悪役は強かに


 腕っぷしだけの、田舎の貧乏人。


 口減らしにどこぞの門下に投げ捨てられたその少年は、確かな武才を持ちながら、しかしそれに自分で価値を見いだせなかった。


 したくもない修練、何の意味があるのか理解出来ない倹約を強いられて育ったその少年が夢見たのは、酷くシンプルな豪華な暮らしだ。豪邸に住み、他人を顎で使い、美女を侍らせ、金を湯水の様に使い、それでも尚有り余る富。


 青年は武門を後にした。止められはしたが一切ためらいなく、青年は町に出て、確かに極めた武芸を一切顧みる事もなく、商売に手を出した。

 家柄も何もない田舎の貧乏人が金持ちに成り上がる道はそれしかない、と。

 香辛料が高値で取引される、東に金鉱があるらしい、飢饉が起きる麦を買え。

 武門で育った彼に、情報の真偽が見抜ける訳もない。


 人を信じすぎたのがミスだったか。自身を過大評価したのがミスだったか。

 それとも、約束事を守ろうとし過ぎるその性分がそもそも、商売に向いていなかったのか。


 青年は知った。

 無根拠にあると信じていた商才が自身にない事を。

 人を裏切った方が得をする事を。

 そして、金が絡まない約束事に、価値はないという事を。


 は高かった。豪華な暮らしを夢見たと言うのに、転んだ先は借金地獄。いや、それで済むならまだマシか。

 そもそも何の実績も知識もない青年に、まともな金貸しが頷いて来た訳もない。


 やれ、内臓を売るだの。やれ、奴隷にするだの。中々どうして嗤えて来る言葉を吐きながら、青年と同じくらい頭の悪そうな奴らが、昼夜追い立てて来る。


 芸は身を助く。結局、才気と修練に救われ、青年が頼みにしたのは槍一本。

 命あっての物種と、さんざ切り捨てその果てに、迫る追手は血相変える。


 やれ、メンツだの。やれ、生かしておけないだの。どいつもこいつも台詞に芸がない。

 いい加減面倒になって、乗り込んで潰すかと物騒な事を考え出したその頃に、青年の前に現れた追手は、珍しく別の事を言った。


 使えそうね、だとか。

 お父様が煩わしいの、だとか。

 貴方に自由を上げる。だから、私に自由を頂戴?……だとか。


 女の事情を青年は知らない。かつても今も、あるいはこれからも……知りはしない。

 わかっていた事は一つ。

 女が青年を利用する気で、鉄砲玉の様に切り捨てようとしている事。

 そして、女は確かに、煩わしい追手を一掃するのに、大変役立つ立場だという事。


 交わしたのは硬貨一枚。冗談だったかなんだったか、硬貨一枚投げられて、損はないと青年は嗤った。


 相互に利用しあう、一度目の結託がそれ。


 その後、町から金貸しが一つ消えた。まるまる一つ、皆殺し。何やら魔物がやったそうだ、悪魔だったか死神だったか、……もしかしたらかもしれない。暴れ回ったそれを見た奴がいるとか。気付いたらそんな話になっていた。


 女に誤算があったとすれば、それはより、生き残りが一人多かった事。

 ギリギリ永らえた青年に対して、女は散々、楽し気に、毒を吐いた。一体なんと言われたんだったか……。

 とにかく、女は評価を改める。


 鉄砲玉は、秘密の共有者に。やがて、相互に益がある事を前提に置いた、協力関係に。


 …………ああ、思い出した。

 永らえた青年に、女がどんな毒を吐いたか。


 *


「あら。驚いた、薄汚れた布切れが動くなんて…」


 瞼を開けたオーランドは、いきなりそんな、まったくもって芸のない毒を聞いた。


 場所は広間………ガーゴイルの死骸、今度こそ確かに殺したそれの真横。

 明かりは、傍に置かれた篝火……それに照らされた女は、かつてと変わらない笑みを口元に、オーランドを見下ろす。


 オーランドは、珍しく汚れている彼女の修道服を、嗤った。


「…何度見ても似合わない服だ、サド女」


 そして、オーランドは身を起こし、傷の具合を確かめる。出血も傷跡も、そこにはもうない。

 なるほど、どうやら、アンジェリカからして、オーランドは未だ利用価値があるらしい。


「……まったく、恐ろしいな。俺は幾らむしり取られるんだ?」

「一生分、全財産かしら」


 冗談の様に聞こえるが、まったく冗談では済まないと良く知っているオーランドは、立ち上がり、肩を竦めた。


「……また、借金か。で?宝は?」


 その問いを前に、アンジェリカは両手を広げて見せた。


「……しくじったのか?」

「布切れに言われたくないわ」


 減らず口をオーランドはまた嗤い、そして端的に問い掛ける。


「続けるか?」

「……退き際よ。今目の前にある布切れも含めて、ここには憎たらしい顔が多過ぎて吐きそうだし。これ以上は見合わないわ」

「諦めるのか?珍しいな……」

「真面目にやったのに、あの野蛮人に負けたんでしょう?本当、使えない。だからかき乱されるって言ったじゃない?別の儲け話を探した方が建設的よ。ただ働きは苛立たしいけど」


 そう、軽く責任転嫁しながら、アンジェリカはオーランドの足を踏み付けた。

 一瞬顔をしかめたオーランドだが、横暴に慣れ切っているその口が吐いたのは、文句ではなかった。


「…………多少なら、収穫はあった」


 そんな言葉と共に、オーランドはアンジェリカへと、ポーチを放る。

 受け取ったアンジェリカは、片眉を釣り上げ、呟いた。


「これ、アイシャの?」

「ああ。蹴っていたしな。きっと、もういらないんだろう。せっかくだから拾っておいた」

「意地汚いわ……。だから、いつまでも貧乏人なのよ」


 そう言いながら、アンジェリカはポーチの中を探り、その中から硬貨の入った袋を探り当てると、もういらないとばかりにポーチを投げ捨てる。


 そして、アンジェリカは袋の中身を眺め、吐き捨てた。


「……はした金じゃない」

「いらないならよこせ」

「新しい服ぐらいは買えるかしら…………」


 オーランドに返事をする事もなく、硬貨の入った袋を手に、アンジェリカはさっさと歩み出す。

 芝居がかった調子で肩を竦め、その後を歩み出したオーランド。


 と、そんなオーランドに、小さな何かが飛来した。


 掴み取ったそれは、硬貨。硬貨一枚ただそれだけを、アンジェリカはオーランドへと投げ、冗談か、先払いか……微笑みと共に言い放つ。


「裏切らないでね、オーランド」

「………ああ、勿論」


 応えるオーランドも、いつかのように嗤っていた。


 信頼関係はない。他人を信頼するという概念が二人にはない。

 その時が来れば裏切られると、そこに利益が発生した瞬間に敵対するとお互いが思っている。


 だからこそ、お互いはお互いに価値を提示し続ける。



 悪人二人は暗闇を歩んだ。

 …………一切の迷いのない足取りで。

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