冷え込んだ客席
数日経ち、剣術大会2回戦のその日―
『さあ、やってまいりました、2回戦!準々決勝!今日こそは誰かが自称閃光の貴公子を地に叩き落としてくれるはず!盛り上がって参りましょう!』
と言う、実況の願望の漏れ出た声が、コロシアムの選手待機所まで響いて来た。
歓声が聞こえて来ない辺り、今日も客席は閑散としているのだろう……そんな事を思いながら、ネロは、選手たちが各々マイペースに過ごしている待機所の一角、そこに座り込む甲冑の騎士に声を掛けた。
「あの人、本当チャンピオン嫌いなんだにゃ。にゃ~、ウェイン」
「…………」
だが、甲冑の騎士―ウェインは返事をしない。どころか、座り込んだままピクリとも動かなかった。
「ウェイン?」
再度呼びかけると、途端、ウェインはぎぎと音が鳴りそうな硬い動きでと顔を上げ、若干目を泳がせつつ、少し上ずったように返事をした。
「あ、はい。…な、なんでしょうか?」
そんなウェインにネロは呆れたように言う。
「……どうしたにゃ、ウェイン。なんか、がちがちだにゃ。あ、甲冑の話じゃないからにゃ?ていうか、結局脱がないんだにゃ?」
「…………」
だが、ウェインはまた返事をしなかった。がちがちに固まったまま、ネロの話を聞いていないらしい。
「ウェイン?」
と、首を傾げたネロの耳に、兜の奥にこもった、ぶつぶつという呟きが聞こえて来た。
「……訓練はした、大丈夫……でも、一回も宵虎さんに当たんなかったけどでも宵虎さんより強い人は多分そんなに……」
どうやら、ウェインはすさまじく緊張しているようだ。何かしていないと不安とも言っていたし、だからこそ大会中でありながら修行をしていたのだが……。
(…だんにゃ。無自覚にウェインの心折ったりしてないかにゃ…)
ネロはそんな気がした。
宵虎とウェインがやっていた修行は、素振りと、手合わせのみ。その手合わせの時に、宵虎があまり手加減せずひたすら避け続けたせいで、ただでさえなかったウェインの自信が打ち砕かれたのではないかと。
まあ、元からウェインは試合前この位緊張してしまうのかもしれないが…。
とにかく、今更何を言っても後の祭りだろう。そんな事を考えてから、ネロはもう一度ウェインに呼びかけた。
「ウェイン!」
「あ、はい。……なんでしょうか?」
流石に大声に我に返ったのか、兜越しではあれ今度こそしっかり目を合わせて、ウェインは返事をする。
そんなウェインに、ネロは抱えている剣――鞘に収まった、装飾の施された細身のそれを見せながら、尋ねた。
「剣。あたしが預かってて良いのかにゃ?」
「はい。あの……お願いします。なくなると、あれで、やっぱり、知っている人に預けた方が……」
ウェインの声はだんだんと萎んでいき、目はだんだんと泳いで行った。
よほど、緊張しているようだ。
「大丈夫かにゃ………。じゃあ、あたし客席行くにゃ。頑張ってね~」
と、気楽に声を投げてみたネロだが。
「……………」
ウェインは返事をしなかった。何やらぶつぶつと呟いているが、兜にこもった小声はネロには聞こえない。
「すんごい、緊張してるにゃ……。あっちもこっちも問題だにゃ~」
そう呟き、ネロはウェインの背中を軽く叩いて、待機所を後にした。
甲冑を叩いたせいで軽く痛い手を振りながら、向かう先は、客席である。
*
『それでは~、盛り上がってまいりましょう!第2回戦!準々決勝!第1試合!開始~!』
というやたらやかましい声の響き渡る客席。
まばらな観客たちはその声に中途半端に声を上げたり、あるいは何も言わずぼんやりと戦場を眺め……その視線の先で、向かい合う二人の男が戦いを始める。
「……む?始まったのか?」
宵虎はそう唸るように呟いた。実況の声が何を言っているのか、宵虎にはわからないのである。
とにかく宵虎は、戦い始めた選手達を眺め……すぐに飽きた。
特に見るべきところのない戦いだ。出場しているのは、ただ単に腕力自慢の様な男たちであり、技の冴えなどどこにも見当たらない。
