足止めして、逃げ出して

 改心した覚えはない。そもそも根本からして、アンジェリカには善悪の観念が薄い。

 コインの裏表は所詮、他人から見た模様の話………本人は一貫している。


 報酬を明言されたからには、それに徹し、殉じよう。そんな見上げた忠誠心がアンジェリカにあろうはずも無い。

 根っからの小悪党は、打算的に全体として大きい報酬を得る可能性の高い選択肢を取り、その選択肢の中に、自分が逃げ延びる公算まで既に立ててある。


 ………アンジェリカは、決して善人ではない。

 善人の様にだけに過ぎない。


 だから………目的に対して手段の善悪は問わない。


「フフ………」


 口元に笑みを称えたまま、アンジェリカは駆け抜ける。

 玉座の傍、やはりどこかぼんやりと迫るアンジェリカを眺める吸血鬼へ。


 吸血鬼は完全に格上だ。昼間であれ、最初の不意打ちを外した時点で、アンジェリカには完全に勝ち目はない。幾ら攻撃しようと当たらない、例え当たったところで再生されるのが落ち。


 だから、アンジェリカは最初から吸血鬼など狙う気は微塵もなかった。


 目的、行動………敵の弱みを見抜いて、抉る。……性根が腐っているのだ。

 駆ける勢いのまま突き出された青龍刀―――刺突の先にあるのは、吸血鬼ではなく、眠りこける


 アンジェリカは、アイシャへと一切躊躇のない刺突を繰り出す――。


 重い刃が肉を抉り、青竜刀に血が付着する…………アイシャを庇うように割り込み、その腹に刃をつきたてられた、吸血鬼の血が。


 さっきまでのどこかぼんやりした雰囲気はなりを顰め、吸血鬼は怒りでもしたかのように顔を顰めている。

 そんな吸血鬼を、アンジェリカは嗤った。


「……あらあら、止めるって事は、アイシャはまだ人間なのかしら?良かったわ……」

「君は……悪い人だね」


 そんな言葉と共に、吸血鬼の血が独りでに動き出す。

 傷口から滴るそれが悉く槍、いや棘の様に姿を変え、アンジェリカの身を貫こうと迫る。


 けれど、アンジェリカはそんな吸血鬼の反撃を嘲笑うかのように、悠々と背後へと跳んで、その攻撃から身をかわした。


「だって、私はか弱いんだもの。しかし、守るのって大変ね……。貴方はどうとでも避けられるみたいだけど、アイシャはどうかしら?」


 そう、挑発めいた言葉を投げた直後……アンジェリカの姿が消える。また、姿を晦ましたのだ。


 吸血鬼は顔を顰めたまま、油断なく視線を方々に走らせつつ、問いを投げかけた。


「……アイシャの、仲間なんじゃないの?」

「ちがうわ。私、アイシャに恨みがあるし。大丈夫よ、お姫様がいなくなっても。だって、吸血鬼がやったんだもの………私じゃないわ?」


 堂々とそんな事を言い放つアンジェリカ――その姿が見えない。声が返ってくる以上、まだこの広間にいるはずではある。が、その正確な位置が、吸血鬼にもわからない。


 吸血鬼は、玉座の傍から動く事が出来なかった。

 吸血鬼自身が狙われるならば、どちらにせよ大したダメージはない。けれど、アイシャは……どの程度変化が済んでいるのか、吸血鬼もまたわからない。

 だから、守るしかない。


 攫ったからには、執着がある。同族にしたいなら、そうなるまでは庇おうとするはず。

 アンジェリカの姿が見えない以上、アイシャの傍を離れるわけには行かなくなるだろう。

 がまだ、広間に留まっているのかどうかに関わらず。

 なんせ、見えないんだから。

 そんな考えを元に、一瞬、一手でコインの裏表を悉く全て、自分に有利なように塗り替えた末に……アンジェリカは姿を隠したまま、ただ、笑みを零す。


「……これで、縫いとめてあげたわよ?」


 *


 背後には城門。その向こうには古城………その最上階あたりへと振向いて、ウェインはこう呟いた。


「……あの方は、大丈夫でしょうか」


 ウェインたちは、無事城から逃げ延びたのだ。トラップになっていた血の染みが全て騎士や魔物に変わる、と言う事もなく、吸血鬼自体が追いかけてくる、という事もなかった。


 途中、今度はネロが間違えてトラップを踏んづけるという一幕はあったが、脅威らしき脅威はそれだけ。

 アンジェリカは、よほど上手く吸血鬼の注意をひきつけているらしいが……。

 と、考え込むウェインの呟きに、ネロは答えた。


「大丈夫じゃないかにゃ?逃げる手立て無しで残るわけないしにゃ。無理だと思ってたら間違いなくあたしたちをおとりに自分が逃げてたにゃ。信用できない事だけは信用できるにゃ!」

「……ちょっと、良くわからなくなってきたんですが……」


 苦笑交じりに、ウェインは言う。

 信用できない事が信用できないなら、それは結局信用できないのでは?

