鉄拳制裁

 脇差しを手に、怒りをその目に、宵虎は歩む……歩む先のオーランドは、僅かに身体をふらつかせている。


 手加減せず頭を殴りつけたのだ。脳震盪はまだ覚めていないのだろう。平衡感覚が戻り切っていない……そうと宵虎は理解していたが、しかし、だから容赦しようという気は一切無かった。


「……クソ、」


 そう吐き捨てると共に、オーランドは迫る宵虎―その顔面へと槍を突き出す。

 ある程度の極みにはあるのだろう。だが、平衡感覚がないままに突き出されるその槍に、技の冴えは一切ない。


 宵虎は首を僅かに傾ける――僅かに頬を裂かれたが、それは完全に避けようという気が一切なかったが為。


 多少、手傷を負おうが構わない。それよりも、避けて殴打が緩む事を厭う―。


 頬の傷にひるむ素振りもなく、宵虎は踏み込む―――そこは、槍の間合いの内側。宵虎の手がオーランドに届く距離。


 宵虎は殴打を放った。淀みない体裁き、脚力、体重を余す事なく乗せた重い掌底――それが、オーランドの顔面を打ち抜く。


 先程吹き飛ばしたそれよりも尚重く激しいそれは、頭からオーランドの身を吹き飛ばし―――だが既に背は壁に張り付いて居る。


「…………ッ、」


 飛ばされた直後に打ち付けた背、後頭部……更に朦朧と呻いたオーランドのぼやけた視界に……足の裏が見えた。


 殴打の流れから淀みなく放たれた後ろ回し蹴り――

 ――それがまた、オーランドの顔面を吹き飛ばす。


 壁と足に押しつぶされるような衝撃―――歯でも折れたか、オーランドの口の中に固形物が転がる。


 それを吐き出す間すら厭い、オーランドは崩れ落ちながら苦し紛れに槍を振るった。


 一切の冴えのない稚拙な一閃―――宵虎はそれを躱す気もなく、崩れかけのオーランドの顔面を蹴り上げた。


 一閃は力を失い、宵虎の身を裂くことなく漂い落ちる――

 ――その槍が地面に落ちる前に、宵虎の踵がかち上がったオーランドの顔面を踏み付けた。


 蹴り上げから、踏み潰すような踵落とし。

 オーランドは地面に倒れこみ……もはや動く事も出来ない。


 開幕から五発、全力の打撃が頭部を襲ったのだ。気絶……で済まないほどの暴力の嵐。


 幾ら頑丈な奴だろうと、もう立てないだろう。

 怒りのままに容赦なく、連打を決め切った宵虎は、倒れ伏すオーランドを見下ろし……そこで漸く多少、溜飲を下げ、冷静さを取り戻した。


「…………やり過ぎたか」


 流石に殺す気は無かったのだが………加減を誤ったか。

 若干後悔しだした宵虎――――その身を、突如、殺気が襲う。


「………む、」


 オーランドからのものではない……真横から薙ぎ払われる青龍刀の一閃。

 咄嗟に跳び退いた宵虎―――だが、完全に躱すには察知するのが遅過ぎた。


 腹が裂かれる――真一門の淀みない一閃に、宵虎の腹に焼けるような痛みが走る。

 致命傷とまではいかない……流血はあるが、裂かれたのは表面だけ。


 痛みから傷の具合を確かめながら、宵虎はそのまま、距離を取っていく。


 倒れ伏したオーランドの真横、宵虎の血のついた矛を握るのは、微笑みを浮かべた黒い修道服の女。

 アンジェリカは、宵虎の隙を探っていたのだろう。不可思議な術で姿をくらまし、仲間が瀕死に至る様を平然と看過し、倒したと宵虎が油断するその一瞬を、虎視眈々と狙っていたのだ。


