うなだれる宵虎

 そもそも、である。

 剣術含め全ての武術とは優劣を競うためのものではなく、命を奪うためのもの。

 宵虎が身につけたのもまた、規則ルールなどという戦場においてなんの当てにもならない制約に縛られた状況下で輝きを放つ類ではない。


 退魔懲伏、魔を穿ち命を奪う実戦剣術――敗北はそのまま死に繋がり軽々しく攻める事すらためらうような緊張感こそが宵虎の主戦場。


 結果は、確かに認めよう。場外で敗着だと。

 だが、こうして永らえている以上、宵虎はそれを負けとは数えない――。


 カーカーと、黒い鳥が茜空を跳び去っていく―。


 コロシアムを背に、階段に座り込んで背中を丸める男は、まぶしそうに夕日を見上げ、呟いた。


「…フ。異国でもカラスは鳴くか…………」


 そんな宵虎の背後で、アイシャとネロはひそひそと話していた。


「なんか、お兄さん、思ったよりがっかりしてるね」

「誰かのカッコ悪いが偉く響いたんじゃないかにゃ?」

「え~。伝わらないのに?ていうか、だって………普通にやったら絶対圧勝だったのに……。涙目になるくらい悔しいなら真面目にやったら良いじゃん」

「アイシャ。あれは泣いてるんじゃないにゃ。夕日が目に沁みてるだけだにゃ。それに、炊き付けて出場させといて、それはあんまりだと思うにゃ?だんにゃだって真面目にやってるにゃ。真面目にやればやるほど結果がついてこないってだけだにゃ!」


