連携、されど………


 “放浪人の宿ロス・ルート・ハウス”――その壁の一角が不意に吹き飛ぶ。


「……ッ、」

「にゃああああああッ!?」

 

 素っ頓狂な声を上げるネロを肩に、アイシャは弓を引く手に力を込めた。

 飛び出てきたのは――吹き飛ばされたらしい、宵虎。


 ならば、狙うべきは次に出てきた奴。

 即座に、道の半ばで宵虎は身を起こし――同時に、壁にあいた大穴から、赤い甲冑の騎士が顔を覗かせる。

 アレが、このラフートを壊した魔物なのか――。


「ラピッド・ブロウ!」


 躊躇いなく放たれた不可視の矢が、甲冑の騎士を貫き―――ぴしゃりと、溶ける様に甲冑の騎士が赤い液体となって崩れ落ちる。


 残ったのは、血のような赤い沼だけ。


「……倒した?」


 そう、気を抜きかけたアイシャの耳に、不意に宵虎の怒号に似た声が届いた。


「退け!」


 そんな言葉と共に、宵虎はその場で太刀を振るい出す。空を切る剣閃が、言霊と共につむがれている――。


 まだ、戦う気らしい。終わっていないのか。

 いぶかしみながら血の沼に視線を向けたアイシャ――そこで、血の沼が膨れ上がる。


「あ、アイシャ?だんにゃが退けって………」


 アイシャの肩でネロはそう声を上げる――逃げろ、ではなく退け。

 距離を取って援護しろと、そう言っているのだろう。


 血の沼は膨れ、広がり続け―――数多の騎士が、魔物が、血の沼から這い出ている。


「………ネロ。掴まってて」

「にゃ?にゃああああ!?」


 素っ頓狂な声を上げるネロを肩に、アイシャは自身の足元に炸裂矢を放ち、その反動で大きく跳ね、背後の建物の屋根の上へと身を移す。


 そして同時に周囲を見回し、ポイントを探す。

 宵虎の現在位置。敵の位置、どこからなら射線が通るか――。


 即座にポイントの選定を終え、アイシャが向かったのは少し離れた位置にあった高い建物の上。

 そこから、アイシャは宵虎とその周囲に視線を向ける――。


 ――ちょうどそのタイミングで、宵虎は自身の周囲に舞った剣閃――炎を纏うそれを振り払っていた。

 けれど、振り払った傍から、炎は燃え上がり、宵虎の手の太刀は篝火の様に周囲を、血の色の敵を照らし出す――。


「……いきなりかにゃ!?……だんにゃが、ボケてないにゃ……」


 おかしなところで愕然としているネロを肩に、アイシャは呟いた。


「その位ヤバイんじゃないの?」


 そして、アイシャは弓を引き絞る。


「……ラピッド・レイン」


 *


 数多の矢――不可視のそれが降り注ぎ、周囲の甲冑が、魔物が、ぴしゃりと解け血に変わり――けれどすぐさま膨れ上がり、元の形を取り戻す。


 酒場の中でもこうだった。切っても切っても、この血の色をした魔物の群れはすぐさま元の形を取り戻し――あるいは切るごとにその数もまた増えていく。


 だからこそ――宵虎はあえて一旦吹き飛ばされ、距離を取った。

 太刀に破邪の炎を纏わせる、その機を得る為に――


「焔重―大刃烈火」


 言霊と共に、宵虎は炎を纏う太刀を振るう。横薙ぎに振りぬかれた紅蓮の大刃が血の色の騎士を、魔物を裂き焦がし、溶けるではなく灰となって散っていく。


 さすがに、神下ろしは効くらしい。

 だが、4、5体倒したところで旗色の悪さは拭えない。

 倒した傍から――足元の血の沼が膨れ上がり、新たな魔物が現れ、宵虎へと襲い掛かってくる。


 正面から、四肢に爪を持つ血の色の獣――


「………ッ、」


 切って捨てたその影には、切っ先を宵虎に向けた甲冑の騎士が姿を見せる。

 突き出される槍――宵虎は1手間に合わない。


 致命は避けよう。少し裂かれるくらいならば、問題はない。そう、肉を切らせる判断をした宵虎の眼前で、甲冑の持つ槍が、不意にへし折れ弾け跳ぶ。

 アイシャの矢だ。自分では増やすだけだと判断して、完全に宵虎の手助けに切り替えたのだろう。


 折れ、溶け、形を失う槍――雫となったその血飛沫を浴びながら、宵虎は甲冑の騎士を切って捨てる。

 けれどその間に、左右にはまた別の魔物が廻りこんでいる――。


「…………ッ、」


 片側をアイシャが妨害している間に一匹を切り払い、返す刀でまたもう一匹を両断。

 対処は出来る。一体一体はそう強くもない………少なくとも、宵虎からすれば。


 ただ、問題は、幾ら切ろうとも際限なく、その魔物が現れ出でる事の方――。


 ――頭を、あの銀髪の青年を潰すべきだ。おそらくこれらの赤い奴らは、ただの木偶人形。操っている奴を切れば、悉く霧散しただの赤い沼と変わるはず。


 それは、宵虎にもわかっているが――物量を前に、宵虎は前に出来れない。

 じりじりと、戦い続けながら、宵虎は後退して行く――。


 後退しながらも、宵虎は酒場を――その壁に開いた大穴を睨む。

 気配で位置はわかる。あの、銀髪の青年は、この魔物を従えている奴は、酒場の外へと歩んでいる。


