エピローグ

祭りの終わりに

 決勝の翌日。

 メメント・モリ最終日。

 マーカスの街並みからは、人気が失せていた。


 最終日に催される儀式、”英雄継承の儀”……剣術大会の王者の表彰式の様なそれを、街に居るほとんどの人が見に行っているのだ。

 これまでの王者よりも、現王者の方が注目度も人気も高い。昨日の今日だとしても、噂はすぐに駆け巡ったのだ。


 ミスコンと剣術大会、二冠の王者ウェイン。

 話題性は十分で……その上、あの試合を見ていた者の口から武勇伝まで語られたため、一目見ようと皆コロシアムに集っている。


 歌は下手だけど強い王者。

 確かに華があるけど、なんか不器用な王者。

 ウェインは王者として、既にマーカスの人々から慕われつつあった。


 だが、……全員が全員、ウェインを祝福しようとしている訳でもない。


「あいつ……僕の王者なのに……僕が一番偉いのに……」


 人気のない街中を、剣を手に、あらゆる庇護を失った元王者、ゲオルグは英雄の儀の会場……コロシアムへと歩んで居た。


 その手には剣がある。

 復讐だ……無茶苦茶にしてやる、そんな事がゲオルグの脳裏にあるのだ。


「…ぶっ殺してやる……ひんむいて、辱めてやる…何が王者だ、女の癖に…」


 もはや悪魔もいない以上、たとえ襲おうとゲオルグがウェインに勝てるはずもないのだが……それすら自覚しないのが、ゲオルグという男だ。


 暗い目で、たるんだ頬を引くつかせ、苛立ちの中歩くゲオルグ――

 ――が、不意にその足が止まった。


 首に、大鎌が掛かっている――


「ひ、…ぼ、ぼぼ、僕は…僕はきぞくっ、」


 ――言い掛けた所で、鎌の刃が首に触れたため、ゲオルグは飲み込むように言葉を切った。


 そんなゲオルグの頬を、骸骨の指が撫で、首には依然鎌が触れ……髑髏は、耳元で囁く。


「……死を想え」

「ひ、」

「死を想え…死を想え……死を想え………」


 耳元で続く死神の囁きに、ゲオルグは腰を抜かした。

 そして、恐怖にガタガタと歯を鳴らし、グリムリーパーを見上げたゲオルグ。


「か、かか……顔は覚えたからな!」


 裏返った声でそう捨て台詞を吐いて、ゲオルグは逃げ出していった。

 その様子を眺め……死神は無様と嗤う。


 カラカラ、カラカラと……。


 それから、死神はコロシアムに視線を向けた。



 *



 熱気が待合室にまで届いてくる……もはやなじみ深いその場所に、ウェインは立っていた。


 剣と盾を持ち、頭には包帯を巻き……纏うのは、背中の大きく開いた真っ赤なドレス。


 どうにもちぐはぐな格好で……けれど、同時に不思議な気品と風格がそこに漂っているのは、正しく着ている者を象徴するような恰好だからだろう。

 ウェインは堂々と背筋を伸ばし……出番を待っていた。


 そんなウェインを若干感慨深く見上げて、ネロは言う。


「なんか、立派になったにゃ~ウェイン。もう、緊張とかしないかにゃ?」


 そう首を傾げたネロに……ウェインは返事をしなかった。

 ……若干嫌な予感がしてきながら、ネロはもう一度声を掛けた。


「……ウェイン?」


 その声にも、ウェインは返事をしない。どころか、身じろぎ一つしなかった。

 結局なのか…と思いながら、ネロは大声を上げた。


「ウェイン!」


 途端、ウェインは、ゆっくりとネロへと振り返る。


 精神統一してたのかにゃ~、と一瞬思ったネロだったが……振り返ったウェインの目は、ぐるぐるしていた。


「歌いませんよ!」

「誰もそんなこと言ってないにゃ!」

「絶対歌いませんよ!ぜった―」

「やめとくにゃ、ウェイン。それを受け継ぐ必要はないにゃ」


 ネロにそうさとされ、ウェインは一旦大きく息を吐き……それから、膝を抱えてしゃがみ込んだ。


「はあ……なぜ、ドレスを着る必要があるんでしょうか…剣術大会の式典ですよね…」


 ウェインが緊張している理由は、ドレスだ。

 そもそも、ウェインは相変わらず甲冑で出る気だったのだが……その姿を宿の全員に見とがめられ、あれよあれよという間に背中のあいたドレスを着せられ、こうして、その格好のまま待合所に居るのである。


