継戦/一刀両断

「無礼モノ!無礼モノ!無礼モノ!」


 子供が喚くように、品なく声を上げ続けながら、ゲオルグは無茶苦茶に剣を振り回す。

 剣術大会の名にまるで似つかわしくない、技も何もないただの暴力だ。


 技術だけなら、完全にウェインの方が上である。だが――


「………ッ、」


 ……ウェインはその単純な暴力に手を焼いていた。


 一打、一打………ウェインがどうにか受ける事に、ゲオルグの剣は徐々に重く、徐々に素早くなって行く。

 ただ単純に身体能力が上がっているだけ――このままではじきにウェインは受けきれなくなるだろう。


 未だ、躱せる範囲ではある。だが、ここに来て、甲冑が酷く重い。重いそれを纏っているせいで、ウェインの動きは僅かに鈍り、徐々に後手を踏むようになっていた。


 ウェインの脳裏に後悔がよぎる。

 誇りを期待し寸止めをせず、倒しておけば良かったか。

 アドバイスにちゃんと耳を傾け、甲冑を着てこなければ良かったか。


 ……脳裏を掠め始めた言い訳――それから逃れるように、ウェインは一旦、大きく跳び退いた。


「なんだ……僕を恐れたか、無礼モノ!分をわきまえたか!」


 余裕綽々と、ゲオルグはウェインを嘲り、追撃をしようとしない。

 どこまでも傲慢で慢心に塗れている――そんなゲオルグに応えず、ウェインは馴染みの構えを取った。


 直後、ウェインは猛然と、ゲオルグへと駆けていく。

 盾を前に、剣を後ろに――師から受けついだ必殺のその型で。


 後悔は未だウェインの胸中にある。

 だが、同時に怒りもあるのだ。

 かつて流麗な技で、誇りと気品を持つ師が持っていた冠。

 それが、この暴力だけの傲慢な男の手にあるのは許せない。

 憧れを汚された様な――。


 直線的に踏み込んでいくウェインへと、ゲオルグは雑に、だが重く鋭い一閃を落とす――。


 確かに、今のゲオルグは剛腕だ。だが、ウェインが連日相手取っていたのは宵虎。

 重さにひるむことともなく、ウェインは冷静に、ゲオルグの一閃に盾を滑り込ませる。


「ぬがッ、」


 どこか間抜けな声を上げ、ゲオルグの身体は傾く――角度のついた盾に逸らされ、いなされた剣に振り回されるように。


 初撃の焼き増しだ。ただし、今度は寸止めはしない。

 一切の躊躇なく、ウェインの横薙ぎが、ゲオルグの側頭部を捉えた。


 ガン――鳴り響く音が異様に重く、高い。

 ウェインの手には確かに手応えがある。……酷く硬いモノを渾身で切りつけたような、痺れを伴う手ごたえが。

 …………単純に怪力になっていた訳ではない。


 そう気付き、驚いたウェインを、側頭部を打たれながらも一切利いた様子もなく、ゲオルグは嗤った。


「……分をわきまえろと言っただろう!」


 声と共にゲオルグは剣を振る。

 横薙ぎのそれに対処できず――ウェインの身体は、吹き飛ばされた。


 生身ならへし折られていただろう……そう思う程の衝撃がウェインの脇腹を駆け抜ける。

 場外にはならず、よろめき、だが立ち続けるウェイン。


 その甲冑、たった今切られたその場所が、大きくへこんでいた。


「…………う、」


 脇腹の痛みに呻くウェインを、ゲオルグは嘲笑と共に眺めた。



 *



 悪魔と対峙する宵虎―――。

 正眼の太刀、向けた切っ先の進む先―――そこにあった悪魔の姿が、不意に忽然と消え去った。


 確かに消え、だが再度現れた気配――宵虎は躊躇なく、自身の右へと剣を振るう。


「ほう……」


 その剣閃の先、悪魔は嗤い……直後、その姿が掻き消えた。

