんとかっこつけて来るにゃ。じゃないとずっとアイシャに舐められっぱなしだにゃ~」
「………ああ」
自嘲に似た笑みを口元に、宵虎はそう唸り………一人、歩みだした。
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