もしも出場している者が全員この程度の腕前ならば、訓練などせずともウェインは圧勝してしまえるだろう。師から受け継いだらしいあの連撃だけやっていれば良い。
いささか軽くはあるが…あの技は一級品だった。素振りを見ていた時も、あるいは手合わせで相対した時も、技の冴えは確かにあったのだ。
技自体は完成している。ウェインは、わざわざ宵虎に教えを乞う必要もなく、あの連撃を確かに会得していた。だから、宵虎は結局手合わせだけをして、どういう破られ方があるかを教えた………つもりである。伝わっているかはわからないが………その教訓をどう生かすかはウェイン次第。
宵虎の師は放任だった。だから、宵虎も、細かい教え方など知らないのだ。
戦場は泥仕合の様相を呈している。もはや殴り合いだ。
それはそれで妙な盛り上がりをしている一団も客席にいはするが、宵虎は特に興味もなく。
「………………」
「………………」
隣に座っているアイシャも、つまらなそうに頬杖をついていた。
「………………」
「………………」
宵虎は何も言わず、アイシャも何も言わない。何かを言ったところで言葉が通じないのはその通りなのだが……妙に気まずい。
宵虎をしてそう思わせる程に、その一角の空気は冷え込んでいた。
アイシャと宵虎が二人きりの時はこれまでもあったが、こうまで気まずいのは初めてである。大抵アイシャは何かしら独り言の様に話し続けており、話していなくても宵虎にくっついていたりと、何かしらコミュニケーションを取ろうとしていた。
だが………今アイシャは、何かしらの理由でここ数日沈み込んだまま。つまらなそうに、ただぼんやりとし続けている。
「……………」
「……………」
何かしら、気を使うべきだろう…………いくら宵虎であれそうは思う。
が、その何かしらが宵虎に思い付くはずもない。そう器用ではないのだ。
宵虎はチラリと横目でアイシャを眺める程度しか出来ず、結局何を言う事もなく、ただつまらない試合を眺めるだけで時間は進んでいく。
「………………」
「………………」
やがて、戦場で巻き起こっていた泥仕合に決着が付き、次の選手が戦場へと姿を見せた。
戦場に現れる二人の男………そのうち一人に、宵虎は見覚えがあった。
金髪を刈り上げた男―フリードだ。
「あいつは、宿に居た………。大会に出ていたのか」
宵虎がそう、唸るように呟いた所で、突然、アイシャが席を立った。
何事かと視線を向けた宵虎に、アイシャは軽く手を振って、歩き去って行く。
丁度同じタイミングで、ネロは客席に現れた。
「にゃ?アイシャ?どこ…………ああ、そうかにゃ」
去っていくアイシャと入れ違いに、ネロはそうアイシャと短く話した末に、宵虎の元へと歩んで来た。
そして、ネロは、さっきまでアイシャが座っていた席に収まる。
途端、宵虎は尋ねた。
「アイシャはなんと?」
「つまんないから先に帰るらしいにゃ」
「……そうか」
それだけ言って、宵虎は戦場に視線を向けた。
フリードは、そこそこ出来るようだ。佇まいだけを見て、宵虎はそう判断した。ウェインよりも上かもしれない。
少なくとも、この試合はフリードが勝つはずだ。実力を遺憾なく発揮できれば、だが。
とにかく、そんな戦場を眺めながら、宵虎はまた尋ねた。
「それで?アイシャはなぜ、沈んでいる?」
「にゃ~。なんか、ホームシックっぽいけどにゃ~」
「ほーむしっく?」
「故郷の事思い出して寂しいって感じだにゃ」
「……そうか」
「だんにゃはそう言うのないのかにゃ?」
「お米が食べたい」
「悪かったにゃ。聞く人間違えたにゃ」
「………………」
宵虎は不満げに唸った。
故郷のことと言われても、そもそも宵虎は流刑の身。己でしでかした事と特段後悔もなく、それこそ本当に米を食いたいと思う程度……他を想う権利は己にはないだろうと、宵虎は思っている。
宵虎は割り切っているのだ。が、アイシャはそうでもないのか。
身の上話は前に、一度だけ聞いた。
確か、逃げて来たと言っていたか……。宵虎が知っているのはやはりその程度だ。
何があったか聞いたようで、詳しくは聞いていない。幼い内に、相当な目に遭ったと言う事は聞いたが……。
