永い夢3 遠郷の朴念仁

『宵虎。なぜ、見逃した』


 もう、幾度目か。移り変わる夢の最中をたゆたい眠り、瞼を閉じる宵虎の、耳に届くは懐かしき問い。

 宵虎は瞼を開く――眼前にあるは、幌の向こうの人の影………ではない。


 夜の京。もはや懐古の情すら覚えるような、朽木の家々、方丈の街。

 その都、三日月の下は、覚えのある荒れ模様………。


 夜に夜に訪れる多尾の妖狐。

 紫炎毎夜舞い踊り、華やかな民は夜を恐れ、すすけた民は天誅と嘲る。


 瓦礫の最中に、宵虎は立っていた。

 手に携えるは、宵虎の身の丈を超える、長大にしてどこか華美な野太刀。

 天主の剣。我のない、命あらばあだなす害異全て切り伏せるその役職を得た者であると言う、その証。

 宵虎は、そのを懐かしみ――我意に背いて、身体は動く。


 野太刀の切っ先を向ける―――その先にいたのは、子供が二人。

 気を失い、瓦礫の中に倒れこむ、僅かにこげた襤褸を纏う少女。

 そして、そんな少女を庇うように、宵虎の前に立ちふさがり………仇とばかりに宵虎を睨みつける少年。


 宵虎は、野太刀を下ろし、瞼を閉じる――。


『宵虎。なぜ、見逃した』


 宵虎は瞼を開ける。

 眼前に広がるのは、昼の京。華やいだ中心街を遠く外れた、すすけた長屋の間取りの一つ。

 宵虎は、通りからその家屋の中をのぞき見る。


 部屋の隅に少女。魘されるように、座り込み頭を抱え、夏の日であるにも関わらず我が身を抱き、がたがたと震える小さな子供。

 そして、そんな少女を案じ、励ます少年。

 兄妹だろう。

 妖狐の気配を追い探し、行き着く先にあったのは、身を寄せ合う子供が二人。


『宵虎。なぜ、見逃した』


 華やかな者は肥え太り。

 埃に塗れた者は疫病に倒れ、餓えに倒れ。


 妖狐が襲うは肥えた者、華やかな者のみ。

 義賊を気取っていた訳ではなかろう………あの妖狐は私怨でもって、権威に対して泥をかけ続けていた。


 本性はなく、亡霊のように幽鬼の様に、寄り代を経て京を荒らす。


 寄り代は、名も知らぬ一人の少女。ただ己に憑いたモノに怯え、されど己が手では拭いようもなく、ただ震えていただけの幼子。


 妖狐は切った。

 幼子を切る気には、なれなかった。


『宵虎。なぜ、見逃した』


 宵虎の半生は、ただ太刀を振り続けただけのものだ。

 鼻から親はなく。戯れだろう、師に拾われ。雑に稽古をつけられ。

 似た境遇の妹弟子、宵虎よりも遥かに才気溢れるそれに振り回され。


 やがて神下ろしを会得し、師の役目を継ぎ、宝刀、野太刀を引き継ぎ。


 天主の命に従って、数多切り続けた。疑問を覚える事もなく、ただ切れと言われたモノを切り続ける。

 そして、切った怪異を喰らう。


 散った命は無為ではない。輪廻の中に、生の中に。あるいは、相対するそれら以上に、宵虎は自身を怪異と見ていたのか。


 己の意思なく、ただそう命じられたというだけで切りに行く一個の怪異。

 命にそむいたのは、ただの一度。


 最後に立ち会った妖狐、幼子を見逃したその一度のみ。


『邪気は払った。もはや害なす事もない。一度呑まれたからと、諸共全て殺す気にはならん』

『俺に、善意を振りかざす気はない。退かぬならば討ち果たそう。その命は我が糧となる。しかし、意をくじき、邪を払い、それで退くなら追う故もない』

『凶刃振るうは、あくまで俺だ』


 そして、宛なく流された。

 背いたのが別の機であれば、あるいは宵虎は許され、今もその手に宝刀を携えていたやもしれん。

 されどその機、怪異はびこるは、天主その人のお膝元。

 まつりごとだ。面子を潰し、あるいは忠意に疑いを持たれ。

 国の外で死ね、と。海の藻屑になれ、と。


 その末から繋がった今。宵虎にまるで後悔はない。なにやら妙なモノに誘われ、流れた先は異国の地。

 アイシャに出会い。日々振り回され、威厳と言う威厳を溝に捨て。

 宵虎は、そんな己を嗤い続ける。己を嗤い、されど楽しみ、にぎやかに歩む。


 その、果ての果てに今。


 身体中に痛みが走る。赤い棘が身体中を突き刺し、突き出した太刀は届かず、アイシャは連れ去られ。


 眠りの最中。数多な夢、他人の、あるいは己の夢を眺め続けながら、宵虎の思考は一つ。


 なぜ、負けた。敗北の故は何処にあるか。



 ………緩んでいた。それこそが明瞭な敗因。異国にあり、良しとした緩みが、かつてあった鋭さに錆をつけたのだろう。

 張り詰める必要がなかった。頼るに足る武才を持つ者が、常に背に、影にいた。

 けれど、今、その少女がいないのならば。


 緩みを正そう。気構えを明瞭に。……他に道はなく、他に手はない。


 ………悪いが、結局。根性論だ。


 宵虎は、夢の中で、口元に獰猛な笑みを浮べ………瞼を閉じる。


 *


 静かな教会の最中。蝋燭すら灯されず暗がりに沈むその最中で、宵虎は瞼を開いた。

 身体中に痛みが走っている。治りかけてはいる。けれど、完全に癒えているわけでもない。


 もうしばし休めばあるいは………その考えは脳裏を掠めるも、けれど目覚めてしまえば止まる気はない。


 夢を見た。忘却の末に色を失った青年の夢。

 望みならば、切り伏せよう。どの道、宵虎は敗北を拭い去る気だ。


 夢を見た。懐古の末に疲れきった少女の夢を。

 何がしか別のモノに変わろうとしているのか………だから見捨てる、はずもない。弱ったならば救いに行こう。甘やかすかどうかは、俺が決める。


 夢を見た。ただの、緩んだ阿呆の夢を。

 されば張り詰めれば良い。一時でもかつての様に……怪異を討ち果たしに往こう。


 宵虎は身を起こした。激痛が身体中を奔り抜けるが、それに眉をひそめる事もなく、宵虎は辺りを見回す。


 他の者の姿は見受けられない。ネロの姿も、アイシャの姿も。

 気配が近い。すぐそこで、戦っている。


 宵虎は立ち上がった。太刀は………すぐ傍の壁に立てかけてある。その横には、見慣れた……アイシャの弓も。


 そうそう、アイシャが弓を手放すとは思えない。敵が来ているのなら尚の事。

 ………あのまま、連れ去られたか。ならば、やはり、迎えに往こう。

 宵虎は太刀を腰に佩き、……外へ、気配へ、騒ぎへと歩みだした。

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