深夜の抗戦

 ――講堂の門、その場所へと辿り着いたネロの視線の先にあったのは、広場全体を巻き込む乱戦模様だった。


 震動、轟音……夜の講堂に響くそれらの音には、いつの間にやら人々の気合の声が混じっていた。


 ハンター、ラフートの兵士、轟音に目覚め状況に気付いた武器を取れるモノは皆、吸血鬼の軍勢へと立ち向かっている。


 戦場の中心で輝く槍を振るうオーランド。

放浪人の宿ロス・ルート・ハウス”のハンターを率い、自身も剣を手に血の色の魔物へと立ち向かっているリコラ。

 ウェインの姿は、門のすぐ傍だ。ラフートの兵士達に混じり、果敢に魔物へと挑みかかっている。


 そして、そんな戦場の手前、門の前に立ち、キルケーが状況を睨みつけていた。


「マスター!」


 声をかけたネロに、キルケーは肩越しに振り返り、端的に尋ねた。


「あの、大喰らいはまだ?」

「寝てるにゃ………。おきても、多分フラフラだにゃ。それより、マスター?これは………」

「夜襲です。……誰かしらが吸血鬼を怒らせでもしたのでしょう」


 そう言ってキルケーは、戦場の向こう側へと視線を向ける。

 乱戦模様の向こう側――丁度キルケーたちがいる対角上に、吸血鬼の姿があった。

 自身は戦線に加わろうとはせず、ただ、どこか退屈そうな様子で、戦場を俯瞰している。


「誰かしらね?そんな事した不届き者は……」


 不意に、そんな女性の声が背後から響き、ネロはそちらに視線を向けた。

 背後に立っていたのは、アンジェリカだ。この騒ぎを聞きつけて、この場にやってきたらしい。

 あくびをかみ殺しながら、白々しくそういったアンジェリカに、ネロは白い目を向けた。


「……アンジェリカ。一体、何したんだにゃ……」

「ひ・み・つ」


 ふざけた調子で言ってのけたアンジェリカに、キルケーは睨むような視線と共に言い捨てた。


「やらかしたなら取り返して来てください」

「あら、偉そうなこと言うのね?」

「雇い主ですし。………あそこで手を抜いているロン毛と、働いてください。この状況、あまり長持ちしないでしょう。討ち取って来なさい」


 そんな言葉と共に、キルケーは視線を戦場の向こう……吸血鬼へと向ける。

 雑魚は無視してボスを倒して来い……キルケーはそう言っているのだ。


「そうは言ってもね……討ち取られる方が早そうじゃない?」

 やる気なさげにアンジェリカは呟く………その直後だ。


 乱戦から、一体の魔物が抜け出してきた。血の色の騎士――背中を切りつけられても止まることなく、騎士はまっすぐと門―――キルケー達の下へとかけてくる。


 にゃあああああああ、とネロは悲鳴を上げかけたが………しかし、その声が発せられるよりも前に、バリバリと言う閃光が、キルケーたちと血の色の騎士の間で瞬いた。


 結界だ。講堂を守るように張られた結界にぶち当たり、血の色の騎士の動きが止まった。

 直後――その騎士は、真っ二つに両断される。


 切って捨てたのはウェインだ。講堂の近くで戦っているのは、こういう時にサポートに回れるように、と考えての事らしい。


 騎士を両断し、それは血へと戻り………ぶくぶくと泡立ちながらまた少しずつ膨れ上がっていく。


 倒しても倒しても、切りが無いのだ。

 ただ、僅かであれ、再生まで間がある事もまた事実。


 切って捨てた騎士を眺めることなく、ウェインは次の敵の下へと駆けていく。

 おそらく、再生を終えたらまた倒しに戻ってくるのだろう。上がり症だったのがうそのように、ウェインは冷静に立ち回っている。


「……頼もしくなったにゃ~」

「その感慨は良くわかりませんが……とにかく、似非シスター。杞憂です。自分の仕事を。これでは長持ちしません」

「……報酬は?」

「今更赤字に文句は言いません。……足りなければ、平和になった街で火事場泥棒でもすれば良いのでは?」

「ま、マスター……?それは……」


