決着、裏の裏の裏の裏

 キャンプ―――。

 アイシャは、黙り込んだアンジェリカを睨んでいた。


 幻覚が喋らないのは、ほぼ間違いないだろう。話している内は確かに目の前にいるが、黙った今…見えているアンジェリカは幻覚と見て間違いないはず。


 そこでアイシャは、ようやく立ち上がった。そして、グリフォンの子供を、自分の首にしがみつかせる。


「しっかり掴まっててね。あ、でも……どさくさに変なとこ触ったら……焼くよ?」


 ピィと、怯えたような声を上げながら、グリフォンの子供はアイシャの背中側に回り、後ろからその首にしがみつく。

 少しだけ爪を立てられているが……それだけしっかり掴まっているという事だろう。


 アイシャは弓を引き、油断なくアンジェリカを睨み……だが、注意を向けているのは自身の頭上だ。


 パフォーマンスはこなした。炸裂矢を即座に補強するという


 アンジェリカは単純に攻めて来るタイプじゃない。頭を使っている……ならば、パフォーマンスの意味にも気付くはず。


 アイシャの周囲に、炸裂矢が散らばって置かれている。

 そして……最初にグリフォンの子供が通った場所だけは、確実にそれがない。


 アンジェリカはそう気づいているはずで…………だからこそ、アイシャは、姿の見えないアンジェリカが、どこから攻めて来るか限定出来る。


 身を守る為に見せて――しかし、その実攻撃的なトラップ。

 そのアイシャの思惑通りに、アンジェリカが動いたか―――。


 ――不意に、頭上に影が差す。


「ラピッド・ブロウ!」


 即座にアイシャは弓を放った―――頭上に現れたアンジェリカへと向かって、反射的に弓を放ち…………放った瞬間に疑問がよぎる。


 なぜ、攻撃の直前にアンジェリカが姿を現したのか。なぜ、消えたまま仕留めようとしなかったのか――。


 その答えは、不可視の矢が、頭上のアンジェリカを事で知れた。


 頭上のアンジェリカが、消える…………上から来たのが幻覚。

 そう、遅れて気付いたアイシャの正面で―――不意に、炸裂矢が反応する。


 吹き飛んでいくのは、青龍刀―――


 アンジェリカは、投げたのだ。武器を捨てるかわりに、トラップの一部を無理矢理作動させて、アイシャを守る防壁に風穴をあけた。


 失策に気付いたアイシャが弓を引く―――

 ―――その間に、アンジェリカはアイシャの間近まで迫っていた。


 幻覚で上に注意を逸らし、そんなアイシャを嘲笑うように、本体の姿は晒し続け……風の防壁を掻い潜り、アンジェリカは、殴打を放つ。


 顔面への掌底。あわよくばグリフォンの子をくすねとろうと言うそれを前に、――弓を放ってしまったアイシャは即座には反撃できない。


 ……ただし、躱せないとも言っていない。

 単純な体裁きだけでも、アイシャは十分常人の域を超えている。


 身をそらし、背後に跳び、殴打はアイシャの鼻先を掠めるだけ…。

 躱したアイシャを前に……けれど、アンジェリカは余裕の笑みで言った。


「良いように動かそうなんて、十年早いわ、お嬢さん?」


 この距離なら、武器がなくともアンジェリカはアイシャに負けることはないと思っているのだろう。

 そして、炸裂矢がくまなく周囲にある状況では、アイシャはアンジェリカから大きく距離を取る事が出来ないとも。


 近間を強いられた状況―――優位はアンジェリカにある……


「そうでもないよ?」


 微笑みと共に、アイシャは背後に跳ぶ。

 確かにそこにある炸裂矢にぶつかり…………アイシャは、吹き飛んだ。


 そもそも、炸裂矢はアイシャが設置したもの。どこにあるか、アイシャには正確にわかっているし…自分がどこでなったかも、アイシャは良く覚えている。


 どうせ大丈夫だろうと背後はまばらだったのだ。その間隙に正確に身体を入れ込んで、アイシャは浮遊した。


 空中で、アイシャは器用に姿勢を整え、眼下―――アンジェリカへと弓を引く。


 アンジェリカは、それを……躱せない。


 穴が沢山あると知っているのはアイシャだけ。アンジェリカから見れば、周囲にくまなく炸裂矢があり、躱す先がないと思えるだろう。


 あるいは、今突っ込んできたその箇所だけが躱す場所――だから、アイシャの狙いの中心はそこ。


 裏を掻いたと思い込んだまま、アンジェリカはの中心に飛び込んできたのだ。


「ラピッド・レイン」


 言霊と共に、放たれたのは、拡散矢。

 避けようのない矢の雨―――だが、ただのそれでは終わらない。


 誘爆―――乱打に打たれた停滞炸裂矢、アンジェリカの周囲が、衝撃に一気に炸裂していく。


「……チッ、」


 忌々しいと舌打ちしたアンジェリカ―――その身を、幾つもの暴風が、あらゆる方向から襲った―――。




 ふわりと、アイシャは着地した。これまた、あらかじめ設置しておいた停滞炸裂矢で落下の衝撃を殺し、優雅に髪をなびかせながら、地に足を付ける。


 それから、アイシャは爆心地へと声を投げる。


「負け惜しみは?」


 その問いに、アンジェリカは答えなかった。

