あるいは、それは案の定……

 槍の切っ先は、地面を向いている。

 半身、右肩を前に、両手で槍を構えるオーランド……その佇まいは恐ろしく静かだった。


 その目には確かに、怒り、憤りの炎が浮かんではいるが、その感情と技の冴えは別。


 所作を見ればある程度の腕前はわかる。構えを見れば研鑽は見て取れる。

 そして、刃を手に向き合えば……………切り合う前に勝敗は知れる。


「クズの割に、これほどか。……負けるな」


 冷静さを取り戻した――否、憤りに任せておける場合ではないと思い直した宵虎は、そう唸った。


 オーランドの佇まいを前に、ありありと情景が浮かんだのだ。


 脇差しを手にした宵虎が、オーランドの間合いに踏み込んだその瞬間に、首を刺し貫かれるその情景が。


 間合いは重要だ。三倍段と言われる程に、勝負は間合いの長い方が有利。

 遠くから攻撃できる方が有利と言う、ただそれだけの単純な理屈が、切られれば死ぬ人間同士の戦場では酷く拭い難い障壁となる。


 オーランドの手にあるは槍。佇まいから見れば、その扱いは極みに至っているだろう。


 対して、宵虎の手にあるのは、脇差し。こぶし二つ程度の刃渡りしかないその間合いは、オーランドの槍とは比べ物にならない程狭く……またそもそも特別得意な武器と言う訳でもない。


 格好つけて持っていただけの事……異国に至ってからやたらと使ってはいるが、別に好きで使っている訳でもない。

 勿論、まるで扱えないと言う訳でもなく、脇差しは身を守るものと開き直り、殴打と絡めればある程度は扱えるが、……極みには程遠い。


 オーランドは動かない。有利と知っているからだろう……明らかに宵虎の踏み込みを待ち、後の先を狙っている。顔に飄々とした笑みはなく、ただ静かに、虎視眈々と……隙を探っている。


 相対する宵虎は、だらりと両手を下げたまま……踏み込めなかった。


 脇差しで今のオーランドの間合いへと踏み込めば、裁き切れずそこで宵虎は終わる。守勢に回れば反撃くらいは出来るだろうが……オーランドは攻めて来る気配を見せない。


 達人同士の静かな立会い、千日手の様相……だが、明らかに不利は宵虎。


 攻め手はなく、このままの膠着が続けば、先に体力が尽きるのは腹から流血している宵虎の方。


 あるいは、せめて、練り上げた技の全てを込められる得意の武器があれば、状況は違うかもしれない。


 要するに、宵虎はこう言いたいのである。


「…………太刀さえあれば」


 ちなみに、太刀は唸る宵虎の背後に置いてある。


 ヒルデが置いたまま、ずっとそこに置かれている。二歩後ろに下がればあるのだが……そんな事を宵虎が知る由もない。


 この玉座の間に踏み込んだその時には、アイシャとヒルデの窮地としか見ておらず、その後苛立って周囲を確認もしていない。乱打の後も仲間割れかとつい見物してしまい…その末の今。オーランドから視線を切って後ろを向こうものならば、やはりその瞬間に宵虎は死ぬ。


