苛立ちのアイシャ
「あああああ!なんか、イライラする!良くわかんないけどイライラする!……ていうか、寂しい……」
渓谷の底の、ハンター達のキャンプ。
その内とりわけ広いテントの中――医療テントらしいそのベットの上に寝そべり、アイシャは喚いていた。
アイシャがどうにかこのキャンプに辿り着いたのはついさっき。
引きずる足で事情を話し、このテントへと誘われ、治療を受け始め……その内に急にイライラしてきたのである。
元々機嫌は悪かったがそれとはまた別の何か猛烈に気に食わない事態がどこかで起こっているような気がしたのだ。
喚いたアイシャへと、迷惑そうな顔で修道服に身を包んだ女性―アンジェリカは言った。
「うるさいんだけど?」
アンジェリカの手は、くじいたアイシャの足に向けてかざされており、その手からほんの僅かな輝きが漏れてもいる。
回復魔法、ヒール。確かにアンジェリカはそれを使えたらしく、その光を受ける毎に、アイシャの足の痛みは和らいでいっている。
その様子を眺めながら、アイシャは不満げに口を尖らせた。
「だって……。お兄さん見つかんないし。ネロとはぐれちゃったし……。ヒッポグリフ。次見つけたら手加減しない」
「手加減して負けるだなんて、負け惜しみも良い所ね」
「負けてないし!寧ろ勝ったし!逃げたのあっちだし!」
「相手をする価値もないと思われたんじゃないの?」
「いや、絶対ビビってたから!フードの下絶対真っ青だったし!」
「……なら、そういうことにしておきましょうか」
アンジェリカはそう言って、アイシャの足から手を離した。
治療が終わったらしい……恐る恐る地面に足を付け、痛みが確かになくなっていることを確かめたアイシャ。
そんなアイシャへと、アンジェリカは何も言わずに掌を差し出して来た。
「…………なに?その手は」
「わかるでしょう?」
「仮にもシスターが、それで良いの?」
文句を言いながらも、アイシャはポーチから額も確かめず硬貨を取り出し、それをアンジェリカの手に置いた。
払わずに永遠敵視されるよりは幾分マシ、という気分で。
硬貨を受け取ったアンジェリカは、握りしめたその手をまるで祈るように胸の前に運び、言う。
「神は言っています。口だけの礼に価値はないと」
「適当な事言って、天罰下るんじゃない?」
そんなアイシャの文句を聞く気もなく、アンジェリカはたった今受け取った硬貨にチラリと視線を向け、不満げに呟く。
「……銅貨?あなたは自分にその程度の価値しか見いだせないの?」
「うるさい。上げたから良いでしょ」
そう言い放ち、しっしと手を振ったアイシャを睨みながら、アンジェリカはテントから出て行った。
一人、テントに残り、アイシャは再度足の具合を確かめる。
やはり、治っている。お金を要求されたとは言え、おそらくオーランドと親しいであろうアンジェリカは、アイシャを治した。
ヒッポグリフがオーランドと繋がっているとして、けれどそれと敵対して負った傷を、アンジェリカが治すというのは少し不可解な気がする。
オーランドが馴れ馴れしいだけで、オーランドとアンジェリカはそれほど親しい訳でもないのか、そもそも全部アイシャの考えすぎで、このキャンプのハンターとヒッポグリフは何にも関係がなく、ただ敵対しているだけで、ヒッポグリフはオーランドが言っていた通り渓谷の民なのか……。
そもそも、だ。アイシャがヒッポグリフに襲われた理由さえもわからない。
「はあ……」
なんだか疲れてきたアイシャは深く溜息をついた。
アイシャはただ単に、早く宵虎に会いたいだけである。
はぐれたから合流しようと言う、ただそれだけなのに、どうにも、この場所の事情に巻き込まれつつある気がする。
「……めんどくさいな~」
呟く声にも、元気がない。
単純に寂しいのだ。
宵虎もいない、ネロもいない。下らない事を言う相手も、言って来る相手もいないのだ。
「こないだまで、ぜんぜん大丈夫だったのにな……」
一人、そう呟いて、アイシャはベットに横たわった。
もう夜も更けてしまっている。すぐにでも宵虎とネロを捜しに行きたいのはその通りだが、しかし疲れている事も確か。
治ったとはいえアイシャは怪我人だ。一晩ベットを占領していても文句は言われないだろう。
言われても多分、お金を払えば黙るだろうし。
寝ている時にヒッポグリフが襲ってきたら?……その可能性は低い気がする。
ヒッポグリフが、このキャンプと敵対している奴なら、ここは敵の本陣になるわけだし、流石にそうやすやすと攻めて来ないだろう。
オーランドが何かしら企んでいる、なんならオーランド自身がヒッポグリフだったとしたら、……この場で暴いてしまっても良い。
深く眠らなければ問題はない……元々、一人だったのだ。甘えて寝入れてしまえていたここ最近がイレギュラーだっただけ。
警戒したまま眠れば良いだけだ……。
弓を胸に抱いたまま、アイシャはゆっくり目を閉じた。
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