「式典だから~ドレスであってるんじゃないのかにゃ?」

「……ですが!……露出が……」

「青い方着たかったかにゃ?」

「こっちの方がマシです」


 ウェインは即答した。あの胸元があいた服は到底ウェインに着こなせるものではない。というか、恥ずかしすぎる。


「でも……甲冑着たい…」


 消え入りそうな声で言うウェインを、ネロはなだめる。


「まあまあウェイン。ドレス似合ってるにゃ?誰も笑わないにゃ」

「そう、でしょうか?でも、ああ……アンコールが聞こえて来る…」

「ほんと、なんで歌っちゃったんだにゃ…」


 そう呆れたネロへ、ウェインはキッと視線を向け、言い放った。


「私はもう、二度と人前で歌いません!ぜった―」

「そこまでにしとくにゃ。…ウェイン?ウェインがなりたかったチャンピオンは、そうやってしゃがんでる人なのかにゃ?」

「…………」


 そのネロの言葉に、ウェインは一瞬考えて……それから、すっくと立ち上がった。


「……違います」

「じゃあ、背筋伸ばすにゃ!」


 その言葉と共に、ネロはパンと、ウェインの背中を叩いた。


「痛、」


 と声を上げたのは、今回はウェインだ。

 そんなウェインに手を振りながら、ネロは待合所を後にしていく。


「じゃあ、あたし客席に居るにゃ~。ウェイン、背筋伸ばしてたらカッコ良いし美人だにゃ。胸張ってれば良いにゃ~」

「……はい」


 ウェインはそう頷いて、より一層背筋を伸ばした。

 ……憧れた姿。

 ウェインの師は、確かにそうしていたのだから。


 実況の声が聞こえて来る――。

 出番は、もうすぐだ。



 *



 英雄継承の儀。

 かつてこの地のグリムリーパーを改心させた勇者、その甲冑と向かい合い、王座を継ぐ儀式。


 大観衆が見詰めるコロシアム、その戦場の中心に置かれていたのは、深緑色の甲冑。

 受付の奥にあったものだ。


 例年ならやはり閑散としている儀礼なのだが――2冠の王者の注目度は高い。


『さあ、では、王者に来ていただきましょう!メメントモリ剣術大会、及びミス・メメントモリコンテスト王者、ウェイン!』


 僅かに戸惑う実況の声を呑み込まんばかりの歓声が上がり……ウェインは、姿を現した。


 剣を帯び、盾を持ち、傷に包帯を巻く……真紅のドレスの少女。

 堂々とした足取りで、歓声の中、ウェインは歩んで行く。


 緊張は、している。けれど、今、多くの視線に晒されていても……前程嫌な気分はしない。

 予想以上に受け入れられている……そんな事を考える余裕がウェインにはあった。


 自信はついた。それに伴い、上がり症ももう深刻じゃない。

 堂々と歩み、やがて、ウェインはコロシアムの中心――深緑の甲冑と向かい合う。


 そこで、口上を述べる。この儀式はただそれだけだ。

 ただ、ごくたまに………ひょうきんな死神が悪戯をして、それ以上の盛り上がりを見せる事がある。


 対峙したウェインの前で、……突如、深緑の甲冑が立ち上がった。


「……え?」


 そう声を上げたウェイン………その耳に、実況の声が届く。


『おっと、これは……今年は動く年か!?』


 まるで驚いた様子もなく、実況はそう言っていた……確かに、3、4年に一度くらい動くと聞かされていたが、まさかそれが今年だとは。


 ウェインの驚きはそれ………いや、それだけではない。

 深緑の甲冑――いつの間にやら、その手に武器がある。

 片手に盾を、片手に剣を………見覚えのある佇まいの甲冑は……、幾度も真似た構えを取った。


「師匠………」


 呟くウェインの前で、深緑の甲冑は、盾を前に、剣を後ろに構えを取る。


 掛かって来いと言いたげに、その盾持つ手が僅かに揺れる。

 驚愕、動揺…………思考に沈むウェインの耳に、観客からの声が届いた。


「特技見せてくれよ、チャンピオン!」


