放浪人の宿


 友達はいない。

 ただ、顔見知りは多い。顔見知りでなくてもだれかれ構わず親しげに話しかけてくるような人が大半で、だから誰かと特別親しく交友を深める必要もなく、……寂しくない。

 それが、アイシャの抱くラフートの印象だ。

 色々なモノから逃げてきて……人を遠ざけるように沈み込んでいたアイシャが、今の様に明るく騒がしくなったのは、間違いなくラフートと言う街のおかげである。

 暖かく迎えられ、明るい騒がしさを学び、そんな人々を表面的に真似て――今のアイシャがある。

 生れ落ちたその場所ではない。ただ、確かにアイシャの故郷であるその場所に、久しぶりに踏み入って………。


「…………」


 アイシャの表情は暗かった。

 常にそこにあると思っていた喧騒が、人は影も形もなく………街は乱れきっている。

 石造りの壁が砕け。常にあった露店の幕は破れ………確かに魔物が暴れまわった後のような、メナリアと似た廃墟街。

 知った道の、見知らぬ静けさの中……アイシャは黙ったまま、迷わず歩いていた。

 そして、その後を、宵虎とネロは歩んでいた。二人共に心配そうな顔で……。

 不意に、ネロは周囲を見回しながら声を上げる。


「魔物~は、どこにいるのかにゃ?ああ、ここにいたにゃ!れっきとした魔物猫がここに!だんにゃの肩に!」

「……………」


 気を使って頑張ったネロにも、アイシャは答えなかった。

 そんなアイシャを眺めた末に……今度は、宵虎が声を上げる。


「……ネロ」

「なにかにゃ?」

「真面目にやれ」

「真面目にって……だんにゃに言われる日が来ると思わなかったにゃ……」


 宵虎の肩で、ネロは大仰に落ち込んで見せて………それから、宵虎と二人、アイシャの様子をうかがう。


「…………」


 やはり、アイシャは何も答えず、振り向きもしない。

 そんなアイシャに、結局心配そうな表情に戻ったまま、ネロはこそこそと宵虎に耳打ちした。


「……やっぱり、街どうにかしないと、元気出ないかにゃ?」

「……だろうな」


 そんな風に二人話した後………ネロは、また改めて周囲を見回してみせる。

 街の中は乱れきっている。人気はない。そして……ネロが見る限り、魔物らしい魔物の姿も、今の所見つからない。


「で、本当に、魔物はどこにいるのかにゃ?あれにゃ、だんにゃ。今こそ気配がするチャンスだにゃ。もはや万能臭いそれで早く見つけて早くやっつけるにゃ」


 若干小ばかにしたようにそういったネロに、宵虎は憮然とした表情で、唸る様に答えた。


「……今、もう、向かっている」

「にゃ?向かっているって……アイシャも気配がする~を習得したのかにゃ?」


 そう、ネロはアイシャに声をかけた。

 その声に、ふざけた様子も余裕もなく、アイシャは肩越しに振向く。


「…………この先にいるの?」

「だんにゃが言うには、そうらしいにゃ」

「………そっか」


 アイシャが言ったのはそれだけだ。勇み足で駆けて行く、と言う事もないが、明らかにどこか苛立っているような、そんな雰囲気で、アイシャは弓を手に取った。

 そうして、一行は歩んでいく。


 やがて、アイシャは一軒の建物の前で立ち止まった。

 “放浪人の宿ロス・ルート・ハウス”。そんな看板の掲げられた、酒場のような建物だ。アイシャの記憶では、昼夜問わず喧騒が漏れ続けていたはずのその建物が………今は奇妙に静まっている。


