居合い。それは常在戦場の心意気ー

 玉座の間の膠着は続いていた――。


 狩人の様に、殺意を胸に秘めたまま、宵虎の踏み込みを待っているオーランド。

 膠着は不利と知りながらも、オーランドの構えを前に踏み込めない宵虎。

 どれほどこうしているか。一秒が永遠になる様な、張り詰めた立会いを見せる玉座の間――。


 ――そこに、不意に影が落ちた。


 天井の大穴が、巨大な影に覆い隠され、ふぁさ、と翼が鳴る。

 現れたのはグリフォン――親の方だ。嘴に鹿――獲った餌を咥え、住処で向かい合う乱入者を睨みながら、グリフォンは玉座の間の中心に降り立つ。


 壁際のオーランドは、グリフォンと宵虎、その両方を同時に視界に収める事が出来る。

 だが、宵虎は……翼の音を背後に聞いた。

 オーランドへと視線を向け続ける宵虎の背後に、グリフォンは降り立ったのだ。


 膠着は割れるか。だが、宵虎の窮地が増した事に変わりはない。


 オーランドは依然、隙なく構えたまま。背後のグリフォンの様子を、宵虎は確認できない。


 グリフォンは餌を置き……その視線を、玉座の間の隅々に向ける。

 探しているのは我が子だ。ここでヒルデと遊んでいるはずの我が子の姿がない。


 グリフォンは返事を求めるように、鳴き声を上げる―――それは、正しく咆哮。

 玉座の間を揺るがす高い鳴き声は宵虎の身を震わし――宵虎はそれを、グリフォンからの攻撃の予兆と判断した。


 この場所に、子がいない事はわかるだろう。

 そして代わりに乱入者が二人。その二人は敵対している、宵虎はどちらかと言うと味方――などという判断を、獣と大差ない魔物がするはずもない。


 グリフォンの咆哮を背に、宵虎の身体は僅かに硬直し……遂一瞬オーランドへの注意を緩めてしまう――。


 ――その一瞬を、オーランドは見逃さなかった。


 オーランドは、宵虎を殺す事に決めている。オーランドが殺すのだ、この玉座の間の主だろうが、獣に獲物をくれてやる気は毛頭ない―。


 オーランドは鋭く、無駄のない足運びで疾走する。

 宵虎が気付いた時には、オーランドは宵虎をその間合いに捉えていた。


 オーランドの足が止まる――踏み込んだ右脚がその体を地面へと縫い付け、だが上体は駆ける勢いを殺す事なく御し切り――――余す事なく刺突に乗せる。


 風鳴りすら置き去る神速の刺突――


 ――反撃などと出来るはずも無かった。そもそも、この距離では、宵虎の手はオーランドに届かない。脇差しで受け、ずらす事も、その鋭さ、重さを前に不可能……試みれば脇差しごと腕を弾き飛ばされ宵虎は貫かれる。


 宵虎に出来るのは後ろへと倒れこむように、どうにか回避を試みる事だけ――。


 ――刺突が薙いだのは、倒れるように逃れようとする宵虎の眼前。


 頬が裂かれる。立会いの最初の様に、織り込み済みの傷ではない。

 完璧に躱そうとして、しかし躱しきれなかったという事……。


「……ッ、」

「チッ…」


 歯噛み、舌打ちは同時。


 躱しきれなかったと歯噛みする宵虎。

 仕留めきれなかったと舌打ちするオーランド。


 宵虎は即座に背後へと跳ねる――追撃の刺突が抉ったのは、そんな宵虎の影だけ。


 どうにかオーランドの間合いから逃れた宵虎は、再び両手をだらりと力みなく垂らし、オーランドの動きに集中する。

 オーランドもまた、槍を構え直す。宵虎の隙がまた消えたと、虎視眈々とした待ちの姿勢に戻った。


 立会いの後に、二人、元の姿勢に戻り……変わったのは立ち位置だけ。

 さっきまで背後にあったグリフォンは今、宵虎の真横。


 グリフォンはまた、玉座の間を見回し……宵虎たちに一切興味を示す事なく、翼を広げ、飛び上がっていく。


 住処への乱入者などどうでも良い。そこを守っていたのは偏に我が子を思うが故。呼びかけに返事がなく、そこに我が子がいないとなれば、グリフォンはそれ以上その場にかかずらう事はなく、子を探して上空へと跳び去っていく。