 空を薙いだ宵虎の太刀――その間に、悪魔は再度姿を現す。

 気配は宵虎の背後。僅かな風切りが背後から届く――。


「………ッ、」


 咄嗟に、宵虎は倒れ込むように前へと屈んだ。

 宵虎の背、そこに焼けるような痛みが走る――。


 一瞬の対処の遅れ、それが元で大鎌に背を裂かれた――けれど宵虎は顔色を変えず、振り向きざま太刀を振るう。


 崩れた体勢のまま、けれど鋭い研鑽の果ての一閃――

 ――捉え掛けた悪魔の首は、しかし刃が触れる寸前で掻き消える。


 次に悪魔が姿を現したのは、僅かに距離のある場所。視認より先に気配でその位置を察知し、宵虎は足元の残骸をそこへと蹴る。

 が、その間に悪魔はまた消え、気配は宵虎背後に現れる――。


「執拗な……」


 呟きながら、宵虎は、背後へと一歩、踏み込んだ。

 太刀では捉え切れない――ならば、殴打で。


 振り向く動作を挟まず、宵虎は現れた背後の気配へと、肘うちを繰り出す。

 だが、その肘うちも空を打つのみ。

 宵虎の眼前に影が落ちる――。


「臆病なモノでして……」


 ――呟く悪魔は宵虎の正面。その手の大鎌が、宵虎へと振り下ろされている。

 咄嗟に、宵虎は太刀を振るった。


 カン―――高い音に、大鎌は宙へと弾き飛ばされる。

 宵虎の剛腕が弾き飛ばしたのだ――けれど、妙と顔をしかめたのは宵虎の方。


 感触が軽過ぎたのだ。まるで悪魔が、から武器を手放したかの様に。

 ――いや、事実、悪魔はそうしたのだ。


 宵虎に殴打の選択肢があるように、悪魔にも別の選択肢がある。

 肉薄した局面、振り抜いた太刀はほんの刹那使えない―――そんな宵虎を嗤い、悪魔は腕を突き出す。


 猿の腕――鋭利で長いその手の爪を。


「……ッ、」


 咄嗟に、宵虎は飛び退く。残心の差中にありながらも、半ば無理矢理身体を動かし、悪魔の爪からその身を逃す。

 ただ、完全にとは行かなかった。


「おや……。随分勘が良いですね」


 驚いたとでも言うように、芝居がかった仕草で片手を上げる悪魔――その手の爪は血に塗れていた。

 宵虎は顔をしかめる。痛みが登って来るのは脇腹から。

 えぐられたか、貫かれたか………どうあれ、傷を負った。


 だが、傷の具合を確かめている場合でもない。今の一瞬、宵虎は死んでいてもおかしくはなかった。


「…………」


 歯噛みし、悪魔をねめつける宵虎。

 それを嘲笑うように、悪魔は嗤い……直後、その姿が消える。


 現れた先は、弾き飛ばした大鎌の傍。

 床に突き刺さっていたそれを、悪魔は悠々と掴み取った。

 距離は確かにある。が、あの悪魔からすれば、踏み込みもなく一瞬で寄れる距離――。


 宵虎は翻弄されていた。

 どの機でも消え、どこにでも現れる――気配を掴めているからこそ辛うじて、宵虎はどうにか対応出来ているのみ。


 侮っていたつもりはなかった。

 強大な気配、邪悪なそれと肝に命じてこうしてこの場に宵虎は立っている。

 が、この悪魔……宵虎が事前に考えていたよりも、大分面倒だ。


 宵虎の視線の先―――悪魔は姿を消す。

 気配はまた、宵虎の背後。

 確認せず跳び退いた宵虎――背後の気配は瞬間霧散し、次の瞬間に真横に現れる。


 宵虎はまた退く――退きつつ振るった太刀が、大鎌とぶつかり、はじかれる。


「おやおや、急に逃げ腰ですか………」


 どこか呆れた様に、悪魔は呟く。

 逃げ腰である事は宵虎も自覚している。

 が、無為な逃げ腰ではない………。