 引き攣った顔でネロは呟くが、アンジェリカは気に止めた様子もなく、笑みを浮かべた。


「乗ったわ」


 直後、アンジェリカの姿が消える。姿を消したまま、オーランドの元に向かったのだろう。

 誰もいなくなった空間を暫く眺めた末に、ネロはキルケーに視線を向けた。


「マスター?あたしも、なにか、できる事はないかにゃ?」


 キルケーはちらりと、ネロを眺め……やがて、こう呟いた。


「応援していなさい」

「得意分野だにゃ!」


 やたら元気良く、ネロはそう声を上げた。

 おそらく、そうやって辛気臭くしない事が、今自分に出来ることだろうと考えて。


 ぶくぶくと。

 講堂の傍、結界の一歩外の血溜りは、膨れ始めている………。


 *


 講堂の門の辺りが、妙に気の抜けた騒がしさをもっている。頑張れ~だの、ファイト~、だの。


 その声にやる気をそがれながら、オーランドは槍を振るっていた。

 状況は膠着している。戦闘が始まって30分ほどか………わざと轟音を鳴らしたかいあって、講堂から戦える者が続々と現れたため、今の所は、ここは突破されていない。


 が、今の所に過ぎない。

 敵の最大の駒、吸血鬼自身が動いていないのだ。おそらく、ただ単に余裕を見せているだけだろう。


 あるいは、講堂の戦力が出切るのを待っているのか。

 間引きといっていた。食料を全滅させる気はないのだろう。ただ、牙を持っている奴だけ網の中に入れる。

 そのふるいが、この膠着か。


 早めに吸血鬼を倒しておいた方が良い……オーランドはそう判断する。ただし、勝つ気があるなら、だ。


 仕事は門番。通さなければそれで良い。自分からリスクを踏みに行く必要はない。


 そんな事を思いながら、とにかく近付いてきた分だけ魔物を切って捨てていたオーランド。


 と、不意に、オーランドの手前で、魔物が独りでに両断された。


 切った奴の姿は見えない。だが、誰がやったか、オーランドは良く知っている。


「オーランド?……雇い主様が相打ちして来いって」


 姿は見えない。ただ耳元でそんなささやきが聞こえて、オーランドは芝居がかった仕草で肩を竦めた。


「……まったく。優しい女に会ってみたいもんだ」

「あら?目の前にいるじゃない」

「不思議と、見当たらないな……」


 そんな言葉と共に、オーランドは視線を吸血鬼に向ける。

 吸血鬼の元に到るまでは、まだまだ多くの魔物の姿がある。

 それを全て切り伏せた上で、吸血鬼に一撃入れる……となると、さすがに面倒だ。


「露払いは?」

「高くつくわよ?」

「……また借金が増えるのか……」


 そう嘯いたオーランドの前で、血の色の魔物が独りでに切り伏せられていく。

 アンジェリカが道を開けているらしい。………やけに素直だ。縁起が悪い。


 そんな事を考えながら、槍を手に、オーランドは吸血鬼の元へと駆け出した。


 *


 銀髪の青年――吸血鬼は、ぼんやりと目の前を眺めていた。

 常に目の前から現実感が失せていくようになったのは果たしていつからか。

 そうでなかった頃の事など、もう何一つおぼえていないから、別段それを気にかけることも無い。


 ろくに頭を使っていない。割に時たま戦術的な、戦略的な行動を取るのは………もしかしたら昔、そういう風に仕込まれたからか。


 乱戦模様が続く。増援は現れなくなってきた。そして、こちらへと歩み寄ってくる男が一人………決めにこようとしているのは、これ以上の手ごまがないから。


 なにも、吸血鬼は考えていない。

 ただ、なんとなく、そろそろ動こうかと、そんな事を考え………手始めは、近付いてきている奴だ。


「……ブリッツ」


 長髪の男――オーランドは吸血鬼へと駆け寄りながら、言霊をつむぐ。

 その一言によって、掲げる槍の刃に、輝きが灯る。


 紋章魔術、だっただろうか。覚えがあるような、ないような……。

 とにかく、それはおそらく、喰らったら不味い奴だ。

 喰らったらどうなる?

