ヒルデの勇気
テイム。
亡国の王家がその身に宿していた才能。
獣に愛され、獣を理解する…………才なき者には理解できない特殊な感覚、知らず練られた繋がり。
見知らぬ者に対しては、漠然とその感情の色が見えるだけ。
けれど、時を重ねれば、ただ共に過ごせば……それだけで繋がりは色濃く絡んでいく。
――あの、朽ちた玉座の間で。
足繁く通い、子と遊び、親に見守られ……ただそれだけ。契約も儀式もない。服従させるでもなく、…ただ心を結ぶ。
だから、ヒルデにはわかっていた。距離も何も関係ない。
子供は怯え……親は怒っている。
何か具体的な考えがあるわけではなかった。こうすれば良いとか、そんな打算も作戦も、ヒルデは練っていない。
ただ、じっとしていられなかっただけ。
怒りを知り、怯えを知り……あるいはそう、ついさっき、刃に竦んで動けなかった自分が、それで誰かが酷い目にあってしまうのが嫌で。
ただそれだけで、ヒルデは駆け抜けた。
宵虎の真横を駆け――まっすぐとグリフォンへと駆け抜けていく――。
グリフォンの心は、怒りに塗り潰されている。気高さなどどこにもなく怒りに我を忘れ、その攻撃の範囲の中に、ヒルデが入っているという事にも、気を留めていない。
グリフォンが咆哮する―――その周囲に掻き集められた風が、羽ばたきと共に解き放たれる―――。
放たれたそれは、風の渦。岩の欠片を巻き込み、飲み下したモノぐちゃぐちゃに咀嚼する竜の名を帯びた巨大な暴嵐の渦。
そこへと―――ヒルデは勇気を持って駆けていく。
怖くない訳がない。怯えていない訳でもない。けれど、それでも……ヒルデは足を止めない。何の確信もなく、ただ、もうじっとしていられないというだけで――。
感情的な子供の無謀だ。勇気を出すだけで全てが上手く行くなど、現実はそう甘くは無い。
なればこそ―――その無謀に根拠を添えるも大人の役目。
通らぬ道理も通して魅せよう―。
宵虎は嗤う―――構えは大上段。刃に帯びる風は渦巻き、膨れ――千刃と成す。
「纏嵐――
宵虎は太刀を振り下ろす―――
―――放たれたのは、そよ風の様な、静かな……だが、威力を秘めた幾つもの風の刃。
駆けるヒルデの背を追い、追い越して―――千刃は竜巻と激突する。
刃が竜巻を裂き、竜巻が刃を呑む――――。
直後、その両方が、はじかれるように消え失せた。
一瞬前の暴乱が嘘のような静けさが当たりに漂う。
残心の差中の宵虎も、あるいは大技の名残りのグリフォンも、動けない。
そこで動いていたのはただ一人………勇気を持って飛び込んで行った子供だけ。
ヒルデは地を蹴った―――持ち前の身軽さで、高々と飛び上がり、グリフォンの頭にしがみつく。
未だ怒りに囚われ続けるグリフォンは、乱雑に首を振り、ヒルデを跳ねのけようとするが、しかし身軽な子供はしがみつき、器用に体勢を変え、やがてグリフォンの首にまたがると――
――ぺチン、と、グリフォンの頭を叩いた。
そして、ヒルデは怒ったように言い放つ。
「暴れちゃダメ!大人でしょ!」
しかし、グリフォンは尚も暴れ回ろうと身を捩り――。
「大人しくしなさい!」
――ぺチン。ぺチンぺチンぺチン。
怒った様子で、ヒルデはグリフォンの頭を叩き続けた。
子供の力だ。魔物に効くはずもない。それが当然の摂理なのだが……叩かれるたびに、グリフォンは妙に痛そうに目を閉じ、叩かれるたびに、どこかしょげたように頭を下げていく。
テイム。それは才能だ。あるいは、魔術ですらないかもしれない。
獣と意図が通じ合うという才能。害意がないと理解させ、害意がないと理解し……叱りつけるというその意味までも、獣に理解させてしまう才能。
やがて、グリフォンは暴れるのを止めた。どこかしょげかえったような地と空の王の混ざりモノの頭上で、ヒルデはまだ怒った様子で腕を組んでいた。
その光景を前に、宵虎は太刀を収める。どこか満足げな表情で。
そんな宵虎の横で、今漸く追いつけたネロは膝に手を付いて、荒い息を吐いた。
「はあ、はあ……ヒルデ、足速すぎるにゃ…。にゃ?えっと……だんにゃ?これは一体どういう状況かにゃ?」
「フ……子供には敵わんな…」
どこか満足げに唸った宵虎……と、そんな宵虎の眼前で、緩やかで大きな羽ばたきが鳴る。
宵虎の目の前には、グリフォンが飛んできていて……その頭上のヒルデが、宵虎と目線の高さを合わせ……怒った様子で宵虎を睨んでいた。
と、次の瞬間。
ぺチン、と、ヒルデは宵虎の頭を叩く。そして、言い放った。
「タチオカも。ケンカしちゃダメ!」
叩かれた宵虎は、少し大きくふらついた。
そんな宵虎の横で、ネロは呆れた様子で呟く。
「いや、明らかに喧嘩って次元じゃなかったんだけどにゃ……」
「…………」
宵虎はどこか釈然としないと言いたげな表情で唸り、ヒルデの様子を伺った。
ヒルデは口を引き結んで、まだ怒った様子……。
「……なぜ、俺まで怒られているんだ……。まあ、鎮めヒルデ……」
そう唸りながら、宵虎はヒルデの頭を撫でた。
が、ヒルデはまだ怒ったような顔で、ぴしゃりと言い放つ。
「ごまかさない!」
ヒルデの言葉は、宵虎には通じない。何を言っているかはまるで分からない。
が、……知らず宵虎は背筋を伸ばしていた。
「……はい。すいません…」
「なるほどにゃ。子供に敵わないんだにゃ。流石だんにゃ、説得力が違うにゃ」
呆れた様子で言ったネロに、宵虎は不満げに唸った。
そんな宵虎を、ヒルデはまだ怒った様子で見詰め……と、そこで、宵虎の服が血に塗れている事に気付いた。
「タチオカ?…怪我してる!大丈夫?」
怒っていたことを忘れたように、ヒルデは宵虎の腹を見て声を上げる。
その声は、宵虎には通じない。宵虎にわかるのは、何やらヒルデが腹を見て声を上げているというただそれのみ。
「……まさか、詫びに腹を切れと…?更に?」
「あ、ぼけてるにゃ。だんにゃは多分大丈夫だにゃ~」
適当に言い放ったネロに、ヒルデは少し不安げに首を傾げる……。
「そう、なの?……大丈夫、タチオカ」
「どうか、ご勘弁を……」
やはり、二人は言葉が通じていない。
「…………」
「…………」
二人、暫し眺め合い、…やがてヒルデは、大丈夫だと思う事にしたらしい。
「…じゃあ、行こう?乗って?」
「乗る、かにゃ?って、あの~あたし実は飛ぶとか落とされるとかフっ飛ばされるとか放り投げられるとかにトラウマが~」
「許されたのか…?」
グリフォンに乗ったヒルデを前に、戦々恐々としたネロは視線を逸らし、若干朦朧とし始めている宵虎は、ぼんやりと首を傾げた。
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