と、考え込んだ宵虎を見上げて、ネロは言った。
「ていうか~、もうどうしたんだろう~じゃなくて、だんにゃがなんかした方が喜ぶんじゃないかにゃ?あたしだと幾ら話しかけてもそんな聞いてない感じだったしにゃ」
「なんかと言われてもな……」
それが思い付くならば宵虎は困っていないのだ。
言葉を濁した宵虎に、ネロは僅かに責めるように、言う。
「それに、よくよく考えると~コミュニケーション取ろう~って頑張ってるの大体アイシャだしにゃ」
「………………こみゅにけーしょん?」
「めんどくさいにゃ~。だから~、アイシャがいつもだんにゃにやってる感じの奴だにゃ。それをだんにゃがやれば良いんじゃないかにゃ?」
アイシャがいつも、宵虎にしていること……思い付くのは一つだ。
「…………虚をついて飛びかかれば良いのか?」
「絵面がやばくなるから止めるにゃ」
「………そうか」
「とにかく、なんか考えるにゃ」
「なんか…………」
唸り、腕を組み、宵虎は考え込む。
と、そんな風に会話をしている内に、フリードの試合は終わっていたらしい。実況の勝ち名乗りにつまらなそうにフリードは手を上げて答え、それから戦場を後にしていく。
そして、次の試合は、ウェインが出場するそれだった。
ガチャン、ガチャンと、やかましい音を立てながら、ぎこちない歩みで、ウェインは戦場に現れる。
「……甲冑を脱げと言ったんだがな」
「甲冑なくてもガチガチだったにゃ」
そんな風に呟いた二人の視線の先――ウェインは、戦場に一人で突っ立っていた。
どうも、対戦相手が現れないらしい……。
首を傾げ、眺めている宵虎――その耳に、やかましい実況の、どこか慌てた様な声が届いた。
『さあ、ウェイン選手が入場しました。対するは優勝候補の名高い――え?嘘。ウソ~。あのデブ引きずり下ろして貰おうと思ってたのに…コホン。え~、ウェイン選手の対戦相手のウィリアム選手ですが……え~、諸事情により欠場です。そのため―』
そんな実況の声が響いた直後、ウェインは戦わずに戦場に背を向けた。
「……なぜ、去る」
「にゃ~、相手が来なくて、不戦勝らしいにゃ。まあ、勝ったから良いんじゃないかにゃ?良い所はないけど~負けるよりは良いにゃ~。全然良いトコないけどにゃ~。たまには良いトコ見たいにゃ~」
宵虎は妙に耳が痛かった。
不満げにネロへと視線を向けると、ネロもまた不満げに宵虎を見上げていた。
その視線から逃れるように、宵虎はまた戦場に視線を向け、唸る。
「………………ネロ」
「何かにゃ?」
「俺がそう器用に見えるか?」
「確かに、器用なのは負け方だけだったにゃ」
「…………………」
返す言葉もなく、宵虎は黙り込んだ。
「ていうか~、別に器用さはだんにゃに求めてないにゃ。なんでも良いからなんかしてあげたらってだけだにゃ。一々あたしに頼らないで、気になるなら自分でどうにかしろって話だにゃ。まあ、あたしに頼りがいがありすぎるのが~」
と、ネロはペラペラと話し出したが、宵虎は特に耳を傾けず、腕を組んで考え込んだ。
「…………なんか、どうにか……」
なんとも漠然とした話である。が、確かに言葉が通じないからと、ネロに頼り過ぎて言うというのは的を射た指摘だ。
ぼんやり眺める戦場では、次の試合が進んでいた。実況の声は上がり続けている。
何を言っているかはわからないが、どうにか盛り上げようという気概は宵虎にも理解出来る。
………悩んでいた所で、何が解決する訳でもない。
宵虎は特段器用でもなく、姦計を巡らす事に長けてもいないのだ。
暫し、憮然と戦場を眺め……やがて、宵虎は立ち上がった。そして、面白くもない試合に背を向けて歩き出す。
「にゃ?だんにゃ、どこ行くにゃ」
「野暮用だ。……ウェインに伝えておけ。今日は修行は無しだ。休めと」
「わかったにゃ。言っとくにゃ~」
どこか呑気なネロの声を背に………宵虎はとりあえず動き出した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます