謁見の間の眠り姫
時々ある染みのような血が続いていく先は、どうやらこの城の上部らしかった。回廊を抜け、階段を抜け、かつては豪華な装飾があったのだろう広間をいくつか抜け………やがて、ネロとウェインが辿り着いたのは、最上階にあるひときわ大きな広間だ。
ネロとウェインは、その扉――朽ちかけて穴がいくつか開いている木製の扉を僅かに開けて、広間の中を覗き込む。
謁見の間か………もしくは何かしらの儀礼の為の部屋だろう。少なくとも、私室と言う広さではない。
天窓がいくつかある。四角く切り取られた日の光が何条か落ち込む、広大な空間。床には広間を横切る様に、時間の流れを感じさせる古ぼけた赤い絨毯道が引かれ、その上には厚く埃が積っている。
絨毯の先、部屋の最奥にはステージのような低い台座、そして玉座があり………そこに、一人の少女が、静かに座り込み、寝入っていた。
「アイシャ……」
ネロは呟く。玉座に座り込んでいるのは、アイシャだ。遠めではわかり辛いが、特別着衣の乱れがあるわけでもなく、拘束されているわけでもなく、大怪我をしている、と言った様子も見受けられない。少なくとも外見的な変化はなく、今までどおり………黙ってさえいれば美人、そんな少女。
天窓から日の差し込む、古ぼけた玉座……時間の流れが隠しようもないかつて喧騒があったのだろうその部屋が、だからこそ今静謐で、アイシャは静かに、絵画のようなその風景の一部になっている。
「……無事、でしょうか?」
「無事に決まってるにゃ」
ウェインの呟きに、ネロはそう言い切って、それから広間の中を更に観察する。
探しているのは吸血鬼の姿だ。アイシャがいるのであれば、その近くに吸血鬼がいても不思議ではない。
「あ、ネロさん。あれ」
そんな声と共に、ウェインは広間の隅を指差す。指差したその先、物陰になり日の光が当たっていないその場所に、銀髪の青年の姿があった。
壁にもたれかかるように日陰に蹲り、その目を閉じて静かに寝息を立てている。
「……寝てるんでしょうか?棺桶じゃ、ないんですね……」
「さすがに、持ち歩けないんじゃないかにゃ?とにかく、寝てるならチャンスにゃ……」
そういうが早いか、ネロはウェインの肩から飛び降りると、足音もなく広間の中へと入り込んでいく。
「あ……」
と小さく声を漏らしたウェインは、吸血鬼の様子を遠めに観察しながら、音がしないようにゆっくりと、ネロの後を追って広間の中に身を滑り込ませた。
ネロとウェイン。吸血鬼に注意しながら、ゆっくりとアイシャの元へと歩み寄っていく。
やがて、ネロとウェインは玉座のすぐ手前――アイシャのすぐ目の前まで歩み寄った。
アイシャは、一切反応しない。が、さっきよりも近付いた分、僅かな寝息に胸が上下しているのが見て取れる。
その様子に、ウェインはほっと胸を撫で下ろす。
そんなウェインの横で、ネロはアイシャの膝の上へと飛び乗ると、声を抑えて、呼びかけた。
「アイシャ~?起きるにゃ~?」
その呼びかけに、けれどアイシャはまったく反応しない。深い、深い眠りに落ちているようだ。ネロはアイシャの頬を軽くはたいたり、傷付かないくらいにちょっと爪を立てて見たりしたが………結局、アイシャは一切反応しなかった。
「……起きないにゃ」
「吸血鬼になりかけだから、なんでしょうか……」
アイシャの首筋にある噛み跡……もうふさがっているそれを眺めた末、ウェインは更にこう言った。
「……このまま、アイシャさんを連れ出してみますか?」
「やってみるかにゃ?確かに、吸血鬼が寝てる今なら………」
そんな言葉と共に、ネロは吸血鬼………が、さっきまで確かにいた、その場所に視線を向ける。
だが、ほんの少し目を離した間に、眠っていたはずの吸血鬼の姿が、その壁際から失せている。
「にゃ?………にゃあああ!?」
ネロの戸惑いの声は、一瞬で悲鳴に変わった。
突然、ウェインがネロを掴みあげ、大きく後ろへと跳ねたからだ。
なぜ、ウェインがそんな行動を取ったのか――その理由は、ネロにもすぐにわかった。
いつの間にやら――それこそ、一瞬目を離していたその間に、ウェインとネロの正面――アイシャが眠りに落ちている玉座の横に、吸血鬼が現れていた。
ネロたちに気付いて、瞬間移動で近付いてきたのだろうか………銀髪の青年は、血の色の瞳で警戒するウェインとネロを眺めて……大きく、あくびをする。
「ふわぁ……。まだ昼間なのに………騒がしいなぁ」
どこかぼんやりとしたその声に、ネロを下ろして剣の柄に手をかけていたウェインは、戸惑うように小首を傾げる。
「なんか、のんびりした人みたいですが……」
「だからって油断したら駄目だにゃ」
「……はい」
剣を引き抜き、戦闘態勢を取ったウェイン。
けれど吸血鬼は、そんなウェインをまるで脅威としてみていないかのように、ぼんやりとウェインと、その足元のネロを観察する。
「ええっと………ああ。デザート。……と、知らない人だ。………もう一人もいるのかな」
と、不意に吸血鬼はそう首を傾げ………くんくんと、その鼻を鳴らす。そしてその末に………吸血鬼の視線は、ウェインに止まった。
「君も、そこそこ美味しそうかも……」
獲物として定められた――そんな直感がウェインの身体を悪寒の様に奔り抜け、即座にウェインは構えを取り、吸血鬼を注視する。
