亡霊との決闘
宿屋、二階の一室。
月光が差すその窓際で、宵虎は一人、庭の様子を見下ろしていた。
宵虎と、アイシャ、ネロは別の部屋をあてがわれたのだ。なにやらそこでも一悶着があったが、宵虎にはその断片しかわからない。
とにかく、宵虎は珍しく静かに、部屋に一人、窓の外を眺めている。
祭りといっても、夜が更ければ人気は消える。連日行われる祭りともなれば、夜更けまで遊びまわる必要もないのだろう。
装飾だけがある静かな夜……宿屋の庭には、甲冑を着込んだ騎士がうずくまっていた。
食事の席で、素振りをしていろと言ってからどれほど経ったか。なぜ、わざわざ甲冑を着ているのかはしれないが、とにかく、ウェインはそれ以後ずっと、庭で素振りを続けていた。
そして、疲れ切りうずくまったのだ。あるいは、甲冑の奥で寝顔でも晒しているのか……。
「……根性はあるようだな」
そう呟き、……そこで、僅かに眉を顰め、それから宵虎は立ち上がった。
食堂は外へと向かう中途にある。夜も更け、怪しく光る蝋燭だけが明かりとなった薄暗いその場所では、食堂の女主人と、見知らぬ男が晩酌をしていた。
男の方は、この宿の別の客だろうか。30代程の、金髪を刈り上げた男………知らない男だ。だが、見覚えはある。……この街についたその後に、酔っ払いにからまれていた男だろうと、宵虎は思い出した。
晩酌しながら、男と女主人は何がしか話している……。
「なんだい、フリード。要するに、あんた、グリムリーパーに襲われたってのかい?」
「ああ。まあ、あのグリムリーパーかどうかはわからないが。同じ服を着た他人かも知れない。だが、襲われたのは事実だ」
「今年も、出場者狩りかね……」
「毎年あるのか?」
「ここんところね。運営は絶対言わないけど、まあ、人の口に戸は立てられないしね。お陰で由緒正しき剣術大会が閑古鳥さ」
「そうか。わざわざ、遠くから来たんだがな……」
聞いたところで、何を言っているかわからない。無視して外へと歩む宵虎に、金髪の男――フリードは気付いたらしい。
「ん?…知らない顔だな。あんたも一杯どうだ?」
言葉と共に、フリードは手にある酒の入った椀を振る。晩酌に付き合えと言われているらしい……そう辺りをつけた宵虎は、首を横に振り、そのまま宿の外へと向かった。
「……連れないな。あの、異国の奴は?」
「ウェインの師匠だってさ」
「へえ……」
なにやら、酒の肴にされているか。背中の視線にそう考えながら、宵虎は宿の外に出る。
月夜、祭りの夜の喧噪は遠く、涼やかな風が頬を撫でる―。
宿の外へと出た宵虎は、……しかし、ウェインの座り込んでいる庭へは向かおうとはせず、そのまま、宿の外へと歩んだ。
寝入っているか、疲れているだけか、どちらであれ動かぬウェインを宿へと戻すのも良い。だが……それは、ちょいと露を払った後の話。
気配がある。この街に入った後、いやその前から宵虎が察知していた、強大な気配。グリムリーパー……あの骸骨のモノもあれば、それ以外にもちらほらと、なにやら街に紛れ込んでいるらしい。
人が集えば魔もまた集う……特段、それらすべてを祓ってやろうという気は宵虎にはない。大きく騒ぎ、害を成すのでなければ、人であれなんであれそれは祭りの華に過ぎない。水を差す気はない。
……………わざわざ、殺気を向けられてさえいなければ。
異国情緒溢れる石造りの家屋を両脇に、路傍で、宵虎はふと立ち止まる。
月光の落ちる視線の先……10歩ほどの距離のそこに、何かが立っていた。
外套……ただそれだけがそこに浮いているかのよう。
顔も肌も影に隠れて見えはしない……あるいは、それらは存在しないのか。
見えてはいる。邪気も、気配もある。ただ、生気だけがない――それはさながら、そしてまさに亡霊。
「……何の用だ」
問いを投げた宵虎を前に、亡霊は答えず――ただ、構えた。
どこから取り出したのか――あるいは、構えと同時にそこに生まれたのか。亡霊は片手に盾を、片手に剣を持ち、半身に、それらを構えた。
覚えのある構えだ。昼間、ウェインが使っていたのと同じ、盾を相手に向け、剣を身体の影に隠した構え。同じ流派、同じ型、同じ技――。
――ただ、ウェインとは、研鑽の桁が違う。
圧があった。一切の無駄、一切の緩みがなく、けれど力みもまたない一つの極みが放つ、圧が。
すらり―と、宵虎は太刀を引き抜いた。そして、それを正眼――切っ先を敵へと向けながら、またも問いを投げる。
「一応、聞こう。………退く気はないか」
亡霊は答えず―――ただ返答は明瞭だった。
亡霊がゆらりと、地を蹴る。のろく見えるのは偏に極みにあるが為、矢のように鋭く、だが淀みなく、亡霊は月光の下を疾走する。
やはり、ウェインと同じ技だろう。盾で崩し、刃で仕留める必殺の剣技。
………ただし、それはあくまで、人に対してのみの必殺。
宵虎は構えを変えた。正眼から大上段――月夜へと切っ先を振り上げた構え。細かな駆け引きを捨てた、ただ渾身で振り下ろす為だけの構え――。
亡霊は愚直に、鋭く、正面から宵虎へと迫る――。