「あら?これも躱すの?やっぱり、私じゃ駄目ね……」


 そんな風に呟きながら、アンジェリカは身を屈め、オーランドの襟を掴み、乱雑にその身を起こした。


 そして……アンジェリカはオーランドを壁にもたれさせると……直後、オーランドの首を掴み、締め上げ始める。

 矛まで置いて、両手でオーランドの首を……。


「……う、」


 苦し気に唸るオーランドの首を締めながら、微笑みと共に、アンジェリカの舌は毒を吐いた。


「オーランド。本当に、情けないわ。余裕ぶって、辱めて遊んで……その結果布切れみたい。品性を疑うわ。屑ね。本当に、使えない……」


 毒を吐き、首を締め……何を言っているかまではわからないまでも、宵虎はどこか唖然と呟いた。


「……仲間割れか?」


 そうとしか見えない光景だったのだ。普通の信頼関係で成り立っている結託なら、仲間の窮地を見過ごすのも、あるいは助け起こした末に、武器まで置いて首を締める意味も、他には思い当たらない。


 普通は、考えない。

 仲間に止めを刺すように見せかけ、宵虎の油断を誘いながら、回復魔術を掛ける間を作っているとは。


 普通は、考えない。

 オーランドの殺意を助長させる為に、ひたすら毒を投げ掛けているとは。


「駄目な男ね、本当。これと手を組んでいると思うだけで虫唾が走るわ。悪ぶっても大して徹しきれない。底が知れる。浅はかよ。薄っぺらい男。私も初めからあっちの野蛮人と仲良くしてれば良かったかしら……こんな浅薄で実力もない布切れより、あっちの方がよっぽど良い男に見えるわ……」


 ひたすら楽し気に仲間へと毒を吐き続けるアンジェリカ……その手を、オーランドは不意に、荒々しく払った。


「……もう、十分だ、サド女」

「あら。貴方が喜ぶと思ったのに……」


 そう笑いながらアンジェリカは身を引き……オーランドは立ち上がり、血と共に折れた歯を吐き出す。


 回復を終えたのだ……負ったダメージの一切が失せ、同時に装っていた余裕も失せ、怒りのままに、オーランドは宵虎を睨み付ける。


「……あれは俺が殺す。散々殴りやがって……」

「そっちの方が素敵よ、オーランド。どうせ、馬鹿な田舎者なんだから。せめて、一生懸命やりなさい……じゃないと貴方、本当になんの価値もないわ」


 楽し気に最後まで毒を吐き、そこでアンジェリカは姿を消した。アイシャ達を追いだしたのだ。


 残ったのは、飄々とした雰囲気などどこにもなく、ただ、苛立ちに顔を歪める長髪の男のみ。


 距離を取ったまま、その光景を眺めた宵虎は、憮然とした表情で、唸る様に呟いた。


「…………仲間割れではなかったのか…」


 なぜ首を締めていたのかまったくわからないまま……宵虎は深く考えず身構えた。

 とにかく、仕切り直しのようだ。


 オーランドは脳震盪から回復し、確かな研鑽の見える隙の無い構えで……宵虎を睨み付けていた。



 *



 通路を足早に進んでいくネロは……正直忙しかった。


 グリフォンの子供を首にしがみつかせつつ抱え、片手には篝火を持ち、もう片方の手で怯えたヒルデの手を引き、更に珍しく大人しくなっているアイシャがちゃんとついて来ているか確認し………。


 宵虎が全部ネロに押し付けてきたせいで、てんやわんやだ。


「これが猫の手も借りたいって奴かにゃ……。って、猫はあたしだったにゃ!今は違うけど!」

「………………」

「………………」


 とにかく空気が暗いから明るくしようと秘儀・ノリツッコミを繰り出したネロ……が、その場の誰もネロの声に反応しなかった。


(にゃ~。まあ、そんな余裕ないかにゃ……)


 ヒルデは刃を向けられた事などなかっただろう。泣いてないだけ立派だが、流石に黙り込んでしまっている。グリフォンの子供はそんなヒルデを心配するのに忙しいようで、荒事に慣れているはずのアイシャも……年頃の女の子ではある。荒事じゃない部分で沈んでしまっている。


(……どうしたもんかにゃ~)


