3章

永い夢1 忘郷の青年

 その鮮血はさながら毒のよう………穿たれた傷から入り込むそれは確かに身を侵しかけ、けれどその身を蛇と成り変えるには弱く。


 ただ奇妙な縁故として、その閉じられた瞼に誰かの想いを映すのみ。


 宵虎は夢を見る…………。


 *


 鼻腔に張り付く血の匂い。躯の沈む一面の赤、踏みしめる地はぴしゃりと波紋を生む。


 夜だ。何処かしらの国………道行く家々はすべからく異国情緒ある石造りのそれ。

 遠くの空に月と巨城の影。ラフート、ではない。訪れた時に見た城とは、形が違う。


 それがどこかなど、宵虎に知る由もない。その光景がどこか霞がかって見えるのは、それがもう、はるか昔の話だからか。


 景色に顔を顰めながら、宵虎は血の街を歩む。

 転がる躯は、騎士、あるいは獣。どちらの形にも覚えがある。覚えとちがうのは、それらが赤一色でなく確かな色彩を帯びていると言う事。

 そして、その色彩を、降り掛かった朱色が塗り替えているという事。


 人と獣―――騎士と魔物が共存でもしていたのか。いずこかで出会った少女が、鳥のような獣のような、それと確かに心を通わせていたように。


 宵虎は歩む―――歩みと景色の塗り代わりがのは、それが忘郷の過去だから。

 歩む先がわかるのもまた―――ただの夢に過ぎないからか。


 城の最中にいる。庭だろう、芝生の最中に背の低い石塀で囲われたため池がある。石造りの装飾、扉のない門が幾つも石畳に沿い続いているその光景は、さながら鳥居が幾つも連なっているかのよう。


 宵虎はそこを歩む。石造りの鳥居の下を、石塀で囲われたため池へ。

 路上から眺める芝生に、血はない。太陽の明かりが庭をまぶしく輝かせ、その最中で、少年が剣を振るう。

 相対するは老齢の剣士。共に握るは木で出来た摸造の刃――。


 習い、真似、会得し我が物に。

 少年は武芸を習っている。宵虎がかつてそうであったように。あるいは、ついこの間宵虎が見届けたように。

 技を得る。心行きを得る。誇りを得る。

 宵虎は歩む―――歩むごとに、眺める芝生は、その上の陽光は霞がかり、陰っていく。


 石造りの鳥居が終わる。同時に、陽光は月光に。

 青い芝生は朱色に塗り代わり―――視線の先の石塀に囲われたため池、そこに溜まるは赤い水。


 波紋の最中に、青年が立っていた。

 覚えのある顔立ちだ。

 先ほど剣を振っていた少年。

 ………あるいは、ラフートで宵虎を負かした青年。

 髪は金色と銀色の中間………瞳は既に赤い。身にまとうは権威の色あいをした紫の羽織。頭上に冠を載せ、手には剣。願うようにその眼は月を見上げている。


「王たるは慈愛の主。手の内のモノすべからく、許し愛せ」


 謳うような声と共に、青年は剣を持ち上げる。


「王たるは覇道の化身。背に負うモノすべからく、守り導け」


 青年は剣の切っ先を定める。他の誰でも無い、青年自身の心臓へ。


「民あればこそ王。国あればこそ王。滅ぶ時は共に、幕を閉じる……」


 どこか怨嗟のよう。そして後悔のよう。

 青年なくは呟きと共に、躊躇なく己の心臓に刃を突き立てた。


 けれど、青年は倒れない。確かに自身の身に刃をつきたてておきながら、未だそれが突き刺さったままでありながら、ただ、どこか戸惑うように小首を傾げるのみ。


 そして、その赤い視線は、不意に宵虎へと向けられ――投げかけられたのは空虚な問いかけだ。


「どういう意味だと思う?」


 何も答えずただ眺める宵虎の前で、青年は言葉を継いで行く。


「昔……ずっと昔の話なんだ、これ。だから、今はもう、まるで思い出せない。いや、何があったのかはわかるのかな?でも、なんでこんなことしたのかが、僕には良くわからない。僕はなんで、自分を殺そうとしたのかな?」


 まるで色合いを持たないかのように、無垢な少年のように、血の中の魔物はそう回顧する。


「大切なモノが一杯あった気がするんだ。全部全部、大切だったような気がするんだ。でも、今はもう、そんな気がするってだけ。それを自分で食べちゃったんだ。食べ物にしか見えなくってさ。それで、その後になって、こうやった」


 青年は自分の胸に突き刺さった剣を指差し、それから肩を竦める。

 

「良くわからないよ……この時からもう、退屈だったのかな。ただ、生きてるだけなんだ。ずうっと。僕はもう、疲れたんだ……ずうっと昔に。道連れが出来たら、一瞬楽しいかもしれないけど………どうせそれも飽きちゃうんだ」


 独り言の様に、青年はそう、呟き続ける。思い出せない何かを、必死に思い出そうとするように。

 その様子を眺めた末………宵虎は口を開いた。


「望みは何だ。人に戻る事か?」


 その宵虎の問いに、青年は首を横に振る。


「旅の終わりが欲しいかな。ちょっと、長過ぎるから。多分、無理だろうけど、いけるなら天国に行きたい。そしたら、思いだせる気がする。何が大切だったのか、とか。」


 そう呟いた青年を前に、宵虎は首を傾げる。


「………てんごく?」

「……天国、知らないの?」

「ああ。……前、聞きそびれた」

「……死んだ、良い人が行く場所だよ」

「なるほど……」


 深く頷いた宵虎に、青年は呆れたような視線を向けた。


「……おじさん。なんか、マイペーズな人だね」

「フ……。背伸びしたところで知らんモノは知らん」

「ふぅん……」


 興味なさそうに、青年はそう呟いて、それから、忘郷の空を見上げる。


「………疲れたなぁ……」


 その幼い相貌の割に、悠久を生きたかのような呟きを、不意に青年は漏らし……同時に、景色が緩く霞がかり、遠ざかっていく。


 この夢は、終わりに近付いていく………。


 遠ざかる景色の中、赤い瞳は再び宵虎を捉えた。


「これは夢に過ぎない。僕はこれを認識しない。けれど、願いに偽りがあるわけでも無い。………頼むよ。僕に、勝てるならね」

 

 最後の一瞬――最後の言葉のその時にだけ、相貌に見合うような勝気な雰囲気を滲ませて………。


 それが、その夢、光景の最後。

 宵虎はまた、何の思考も無い暗がりへと沈んでいく………。

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