追走、噛み合い、また別れ
ピィ、ピィと、グリフォンの子が腕の中でしきりに鳴く……谷の底を駆けていくアンジェリカは、そんな子の嘴を握り、言った。
「うるさいわ。黙りなさい」
その機嫌の悪さでも感じ取ったのか……グリフォンの子は、竦んだ様に黙り込んだ。
「そう、良い子ね……」
微笑み――だが威圧する声で、アンジェリカはグリフォンの嘴から手を離した。
向かっているのは、この先のキャンプ……首尾よくやれば、オーランドもそこに来るだろう。来なければ置いて先に去れば良いだけ……どうせ、一度はぐれても、金を落とせば湧いて出るだろう。
信頼の様な、軽蔑の様な……とにかく、アンジェリカは特にオーランドを気にしてはいなかった。
だから、アンジェリカの今の心配事はアイシャ―――幻覚を残し、姿を隠し……自身とグリフォンの子の姿を幻覚で隠し、こうして逃げ伸びたものの……流石に、すぐにばれるだろう。
幻覚は喋らないのだ。
だから、恐らくアイシャは、追ってきている……殺しに戻るのも良いが、しかし、わざわざそんな事をするのも面倒だ。殺す気ならさっきやっていた。
宵虎の事もある……あれは殺せなかった。似たような技術をアイシャが納めていない保証もない。戦うだけ損。
かと言って、追いつかれて、荷物―グリフォンの子を抱えたまま戦うのもまた面倒。
首尾よく、楽に、妨害したいもの……
そう、駆けつつ思案するアンジェリカの頭上に、巨大な影が差す――。
グリフォン。その、親の方だ。魔術で姿を隠しているアンジェリカの正確な位置を掴んでいる様子はないが、漠然とした位置は把握したらしい。
野生の獣の勘か。……いや。
アンジェリカは、腕の中のグリフォンの子の嘴を掴み、強引に塞いだ。
鳴こうとしていたからだ。さっき散々喚いていたのは、親を呼んでいたのか……。
だが、嘴を握られたグリフォンの子はもう鳴けない。
グリフォンの親は、すぐそばで子供が羽交い締めされていると言うのに、その姿を捉えられない。
それを眺めて、アンジェリカは不意に微笑んだ。
ちょっと、悪戯を思い付いたのだ。
そしてアンジェリカは即座に、その悪戯を実行する。
幻覚、幻影……ただそこに見えるだけで実在しない光景。
アイシャが居た。グリフォンを挟んだアンジェリカ達の反対側に、グリフォンの子を抱いたアイシャが姿を現す。
それに気付き、グリフォンの親は咆哮を上げる――。
その咆哮を聞き届け、狙いが向いたと確認してから、アイシャは踵を返して駆け出した。
アンジェリカが進むのとは別の方向――追ってきているであろうアイシャが居る、その方向へ。
アイシャ――幻影を追って、グリフォンは去る。
これでグリフォンの親――あの獣は、アイシャを襲うだろう。子供を攫ったのがアイシャだと思い込んで。
十分な時間稼ぎになる……いや、それ以上だろう。
アイシャが勝っても。
グリフォンが勝っても。
アンジェリカの敵は一つ減る。得しかない……。
微笑みを残し……アンジェリカは、また、誰に阻まれる事なく進み出した。
*
アイシャもまた駆けていた――幻影ではない、本物の方のアイシャ。
その青い目は、行く先に凝らされている。
アンジェリカは、幻覚を使う。また、自身の姿を見えなくも出来るらしい……一番最初にヒッポグリフと戦った時は、その両方を使ったのだろう。
跳ねた様な幻覚を狙わせ、アンジェリカ本人は屈んで迫る。
ただの戦闘でも厄介だが、追うとなると尚厄介。
果たしてこの先にアンジェリカが居るのか、どこかで素通りさせられたのではないか……。
そんな疑念がアイシャの胸中に残り続ける。
油断して、姿を現したまま逃げていてくれれば、楽で良いのに………。
そんな事を考えていたから、行く先に人影を見た瞬間、アイシャは都合良く油断してくれたのかと、一瞬だけ思った。
……その人影が、アイシャ自身だと気付くまでの刹那の間は。
「………私?なんで?………って、あの女……」
苛立ったように、アイシャは呟く。
アイシャの幻覚――こちらへと駆けてくるその胸には、グリフォンの子供。
そして、その背後には…………巨大な魔物の姿があった。