 と、ネロが胸中で呟いた所で、不意に、アイシャは大声を出した。


「……………あああああああああ!やっぱりなんかムカついて来た!何アイツ、人質取って服脱げとか。……死ねば良いのに……」


 苛立ってはいる様子だが、普段通りになろうとはしている。アイシャはどうにか切り替えようとしているらしい。


 その様子に内心ホッとしつつ、ネロは窘めておいた。


「死ねばって……まあまあアイシャ。とりあえず、だんにゃに任せとくにゃ。殺し~は流石にしないと思うけど………半殺し位はしそうだったしにゃ……」

「お兄さん、そんなに怒ってた?」

「そりゃもう、あれでだんにゃ結構心配してたしにゃ~。それで、やっと見つけたらああだし………あれきっとマジ切れだにゃ」

「ふ~ん……。じゃあ、良いか。まあ、無事っちゃ無事だったし。あ、そうだ……ヒルデ、大丈夫?怪我とかしてないよね?」


 自分の中で色々と折り合いをつけ終えたのか、アイシャは漸く、周囲に気を回せるくらいには余裕をとり戻したようだ。


「……うん」


 ヒルデは、まだ沈んだ様子だったが、それでもそう頷いた。

 それから、ヒルデはアイシャに視線を向けて、か細く呟く。


「あの、……アイシャ。ごめんね」

「え?なんで謝るの?」

「……私、動けなくて……だから、」


 ヒルデは、人質になってしまった責任を感じているらしい。


(あの状況で人の心配してたのかにゃ……。良い子だにゃ~)


 妙にしみじみそんな事を思ったネロは、そこで立ち止まった。


 目の前に分かれ道があったのだ。どっちに行くと出口があるのか、ネロには当然分からない。


 足を止めた一行……そんな中で、アイシャはヒルデの目線の高さまで屈み、微笑みを浮かべて言う。


「謝る事ないよ、ヒルデ。悪いのは完全にあっちだし。…………あ~でも、足引っ張られたっちゃ、足引っ張られたかも~」

「アイシャ。何言ってるにゃ……」


 そう言う性質の悪い冗談が通じる場合じゃない、と、呆れた視線を向けたネロ。


 間に受けてしまったか、ヒルデは俯き……そんなヒルデの頭を撫でながら、アイシャは言う。


「だからさ、ヒルデ。今度は助けて。私達、道わかんないからさ。ヒルデに助けて貰わないと、迷子になっちゃう。出口まで案内してくれる?」


 その言葉に、ヒルデは顔を上げて、微笑んでいるアイシャを見詰め……やがて、口を引き締めて、頷いた。


「うん。……こっち」


 そう言って、ヒルデはネロから手を放し、先頭に立って暗闇の中を進み出す。

 その後を、ネロとアイシャも追い掛けた。


「頑張るにゃ~。なんか、健気な子だにゃ」

「良い子だよね、ホント…」


 優しい眼差しでアイシャは呟き……だが、直後、アイシャは視線を鋭く、ネロへと問いを投げた。


「でさ、ネロ。アンジェリカは?」

「あ~くる途中でだんにゃに羽交い締めにされて~逃げてったにゃ。なんか、諦めるって言ってたにゃ」

「絶対嘘じゃん。追ってきてるよね。……ああ。この道潰しとく?通れない様に」


 割と本気でそう言ったアイシャに、ヒルデはサッと振り向いて言った。


「……やめて」


 この道がなくなると、ヒルデはグリフォンの住処に行けなくなってしまう。困るのはヒルデだ。

 ごまかすように笑いながら、アイシャは言った。


「アハハ、冗談だって……」

「いや、絶対目がマジだったにゃ……。ていうか~、それしたらだんにゃも通れなくなるんだけどにゃ?」

「お兄さんはほら……瓦礫フっ飛ばして無理やり出て来るんじゃない?お兄さんならそれ位できるよ?」

「剣さえあれば~だにゃ」

「剣?ああ、あるよ。ね、ヒルデ?」

「…うん」


 アイシャとヒルデはそんな風に言い合って……その事に、ネロは首を傾げた。


 娘達は暗い通路を進んで行く。

 さっきよりも、少しは明るい雰囲気で、騒がしく話しながら。

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