 その声を皮切りに、観衆達から声が上がり続ける。

 特技―――ウェインのそれは、歌のはずがない。


「……わかりました」


 観客に……そして、眼前の甲冑にそう呟き、ウェインは剣を抜き、構えた。

 二人が共に同じ構え、機を待ち、静かに向かい合う……。

 その様子に、観衆の声も静まっていく。


 やがて訪れた完全な静寂―――その差中で、ウェインは、そして深緑の騎士は同時に動いた。


 同じ型、同じ技―――先に衝突するのは、盾だ。

 腕力も込みで、半ば強引に盾を振る深緑の騎士――。


 ウェインは、その盾と角度を合わせる。

 サ――響いたのはこすれる音。お互い本命ではなく、挨拶の様に盾はこすれ擦れていき――勝負を決するのは次の技。


 轟鋭い横薙ぎがウェインへと迫る―――だが、ウェインは怯まなかった。

 途中までは完全に同じ。けれど、完全に真似てしまえば、ウェインは師には敵わない。


 だから―――ウェインが放ったのは神速の突き。

 ほんの刹那の差である事には違いない。


 だが、確かに先に当たったのは、ウェインの突きだ。


 刃が、甲冑、その兜に当たり……カランと、兜が地面に落ちる。

 ウェインの首すれすれで、深緑の騎士の剣は止まっていた。


 刹那の攻防の末、上回ったのはウェイン。いや、もしかしたら、華を持たせてくれただけかもしれない。


 首無しの騎士、…………そこにないはずの顔をウェインは見た。

 忘れようもない、二度と見ないはずの顔。

 憧れ、なぞり、何処までも追いかけた相手。


 その声までも、ウェインは聞いた気がした……。


『……君の勝ち得た称号だ。誇りなさい』


 直後、深緑の甲冑は、力を失いガラガラと崩れ去る。


 英雄継承の儀。

 王座を受け継ぐ、儀式。

 崩れた甲冑へと、ウェインは呟く。


「……ありがとうございました、師匠」


 それから、ウェインは観衆へと向き直った。

 確かに受け継いだと、形見の剣を高々と掲げ上げ、ウェインは口上を述べる。


「我が名は、ウェイン!………ウェイン・アーヴィング!今は亡き王者、フーリ・アーヴィングの弟子にして、その技と名を受け継ぐ者!」


 良く通るその声に、観衆は歓声を上げ始める。

 けれど、ウェイン……ウェイン・アーヴィングの良く通る声は、その歓声に負ける事なく、コロシアムに響き渡った。


「……我を讃えよ!」


 堂々と……ともすれば傲慢なその言葉は、確かな自信と誇りに裏打ちされたモノ。


 熱気と歓声が、新たな王者を讃えた――。



 *



 熱気に満ちた客席の一角。

 宵虎、アイシャ、ネロの三人はそこで、ウェインの晴れ舞台を見届けていた。


「我が名は、アイシャ。アイシャ・エル…………」


 不意に、アイシャは小さく呟く。どこか遠い目でウェインを見ながら。

 けれど、その言葉は途中で、物憂げな表情に途切れた。


「……何言ってんだろ、私。自分で捨てたのに……」


 歓声の差中だ。その呟きはよく聞き取れない。

 だが、宵虎からすれば、聞こえていようがいまいが、余り関係がない。


 ポンポンと、何も言わず、宵虎はアイシャの頭を叩く調子で撫でた。


「…………怒ってないよ」


 疲れた様な笑みを浮かべ、アイシャはそれだけ言って、宵虎に寄り掛かる。


 そんな一幕を横目に……ネロは、余計な口は挟まなかった。


 亡霊と出会う街、マーカス。

 良い思い出とも悪い思い出とも巡り合う場所。

 けれど、少なくとも今は、誰しもに居場所がある。



 メメント・モリ。

 死を想え。


 誰しもに、避けえぬ終局は確かにあれど……今日も浮世は騒がしい。


 熱気溢れるコロシアムの空。

 カラカラ、カラカラと、グリムリーパーは愉しげに嗤っていた。

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