 ネロの擁護に、宵虎の背中はどんどん丸まって行った。

 その様子に、アイシャは軽く頭を掻いた。

 それから宵虎に背中から抱きつき、アイシャは猫撫で声を出す。


「はあ……まあ、もう言ってもしょうがないか……。ごめんね~、お兄さん。ほら、元気出して?なんか、美味しいもの食べに行こうよ~」

「その美味しいモノを食べるお金がないんだけどにゃ……」


 ネロの言葉に、宵虎は更に俯き、丸くなった。


 と、そこで、一行の耳にガシャンガシャンというやかましく重苦しい音が届く。

 その音へと顔を上げた宵虎――その視線の先に居たのは、ついさっき宵虎と戦った、あの甲冑の騎士だ。


 甲冑の騎士はうずくまる宵虎を見下ろし、声を上げる。


「……相当の腕前とお見受けしました。あの、失礼ながら、折り入って頼みたい事があるのですが………涙目?」


 やはり高いその声は、甲冑の奥でこもり、酷く聞き取り辛い。

 何を言われているかわからず首を傾げた涙目の宵虎の横で、アイシャは声を上げる。


「お兄さん、言葉通じないよ?」

「そう、なんですか。だから、ルールを理解していなかったんですね」

「………理解はしてたんだけどにゃ~」


 ボソッと言ったネロに、宵虎はまた俯いた。

 そんな宵虎の肩をポンポンと叩き、それからアイシャは甲冑の騎士に言う。


「ていうか、人と話す時もそれかぶったままなの?」


 指摘された甲冑の騎士は、少し逡巡するように視線をさ迷わせ、それから頷いた。


「そう…………ですね。失礼しました」


 微妙に歯切れ悪く応えてから、甲冑の騎士は、兜を脱いだ。


 その奥から現れたのは、20才かそれより幼い位の年齢の………女性だ。

 短く切られた黒い髪に、目は緑に近い様な青色。はっきりした目鼻立ちに浮かぶのは、わずかに照れた、あるいは戸惑った様な……自信のなさそうな表情だ。


「あの……ウェイン……と、言います。改めて、初めまして」


 どこかたどたどしく名乗る甲冑の騎士―ウェイン。

 アイシャとネロは、そんなウェインの顔をマジマジと見て、言った。


「……やっぱり、女の人だ」

「あ~。だんにゃが負ける訳だにゃ~。もう、ここまでくると呪いだにゃ」

「…………なんの話だ」


 憮然と、宵虎は唸り、顔を見せたウェインへと視線を向ける。

 宵虎は暫し、ウェインの顔をまじまじと観察して、やがて自嘲気味に呟いた。


「……俺は、この少年に負けたのか………」

「いや、少年ってだんにゃ……本気かにゃ?」

「少年?今、少年って言った?」

「……少年……ですか?いえ、あの、そう思われても、仕方がないとは思いますが……」


 アイシャとウェインも各々呟くが、その言葉は異国のもの。宵虎には通じず、そもそも通じたとしても宵虎は聞いていなかった。


「…………場外……」


 唸るようにルールに文句を付けてまた肩を落とした宵虎を、アイシャはポンポンと叩いて言う。


「はいはい、お兄さん、そんな落ち込まない。……それで?頼みって何?」

「…………ここでは、なんですので。場所を変えましょう。ついてきて下さい」


 その言葉にアイシャは暫し考えを巡らせる。それから、何かを思い付いたようににんまりと笑って、アイシャはこう言った。


「あ。…ご飯、おごってくれるなら良いよ?」

「はい。……頼みがあるのは、こちらですので」


 ウェインがそう頷いた所で、ネロは呆れたように呟いた。


「……足元見てるにゃ~」



 *



 甲冑の騎士についていって辿り着いたのは、マーカスの一角にある宿屋だった。人の良さそうな恰幅の良い女主人が経営している、宿というよりは家といった雰囲気の大きめの家屋。


 その宿屋の食堂――中心に大きなテーブルがある、やはり食堂というよりも居間のような雰囲気のその場所で……宵虎は黙々と、並んでいる料理に次々と手を伸ばしていた。


 そんな宵虎の隣で、呆れたような視線を向けながら、ネロは言った。


「………自棄食いかにゃ、だんにゃ」


 そう指摘された瞬間、宵虎の動きはぴたりと止まった。


「は~い、お兄さん。落ち込まない、落ち込まない」


 そんな風に言いながら、アイシャは宵虎の口にパンをねじ込み……それから、向かいに腰掛けるウェインへと視線を向けた。


 流石に、ウェインはもう甲冑を脱いでいる。服装は色気も何もない無地の簡単なモノで、男装と言って差し支えない格好だった。背は高いものの薄い胸はほぼ自己主張しておらず、見ようによっては甲冑を脱いでいても少年に見えない事もないだろう。


 そんなウェインへと、アイシャは声を投げる。


「ありがとね~ウェイン。お金なくってさ~」

「いえ。食事代も含めて、街から貰えますので。一回戦は突破したので。……あ、いえ………すいません……」

「いや、謝られてもさ……。なんか、調子狂うな~」

「我の強い人にしかこれまであって来なかったからじゃないかにゃ?」


 そんな風に呆れた後で、アイシャは改めて尋ねた。


「まあ、良いや。それで、頼みって何?」


 尋ねられたウェインは、少しおどおどと視線をさ迷わせながら、応える。


「あ、はい。あの、実は……そちらの、ヨイトラさんに、稽古をつけて頂きたいんです」

「稽古?」

「だんにゃに勝ったのに、かにゃ?」


 何の気なしにネロがそう言った瞬間、また次々と口に食べ物を運んでいた宵虎の手が止まった。


 そんな宵虎の口にパンをねじ込みながら、アイシャは尋ねる。


「で?なんで稽古?」

「あ、えっと…確かに、試合に勝ったのは私ですが…………腕前は、間違いなくヨイトラさんの方が遥かに上です。いくら攻めても完全に見切られていました。私は、ただ運が良かっただけで……」


