娘の秘め事


 日は落ち切り、周囲の家々からも明かりが消え始めた夜半―――


 地形を見終わり、道を覚え終え……やがて疲れて階段に座り込んだまま寝入っていた宵虎は、不意にざりざりと何かが擦れる音を聞き、ゆっくりと瞼を開けた。


 もはや耳慣れた太刀を引きずる音……月明かりの元、篝火を手に歩んで居るのは小さな人影。


 ヒルデだ。こんな夜更けに出歩き、どこへ行こうと言うのか。

 首を傾げ、宵虎は立ち上がった。


 ヒルデはなぜだが未だ離さず太刀を持っている。落とされでもしたら探す羽目になる。

 それに、いくら身のこなしが素早かろうと、夜更けに一人で歩くのは危なかろう……そう考えた宵虎の耳に、不意に声が届く。


「追うか、武人」

「む?爺………いつの間に」


 気付くと、いつの間にやら宵虎の脇に、気配も音もなく長老が現れていた。


 その目は、歩んで行くヒルデを見詰めている。


「あれも寂しい盛りでのう。年の近い子供もおらず、親もない。あれの父親は放浪していてな。伝承の血脈を持つが為。テイムだったかの?ここに飽きてしまったのだろう、若い才気を埋めるには狭い場所じゃ。子だけ連れて戻り、だがおいて去り、今はどこで何をしているのやら……」