 そんなグリフォンの事情は、宵虎にもオーランドにもわからず、また思案にふけり隙を晒す間もお互いにない。


 ただ、この間の主が去り、状況がまた元の膠着に戻ったと言う、それ以外の意味は二人の間にはない。


 ………否、状況は、完全に元に戻ったというわけではなかった。


 立ち位置が変わり、見えるものも変わり……宵虎は見つけた。谷の底まで拾いに来た落とし物。


 ……宵虎の太刀。


 落ちている場所は宵虎とオーランドの中間あたり……いや、寧ろオーランドに近い位置か。無論、オーランドからも見えているだろう。


 だが、オーランドは知らない。その見慣れない剣が、宵虎の持ち物だという事も。

 あるいは、宵虎が真に極めた技術は、その異国の刃あってのものだという事も。


 宵虎は嗤った―――その笑みの意味がオーランドにはわからず、また、憶測を練る時間もない。


 笑みの直後に、宵虎が駆け出したからだ。

 力みのないどこか緩くもある様な、だが無駄のない足運び――。


 自棄にでもなったか……そう考えるオーランドの方針は変わらない。攻めて来るなら、間合いに入った瞬間にその笑みごと顔面を貫くだけ…。


 宵虎は迫る―――恐れる雰囲気もなくまっすぐと、オーランドへと。


 その身が、オーランドの間合いへと入る瞬間……いや、そのほんの刹那前に、動いたのは宵虎の方だ。


 オーランドの突きは見た。その間合いも知った。踏み込んだ瞬間に刺突が宵虎を襲うだろう……だからこそ、宵虎が狙うのもまたその瞬間。


 宵虎は、脇差しを


 投擲された刃はオーランドの顔面へと迫る―――刺突の呼び動作に入っていたオーランドは、僅かに身を捻りその刃を交わし、それに伴い、刺突が僅かに精度を欠く。


 槍が裂いたのは宵虎の頭上の髪、あるいはその下の薄皮一枚のみ。


 投擲の直後、宵虎は屈んでいた。その行動の意味がオーランドには分からない。


 戦闘中に屈む、否、寧ろ座るかのような低姿勢の意味―――その姿勢から始まるがある事を、オーランドは知らないのだ。


 座姿の宵虎は、そこから淀みなく足を運ぶ。立ち上がるその過程すら織り込まれた型、身を起こす宵虎の腰には、左手で拾い取った鞘。右手は柄に―――宵虎は、立ち上がりながら太刀を引き抜く。