 治らないかもしれない。

 治らなければ死ぬ。だから、避けなくてはいけない。


 …………?

 自分の思考に疑問を持ち、吸血鬼は首を傾げる。

 僕は、死にたいんじゃなかったっけ、と。


「……ブリッツ」


 オーランドは迫ってくる。

 その眼前で、魔物が独りでに切り伏せられている。

 見えないけれど、もう一人もいるみたいだ………その思考はやはりぼんやりとしている。


 郷愁………欠片が目の前に転がる。

 どこかの戦場。どこかの、本陣。乾いた荒砂が吹きすさぶ。

 迫る敵兵。倒れる仲間、味方………その様子に心を痛め、けれど、死は許されない。


 古い感傷は、過ぎ去ったもので………吸血鬼はすぐに忘れ、動いた。


 駆けて来るオーランドへ向けて、吸血鬼自身から近付いていく。

 その動きは、速さは……人間のそれではない。

 幾ら武勇を極めていようと、もはや、どうあがいても……


 瞬く間に、オーランドへと肉薄する。

 驚きに目を見開くオーランドへ向けて、噛み千切った手を――流れる血で形成された剣を突き出す。


 武法は学んだような気がする。けれど、もはや、それに頼る必要も無い。

 ただ雑に突き出せば、それで勝ってしまえるのだから。


 吸血鬼の手、その剣が、オーランドの心臓を貫いた。

 ………そう、見えた。


 けれど、突き出した剣に、感触がない………。


「……バニシングフレア」


 声と共に、閃光と灼熱が、吸血鬼へと突き出される。

 たった今、吸血鬼がつらぬいたオーランド、その背後。

 から。

 

 *


 ただの、だまし討ちだ。アンジェリカの常套手段の、幻影と欺瞞。

 オーランド自身の姿を、他人から消し。その2歩前に、オーランドの動きと連動した幻影を配置する。


 そして、吸血鬼が幻影に食いついた瞬間に―――その幻影ごと刺し貫く。


 何かしら会議したわけでもなく、ただ効率よくとられた連携。

 真っ当にやっても勝てない事は共通認識だった。真っ当にやる事に価値を見出さないのは、オーランドとアンジェリカの共通の生き方だ。


 勝ったはずだ。虚を突いたはずだ。

 槍は届いた。吸血鬼の右腕、血で出来た剣を握ったそれが、閃光と灼熱に飲まれ消え去った。


 ただ………やれたのは所詮、腕一本だけだった。


 血が噴出す――吸血鬼の血が。それ自体が武器になる、吸血鬼そのものの本質的な脅威が。


 噴出した傍から、棘へと、槍へと、剣へと変わる血が、オーランドへと降り掛かる。


 ……まったく。

 だから、縁起が悪いと言ったんだ。


 オーランドは、そう自嘲し………その視界が、血に染め上げられた。

 意識を失う……抱きとめられたか?それもさだかではなく…………。


 ……なんとまあ。勝ちの拾えない人生だ。それがオーランドの最後の記憶。


 *


 倒れるオーランドの姿が消えた。

 もう一人が、隠したのだろう。そういう魔術を使っていたはず。逃げる気かもしれない。


 右腕を失った吸血鬼は、ぼんやりとそんな事を考えた。

 右腕は、生えてこない。いや、微々たる速度で再生は進んでいるが、即座に回復するとまでは行かない。やっぱり、喰らったら不味い奴だった。


 そんな事を思い、てんてんと、逃げ去るように落ちていく血痕を眺め………少し、追いかけるかと考えてみたが、結局、吸血鬼は追いかけるのをやめた。


 この場所からいなくなったのなら、別にそれで良いだろう。

 この場で一番強かった奴が消えた。残りを先に片付ければ良い。


 戦場の中心に立ち、吸血鬼はキルケーに視線を向ける。


 形勢は傾き始めていく…………。



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