エピローグ
遊び相手
グリフォンの子供を巡るあれこれから、何日か経ち――
ヒルデと宵虎は、今日も飽きずに集落で追いかけっこをしていた。
恐ろしいのは、ヒルデの身体能力だ。その手に持った太刀はヒルデには重いはずで、もう鞘が削れんばかりに地面をこすり続け、更に背中にはグリフォンの子供までしがみついていて……だというのに、まったく辛そうな様子を見せず、楽しそうに駆けまわっている。
そして、もうすっかり傷が治ったはずの宵虎は、そんなヒルデに毎日、振り回され続けていた。
朝起きて、朝食が終わった辺りでヒルデがからかい始め、お昼まで駆け回り食事を取ってまたからかわれ追いかけてそのまま夕食になり流石に疲れるのか宵虎はさっさと眠ってしまう。
最初は、アイシャもそれを微笑ましく見ていた。
しばらく経って、だんだんアイシャの表情は曇るようになって来た。
そして今……モフモフしてて座り心地が良いからと、許可も取らず長老の家の前にうずくまるグリフォンの親の上に座り込んで、アイシャは頬杖をついて、拗ねた様な表情で、駆け回るヒルデと宵虎眺めていた。
そして、アイシャは子供の様に喚きだす。
「……もう、ここヤダ~。つまんな~い!」
そんなアイシャの横で、これまた許可も取らずグリフォンの背中に寝転がっていた黒猫は、呆れた視線をアイシャに向けた。
「アイシャ~。何拗ねてるにゃ」
「だって~、もうここに居る必要ないし。あの二人、あきらめたっぽいし。ていうか、諦めてなくてもグリフォンいるし、暴れてないし、クエストは取り消されるだろうし。私たちがいなくてももう大丈夫だろうし。…………お兄さん、ヒルデにかかりっきりで構ってくれないし…」
「ああ。最後の奴が全てだにゃ~」
「すぐ寝ちゃうし。構ってくれないし!」
「二回言ったにゃ~」
そんな風に呑気に、ネロは適当に返事をしていた。
ネロからすれば割とどうでも良い事なのだろう。だが、アイシャからすれば死活問題である。
という訳で、日に日に拗ねていきながら、アイシャは駆け回る二人を眺め続けていた。
「あ~あ。早く取り返さないかな~、お兄さん」
「にゃ~、あの感じだと、早くもなにも、一生取り消せないんじゃないかにゃ?ていうか、このまま、ヒルデが返さない!ってなったら、どうするんだにゃ」
そんな事を言い出したネロにアイシャはちらりと視線を向けて、呟いた。
「……そうはならないと思うよ?」
「にゃ?」
「ヒルデね~。子供なんだけど、大人なんだよね~。結構、しっかりしてると思うよ?」
少なくともアイシャはそう思う。あの広間で、一度太刀を置いていた事は事実なのだ。
あの子はあの子なりに何か決めたんだろうし、……あるいは、アイシャがもうちょっとここに居ようかと思ったのも、そのせいだったりする。
自分で決めたんなら、自分で返した方がヒルデの為になるだろうとかちょっとカッコつけた結果アイシャは最近つまんないのだ。
若干物憂げなアイシャを見上げて、ネロは言った。
「………にゃ。まあ、確かににゃ。アイシャより我慢を知ってそうな―」
「なに?聞こえなかった。……それ、もう一回言う度胸ある?」
「……………なんでもないですにゃ」
「………はあ。あ~あ、つまんない!私も遊んでようかな~。ネロ~、的かボールに化けられない?」
「たった今どっちにも一生化けられなくなったにゃ」
「じゃあ、ネコのままでも良いか……」
「あたしが良くないにゃ!」
一体どんな遊びに使われるんだ~と、戦々恐々としたネロ。
だが、流石に冗談だったのか、アイシャはネロに手を伸ばして来たりせず……頬杖をついたまま、宵虎を眺めていた。
「………はあ。あ~あ。…………つまんない」
*
頬杖をついて拗ねているアイシャを、ヒルデもまた見ていた。
日に日に、アイシャは寂しそうになっていく。子供のヒルデから見ても良く分かる位に。
ヒルデは、まだ子供だ。だが、子供でもわかる、むしろシンプルかつ感情的に考える子供の方が良くわかる事もある。
アイシャの元気がなくなっていく理由は、たった今足を止めたヒルデの背後に、じりじりとにじり寄って来ている大男……。
こう言うの、なんて言うんだっけ?