 居会い。それは、常在戦場の心意気。姿勢、状況を問わず、抜刀がそのまま臨戦、必殺へと変わる酷く技法。


 立ち上がる動作、引き抜く動作――全ては淀みなく一閃へと繋がる。


 オーランドが、型を知らずとも辛うじて反応出来たのは、彼もまた境地に足を踏み入れた武人の一人だったからに他ならない。


 槍を引き戻し――オーランドは、それをどうにか、宵虎の一閃―――淀みない軌道を描く剣閃へと差し込んでいく。


 オーランドの誤算は一つ。……宵虎の剛腕が常軌を逸していたと言う、ただのそれだけ。


 キン―――鳴り響く金属音に、オーランドの槍は、腕ごと跳ね上げられた。

 宵虎の一閃を受け切れなかったのだ。


 跳ね上げられた槍、腕、大きく胴を晒したオーランドは見た。


 宵虎の獰猛な笑み―。

 たった今振り上げた宵虎の手の太刀――その刃が返り、淀みなく追撃へと繋がっていくその光景を。


「……悪いな、」


 八双の様な中上段―――呟きと共に容赦なく振り下ろされた刃が、オーランドの身を、袈裟に切り裂いた。



 *



 獅子と鷲、地と空の王の混ざりモノ――――グリフォンは、自身の生み出した竜巻におおわれる山肌を眼下に、雄々しく空を舞う―――。


 空から探すは子の姿。


 が、この広い山の事、グリフォンの視力であっても、我が子の姿はやすやすと見ては取れない。


 グリフォンは咆哮を上げるー。

 それは怒り、怨嗟―――子を探す親の吠え。


 と、その声に呼応するように、子は答えた。

 か細い、ピィと言う声。あるいは、魔物でなければ捉えられないであろう遠いそれ。


 けれど確かに聞き届けたグリフォンは、一切の迷いなく、その声へと空を駆けていく――。




 *




 ざ――重い風鳴りと共に、宵虎は太刀の血を払い、それを鞘に収める。

 すらりと収まった太刀を腰に履き……宵虎はオーランドを見た。


 血の海に倒れ伏し、ピクリとも動かないオーランド。


 袈裟に切ったが、身を両断するまでには至っていない。恐らく、まだ死んでいないだろう。だが、その出血、このままいけばいずれは死に至るはずだ。


 宵虎は、止めを差さなかった。そして、助け起こしもしない。


 オーランドも、覚悟があって挑んだのだろう。幾ら性根が腐ろうと、極みにあった事は事実。確かな研鑽は見た。

 呑まれ狂っているのであれば救おう。だが、己で選んだ邪道ならば、それは宵虎の口を出す事ではない。ただ阻むだけだ。


 宵虎はそれ以上、オーランドを気に止めず……投げた脇差しを拾い、それから、考えた。


 グリフォンは跳んで行った。考えれば、子を心配しての事だろう。ネロが子を持っている様を見ればどうなるか……ヒルデがいれば止まるかもしれないが、とにかく、ここでこれ以上呆けている訳にも行かない。


 向かうか……そう決めた宵虎は、僅かにふらついた。


「む…………」


 少々、血が流れ過ぎている。躱さなかった頬の傷、躱しきれなかった頬の傷……裂かれた腹の傷。


 流石に、消耗しているようだ。

 そんな事を思いながら、しかし、宵虎に休む気は無かった。


 とにかく、グリフォンを追う……あるいはアイシャ達と合流する。方針はそれ、問題は……。


「……道がわからん」


 玉座の間の出口はそこにある。が、洞窟の出口に至る道を宵虎は知らない。

 暫し、憮然と出口を睨み………だがそれで道がわかる訳もない。


 やがて、宵虎は見上げた。

 天井に開いた大穴。わかりやす過ぎる出口。が、それは流石に、跳ねて至るには高過ぎる。


 あるいはアイシャならば、悠々と跳ねて行っただろう。……いや、ならば。


「無様であれ、真似るか……」


 唸るような呟きと共に、宵虎は太刀を引き抜いた。


 神下し。修練の末に会得した、破邪の技法。

 宵虎が身につけたそれは、迦具土かぐつち一つ、のみではない。


 宵虎は太刀を構える―――頭上に掲げ上げる太刀、その構えは大上段。


すさみの神意しんい、吠え凪ぎ、暴嵐相ぼうらんあい躍り、」


 言霊と共に、太刀を振り下ろす宵虎――その剣閃は淀みなく、舞いでも踊るかのように、周囲に紋章を描く。


 風が吹く――宵虎の身が、その一刀が放つ風が大気を揺らし、吹き戻る時には更に大きく。

 宵虎の舞いが風を呼び、その身に風を纏って行く――。


乱心らんしん暴徒ぼうと静謐せいひつ現身うつしみ…………相喰あいはみ、万象ばんしょうを散らせ」


 暴風が辺りを吹き荒ぶ――

 呼び纏った嵐の差中、宵虎の構えはまた大上段。


「神下し…………演武・天御柱あまのみはしら


 シンと、風が凪ぐ。

 静寂の差中、風を纏うは、掲げ上げた太刀のみ――。


纏嵐まといあらし剛乱爆打ごうらんばくだ


 言霊と共に、宵虎は太刀を振り下ろした。

 狙うは眼下――自身の足元。


 打ち付けた瞬間に解き放たれた纏い風――爆風の如く周囲を荒らすその極地の嵐が、を吹き飛ばす――。




 アイシャの真似をし、自分を吹き飛ばし、天井の穴、その向こうへと宵虎は去る。

 その場に残るは、無茶苦茶に乱れたガラクタの山と……血の海に倒れる長髪の男。


 ピクリ、と。

 その男の指が、僅かに動いた……。


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