アイシャの幻覚はまっすぐアイシャの方へ駆け、………アイシャの眼前で立ち止まると、誰かを思い出すような腹に一物抱えていそうな微笑みを浮かべ、ご丁寧に手までふって、消え去る。
「………最悪、」
喚いたアイシャの身に影が差す。
巨大なグリフォン――その目が捉えるのは、当然、アイシャだ。
子供がいないのは見てわかるだろう。だが、さっきまで確かにアイシャが持っていたのも、グリフォンからすればまた事実。どこかに隠した―――獣は短絡的にそう当たりを付ける。
「……あのさ。私、味方だよ?」
アイシャは一応、そう言ってみた。
返事は、怒りに震えるようなグリフォンの咆哮――グリフォンの感情に触発される様に、周囲に暴風が吹き荒れる。
「……だよね~」
諦めたように呟いたアイシャ―――その身へと、グリフォンは襲いかかって来る。
暴風を纏った剛腕――壁を削り取りながら、その爪がアイシャを打ち砕く―。
――寸での所で跳び退いて躱し、一撃と共に飛び散った破片、暴風に真後ろへと吹き飛ばされながら――飛ばされる事に慣れているアイシャは、平然と呟いた。
「あ~あ、もう……踏んだり蹴ったりじゃん」
そんな事を言いながら、アイシャは弓を引き、それを地面へと向け、着地の瞬間に言霊を紡ぐ。
「ラピッド・バースト」
放たれた矢は、即座に炸裂―――狙い通りの方向、狙い通りの強さで飛ばされるアイシャの勢いを殺し、アイシャはしなやかに、着地に成功する。
「お。やった、出来た……。やっぱり、私天才!」
喝采を上げてみたアイシャだが……そんなアイシャの曲芸をグリフォンが祝福するはずもない。
咆哮―――そして羽ばたきが生むそよ風。
そのそよ風が予兆に過ぎないと、アイシャは見て知っていた。
「やば…………」
跳び退くアイシャ―――その眼前で、不意に竜巻が上がる。踏み込んだモノを八つ裂きに散らす風の渦。
最初に宵虎が戦った時にやっていた攻撃だ―――辛うじて躱したアイシャだが、その体勢は崩れていた。
体勢を立て直しながら、弓を引くアイシャ――その狙いは眼前の竜巻。いや、それを突っ切り、獰猛に咆哮を上げながら、爪を振り被るグリフォン。
竜巻で目くらまししてから、それを突っ切っての前足での一撃。
アイシャは、見て知っている。
その連撃を。
アイシャの弓は、グリフォンに効かないと言う事を。
……反撃ではなく、避ける準備をするべきだった。
アイシャは見て知っている。
その獰猛な獣が、玉座の間で静かに、子供と平穏に過ごしていたその光景を。
そもそも、攻撃する気になれない……。
「…………あ~あ、」
迫るグリフォンを前に、アイシャは呟いた―――。
しょうがないな~、と。
アイシャは、見て、知っているのだ。
天然で、間抜けで、スケベで、良く物を落とし、大食らいで、言葉も通じない。
だが、極たまに、一瞬だけでも……少なくともアイシャから見れば、相当カッコ良い事を。
ダン―――えぐる様な、振動を伴う音が辺りに響き渡る。
音の出所はグリフォン―――崖の上から突っ込んできた何かにぶつかり、よろめく様に、勢い良く壁に激突したグリフォンだ。
そんなグリフォンの頭上………たった今落ちて来た誰かは、傷を負った様子ではあるものの、平然と立ち上がり――太刀を肩に、憮然と呟いた。
「……………何度試しても、着地出来ん。悪いな、ぐりふぉんとやら」
そんな風に、アイシャにはわからない言葉を口にしながら、宵虎はグリフォンの上から飛び降りた。
と、そこで宵虎は、アイシャに視線を向けた。
「アイシャ。……なぜこれと戦っている?」
その問いはアイシャには通じない。
なんか、名前呼ばれた~、とだけ思ったアイシャは喜色満点の笑みと共に、どうせ通じないだろうしと堂々と言った。
「ありがとね~。お兄さん。大好き!じゃあ、後は任せた!」
そして、言い放つと同時に、アイシャは踵を返して駆け出して行った。
「…………なんだ?」
アイシャが何を言ったかわからず、首を傾げる宵虎。
その背後で、グリフォンは起き上がる――。
咆哮が上がる。威圧するそれに、宵虎は振り返った。
宵虎には状況がよく分からない。グリフォンを追って進んだ末に、アイシャが襲われるらしいと、とりあえず突っ込んだだけである。
なぜ、グリフォンがアイシャを襲っていたのか。
