アイシャを気にして
今日も、マーカスの街は観光客で賑わっていた。
露店、喧騒、ちょっと物騒なデザインの装飾の街並み、歩く人々は皆笑顔を浮かべている。
けれど、そんな中、アイシャだけには笑顔がなかった。どこか物憂げに、そして興味がなさそうに祭りの様子をぼんやり眺めながら、特にあてもなにもなく、アイシャは歩んで居た。
(……どうしたのかにゃ~)
そんな風に首を傾げながら、ネロはアイシャの横を歩いていた。
昨日まではアイシャは普段と変わらない様子だったはずだ。少なくともネロが見ていた限り、昨日寝るまでは普通だった。
が、今朝のアイシャは、どこか元気がなさそう。何もかもを遠巻きに眺めているような雰囲気で、宵虎に飛びつきもしなかった。大抵はくっついて甘えているのに…。
とにかく、自分まで考え込んでも仕方がないと、ネロは口を開いた。
「アイシャ?どうかしたかにゃ?」
「え?……なんでもない」
にべもなくアイシャは答える。やはり、どこかぼんやりした様子で。
(何でもない訳ないんだけどにゃ~)
と、思いながらも、かと言って普通に尋ねても悩みの内容は聞きだせそうにない。
という訳で、ネロはとりあえず話題を変えてみる事にした。
「にゃ~。あ、そう言えば、アイシャの故郷ってどういう事だにゃ?」
そう尋ねた瞬間、アイシャの表情に若干影が差す。
「……ヴァラールは…」
「ヴァラール?ラフートじゃないのかにゃ?」
予想と違う呟きをアイシャが漏らしたため、ネロはそう首を傾げた。
ネロが聞きたかったのは、これから向かう予定の、アイシャの家があるらしいラフートとという町の事だ。
ネロはてっきり、ラフートがアイシャの故郷だと考えていたのだが……アイシャの口ぶりからすると違うらしい。
ヴァラール。その国の名前は、ネロも知っていた。北の方にある巨大な軍事国家、だったはずだ。逆に言えば、ネロはその程度の知識しかないのだが。
なんせ、ヴァラール関連で聞く話は、たいてい、どこどことヴァラールが戦争をしている、という類のものなのだから。
「…………」
失言した―とでも思ったのか、アイシャは黙り込んでしまっている。
ヴァラールの話はしたくないのかもしれない。そう考えて、ネロは問い直した。
「アイシャ。ラフートって、どんなところかにゃ?良い所かにゃ~」
そう言ったネロを、アイシャはチラリと見て、それから頷いた。
「……うん。良い所だよ。おっきいお城があってね」
「お城かにゃ?」
「そうそう。まあ、別に偉そうな人が住んでるって訳でもなくて……シンボルみたいな感じかな?この街の、グリムリーパーみたいな感じ?」
「……シンボル扱いかにゃ、死神」
「まあ別に、城が動く…とかじゃないし、ここまで観光に使おうって感じでもないし、ただあるだけって感じだけど」
どこか懐かしむように、アイシャは呟いていた。
「……お城があって。城下町があって。そこまで大きくない街なんだけどね。平和で、皆良い人でね。交易の拠点だったりで、結構賑わってて。王様なんていなければ、お城があっても平和なんだな~って」
「良い所っぽいにゃ」
「うん。良い所だよ。…なんか、皆マイペースって言うか、自由奔放だけど」
「にゃ~。全員、アイシャだと思えば良い感じかにゃ?」
そう言ったネロに、アイシャは少し驚いたような表情を浮かべ、それから呟いた。
「……そうかもね」
「なるほどにゃ………おかしいにゃ。急にのどかなイメージがどっかにとんでったにゃ。収集付かない場所なのかにゃ…」
「何か言った?」
「なんでもないですにゃ」
そんな割といつも通りなやり取りをしてから、ネロはアイシャの横顔をチラリと覗いてみた。
さっきよりは、多少表情は柔らかくなったようだが……まだ、物憂げではある。
(にゃ~。どうしたもんかにゃ~)
そんな風にネロが困っていると、そこで、二人の耳に、聞き覚えのない声が届いた。
「おや?やあ、君たちは、僕に声援を送ってくれていた娘さん達じゃないか!」
その声にネロが視線を向けた先――そこに居たのは、やたら派手な服装をした、金髪の、太った青年だった。