 微妙な表情をウェインを見上げて、ネロは言った。


「とにかく、いつ追いかけてくるかわかんないし、今の内にマスターの所行くにゃ」


 そういうが早いか、ネロは城に背を向け駆け出していく。

 その後を追い始めながら、ウェインはまた、首を傾げた。


「マスター、ですか?」


 当然の話だが……この街には、ウェインの知らないネロたちの知り合いが、たくさんいるらしい。


「……その方は、どういった方ですか?」

「マスターかにゃ?マスターは………責任感の強いへそ曲がりの引きこもりにゃ!」


 *


「くしゅんっ!」


 講堂の門の前。そこに佇み、ネロの帰りを待つキルケーは、突如そう、大きなくしゃみをした。

 そんなキルケーに、未だ門番として横に立ち続けていたオーランドは、どこか呆れたように片眉を釣り上げる。


「………何か?」

「いや?雇い主様が風邪でもひいたのかと思ってな。こんな屋根も壁もない場所に延々突っ立つ羽目になれば、骨身に染みるだろう?」

「身から出た錆では?………飼い猫を送り出すと決めたのは私なので」


 そう答え、キルケーは遠目に影を落とす城を見上げた。

 いつぞや、似たような状況で様子を見て来い、と言いつけた事はあるが、その時とは危険度が違う。もしも吸血鬼が城に居ついているのであれば、それは敵の本拠地を偵察してくるという意味になる。


 護衛はつけたが、その護衛もキルケーにはいまいち信用しきれない。

 そもそもオーランドにしろアンジェリカにしろ、火事場泥棒に来るくらいだ。どう考えても良い人間ではない。


 ただ、吸血鬼と出会ってある程度渡り合っていた事も事実だし、アンジェリカの方はその他にも色々技能があった。だから雇い入れたのだ。そして、今の所は大人しく従っている。


 あるいは、この護衛の首尾次第でもう少し信用がおけるようになるか。

 ……使い魔、いや友達の命が掛かっている状況を同時にものさしにしてしまう当たり、キルケーもあるいは、信用の置けない二人と同じ穴の狢だったりするのかもしれない。


 そんな事を考えるキルケーに、不意に、オーランドが言う。


「金の分は働くさ。………ほら、噂をすれば」


 そのオーランドの言葉の通りに、通りの向こうに人影が現れた。

 その姿に………キルケーは若干顔を顰めた。


 *


 城からある程度距離を取り、追っ手もなく……もう安全と判断したウェインとネロは色々と話しながら、講堂へと歩んでいた。


「……え?じゃあ、さっき助けてくれた方とは、敵対してたんですか?」

「そうだにゃ」

「それで、和解した?」

「してないにゃ」

「………?でも、助けてくれましたよね?」

「だにゃ~。なんか企んでる……かに見えて割りとノリで生きてるような気がしてきたにゃ、あの二人。とにかく、一応油断はしない方が良いにゃ。思い出したように裏切られる可能性もあるにゃ」

「……どっちにしろ、私には見抜けない気がするので、良い人だと思っておきます。助けて頂きましたし。恩人です!」


 そう言いきったウェインを、ネロは若干心配そうに見上げた。


「ウェイン………。詐欺とかには、気をつけるにゃ?」

「はい!」

「……元気な返事が心配でしかないにゃ………」


 そんな事を話しながら………やがて、ウェインとネロは、講堂の前まで辿り着いた。

 講堂の前には、ネロの姿を見てホッと表情を和らげるキルケーと………。

 ………いつぞや宵虎とネロがされたような、キルケーの魔術だろう、光の縄でなぜか縛り上げられているオーランドの姿があった。


 腕を組んだ姿勢のまま縛られたのだろう。オーランドは腕を組み足を組み、門の横の壁に背を預けたまま………縛られている。

 飄々とした表情を浮べようとしているようだが、その口元は僅かに引き攣っていた。


 完全に想像を外れた光景に引き攣った表情を浮べながら、ウェインとネロは呟く。


「えっと……」

「……これはどういう状況かにゃ」


 そんな二人を前に、キルケーは涼しげな表情で言い切る。


「裏切ったかと思いましたので。一応、少々情けない感じにしておいたのですが………杞憂だったようで。失礼しました」


 そうキルケーが言った途端、オーランドを縛り上げていた光の縄が消え去る。

 自由を得たオーランドは、けれどそれで身動きすることなく元の腕を組んだ姿勢を続け、顔には飄々とした表情を浮かべ……ようとして完全に苛立ちつつ、呟いた。


「………不思議と、謝られている気がまるでしないな」

「あ、突っ込んだにゃ」

「あれ怒ってますよね、多分……」

 