 狙うは、顔を見せたその瞬間――


 眼前の、正面の甲冑の騎士を切って捨てる―――その血飛沫の向こう、銀髪の青年は顔を覗かせた。


「……良い夜だね」


 暢気にそんな事を呟く青年、周囲に多くの魔物を従えるそいつへ向けて、宵虎は強引に前に出た。


 右で槍が走る。左で牙が剥き出される。頭上から爪が落ち、正面からは刃が突き出される。


 その全てに対処するのは不可能だ。無謀な特攻――そうも思える宵虎の行動。

 けれど、そこにあったのは信頼だ。

 散々振り回されてきた、おてんばの―――異様な読みの良さと才気への信頼。


 視界の全てが血飛沫に染まる―――降り注ぐのは不可視の大弓の雨、嵐。

 魔物を倒すには至らない。直ぐに再生する事は必定。

 けれどその時、その瞬間、宵虎を阻むモノが悉く霧散した事は揺るぎのない事実。


 何に阻まれる事なく、宵虎は血を踏み駆け抜ける――。


 銀髪の青年は、暢気な顔で、迫る宵虎を眺めている―――事ここに及んで手心など掛ける気は宵虎には毛頭ない。

 強大な気配――それが異様過ぎるのだ。邪気がない――あからさまに宵虎を殺そうと魔物を差し向けておきながら、それを悪とまるで考えていないのだ。


 根底から人に害なす存在である事は、疑いようも無い――。

 宵虎は刃を振るう。旗のように纏う炎が舞い散り、その一閃は銀髪の青年の首を捉える――。


「……食べ物の方から来てくれた」


 ――いや、捉えたはずだった。


「な………」


 切ったはずの手に感触はなく、眼前にあったのは黒い霧――。

 気配が失せている。いや、失せたわけではない。一瞬にして距離を飛び越え移動した。


 この間見えた悪魔がやっていたような術――。

 気配は追える。宵虎なら即応できる。―――あの銀髪の青年が狙ったのが、宵虎であったなら。


「アイシャ!」


 宵虎は声を上げる――気配が現れたのは遠く、アイシャの直ぐ近く。

 即座に駆け出そうとした宵虎――だがその足を、槍が食い止める。

 

 倒す気で敵の中央へと駆け抜けた。その結果仕損じれば――敵のただ中に立ち尽くす羽目になるのは必定。


「………ッ、」


 歯噛みした宵虎は、迫る甲冑を切って捨て――だが、それで道が開かれることはない。

 周囲には、おびただしい数の魔物――。


 四方の敵を前に、宵虎は顔を歪めた。


 *


「……良いにおいだね。美味しそうだ」

「ッ!?」


 突如、耳元でそんなささやきを聞いた――その瞬間に、アイシャは矢を放つ。

 炸裂矢。自身と突如真横に現れた何者か――それを、同時に、逆方向に吹き飛ばす。


「にゃああああああ!?」


 悲鳴をあげしがみつき続けるネロを肩に、もはや完全に慣れ切った浮遊感の最中、しなやかに姿勢を整えつつ着地点にクッション代わりの炸裂矢を放ち――同時に、アイシャは敵を見た。


 銀髪の青年だ。驚いたような表情で吹き飛んでいる。酷く能天気に……。

 それが、異様だ。余裕の裏返しだろうか。あるいは、宵虎やアイシャがこれまで特にそんな気もなくやっていたような……。


 着地した瞬間、アイシャは宵虎の方へと視線を向けた。

 宵虎が戦っているのは、アイシャが着地したこの通路の先。血の色の魔物に、騎士に揉まれている。やられることはないだろうが、突破するには時間が掛かるだろう。


 銀髪の青年が吹き飛んで行ったのは、建物の向こう側。ある程度の猶予は見込める。

 その間に、状況の分析と次の手立てを――。


「………びっくりしたよ」


 その声は、また、すぐ耳元で届く。


「……ッ、」


 咄嗟に、アイシャは飛び退いた。

 着地と同時に瞬間移動したのか、建物の向こうにいたはずの銀髪の青年が、気付くと、アイシャの真横にいた。


 バックステップを踏みつつ弓を引き、「…それ、こっちの台詞だにゃ」と依然暢気でい続けるネロの呟きに応えることなく、アイシャは銀髪の青年を睨む。


「紋章魔術だっけ。言霊なしで色々出来るなんて、凄いね。……そういう人は好きだな」

「……生憎だけど、私は貴方、タイプじゃないから」

「え?……ああ、そういう意味じゃないよ?………美味しそうだな、って」


 そう笑い………銀髪の青年は歩みだした。

 その脳天へ向けて、アイシャは弓を向け――けれど、放つことなく止まった。


「ネロ。下りて、隠れてて」

「にゃ?……わかったにゃ」


 そう応えて、ネロは物陰へと駆けて行く。そちらを見送る事もなく、アイシャは銀髪の青年を睨み続け、威嚇の様に、その足元の地面をいる。……青年本人には、当てず。


 目の前にいるのは、魔物だろう。ラフートをこんなにした元凶だ。それはわかっている。

 けれど………見た目は、完全に人間のそれだ。


 甘さが、あるいは抱えた憂鬱さが、アイシャの動きを、判断を鈍らせていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る