その傍には、何やら姿勢を正した老紳士が控えている。
「……誰かにゃ?」
「知らない」
首を傾げたネロの横で、アイシャは興味もないと言いたげにそう言い捨てた。
そんなアイシャ達へと、青年は名乗りを上げた。
「知らない?この僕を知らない?この剣術大会連覇中のゲオルグ・フォン・ヴォルゼンブルグを知らない?大貴族の華麗なる嫡男ゲオルグ・フォン・ヴォルゼンブルグを知らない?”閃光の貴公子”ゲオルグ・フォン・ヴォルゼンブルグを知らないはずがないだろう、昨日応援に来てくれていたじゃないか!」
「……今、この人、肩書き全部自分で言ったにゃ」
「応援してないし」
白けた様にそう言って、アイシャはゲオルグを無視してさっさと歩み去ろうとする。
と、そんなアイシャの行く手を塞ぐように、ゲオルグは立ち塞がる。
「そうか、なるほど……。確かにこのゲオルグ・フォン・ヴォルゼンブルグを前に素直になれない乙女心は理解できる。だが、照れる事はないぞ!さあ、このゲオルグ・フォン・ヴォルゼンブルグと食事に行こうじゃないか!」
「……………」
アイシャは何も言わず、ゲオルグを無視して、その横を素通りしようとする。
だが、ゲオルグはまだ諦めようとせず、通り抜けようとするアイシャの手を掴んだ。
「待て!このゲオルグ・フォン・ヴォルゼンブルグを無視しようとは―」
その瞬間、ゲオルグの巨体が宙を舞った。
手を掴まれた瞬間、アイシャがゲオルグの足を払い、投げ飛ばしたのだ。
「ぐあっ!?」
と蛙が潰れた様な声を上げてゲオルグは尻もちをつく。
「坊ちゃま!?」
と声を上げ、すぐさま駆け寄った老紳士を、ゲオルグは腕で押し退けると、さっきまで浮かべていた笑顔が嘘のように顔に怒りを貼り付けて、アイシャを睨み上げた。
「……貴様!この大貴族ゲオルグ・フォン・ヴォルゼンブルグに無礼を……」
アイシャは冷たくゲオルグを見下ろし、言い放つ。
「肩書が鬱陶しいの。触んな」
そして、そのまま、アイシャは歩き去っていく。
ゲオルグはそんなアイシャを睨み付け………やがて、立ち上がると大声を上げる。
「僕は……僕は貴族だぞ!顔は覚えたからな!」
そして、ゲオルグは、逃げるように走り去って行った。
そんなゲオルグを、ネロは呆れた視線で見送った。
「…………絵に描いた様な人だにゃ……。ていうか、アイシャ?本当、どうかしたのかにゃ?なんか、いつもより怖いにゃ」
「……………ほっといて」
そう言い放って、アイシャは歩いて行く。
「にゃ~。ほっとけないにゃ……アイシャ~」
そう声を上げながら、ネロはまたアイシャの後をついて行った。
*
しばらく、当ても目的もなく街中をふらついた末に、アイシャとネロは宿へと戻って来た。
その間、ネロは色々とアイシャに話し掛けたが、しかしアイシャは気のない返事を返すばかりで、その表情はずっと優れない。
そうして、二人が戻って来た宿。その庭では、宵虎とウェインが向かい合って修行を続けている。
「たああああ!」
と言う気合いと共に、ウェインが宵虎へと踏み込み、盾で宵虎の構えた剣を殴った。それによって、宵虎の剣が、腕ごとはじかれる。
型の稽古の延長で、そこまでは、宵虎も食らってやっているのだ。
しかし、続く連撃――横薙ぎに振りかざされるウェインの一閃、その手首を、宵虎は掴み取る。
「うわっ!?」
と驚きの声を上げるウェイン――その体が宙を舞った。
宵虎に投げ飛ばされたのだ。突っ込んでいく勢いを宵虎に利用され、ウェインの身体は面白いように投げ飛ばされる。
「……痛!?」
背中から落ち、悲鳴を上げるウェイン。
それを眺めながら、宵虎は憮然と呟いた。
「…………悪くないが、やはり軽過ぎる。……型があっていないのか……」
そう思案顔を浮かべる宵虎の背後で、ウェインはよろよろと起き上がる。
ウェインの服は、随分汚れている。もう何度も、同じような立会いをしたのだろう。
対して、宵虎の服は綺麗なまま。最後の一撃は全て掻い潜っているのだ。
そんな様子を眺めて、ネロは呟いた。
「にゃ~。頑張ってるにゃ~」
そんなネロの横で、アイシャは同じ光景を見て、ポツリと呟いた。