 呆れ半分でこそこそと、そんな事を言ったネロとウェイン。

 けれどキルケーはやはり何処吹く風と、何事もなかったかのように話を進めた。


「とにかく、ネロ。良く戻って来ました。………そちらの方は?」

「ウェインだにゃ。こう見えて剣術大会の王者だにゃ」

「………え?話進めちゃうんですか?え?」


 一人戸惑いの声を上げて、ウェインはオーランドとキルケーをきょろきょろと見回した。

 オーランドは、もう関わりたくないと言いたげに、あからさまに瞼を閉じ………キルケーはやはり一切気にした様子もなくウェインに言う。


「ウェイン、ですか。話は聞いています。ネロの飼い主のキルケーです」

「あ、はい。はじめまして……」


 なおも戸惑いつつも、ウェインはそう、折り目正しく頭を下げる。


「とにかく。立ち話もなんでしょう。どうぞ中へ」

「あ………えっと。私は、できればもう少しここで待っていようかと。アンジェリカさんが戻ってくるまで」


 ウェインがそういったところで、キルケーは僅かに小首を傾げた。


「………似非シスターなら、もう戻っています」


 そのキルケーの言葉に、ネロとウェインは顔を見合わせる。そんな二人を前に、キルケーは続けた。


「だから、裏切ったのかと………情けない感じにしておいたのですが」

「………意味がわからない」


 ぼそっと、オーランドはそう呟いていた。



 *

 

「空っぽだったわ。金庫。とんだ徒労よね……」


 講堂の奥、教会を改修した医務室。その一角に腰を下ろしていたアンジェリカは、やってきたネロとウェインを前に、うんざりと言った表情でそんな事を言っていた。


「……なぜ、先にいるんだにゃ?」

「足止めしてすぐ逃げたからよ」

「足止めって……一体、どうやって?」

「ちょっと脅しただけよ。弱みがある子は扱いやすくて良いわよね~。あの子、怖くて暫く動けないんじゃないかしら……」

「……どうやったのかぜんぜんわからないんですが……」

「これ、教える気ないにゃ。………かなりエグイ手と見たにゃ」


 そんな事を呟いた末……ウェインは不意に背筋を伸ばし、アンジェリカへと頭を下げる。


「とにかく、ありがとうございます。おかげで……」

「そういうの良いわ。それより……」


 どこか鬱陶しそうに、アンジェリカはウェインの言葉を遮り、そのまま、ウェインへと手を差し出した。

 ウェインは、すぐさまその手をとる。


「ええっと……よろしくお願いします。改めて。ウェイン・アーヴィングです」


 握手を求められた……と、ウェインはそう思ったのだ。

 だが、握手を返されたアンジェリカは、かなり渋い顔で半分睨むようにウェインを眺めた。


「…………」

「………え?あれ?違い、ましたか?」


 戸惑うように声を上げたウェインの手を振り払い、アンジェリカは立ち上がると、歩み去ろうとする。


「………決めたわ。貴方とは二度と関わらない。怪我するんじゃないわよ」

「はい!ありがとうございます」

「…………」


 ウェインの元気な声に、アンジェリカはうんざりとでも言いたげな表情を浮かべ、そのまま、教会の奥へと引っ込んで行った。


「……嫌われてしまったんでしょうか?」

「性根が曲がりすぎてまっすぐな子が本当に苦手なんだと思うにゃ。恐ろしいほどかみ合ってないしにゃ」


 残念そうに呟いたウェインの横で、ネロは呆れた様子でそんな事を言った末……とことこと医務室の中を歩み、一つのベットの上に飛び乗った。


 そこでは、未だ宵虎が寝込んでいる。この講堂に来てからそろそろ二日ほど……その間、宵虎は一度も目覚めていない。


「宵虎さん、本当に怪我を……。無事、なんですか?」

「大丈夫だにゃ」


 かたくなに、ネロはそう言い切って、それから、眠り続ける宵虎に語り掛ける。


「だんにゃ。アイシャ、無事だったにゃ~。……治ったら助けに行くにゃ」


 そのネロの言葉に返事をするはずもなく……宵虎はまだ、夢の最中にいた。


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