 悉く後手を踏んで居るのだ。消え、現れる――どこから切られるかわからない事もそうだが、それ以上に、一々背後を取られるのが鬱陶しい。

 だからこそ、背後を取らせなければ良い。


 宵虎は退き続ける。悪魔から距離を取り――やがて、その背は壁にぶつかった。

 壁を背に……そこで宵虎は、太刀を下段に構えた。


 背後に空間はない。これで、後ろを取られる事もない……。


「猿知恵ですね……」


 嗤った直後、悪魔の姿はもう宵虎の目と鼻の先。

 宵虎の脳天を切り裂き、叩き潰さんと、大鎌は振り下ろされている。


 その大鎌へと、宵虎は片手で、太刀を振り上げた。

 カン――音と共に大鎌ははじかれ、飛ぶ。


 、悪魔は同じ手を打ったのだ。

 太刀を振りあげ、その一閃を透かされ、隙を晒す宵虎を、悪魔は嗤う。


「……どう避けるのですか?」


 声と共に悪魔は爪を突き出した。

 狙いは宵虎の心臓――鋭利な爪に貫かれれば、宵虎に命は無い。

 が、その局面で、宵虎もまた嗤う。


「避ける気はない……」


 直後、迫る腕へと、宵虎は刃を振り上げる。

 太刀とは比べ物にならない小さな刃――脇差しだ。


 散々相対した連撃に似た要領で、引き抜かれ切り上げる脇差し――悪魔の爪より、宵虎の脇差しの方が速い。


 引き裂く刹那―――悪魔は消えた。

 現れたのは、地に突き刺さる大鎌の横。

 それを引き抜き、肩に担ぎ、悪魔は芝居がかった仕草で頭を振る。


「おやおや、存外器用な…………果てさてどうしたものか……」


 悪魔は、顎に手を当て、考えるような姿勢を取った。

 隙だらけだが、飛び込めばまた、宵虎は背後をとられ続ける。


 壁際に佇み、機を待つほかにないのだが……考え込んだまま、悪魔は動かない。

 いや、動く必要がないのだ。


 膠着に陥り、戦いが長引けば、傷を負った宵虎が不利。

 それ以前に………こうしている間にも、ウェインは苦戦を強いられているのだろう。


 勝利の条件が、悪魔と宵虎では違うのだ。

 あの太った子分が勝つまで時間を稼げばそれで済む悪魔と、切らねばならない宵虎。

 思わぬ苦戦、予想より悪魔がしたたかな故、ここまで、存外時間を食っている。

 かと言って功を焦り打って出れば、また翻弄されるだけ…………。


 宵虎もまた暫し思案し――やがて、脇差しを、そして太刀を収めた。


「……おや?観念されたので?」


 嘲る調子の悪魔に応えず……宵虎は構える。

 戦場でわざわざ太刀を収めるなど正気の沙汰ではない。だが、あえて宵虎はそうした……。


 故は一つ。

 そこから始まる型がある。純粋なる剣技ではなく、だが魔を穿つ為の技の型。

 宵虎は抜刀する――何もない空を切り裂き――その剣閃を宙に刻む。


凶印空きょういんくうき、轟撃地ごうげきちを砕き……神意しんい阻む事あたわず」


 言霊を紡ぎながら、宵虎は太刀を翻す。宙に帯びる剣閃は、僅かに稲妻を帯びる―。


 神下ろし。舞踊でも踊るような、型稽古の極致。

 それを前に、悪魔は顔をしかめた。

 ――直後、悪魔は宵虎の眼前に現れる。


「……それは隙では?」


 声と共に、悪魔は大鎌を振り下ろす――だが、宵虎は笑みと共に答えた。


「知っている」


 声と共に、宵虎は片手で脇差しを引き抜いた。

 この演武は、宵虎が会得している中で唯一、片手で行うモノ。


 空いた片手の脇差しで、宵虎は大鎌を受け、逸らす―。


 弾き飛ばされず、大鎌は流れ――だが、悪魔は空いた片手を、その爪を、宵虎の眼面へと突き立てる――。