 ネロが居たなら言うだろう。


『だんにゃ!後ろ後ろ!』と。


 だが、ネロは今いない。散々押し付けて逃がしたのは宵虎である。

 この窮地、脱し切れねば宵虎は死ぬ。敗北は必至、決まり手はただの一つ。


 ………突っ込み不在。



 *



「なんでそうやって躊躇なくカッコ良い感じを無駄遣いしちゃうんだにゃ!?この、天然!」


 ヒルデに導かれて洞窟を駆けている途中で、ネロは突然そんな事を言い出した。

 そんなネロに呆れ、引いた様な視線を向けながら、アイシャは言った。


「……いきなりどうしたの、ネロ」

「いや、なんか急に……言わなきゃいけない気がしたにゃ。だんにゃが凄いカッコ良い感じでカッコ悪くなってる気がしたにゃ……」

「……良く分かんないんだけど……なんか、ネロ、変な勘だけ冴えて来たね……」

「やめるにゃ。うわ~やばい人だ~みたいな目で見ないで欲しいにゃ……」


 そんな騒がしい声を背後に……先頭を駆けるヒルデの視線の先に、明かりが見えた。

 その明かりを指差して、ヒルデは振り向いて言う。


「アイシャ。出口」

「え?……あ、ホントだ。ありがとね~、ヒルデ」

「うん」

「良く道覚えてるにゃ~」

「うん。一杯通ったから」


 そんな会話を交わしながら……やがて、一行は洞窟から出た。


 太陽の明かりが降り注ぐ、細い渓谷。ヒルデはそこをまだ歩んで行き……やがて、向こう岸までが酷く手狭になっている場所へと辿り着くと、ぴょんと一足でそこを飛び越えた。


「こっち」


 なんでもない事の様に、ヒルデは続くネロへと呼びかけて来たが……しかし、ネロとその首にしがみついたグリフォンの子供は飛び越えず、……恐る恐る下を見た。


 渓谷の下、川の流れは酷く速い。落ちたら大分流されるだろう……。


「にゃ、にゃあ……ここ、飛び越えるのかにゃ?いや、多分行けるけど~、落ちたらどうしようって言うか~」


 顔を引きつらせたネロに、アイシャは親切心で言った。


「フっ飛ばして上げよっか?」

「自分で行きますにゃ!」


 半ば自棄の様に声を上げ、ネロは篝火を脇に起き、グリフォンの子供を落とさないように抱きしめて……涙目で向こう岸へと跳ねた。


「にゃ、にゃあ……」


 無事向こう岸までが渡ったネロは、そう大きく息を吐く。


 一番後ろを進んでいたアイシャは、そこで洞窟の出口へと視線を向けた。


 アンジェリカが追ってきているはず……だが、洞窟で襲って来る事はなかった。

 本当に諦めたのか、あるいはアイシャ達を見失って迷っているのか。


 ヒルデのペースで進んでいた以上、追いつかれても不思議はないはずだ。


 暫し、アイシャは洞窟の出口を睨み………だが、アンジェリカが姿を現す事はない。

 来ていないのだろう……そう、アイシャが判断した直後。


「アイシャ?何してるにゃ~、あ、もしかして実はビビってるにゃあああああああ!?」


 素っ頓狂な声を上げて、ネロは腰を抜かしていた。

 向こう岸、ネロの顔の真横の壁――そこに、忽然と現れた青龍刀が突き刺さっていた。


 突然の攻撃にネロは腰を抜かし、ヒルデは怯え硬直し、アイシャは舌打ちと共に弓を構える。


 そんな中、突き刺さった青龍刀を引き抜きながら、アンジェリカはその場に姿を現した。


 アンジェリカはずっとついてきていたのだ。魔術で姿を隠し、アイシャが油断する瞬間を待ち……そして、好機と見た瞬間に動いた。


 アンジェリカは、倒れるネロの胸の上から、グリフォンの子供を掴み上げる。ピィと悲鳴を上げながら、グリフォンの子供はもがいた。


 そして、弓を引くアイシャを牽制するように、アンジェリカは青龍刀をネロへと向けた。


「にゃああああ!?あの~、あたしには~そんな~人質的な価値はないって言うか~だってあたし猫だし~」

「黙りなさい?」

「はいにゃ!」


 即座に命乞いを始めたネロは、青龍刀を前に口を噤んだ。

 ……また、人質だ。


「チッ……」


 舌打ちと共に、アイシャは弓を下ろす――。

 向こう岸で、ネロは刃を向けられている。ネロを助けたとしても、今度はまた竦んでしまったヒルデもいるのだ。


「……二人揃って、最低だね」


 せめてもの抵抗と、アイシャは悪態を吐く。


 だが………アンジェリカは何も応えず、ただネロに刃を向けたまま、身動きを取らなかった。


「………だんまり?何、時間稼ぎ?」


 アイシャはそう声を投げ……そこで、気付く。


 なぜ、時間を稼ぐ必要があるのか……さっきのオーランドはアンジェリカを逃がす時間を稼ぐと言う明確なメリットがある上で、人質を取っていたはずだ。


 だが、この状況で人質を取っても、アンジェリカに大して得はないはず。


 そして、そこでアイシャは気付く………動いていないのはアンジェリカだけではなく、その腕の中のグリフォンの子供さえも、今はまったく身動きしていないと言う事に。


「……まさか、」


 呟いたアイシャ―――同じタイミングで、ヒルデも同じ事に気付いていた。


 思惑云々はわからないが、グリフォンの子供が、確かに目の前に見えているはずだと言うのに、そこに居ないような気がする、と。


 テイム。その才能の片鱗。魔物との特別な繋がりの一端だ。


 さっきは何にも出来なかったから……そう、勇気を振り絞り、ヒルデは突き飛ばすようにアンジェリカへと手を伸ばした。

 その手が、アンジェリカにぶつかり、……すり抜ける。


「……いない」

「にゃ?どうなってるにゃ?まさか幽霊!?」

「幻覚でしょ…………もう!」


 苛立ち紛れに声を上げて、アイシャは向こう岸――ヒルデの横へと飛び移った。


 姿を隠し、幻覚を見せる魔術……返事をしなかったのは、あくまでそこに居るように見えるだけで、声までは出せないからだろう。


 黙りなさいと言った時まではそこに居たはずだ。

 どのタイミングで幻覚と切り替わったにしろ、時間を考えれば、そう遠くには行っていないはず……。

 すぐに追い掛ければおいつけるはずだ。


「ネロ。ヒルデを安全な所に連れてって。……ていうか、安全な所に連れってって貰って」

「言われるまでもないにゃ」


 情けない事を言われながら、ネロは特に意味もなく胸を張った。

 そんなネロを横目に、それからアイシャはヒルデに言う。


「じゃあ、ヒルデ?私、ちょっと助けて来るから」

「うん。……多分、あっち行った」


 そう言って、ヒルデは指差す。キャンプがある方向を。


「わかるの?」

「たぶん」

「そっか……」


 それだけの言葉を交わして、アイシャは微笑みと共にヒルデの頭を撫で、それからヒルデの指差した方向へと駆けて行った。

 そんなアイシャを見送って、それからヒルデはネロに言う。


「行こう?」

「了解だにゃ!………………あたしも良いとこないにゃ……」


 げんなりした様子で肩を落としたネロに、ヒルデは首を傾げた。


 と、そこで不意に…………ヒルデは視線を彼方に向ける。

 見ているのは、洞窟の奥……玉座の間のある辺り。あるいはその空、竜巻の舞う山の上……。


「にゃ?どうしたにゃ、ヒルデ」

「……怒ってる?」


 どこかぼんやりしたヒルデの呟きの意味がわからず、ネロもまた、首を傾げた。

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