 土煙の中、ただただ苛立ったと、怒りに震えてアイシャを睨むだけ……。


 アンジェリカの身体は、ボロボロだった。人を吹き飛ばす程の衝撃をあらゆる方向から同時に受けたのだ。修道服は泥だらけになり、片腕は折れたのか、だらりと垂らしている。


 ただ、ただ、忌々しいとアンジェリカはアイシャを睨み………そこで、フっと、その表情が消える。


「…………割に合わないわ。何よ……邪魔ばっかりして……」


 そう、独り言の様に呟きながら、アンジェリカは歩み出す……。

 と、その体が、折れた腕が、淡い輝きに包まれていることにアイシャは気付いた。


「ヒール?……自分にも使えるの……?止まって!」


 咄嗟にアイシャは弓を引く―――だが、その時にはもう、アンジェリカは駆け出していた。


 向かう先はアイシャではなく、ついさっき投げて吹き飛ばされた青龍刀。


 その狙いに気付き、アイシャが青龍刀を更に弾き飛ばそうとした時には、既にアンジェリカは青龍刀をその手に掴み取っていた。


 確かに折れていたはずの腕で、アンジェリカは青龍刀を構え、アイシャへと嘲る声を上げる。


「凄いわ、圧倒されちゃった。でもね、駄目よアイシャ。……殺せる時に、ちゃんと殺さないと。世の中そうそう甘くないのよ?」


 余裕の笑みで講釈を垂れ始めるアンジェリカ―――アイシャは、そんなアンジェリカを睨みながら、弓を引く。


 トラップはもうない。絶対的な優位はなくなった。

 さっき殺さなかったのがミスだった?


 ……確かに、やろうと思えば出来た。射貫けば良いだけだ。けれど、アイシャは手傷で済まそうとした。その結果、状況は振り出しに戻ってしまったらしい。


 それでも、アイシャは失敗をしたとは思わなかった。悪人だとしても、敵だとしても、殺したくはないのだ。


 ただの甘さだ。信念でもなんでもない。ただ、嫌なだけである。嫌だったから逃げ出したのだ。家とか、責務とか……そう言う色々から。


 自身でも知らずアイシャは表情を曇らせてしまったのか…。アンジェリカはどこか楽し気に笑っていた。


 が…………不意に、アンジェリカの表情もまた、曇った。


 落ちて来たからだ。


「にゃあああああああ、落とす意味ないんじゃないかにゃぁぁぁぁぁ!」


 そんな、アイシャには聞き慣れた悲鳴と。

 ドスンと、大きな音を立てて着地し、直後ふらつき、痛そうに顔をしかめる、背中に猫をしがみつかせた大男が。


「にゃああ、助かったにゃ。なんで、普通に下ろしてくれないんだにゃ。……結局、味方の行動の方が怖いにゃ……」

「お兄さん?ネロ?」


 そう声を上げたアイシャの背中で、不意にグリフォンの子供が嬉しそうに声を上げる。


 グリフォンの子供は見上げた……空から悠々と降りてくる親を、その背に居るヒルデを。


「ヒルデ?なんで、乗ってるの?……まあ、良いか。でさ、アンジェリカ。まだやる?」

 アイシャはどこか余裕を取り戻し、調子良く、そう問いを投げた。


 だが、アンジェリカはアイシャを見てはいなかった。

 忌々しいとアンジェリカが睨み付けているのは、宵虎だ。


「オーランドは?………しくじったの……」


 と、宵虎もまたその視線に気付いたらしい。アンジェリカを睨み返し、やがて、宵虎はネロに声を投げる。

 そして、それを聞いたネロは、言った。


「にゃ?あ~えっと、あのクズはさっきの場所に倒れている。生きているかは根性次第だ。……だそうだにゃ、アンジェリカ」


 その言葉を前に、アンジェリカは僅かに、思案し………やがて、どこか言い訳の様に言い放つ。


「……もう、良いわ。これ以上やっても、得なんてなさそうだし。おめでとう、アイシャ。貴方の勝ちよ」


 最後まで余裕ぶった言葉を投げながら、そこで、アンジェリカは姿を消した。


 アイシャは暫し、警戒を続ける。


 適当な事を言いながら、また襲って来るかもしれないと。


 だが、待てど暮らせど、アンジェリカが襲って来る事はなかった。


 僅かに、アイシャは警戒を緩める……そんなアイシャの背中から、グリフォンの子供は飛び降りると、嬉しそうに、親、そしてヒルデの元へと駆けて行った。


 その様子を眺めて……やがて、アイシャは弓を下ろした。


「…………はあ。とりあえず、逃げたんだよね」


 疲れたように呟いて……それから、アイシャはリフレッシュした~い、と、そろりと宵虎の背中に回り込むと、思い切り跳びついた。


「お兄さ~ん!もう疲れた~うわっ!?」


 と、アイシャは素っ頓狂な声を上げる。

 飛びついた先の宵虎が、そのまま倒れこんだからである。


「あれ?お兄さん?どうし……」


 言いながら身を起こしたアイシャは、そこで気付いた。

 宵虎の身体から、夥しい量の血が流れ落ちていると言う事に。


「お兄さん?」

「だんにゃ?………だんにゃ!?」


 アイシャとネロの呼びかけに、倒れこんだ宵虎は…応えなかった。

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