 ――寸前、悪魔の姿は掻き消えた。

 そして直後に、悪魔の居た場所を、宵虎の太刀が奔る――。


 演武と言った所で、太刀を振り回している事に違いはない。決まった型、決まった順序は確かにある。


 だが、その型を知らなければ、どう太刀が翻るかわかるはずもない。

 逆に、永遠これを素振りした宵虎は、良く知っている。


 どこを太刀が奔るか――そこを脇差しで補えば良いか。

 悪魔はまた、宵虎の眼前――けれど、その鎌ははじかれ、太刀を前にまた距離を取る。


 稲妻帯びる剣閃瞬き、宵虎はまた、言霊を紡ぐ。


覇断はだん天響てんきょう武雷征異ぶらいせいい………暴意ぼういに竦み、こうべを落とせ」


 三度、眼前の悪魔、振り下ろされる大鎌――

 ――その演武の最後の一閃は、切り上げだ。


 神下ろしのまま、大鎌を弾き飛ばし、沿う軌道で脇差しを突き上げ――悪魔は退いた。


 宙で大鎌を掴み取る悪魔――その眼下で、宵虎は、ゆるりと太刀を鞘へと収める。


「神下し…………演武・武御雷たけみかづち


 キン―――鍔鳴りと共に、宙に浮かぶ剣閃が稲妻に爆ぜ、……消え去る。

 静けさが荒れた教会に落ちる――。


 音はない。動きもない。ただ、奇妙な威圧感が、太刀を収め、そのまま抜刀の姿勢を取った宵虎から漂っている……。

 警戒しながらも地へと下りた悪魔へと、宵虎は呟いた。


「悪いが、手早く済ますぞ………」


 直後、宵虎は横薙ぎの抜き打ちを放った。


 僅かに火花散る、流麗にして神速の薙ぎ――。

 ――その行動の意味が、悪魔には理解できない。


 悪魔は、宵虎の間合いに踏み込んではいないのだ。

 嘲ろうとした悪魔―――だが、不思議とその声は出ない。どころか、身体すらも動かない。


 理解の及ばない悪魔の眼前で、宵虎はまた太刀を収め――呟いた。


神打かみうち――遠雷えんらい剛迅断空ごうじんだんくう


 戦場でわざわざ太刀を収めるなど、正気の沙汰ではない。

 だからこそ――その演武は必殺にして必勝の決意の現れ。


 不退転。必ず殺し、必ず勝利する。

 常勝を誓うが故に、その演武、繰り出す技は、太刀納めるまでが一つの型。


 キン――鍔鳴りの直後に、教会の中に轟音が響いた。

 宵虎の一閃、その先にあったモノが悉く―――間合いの範疇など無視して、裂かれ砕かれ、閃光に呑まれる。


 長椅子の残骸も、彫像の残骸も、壁も……悪魔の胴体も。

 全てが轟音と閃光に、爆ぜた。


 残ったのは、えぐれた地面、えぐれた壁。

 そして、ぽとりと落ちる悪魔の首――。


 その首が、ピシャリと音を立て、黒い液体となり崩れ落ちた。

 それを、チラリと眺め………宵虎は教会の外へと歩んで行く。


 気配は失せた……野暮用はこれで済んだろう。

 手傷は負ったがそれはそれ。晴れの舞台を見物に行くとしよう―。




 珍しく一切茶々が入らず、珍しく格好をつけ切り……宵虎は内心満足だった。

 これは、威厳を取り戻せたのではないか……。


 そんな事を考えながら、教会を後にしたその所で………ガララと音を立て、えぐれた協会が崩れ落ちた。


「………………」


 憮然と、宵虎は崩れ行く建物を眺める。

 …………建物まで壊す気はなかったのだが……やり過ぎたかもしれない。


「……さっさと……」


 この場から逃げ………もとい、晴れの舞台を見物に行こう。


 そう決めて、宵虎は廃屋の残骸に背を向けた。


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