「……止めたら良いのに」
「にゃ?アイシャ~。いくら機嫌悪いからって、それは駄目だにゃ。ウェインも頑張ってるにゃ?」
そう言った途端、アイシャは僅かに戸惑うような顔を浮かべた。
「え?……そういう意味じゃなくて……。……もう、良いや。なんでもない」
けれど、アイシャはそれ以上何も言わず、一人先に宿の中へと戻って行ってしまう。
「にゃ?……修行を止めろって意味じゃないのかにゃ……」
ネロはそう首を傾げ……それから、宵虎へと近づいて行く。
ネロに気がついた宵虎は、去っていくアイシャをチラリと見送った末に、ネロへと尋ねた。
「どうだ?」
「…良く分かんないにゃ。機嫌悪いって言うより、なんか、沈んじゃってるにゃ」
「見ればわかる」
憮然とそう呟いた所で、宵虎が不意に動いた。
凄まじい速度で振り返り、宵虎は背後へと模造剣を振り下ろした。
その先にあったのは……宵虎の背へと切りかかろうとしていたウェインの頭。
「隙あ……痛!?」
頭を打ち据えられたウェインは、そう声を上げて、頭を抑えてしゃがみ込んだ。
「………ネロ。次の試合はいつだ?」
「にゃ?え~っと、明後日かにゃ?」
「そうか。………技を探る間はないな。ネロ、通訳はいらん。型より場数だ。アイシャについていてやれ」
そう言って、宵虎が剣を構えた先……ウェインは立ち上がり、盾を前にした構えを取った。
いくら打ち据えられようと、一発入れるまでは、止める気がないらしい。
「にゃ~。確かに、出る幕なさそうだにゃ」
そう答えて、ネロは宵虎達に背を向けた。
そんなネロの背後でウェインの気合いの声と、「……痛っ!?」と言う悲鳴が響いた。
「……手加減、してるのかにゃ………」
そう呟きながら、ネロは宿の中へと入って行った。
宿の中―その入り口近くには、たった今外出する所だったのか、外套を纏ったフリードの姿があった。
盾と槍と、女の横顔―ヴァラールの国章の入った外套を着たフリードは僅かに考え込むように、宿の奥を眺めていて……それから、ネロに気がついたらしい。
「おや。君は……アイシャという子の連れかな?」
「ネロだにゃ。そちらさんは?ここの、他のお客さんかにゃ?」
「ああ。フリードだ。よろしく、お嬢さん」
お嬢さん?と、珍しい呼ばれ方にネロはそこで首を傾げ、それから、自分が今猫じゃない事に思い至って、納得した。
「にゃ……そう言えば、あたし今お嬢さんだったにゃ。まあ、それは置いといて~アイシャはどこ行ったのかにゃ?」
「ああ。奥に行ったよ。部屋に戻ったんじゃないか?」
「部屋に?わかったにゃ~」
そうどこか呑気に声を上げながら、ネロはアイシャが居るであろう部屋へ向かおうとした。
理由はわからないが、アイシャは沈んでいる。悩みを聞き出す事は出来なくとも、気晴らしの相手くらいは出来るだろう。本当に邪魔だったら追い出されるだろうし。
そんな事を考えたネロに、不意にフリードが問い掛けて来た。
「一つ、聞きたいんだが」
「何かにゃ?」
「あのアイシャと言う子は、ヴァラールに恨みのある国の者か?」
「にゃ?知らないけど……なんでそう思うにゃ」
「いや、偉く紋章を睨んでいたからな。……違うなら良い」
それだけ言って、フリードは歩き去っていく。
その背中には、盾と槍と、女の横顔―ヴァラールの国章が張り付いていた。
「ヴァラール、にゃ……」
さっきアイシャがその国の名前をチラッと漏らしていた事はネロも覚えている。故郷と言われて、その国の名前を漏らした事も。
アイシャの本当の出身地がそこで、何か事情があって国を後にして、……どっかで紋章を見て、ホームシックになったか、それとも嫌な事を思い出したのか。どちらであれその結果、アイシャは沈んでいる。
そう言うあれこれを考えてみた末に、ネロは呟いた。
「……まあ、言いたくないなら別に良いけどにゃ~」
どこの出身であれ、友達は友達である。
ネロはシンプルにそう考えて、元気のない友達の気晴らしに付き合う事にした。
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