良くわかりはしないが……アイシャが悪事を成している訳もない。
とりあえず、アイシャは引いて行った。宵虎を残してさっさと。
と、言う事は……。
「……ああ。任された」
獰猛な笑みを口元に、未だ嵐纏う太刀を肩に―――宵虎は咆哮を上げるグリフォンと対峙した。
*
駆け抜けて行ったアイシャ……ある程度の距離を取ってから、アイシャは立ち止まった。
「これ、もう、追いつけないかな……」
冷静に、アイシャはそんな事を呟く。
グリフォンに襲われて更に時間を稼がれた。アンジェリカは、相当遠くに行っているだろう。
今から追いかけて追いつけるか……いや、追いつけたとして姿を消されて掻い潜られては意味がない。
アンジェリカがどういう行動を取るか考えよう。
この谷を脱出したいはずだ。だが、恐らくグリフォンの子供を抱えて崖を登る事は出来ないはず。
だとするなら、アンジェリカが向かう先は一つ。キャンプ、そこにある階段―――。
先回りすればチャンスはある。
先回りする方法も……一応、ある。歩くより遥かに速く、自由度の高い移動方法を、アイシャは完全に身につけつつある。
ネックだった着地は、さっき試したら出来た。
アンジェリカの思惑通りに全てが進むのは嫌だし、グリフォンの子が連れ去られるのを看過する気もない。
「……やるか」
決めたアイシャは、真上――そそり立つ壁の先を見上げ……引いた弓を、自身の足元へと向けた。
*
場所は変わって、暗がりの洞窟。
玉座の間、その周囲の、扉と燭台の並ぶ通路。
暗闇のそこを、光る槍で照らしつつ……オーランドは壁に手を突きながら歩んで行く。
ポタリ、ポタリと、袈裟に切られた傷跡から血が零れ落ちていく……。
「……クソ、」
オーランドは毒づいた。
予定外だ。ここまでの深手を負う予定はなかった。どれだけの大金を得ようとも、命あっての物種、金を抱えて死んでも意味がない。
オーランドは歩む。おぼつかない足取り、ふらつく身体で……考えるのは、どこがミスか。
どこで自分が優位を失ったのか……。
同格かそれ以上と知って尚、宵虎に挑んだミス。
あるいは、調子に乗ってアイシャを辱めようとしたから?
それともそもそも、事に及ぶタイミングが悪かったか。宵虎とアイシャが立ち去ってから事に及べば、こうはならなかっただろう。
舐めていたのだ。宵虎とアイシャを。そして、信用し過ぎていた……オーランド自身を、そしてアンジェリカの事も。
敵を見誤り、己を見誤り、その末のこの敗走。
首尾よくアンジェリカと合流すれば、あるいは癒して貰えるか……それも、不明だ。流石に、この惨状では見切りをつけられても仕方がない。
オーランドは通路を歩む。知った道、元来た道を正確に歩む。
どれが、ミスだったか。
反省はしよう。だが、後悔はしない。ミスを探り、次に活かす…オーランドの思考はただそのためのものだ。
例え、悪事を為そうとも。
例え、敗北を知ろうとも。
………後悔などした所で、なんの得もしない。
オーランドは歩む。
辿り着いた先には、暗闇に落ちていく階段―――あの広間へと辿り着いたらしい。
傷に呻き、血をこぼし、オーランドは階段を降りていく。
―――と、そんなオーランドの正面で、不意に、巨大な影がうごめいた。
嗚呼、そうだ……オーランドは思い出す。
「フフ……」
巨大な影……ガーゴイル。それがどの程度で回復するか、オーランドは知っている。
知っている情報だった。わざわざ確かめた、ガーゴイルの再生までの時間……思い返せば、丁度今か。
情報を握り、だが、活かし切れなかった。このミスも、侮った事が原因。
どうせすぐ殺せるからと、残しておいた駒が、手負いのオーランドの前に今、立ち塞がっている。
「フフフフ……ハハハハハハハッ!」
半狂乱の様な笑い声が広間に反響する―――。
ミス、ミス、ミス、ミス、ミス……。
ミスばかりだ。
そんな自分自身を嘲るように―――傷に脂汗を流しながら、それでも飄々と笑みを浮かべたオーランド。
狂ったようなその目は、眼前のガーゴイルを睨み……口は、言霊を紡いだ。
「…………ブリッツ……」
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