 やはり自信なさそうに呟いた後、ウェインは漸く視線を上げて、言う。


「私は、どうしてもこの大会で優勝したいんです。ですが、今のままでは、優勝できるか、不安で………どうか、お願いできないでしょうか?」


 その視線を前に、アイシャとネロは顔を見合わせた。


「……だって。どうしよっか?」

「どうしよっかって……聞いてみるかにゃ?」


 そう呟いてから、ネロは宵虎へと言う。


「だんにゃ、だんにゃ。なんか~、ウェインが、だんにゃに師匠になって欲しいって言ってるにゃ」


 その問いに、宵虎は一瞬手を止めて、唸るように言った。


「……断る」

「にゃ?即答かにゃ。……ちなみに、なんでかにゃ?負けた事を根に持ってるのかにゃ?」

「違う。……こいつには確かに技があった。師も別にいるはずだ。そちらに教えを乞うのが筋だろう」


 それだけ言って、宵虎はまた食事に戻った。


「にゃ……えっと、だんにゃは、自分の師匠に教われって言ってるにゃ」


 ネロがそう言った途端、ウェインは僅かに俯く。


「師匠は……病で、もう……」

「にゃ~」


 地雷踏んだかにゃ、と思いつつ、通訳である以上宵虎に伝えない訳にも行かず、ネロは宵虎へと声を投げた。

 そして、宵虎の返事をウェイン達に伝える。


「なら尚の事。他流を頼むではなく、受け継いだ技にこだわれ。……だそうだにゃ」


 言われたウェインは歯切れ悪く呟いた。


「それは……勿論、ですが……。継ぐ意味でも、私は…………どうか、お願い出来ないでしょうか。技を教えてくれとは言いません。立会いの相手だけでも…………」


 尚も食い下がろうとするウェイン。

 問いを投げたのはアイシャだ。


「なんか事情があるの?」

「………師匠は、この大会で昔、優勝した事があるんです。だから、私は……継いだと、墓前に……」


 歯切れ悪くも消えていく声を、アイシャは頬杖を突きながら聞いていた。


 まとめると、ウェインの師匠はもう居ない。そして、この大会で、その師匠は優勝した事がある。だから、ウェインも優勝して……師匠に対して胸を張れるようになりたいのだろう。


 アイシャにも、なんとなくその気分はわからないでもなかった。もっとも、アイシャの場合は、師……父はまだ恐らく存命で、けれどその継ぐ事をやめて全て投げ出してここにいるのだが。


 あるいは、自分の生家が、武門だったなら……。

 そんな感傷を振り払うように、アイシャは口を開く。


「………そう。あ、ちなみにさ。例えば、優勝するまで宿泊費負担してくれたりする?」

「あ、…はい。稽古をつけて頂けるなら。同行者と言う事にすれば、街から、頂けますし。この宿も、部屋が開いていたはずなので」

「ふ~ん?あと~賞金の一部頂戴?馬車代とかで良いから」

「はい。賞金自体に、興味はないので」


 ウェインはすぐさま頷く。が、そこで窘める様に声を上げたのはネロだ。


「アイシャ~。そんな、足元ばっかり見るの良くないにゃ」

「良いじゃん。だって、このままだとまだまだ歩く事になるし。それにほら、ご飯貰ったのに、何にもしないのはどうかと思うよね~」


 そんな事を言いながら、アイシャはチラッと宵虎に視線を向けた。

 ネロは、呆れたように溜息をつきながらも、アイシャ思惑に乗った。


「はあ……まあ、そうだにゃ~。アイシャの言う通りだにゃ~。一宿一飯の恩義ってやつだにゃ~」

「それにほら~お兄さんが鍛えた人が優勝したら、実質お兄さんの優勝じゃない?」

「そうだにゃ~。アイシャの言う通りだにゃ~。威厳を取り戻すチャンスだにゃ~」

「でも…やる気ないんじゃしょうがないか~。無理強いは出来ないよね~」

「そうだにゃ~。アイシャの言う通りだにゃ~。……ちっちゃい男だにゃ」

「……ぶほっ、」


 唐突な掛け値のない悪口に、宵虎はむせた。

 それから、宵虎はネロを憎々し気に睨んだ末に、アイシャへと視線を向ける。

 そんな宵虎へと、アイシャは微笑みながら、小首を傾げた。


「お兄さん、扱われてくれる?」


 宵虎は暫し、そんなアイシャを眺めた末に、うつむいて、唸るように言う。


「……ご飯の恩だな」


 そして、宵虎はまた食事に戻った。

 そんな様子を観察していたウェインへと、ネロは言う。


「やってくれるらしいにゃ」


 途端、ウェインは逸る気持ちを抑えきれないとばかりに、立ち上がった。


「ありがとうございます!では、早速、ご指南を!」


 そんなウェインへと、宵虎はチラリと視線を向け、それから言う。


「素振りでもやってろ……って、だんにゃ~。それはちょっと」


 通訳してから文句を言おうとしたネロだが、しかしウェインはその文句まで聞き届けようとはしなかった。


「素振りですね!わかりました」


 そう言ってすぐさま向かおうとするウェインへと、アイシャは言う。


「ちょっと、ウェイン。その前に、私達の部屋」

「あ、そうですね。……ご主人!」


 そう大声を上げながら、ウェインは宿屋の女主人の元へと駆けていく。

 それを眺めて、ネロは少し呆れた様子で呟く。


「…………急に、元気になったにゃ」

「自信ないから、何かしてないと不安なんじゃない?」


 そんな風に呟きながら、アイシャもまたウェインを眺めていた。

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