見た目は完全に人のそれだ。けれど、だからこそ、ウェインはある程度慣れた様に対応できる………。
その生物が、ウェインには呼び動作すら見抜けないほどに、素早く動かないのであれば。
注視していたはずだ。もうウェインは一切油断していなかった。吸血鬼が踏み込んでくれば、反復練習の末の反射で、技が勝手に迎撃する。
そのはずだと言うのに………気付くと、吸血鬼はウェインの懐に入り込んでいた。
「な………」
吸血鬼は、ウェインと密着するほどの距離に現れている。型を使うどころか、まともに剣を振る事すら出来ないような至近距離に。
咄嗟に距離を取ろうとしたウェイン――その首を、肩を、吸血鬼は掴み取る。
見た目からは想像できないような怪力、ウェインには反応しきれない速さで、ウェインは動きを封じられ。
そんなウェインへと、吸血鬼は躊躇う様子もなく……むしろまだ半分寝ぼけているかのような雰囲気で、牙を剥く――。
が、その牙がウェインに届く寸前、突如吸血鬼はその動きを止め、怪訝そうな顔で、自身の足元に視線を下ろした。
吸血鬼の足に黒猫――ネロが噛み付いていた。
「鬱陶しいな……」
そんな呟きと共に、吸血鬼の手の力が緩んだ………その機を逃さず、ウェインは吸血鬼の腕を振り払い、数歩後ずさり、すぐさま、吸血鬼へと反撃しようと構えを取る。
ネロに注意が移っている今は、隙のはず――
――その隙を狙っていたのはウェインだけではなかった。
ウェインが技を繰り出すその前に、重く鋭い風切りが鳴る。
依然、その刃は見えない。振るっている者の姿もまた、まるで見通すことは出来ない。
ただ、撒き散らされる風、圧力は確かに肉厚の刃物のそれで、その一閃は、吸血鬼の身体を両断しかける――。
――だが、やはり両断される寸前で、吸血鬼は黒いもやのようなものに変わり、その姿が消え去った。
噛み付いていた相手が消え去り、ネロは軽い悲鳴と共に地面に転び……
「にゃ!?………にゃああああ!?」
………空ぶった刃がネロの目の前の床に大きな亀裂を作り、大きな悲鳴を上げた。
「危ないにゃアンジェリカ!?あたしに当たったらどうするにゃ!?」
「ごめんなさい、ちょっと手元が狂って………」
そんな言葉と共に……どう気が変わったのか、アンジェリカは自身の姿をさらしていく。
長柄の大鉈――青龍刀をその手に持った、東洋系の、妖艶なシスター。
目の前に現れた人物が色々と気になったウェインだったが……それらの疑問は一旦棚上げにする事にした。
これまで助けてくれていた人はこの人だろう……それだけ考えて、ウェインは視線を玉座――その横に姿を現していた吸血鬼へと向ける。
隙を疲れていながらかわし切り、未だ無傷の吸血鬼は……興味深そうに、新たに姿を現したアンジェリカを眺めていた。
「……この街は、本当に、いろんな人がいるんだね。珍しい………今度は、何屋さんかな?」
「あら、この間会ったでしょう?せっかくの悪行を邪魔してくれたじゃない?せっせと宝探ししてたのに……」
「そうだっけ?良い事をした覚えはないんだけどな………」
依然、吸血鬼はぼんやりとした様子で、何かしら考え込みだした。
そんな吸血鬼から視線を外さないままに……アンジェリカは言う。
「……報酬がパーになると困るわ。大冒険は、もうお終い。目的は達成したんでしょ、猫ちゃん?その貧乳と一緒に、尻尾巻いて帰りなさい」
「ひ…………否定、出来ませんが……いえ。私も戦います!」
「邪魔」
躊躇なく、アンジェリカはそう言い捨て、……そんなアンジェリカを、ネロは見上げる。
「……本当に、改心したのかにゃ?」
「一人の方が逃げやすいのよ。ちょっとは、足止めしておいて上げるから……早く行きなさい。居場所、見つけても伝えないと意味ないわよ?」
そういったアンジェリカを、ネロは少し見上げた末、やがて、意を決したように言った。
「……わかったにゃ。逃げるにゃ、ウェイン」
「え?……ですが、」
「アンジェリカは大丈夫にゃ。アンジェリカも、結構何でもありだからにゃ」
そういうが早いか、ネロは広間の出口へと駆け出す。
ウェインは少し迷うように視線をさ迷わせた後……
「あの……後で改めて御礼を言わせて貰います!」
そうアンジェリカに頭を下げ、ウェインもまた、ネロの後を追って駆け去っていく。
「あらあら。……苦労してないのかしらね」
どこか毒気が抜かれたように、アンジェリカはそんな事を呟き………けれど去っていくウェインへと振り返ることなく、その視界の中心に吸血鬼を入れ続けた。
報酬分の働きはする。吸血鬼がウェインたちを追いかけるようなら、アンジェリカは阻止しなければならない。
だが、吸血鬼はぼんやりと、去っていくウェインたちを見送るだけだった。
今は、それほど食事に固執していないのか………いや。
吸血鬼の視線が、アンジェリカを捉える――途端、アンジェリカの背筋に悪寒が走る。
えり好みはしていたようだが、一人に固執するほどの執着があるわけでも無いらしい。
「餌は一人、ここに残ってるものね………」
そんな自嘲めいた呟きを漏らし……アンジェリカは青龍刀を手に、吸血鬼へと駆け出した。
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