それが間合いに入った瞬間、宵虎は太刀を振り下ろした。
豪―と大気までも切り倒し、宵虎の太刀は亡霊を捉える。
その一閃を、亡霊は盾で受けた。一閃を横から殴り飛ばすように、角度のついた盾で逸らしはじき、直後の隙を剣で穿つ――――はずだったのだろう。
並みの剣、いや、達人の一閃であれ、その盾は見事に逸らして見せたはずだ。それだけの研鑽が亡霊の構えにはあった。
けれど、宵虎は並ではない。
退魔懲伏、魔を穿ち命を奪う実戦剣術――人ならざる化生を叩き切るその剛腕が、人の枠に収まっているはずもない。
宵虎は躊躇も加減もなく切り伏せた。亡霊の技ごと、盾ごと、……力づくで叩き切る。
太刀ははじかれる事も逸らされる事もなく、角度のついた盾へと食い込み、そのまま力づくで両断する。
重苦しい音が響く。真っ二つに盾が両断された、へし、切り、折られた様なその音が。
そして太刀はそこで止まらず、その奥の亡霊の身をも引き裂いた――。
盾を、腕を、そして身体までも切り裂かれた亡霊―――その身が、ふと、闇に溶け消える。
だが、宵虎はまだ緩まず、また太刀を正眼に構え直した。
これは、試合ではない。
太刀の切っ先、その先に、亡霊はまたゆらりと姿を現す。
間合いは先ほどと同じ、10歩ほどの距離……。
「死んでいるモノは殺せんか……」
そう、獰猛に嗤った宵虎を前に……突如、亡霊は手を鳴らした。
拍手でもしているようだ……よく打ち破ったと、宵虎を称賛しているかのよう。
宿の中まで伝わっていた殺気もまた消えている。ただ手合わせしたかっただけなのか……図りかねた宵虎の前で、不意に、亡霊はまた構えた。
半身、盾を前に、剣を後ろに置く構え―――ただし、亡霊が睨んでいるのは宵虎ではなく、何も、誰もいない暗がり。
そこへと、亡霊は剣を振るった。
淀みのない型――踏み込みと同時に起こる盾と剣での連撃。
素振りだ。亡霊は今、宵虎に技を見せた。ウェインが身につけているのと同じ技、その、完成した手本を。
まるで、それを、ウェインに伝えろとでも言うように。
ウェインは言っていた。師は、もう亡いと。だから、宵虎に指南を乞うと。
そして、あるいは、亡き師もまた、宵虎に同じ事を頼もうと言うのか―。
「……自分でやれ、亡霊」
そう言い捨て、宵虎は太刀を納めた。
けれど、亡霊は首を横に振り、そして、ゆっくりとフードを下ろす。
そこには、何もなかった。あるべき頭がそこにはなく、ただ、首のない外套が立っているのみ。
そして、次には、まるで最初からそこには何も居なかったかのように、亡霊の姿は夜に溶け、消え去った。
風の悪戯か。最後の一瞬、宵虎は声を聞いた気がした。
『……あの子は、甘えてしまう。私はもう居ないと言うのに』
それで終いだ。
気配も、殺気も亡霊も、それで宵虎の前から消え去った。
手前勝手に、頼み事だけを残して。
「……………面倒な」
そう唸り、宵虎もまた、その場を後にした。
庭では、甲冑の騎士が、未だうずくまっていた。窓から見下ろした時と一切姿勢が変わっていない以上、恐らく寝入っているのだろう。
それを、宵虎は憮然と見下ろしていた。
手前勝手な頼まれ事だ。飯の恩がある以上、ウェインの頼みは聞くが、亡霊の頼みまで聞いてやる義理はない。
それに、宵虎は一度見ただけで技を盗めるほど器用ではない。まったく才能がないわけではないが、見て即座に真似事が出来る程の天才ではないのだ。
『天才なんざ、やる気ねえカスの言い訳だ。胸張って見下してやれ』
アイシャにも言った、宵虎の師の言葉。それは、しかし、宵虎に対して師が言った言葉ではない。宵虎はただ、偶然それを言っている場面に居合わせたのみ。
宵虎は、”やる気ねえカス”の方だ。後から武門を叩いた者に、その日以来、胸を張って見下される様になったカスが、宵虎。
そして、これまたその日以来……そう、昼夜問わずひたすら型を真似、太刀を振るう日々があった。
あるいは、夜通し素振りし、そのまま疲れ、寝入った事もあったか……。
「……フ、」
宵虎は僅かに笑みをこぼし……それから、寝入っている甲冑を、軽く蹴った。
「ぬが!?……あれ?あの……」
蹴り起こされ、状況がわからないのか、ウェインは妙にきょろきょろと周囲を見回す。
そんなウェインを見下ろして、宵虎は言った。
「…明日も早いぞ。部屋で休め」
どうせ伝わりはしないだろうが、宵虎はそう言い放ち、ウェインをその場に置いたまま、先に宿へと戻って行く。
その後ろ姿を見送り、……ウェインは、首を傾げた。
亡霊と出会う街、マーカス。
その亡霊が示すのは、グリムリーパー。
死神、死の天使……死を司る者。
ただし、その名に反して、マーカスの死神は、人が好きで、悪戯も好きだ。
例えば、僅かな間でも、死人を連れ戻してみたり……。
カラカラ、カラカラ。
眠りに落ちる街を見下ろして、死の天使は愉し気に嗤っていた。
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