暫し、ヒルデは考えて、それから思い出して、ポンと手を叩いた。
「………ああ。甲斐性なし」
そんなヒルデの背後から、甲斐性なしは飛びかかって来る。
けれど、それをヒルデは見ずに躱した。
ひょいと飛び上がり、太刀を支点に宙返りして、背中のグリフォンが面白いのか歓声を上げる。
そして、ヒルデは、飛びかかって来る宵虎の頭上を飛び越えて、猫の様にしなやかに着地する。
躱された宵虎は、飛び込んだ勢いで地面に突っ伏しながら、……唸った。
「……見ずに躱すだと…。間違いない。段々と勘が冴えて来ている……。動きまでも……」
宵虎は舌を巻いた。
もう、いよいよ恥も外聞も大人気もなく、宵虎はかなり全力で追い掛けているのだが……悉く掻い潜られる。
なんなら途中から、宵虎の動きを先読みして躱すようにまでもなっていた。酷くわかりやすい宵虎の気配を掴むようになって来たのかもしれない。
伸び盛り、遊び気分の子供に悉く遊ばれて……遂に宵虎は真剣に最後の手段を考慮しだした。
「アイシャに頼むか……」
が、果たして、何やら最近虫の居所の悪そうなアイシャが助けてくれるのか……。
どこまで行っても年下の少女に頭が上がらない大男は、憮然と、ヒルデへと振り返った。
と、ヒルデは宵虎の方を見ていなかった。
見上げているのはアイシャの方で、呟く言葉は宵虎には理解出来ない。
「……もう、返さなきゃかな?」
良く分からないが隙がある……。
『油断したな小娘!』と、似た様な状況で突っ込んだことが何度あったか、その果ての今である。
これは、取り返せないかもしれない……。
心が折れ始めている事を自覚した結果更に心が折れていった宵虎に、ヒルデはどこかぼんやりした様な視線を向ける。
それから、ヒルデはほんの少し迷って……やがて、宵虎へと太刀を差し出した。
ヒルデは、決めたのだ。返す事も、ついていかない事も。
だから、ヒルデは少し寂しそうに呟いた。
「……返すね?」
「む?……その手は食わんぞ、ヒルデ」
だが、まだ遊び気分……いや、どうせまた遊ばれているのだろうと心が折れた宵虎は太刀を受け取らなかった。
どうせ、掴もうとしたら躱される。そのからかわれ方はもう十分知っている。
…………知っていても、どうしようもないのである。
と、一向に太刀を受け取ろうとしない宵虎を前に、ヒルデは、宵虎に太刀を押し付けた。
「……返すの」
そんな声と共に太刀を押し付けられ、言葉の意味がわからないまでも、……どうもからかわれていた訳ではないらしいと、宵虎は漸く理解した。
太刀を見て、まっすぐ自身を見上げているヒルデを見て、宵虎は唸る。
「……もう、十分遊んだのか?」
宵虎の言葉はヒルデには通じない。だが、酷くわかりやすい人だと言う事は、ヒルデにもわかる。
だから、まるで言葉がわかるかの様な気分で、ヒルデは頷いた。
「うん。ありがとう、タチオカ……じゃなくて、えっと…………ヨイトラ?」
ヨイトラ。それが、この大男の名前だ。確か、アイシャがそう呼んでいた。
だから、……それが正しいのだろう。
そんな風に思ったヒルデを前に、宵虎は僅かに笑みをこぼす。
「フ……そうか。……で済むと思っているのか、ヒルデ。俺はまだ勝ってな―」
言い掛けた宵虎はそこで大きくふらつき、言葉が途切れた。
アイシャが飛びついて来たからだ。太刀が返って来たと見て、その瞬間をアイシャは逃さなかったのである。
そして、宵虎の背中に乗り、ポンポン頭を叩きながら、アイシャは喚く。
「おに~さん。取り返した?取り返したよね?取り返したことにしといたら?」
「…………なぜ、俺は叩かれているんだ?」
憮然と唸った宵虎に応えるのは、ひょいと歩み寄って来た黒猫だ。
「構って上げないからだにゃ」
「…………子供か」
