幕間

厄介払い、した後に

 古代言語エンシェントスペル

 かつて世界中の全ての知性が用いていたそれは、今に伝わる全ての魔術の始祖であり、そして、厳密には言語ではない。

 意思を世界に反映する術、と言えるだろうか。

 今も魔物と呼ばれる人でない知性体が用いている様に、その音を聞く者にその者の言語として意図を伝えるコミュニケーションツールであり、また、言霊、詠唱の様に、魔術を世界に現在する特殊な術である。

 では、そもそもその古代言語が生まれ、失われた―


 ~中略~


 今に伝わる魔術も、全て知らずに古代言語を用いている。

 汎用的なツールとして、簡単な物であれば一切使用者の能力を問わない紋章魔術の要素として、紋章には既にそこに基礎的な古代言語が込められており、言霊はただのスイッチだ。

 勿論、詠唱が絡めば話が変わり、また神霊から授けられる(それはあくまで手にした者のイメージとしての話であり、実際は超常的な状況の上で自ら創造するのだろうが)紋章魔術もまた、後述の紋章魔術より一段高度な――


 ~ページを飛ばす音~


 回復、結解、その他紋章魔術以外の魔術は、より一層古代言語と絡んでいる。むしろそれそのものと言っても良い。

 詠唱も何もなく、念じるだけで世界に意思を反映するそれは、それこそ神聖時代の魔術、魔法に近いと言える。

 勿論、この本に興味を持った賢明なる読者諸兄なら知っているだろうが、絵物語に聞く魔法の様に、想像した現象が即座に現実になるわけでもない。

 紋章魔術より高度な分、火を一つ起こすだけで一苦労だ。何がしたいかデザインを決め、条件分岐フローチャートを考え、魔術式ソースコードを書き、それを変換投影コンパイルし……様々な苦労の先に、漸く実行できる。

 使用者は予め構築しておいた魔術式を随時選択して使用する。傍から見れば簡単そうでも、白鳥の様に水面下での努力と苦労が必要なもので、そういう意味では、一個の装置アプリケーションとして創造者の手を離れた紋章魔術が主に武器として用いられているのは合理的な帰結とも―


 ~前読んだ気がして一気に後ろに飛ぶ音~


 これは完全に余談になるが、どうも東方の島国では、この魔術が別の形で伝わっているらしい。紋章魔術に近いが、それと若干異なる方法で、意思を世界に投影している。

 本来、あらかじめ用意しておくはずの紋章を、武術の中に絡めているらしいのだ。

 型。決まった動きが紋章の代わりとなり、それと同時に詠唱することで魔術を用いる。

 ………らしいのだが、はっきり言って眉唾だ。詠唱はまだわかるとして、問題は型の方。武器、戦闘技術として使えるレベルの魔術式を投影するためには、相当複雑で寸分のずれのない紋章の再現が要求される。一部の例外的な天才が会得してしまったとしたらそれは仕方のない事だが、それを基礎技術として伝承し、継承してしまうと言うのは、筆者の想像力の及ばない事態だ。

 はっきり言って変態の所業と言えるだろう。もしも、―――



 パタン、と、キルケーはその本を閉じた。

 そして、たった今まで読んでいた本……『猿でもわかる魔術入門part1』を眺めながら、考える。


(なるほど………。まさか、こんな所に記述があったとは思いませんでした。あのただ飯大食らいは、変態だったと……)


 ネロとアイシャともう一人が旅立ってから何日経ったか……。


 キルケーは日々読書に耽っていた。書庫に籠り、絶対に外は出歩けないような酷く緩み切った服装で床にごろりだらりと寝転がり、お腹が空いたら甘く上げたパンをかじって……散らかり切った書庫に引きこもっている。


 小うるさい保護者から解放された子供の様にだらけて過ごす事幾日か。

 キルケーは今、物凄く誰かと話したかった。


 誰かに言いたいのだ。

 あのただ飯大ぐらい、変態らしいですよ、と。


 アイシャにしろネロにしろ、普通に『知ってる』とか返事をしそうな気がしないでもないが居なければそれを確かめる事も出来はしない。


 誰もいないのだ。


 これなら、変な意地を張らずに普通にアイシャを引き止めれば良かったか……と、そんな事は考えない。考えたら負けだ。


 ちょっと口が過ぎる使い魔をとどめておくべきだったか……とも考えない。キルケーはまだ負けない。


 寂しいか寂しくないかで言えばそもそもあの騒がしい一行がいた間はまったく読書が出来なかったしこうして心往くまでごろごろしていられるのは根本的にものぐさなキルケーからすれば最良でいつもいつも口うるさいネロもいないから誰に文句を言われる事もなく良く頼りに来ていたグラウも駆け落ちしてもう居ないしていうか半分魚なのに……。


 とか、考えない。

 ……寂しいと言ったら負けだ。


 キルケーは無駄な所でプライドが高いのである。


 寂しいと言ったら絶対アイシャに煽られる。が、その煽って来るアイシャも今は居ないからどうせぼっちだしかと言って町の人々からは妙に尊敬を集め過ぎてあまり目立つのが好きじゃないキルケーからすれば出歩くだけで針の筵…………。


 ばたん、とキルケーは手足を伸ばして倒れこんだ。そして、唸る。


「……くぉな……」


 変な声が出た。

 寂しくないと言おうとしたのである。


 が、数日話していなかったキルケーの口からは変な音が出た。


 そして………その、自分の変な音に……キルケーは負けた。

 暫く死体の様に突っ伏して、……それから、キルケーは起き上がった。


 大きく咳ばらいをして、あ、あ、と軽く発声練習して、キルケーは誰もいないのに言い訳を始めた。


「……ラフートと、言っていましたね。ええ、そうですね、偶然。偶然ラフートに用がある様な気がすると、ただそれだけの事……」


 ぶつぶつと呟きながら、キルケーは数日ぶりに書庫を出た。


 寂しくないといったら嘘になるとは口が裂けても言わない。


 断じて孤独に負けたのではない。キルケーは一人が好きだ。誰も見ていないからと軽く涙目になるくらいキルケーは一人が好きだ。



 だから、そう、別に寂しい訳じゃないけど……。

 ………キルケーは突然、旅行に行きたくなったのだ。


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