 その静けさに僅かに目を伏せながら……アイシャは、扉へと手を伸ばした。

 と、そこで、アイシャの手を、宵虎が掴んでとめる。


「中に何かいるぞ。………下がってろ」


 いぶかしむような視線を向けたアイシャ――宵虎の肩からそんなアイシャの肩に飛び移って、ネロは言った。


「俺に任せろ!……だってにゃ」

「……そっか、」


 そんな声を漏らして、アイシャは扉から距離を取った。

 静けさに不安が募りすぎて、全部自分でやろうと考えてしまっていたのか――この中に魔物がいるのなら、宵虎に先に行って貰った方が効率も良い。


 アイシャは弓兵。屋内は分が悪い――。

 通りの向かいまで退いた末、弓を引き、それを戸口に向け――アイシャは言った。


「お兄さん。やばそうだったら釣って来て。………私がやるから」


 どこかくらい声音で呟いたアイシャに、宵虎は頷いた。言葉が通じたと言う訳ではないだろうが、意図は通じている。

 今まで、それでなんだかんだ上手くやってきたのだ。今回だって……。


 唇を引き結び、油断なく弓を構えるアイシャの視線の先で、宵虎は、“放浪人の宿ロス・ルート・ハウス”へと踏み込んだ。


 *


 陰り始めた夕日が、窓から屋内へと差し込んでいる――。

 その酒場の中は、荒れ果てている。太刀の柄を握ったまま、宵虎は憮然と屋内を見回した。


 机、椅子、瓶の数々―――全て割れ荒れ瓦礫となされたその場の奥、カウンターの上に、強大な気配を発する一人の青年が所在無さげに腰掛けていた。


 黒い服を身に纏った、白い男だ。髪は銀色。青年と少年の中間にあるかのように、その相貌はあどけなく――退屈そうなその顔、その血の色の瞳が、踏み込んだ宵虎へと向けられる。


「……珍しい服着てるね、おじさん。それに……変なにおいがする」


 その言葉は、宵虎にも理解できるもの――当然の様に人ではないらしい。見た目が人に近いだけの、れっきとした魔物。


「この街。……お前がやったのか」


 低く、そう問いを投げた宵虎を前に、けれど銀髪の青年は取り合わない。


「凄い匂いだよ、おじさん。色々混じってるけど、本当に人間?……食べたら、おなか壊しそうだな……」

「………尋ねているのは、俺だ。お前がやったのか」

「おなかすいたなぁ……。でも、おじさん、美味しくなさそうだし……」


 なおも宵虎と会話する気もなく、銀髪の青年はそう呟き……そこで不意に鼻を鳴らした。

 それから、その顔に満面の笑みを浮べる。


「………あれ?なんだ、外に美味しそうな――」


 瞬間、宵虎は動いた。

 強く地を踏みしめ、銀髪の青年へ肉薄――同時に、勢いのまま太刀を抜き、振るう。


 荒れた酒場に、白刃、一閃が舞い――けれどその刃は振りぬかれることなく、銀髪の青年の首筋に触れる当たりで、ぴたりと止まる。


「………選ばせてやる。この街を出て行くか、ここで躯となるか」


 喉元に刃を突きつけたまま……珍しく先に手を出した宵虎を、銀髪の青年は涼しげな顔で睨んだ。


「躯………殺すってこと?無理だと思うよ、おじさん。僕は死なないし、死ねない。一人ぼっちなんだ」


 そんな言葉を吐きながら、青年は首もとの刃へと手を伸ばし、素手のままそれを掴んだ。

 突き立てられた刃が青年の掌を裂き、赤い血がこぼれ、垂れていく。


 その鮮血が、床に触れたその途端、


「――でも、僕は一人じゃない」


 床に落ちた血が、膨れ上がった。


「……ッ!?」

 

 咄嗟に飛び退いた宵虎――その影を、槍が振り払う。

 血の色の――血で出来た槍、血で出来た甲冑。


 いつの間にやら、青年の真横に、その鮮血からはいでたかの様に、巨大な、甲冑の騎士が佇んでいた。

 青年の腕からは、鮮血が垂れ続け……床を染める様に広がっていく。


「……僕は、僕達はおなかがすいたんだ」


 広がる血の沼から、新たに新たに、騎士が、あるいは魔物が這い出てくる。際限なく現れ出でる、血でできた人魔入り混じる軍勢。


 それを周囲に従えて、青年は嘯いた。


「窓の外をご覧?日が落ちたよ?………僕の時間だ」


 直後、数多の騎士が、魔物が、宵虎へと襲い掛かった。

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