「今更何言ってるにゃ…」
呆れたように言い合う宵虎とネロの上で、アイシャは喚き続ける。
「さあ、お兄さん!取り返したなら行こう!すぐ行こう!今すぐ行こう!」
ヒルデは、それを、少し遠巻きな気分で、微笑みながら見ていた。
と、そこで、不意にアイシャはヒルデに視線を向けて、こう尋ねる。
「ヒルデ。……ついてくる?」
前にも、誘われた。ついて行ったら、それは多分楽しいだろう。宵虎も居て、アイシャも居て、ネロも居て、危ない目にはあうかも知れないけれど、騒がしい毎日な気がする。
けれど、ヒルデの答えはもう決まっていた。
だから、ヒルデはすぐにこう答える。
「私、ここに居る」
「……そっか。じゃあ、またそのうち遊びに来るね?」
「うん」
そう言って笑ったヒルデに、アイシャは笑い返し……それから、また騒がしく、宵虎の頭を叩き出した。
「というわけで行こう、お兄さん!レッツゴー!」
「……なんだ?」
「なんか、今すぐ出発するらしいにゃ」
「急な話だな……」
そう唸って、宵虎はヒルデに視線を向けた。
ヒルデは、コクリと頷く。
やりとりは、ただそれだけで十分だった。
「……そうか。達者でな、ヒルデ」
そう笑い、太刀を履いた宵虎は、歩み出す。……背中にアイシャを乗せたまま。
「またね~、ヒルデ」
「元気でにゃ~」
そんな言葉を残して、宵虎達は歩んで行く。やはり、騒がしそうに。
その様子を、ヒルデは、少しだけ寂しそうな笑みと共に見送った。
テイム。獣を好き、獣に好かれる才能。
あるいはそれは、ただ単に、素直で優しいというそれだけの事かもしれない。
ピィと、どこか心配するような声を上げて、グリフォンの子供はヒルデの胸の前へと回り込んで、まっすぐとヒルデを見詰めて来る。
そんなグリフォンの子供に、ヒルデは優しく微笑み掛けた。
と、いつの間にか横に居た長老が、ヒルデに声をかけた。
「良いのか、ヒルデ。ついていっても良いんじゃぞ?才気埋めるにはここは狭い。世界を知るのもまた良いぞ?そういう血筋だしの~」
「……私がいなくなったら、グリフォン、寂しいし。また、邪魔になっちゃうかも」
「ほう…」
「だから、大人になったら会いに行く。この子と。…ダメ?」
「いやいや、良いぞ。ヒルデが自分で決めたことじゃろう?」
「うん」
頷いたヒルデに、好々爺は孫の成長を喜ぶような笑みを浮かべ、それから、こう問いかけて来た。
「そうだ、ヒルデ。聞き忘れておったが…その子の名前はなんじゃ?」
その子……と、長老が見ているのは、ヒルデの腕の中の小さなグリフォンだ。
「?……名前……」
グリフォンを見詰めながら、ヒルデは呟く。
名前はつけていなかった。その子は、ヒルデの唯一の、……秘密の遊び相手で、名前を付けようとも思わなかったのだ。
けれど、遠くに行ってしまうとしても、確かに、遊び相手は増えたから。
ヒルデに思い浮かんだ名前は一つ。
「……タチオカ」
「ほう?あの武人と同じ名前かの」
「ううん。あっちは、ヨイトラ。……今日から、タチオカは、この子」
勘違いでつけてしまった名前。
ヒルデと遊んでくれた人の名前。
……ヒルデはまだ子供だ。
大人になるまでに、ここ数日の事を忘れてしまうかもしれない。
だから、……忘れてしまわないように。
グリフォンと遊んでいても、他にも遊び相手がいたという事を、確かに思い出せる様に。
……それに、どっちも言葉が通じないせいかもしれないけれど、なんだかちょっと、似てる気がするし。
ヒルデは、腕の中の小さな遊び相手を抱き締めた。
「……タチオカ。ね?」
グリフォンの子供……タチオカは、どこかキョトンと、首を傾げた。
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