3章
取引
ほんの僅かな足音――
それを聞いた瞬間にアイシャは瞼を開け、身を起こすと同時に弓を引き、不可視の矢を足音へと構えた。
医療テントの入り口辺り。朝日が入り込んで来るそこを背に、両手を上げて突っ立っているのは長髪の男―オーランド。
「おはよう、アイシャ。よく眠れたかな?」
飄々とそう言ったオーランドを警戒の眼差しで睨んだまま、アイシャは鋭く言った。
「何の用?」
「いや、昨夜は挨拶をしそびれたからね。世間話でもしようと思って」
そう適当な事を言った後、どこかあざける様な調子でオーランドは言う。
「ヒッポグリフに襲われたらしいな」
「……確かに。忠告されてすぐね」
皮肉混じりで答えたアイシャに、オーランドは笑った。
「なるほど。不思議だな…………」
どこかふざけた様な、飄々とした調子で、オーランドはそんな事を言う。
アイシャがオーランドを疑っていると勘づいたのだろう。
その上で、オーランドはこんな事を言い出した。
「じゃあ、こう考えて見るのはどうだ?もしかしたら、目の前にいる色男がヒッポグリフと通じているのかもしれない。何かしら良からぬ事を企んでいるのかもしれない。そして、これからキャンプを出る度に、ヒッポグリフが君を襲って来るかもしれない」
暗に認めているような言葉だ。
飄々としたオーランドを睨み付けたままに、アイシャは言った。
「……色男なんて私には見えないけど?」
その言葉を楽しむようにオーランドはやはり笑い、だが応えず話を進めた。
「ナイショ話をしよう。実は、宝探しにちょっとした問題が発生してね。暗礁に乗り上げていると言って良い」
「問題?」
「洞窟の中に怪物がいたんだ。いや、怪物のようなモノかな。君がここに来る前日の話だ。洞窟の奥に城を見つけた。けれどそこには門番がいた」
「ここに居る全員で挑んだら良いんじゃない?私以外の全員で」
「グリフォンを倒せばそれなりの金になる。だと言うのに、ここに居るハンターは全員、宝探しに目が眩んだ。……その程度でしかない。自力でグリフォンを倒す事を諦めた奴ばかりだ、碌な奴じゃない」
「貴方も含めて?」
「想像に任せようかな……。とにかくまあ、こっちとしては頭数が欲しかっただけだからそれでも構わなかったんだが……怪物を見つけて話が変わった」
頭数……単純に洞窟の中を探るだけなら実力は関係ないが、戦闘が絡むと意味が変わった、という事だろう。
「とある理由で、俺は君がそこそこ使えるやつだと知ってる」
オーランドはそんな事を言う。
ヒッポグリフに襲われた理由は、試験だったのかもしれない。
戦力として数えられるかどうか、それを手っ取り早く測ったのだ。そして、アイシャはその試験に合格したから、今こうして………脅されている。
「取引をしよう、アイシャ。もしも、手伝ってくれたら、ヒッポグリフは君の邪魔をしなくなるかもしれない。なんとも不思議な事にね」
手伝うならば、アイシャが宵虎を探す邪魔をしない。
だが、手伝わないならば……キャンプを出るたびにヒッポグリフに邪魔をされる。
思案を始めたアイシャへと、オーランドは笑みを浮かべたまま言った。
「勿論、無視してくれても構わない。その場合は………仲間を探すのに苦労するだろうね」
取引も何もない、完全な脅しだ。
オーランドとヒッポグリフは繋がっている。オーランド自身がそれかどうかはわからないが…ここで首を縦に振らなければ、ヒッポグリフは永遠アイシャの邪魔をし続けるだろう。
勿論、この提案を無視した上で、次にヒッポグリフとあった時に倒してしまう……それでも問題はないだろう。
だが、それはすなわち、人と戦うと言う事だ。今のアイシャの気分では、手加減する気にもならないだろう。
それよりは、怪物退治の方が、アイシャの気は楽だ。
(……めんどくさい)
胸中でそう呟きながらも、アイシャは決断を下し……そこで漸く弓を下ろした。
「その、怪物を倒したら、ヒッポグリフは邪魔しないんだよね」
「……かもしれない」
なおも飄々とそう嘯いたオーランドを、アイシャは睨み付けた。
まったく信用できない。良いように利用されるだけになっている気もする。
オーランドを睨んだまま、アイシャは暫し思案し……やがて、懐から硬貨を取り出した。
そして、それをオーランドの足元へと投げる。
落ちた銀貨……それを見ながら、オーランドは問いを投げて来る。
「これは?」
「人よりお金の方が信用出来る寂しい人間なんでしょ?」
あざける様な口調でアイシャは言った。
人を裏切っても金は裏切らないのが信条―オーランドはそう言っていたはずだ。
そのオーランドの信条とやらを信用するのもどうかと思うが、しかし、どうせアイシャは金に執着していない。確率が多少上がる程度でも、これ以上邪魔されるよりはマシだ。
苛立ちを隠す気もなく、オーランドを睨み付け……アイシャはどこか暗い声で言った。
「その怪物、殺して上げる。だから、……邪魔するな」
言い放ったアイシャを前に、オーランドは足元の硬貨を拾い上げる。
そして、硬貨に口付けし、笑みを口元に浮かべた。
「契約、成立だな」
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