「…何を言っているかわからん」


 そうと呟き、宵虎はヒルデを追って歩み出した。

 わかりもしない長話を聞く気は無いと。


「聞く耳を持たんか。まあ、それも良い。見れば猛ける理由もわかろう。……無害な阿呆のようだしの………」


 長老は思案顔で呟き、宵虎を、ヒルデを見送った。


 *


 ヒルデは歩んで行く……月明かりの夜道に篝火をともし、集落の外、谷の細道へと。

 やがて、ヒルデは立ち止まる。


 眼下の川の流れが、他の場所よりも速くなっているその場所――川幅が狭いのだ。子供の―とりわけ身軽な幼子が、一歩で向こう岸へと飛び越えられるほどに。

 篝火が舞う。かしゃりと、太刀は軽く地面を叩き、ヒルデは向こう岸へと渡っていた。

 けれど、ヒルデはそれで足を止める事もなく、また月夜の元を歩み続けた。



 ヒルデはまた歩む。その末に辿り着いたのは、洞窟。

 どうも、カフス山の地下に張り巡らされているらしい地下道へと、ヒルデはその身を消した。


「……どこへ行くんだ?」


 唸り声を一つ、宵虎は後を追った。



 当然の事ながら、洞窟の中は酷く暗い。

 遠く、ヒルデの持つ篝火を頼りに、上り、下り、うねりとやけに複雑なその通路を歩む事いかほどか……不意に、宵虎の目の前が酷く明るくなった。


 そこにあるのは扉……あるいは、扉の残骸か。蝶番だけが残っているような扉の名残りの傍に、ヒルデが置いたのであろう、篝火が台に立ててある。

 明るいのはそれ故か……否。その明かりは、扉の残骸、その向こうから漏れている。


 月光、だろうか。火とは違う柔らかな明かりの漏れるそこを、宵虎は覗き込んだ。


 そこにあったのは、これまでの細い通路とは打って変わって、広大な空間だ。

 人の手が加えられていることを示すなだらかな、そしてもはや手入れされていない壁が四方に。


 頭上には大穴がある……天井が崩落でもしたか、そこらに大岩が転がり、大穴からは夜空の月光が差し込み……その真下には、椅子がある。


 玉座、だったのだろう。ひどく古ぼけたそれがポツンと一つ。周囲には岩、そして、ガラクタの類が散乱している。


 武器の破片、鎧の破片、あるいは明らかにゴミにしか見えない空瓶など、恐らく、谷の上から落ちてきたのであろう様々な物が置かれている。


 朽ち、忘れ去られた謁見の間……そんな様相のその場所。


 けれど今、中央の玉座に座しているのは、王ではない……どころか、人でさえも無かった。


 小さな獣……いや、あるいは鳥か、その中間にある存在が、朽ちた玉座に丸まっている。

 そして、その背後には、玉座に従いでもするように、鳥のような獣の様な、そんな魔物がやはりうずくまっていた。


 グリフォン……その親子だろうか。


 橋の上であったような警戒も無くまどろむ魔獣の親子に、太刀を引きずった少女が歩み寄っている。


 ざり、という音に気付いたか、グリフォンの子は顔を上げ、ヒルデを見ると、小鳥の様な鳴き声を上げた。


「こんばんは」


 どこかぼんやりとヒルデはそう答え、グリフォンの子へと手を伸ばし、その頭を撫でだした。


 グリフォンの子はまた鳴き、その声に親は瞼を押し上げ、けれどヒルデを見た途端、安心したように瞼を閉じる。


 ヒルデの事はまったく警戒していないらしい。それだけ足繁く通っていたという事か。


 グリフォンの親はのんびりとした様子で、その子供はヒルデへとじゃれついていた。


「わ……ダメ。くすぐったいよ……」


 わざとやっているのか、はたまた偶然か、グリフォンの子はヒルデの服の中へと潜り込もうとしていた。


 ヒルデがそんなグリフォンを押しのけると、グリフォンの子はキョトンとした顔をヒルデに向け、それから、視線をヒルデの手の太刀へと向ける。


「うん。今日はこれ拾った。でも、ダメ。私の。上げない」


 そのヒルデの言葉は、やはり通じていないのだろう、グリフォンはまた首を傾げ、それからヒルデへとじゃれつきだす。


「くすぐったいよ~」


 そんな風に言いながら、ヒルデはグリフォンの子と遊んでいた。


 恐らく、そこらに散らかっているガラクタは、ヒルデが運び込んだものなのだろう。遊び道具の変わりだろうか。

 そして、そのグリフォンの子もまた、遊び相手の代わり……あの集落で、ヒルデの他に子供は見なかった。

 あるいは夜な夜な、こうして遊びに来ているのか。

 それから、もう一つ。


 橋の上で出遭った時に、あれほどグリフォンが警戒していた理由も、宵虎は知った。


「子の為、猛けるか……」


 幼子の居る住処に、やたら近付こうとする外敵を追い返すため、グリフォンはああしていたのだろう。


「味を確かめる気が失せたな」


 知らずならばまだしも、知って尚子から親を奪う気にはならない。


 身勝手な話ではあるが、鼻から宵虎は身勝手な性分。好き放題にやった末に異国まで流れ着いたのだ。今更初志貫徹など歌う気はない。


 と、あるいは、宵虎のその小さな呟きが届きでもしたのか……不意に、玉座の裏で寝転んでいたグリフォンが身を起こし、警戒の視線を入り口――宵虎へと向ける。


 別段、隠れる気もなかった宵虎は、月明かりの元へと踏み出した。


「どうしたの?……あ、」


 グリフォンの動きに、ヒルデもまた宵虎に気が付いたらしい。


 声を上げたヒルデは、少し怒ったような顔で宵虎を見て、その前へと駆けていき、通せんぼでもするように手を広げ、言う。


「タチオカ……。やっつけないで。悪いことしてない!一杯人来るから、ビックリしてるだけ!」


 ヒルデは、宵虎をハンターと聞いている。グリフォンを倒しに来たと。


 隠れついて来た宵虎を、グリフォンの居所を探っていると考えたのだ。


「つけたことは謝ろう。太刀をなくされては困る」


 とにかく、ヒルデの機嫌を損ねたらしい……それだけはわかった宵虎は、とりあえずそう言ってみた。


 が、その言葉は当然通じない。


「…………………」


 威圧するように、ヒルデは宵虎を睨み上げて来る。

 そんなヒルデを前に、宵虎は、ヒルデの頭に手を伸ばす。


「そう怒るな。なくさぬならば良い」


 叩くような調子で、宵虎はヒルデの頭を軽く撫で、それから背を向けた。


 怒っている時は撫でる文化、と前にアイシャから教わったのだ。

 宵虎からして甚だ不可思議な文化ではあるが……害意はないと示すには良い手かもしれない。


 そんな事を考えながら、宵虎は立ち去って行く。


「………?」


 宵虎の行動がいまいち良く分からず、ヒルデは首を傾げたまま、そんな宵虎を見送った。


 *


 ヒルデがこの場所を見つけたのは、宛てのない散歩をしていたある日の事だ。

 他に子供もおらず、遊び相手もおらず、母は顔すら知らず、父親は『また来る』といったきり戻って来ない。長老に至っては遊びだすとすぐに腰が痛いと喚きだす。


 そんなこんなで、暇を持て余してふらついていた末に、ヒルデは洞窟を見つけた。

 探検気分……あるいは、どこか呼ばれでもするような気分でヒルデは辿り着いたのだ。

 グリフォンの親子が居るこの場所に。


 グリフォン……古くからこの山に住み着く、魔物。

 かつて、遠い昔、この場所にあったらしい国の守り神だった存在。

 危ないから近づくな、とヒルデは聞かされていた。気高く獰猛な魔物だと。

 

 相対すれば餌にされかねない……そんな風に聞いていたが、けれど、実際にそれを目にした時、ヒルデは特に恐怖を覚えなかった。

 そして、グリフォンもまた、ヒルデを警戒はしなかった。


 テイム。かつてここにあったらしい国の王が持っていたそれは、魔術ではない。技能ですらない、純然たる才能。

 言葉を持たない獣と僅かに意図が通じ合い、獣を好き獣に好かれる。

 そんな才を、ヒルデは持っていたのだ。


 ヒルデは足繁くこの場所に通う様になった。珍しいモノを見つけると、それを見せに、あるいはそれで共に遊ぼうと。

 大人には言っていない。言ったら止められる事が、流石のヒルデにもわかるからだ。

 ただ、今日、宵虎に見つかってしまった。


 宵虎はハンター……らしい。グリフォンを倒しに来たと、長老はそう言っていた。

 けれど今は、宵虎は何もせずにただ去って行った。


 なんでついて来たのか、なぜ何もせずに去っていくのか……、なぜ撫でられたのか。ヒルデには良く分からない。

 もしかしたら、他のハンターに話して、一緒に襲って来たりするのか……。


 不意に、ピイと、グリフォンの子供が鳴いた。

 ヒルデの内心に浮かんだちょっとした不安が伝わってしまっているのかもしれない。


「大丈夫」


 ヒルデは言った。特に根拠も何もないがそう言って、そんな自分の言葉にヒルデは自分で頷いていた。


 宵虎はハンターなのかもしれない。けれど、そんなに悪い人じゃない。

 ヒルデは、なんとなくそう思うのだ。悪い人なら、あんなに遊んではくれなかっただろうし、とも。


 ヒルデの言葉が通じた訳ではない。だが、ヒルデの安心は確かに伝わったようだ。

 じゃれついて来たグリフォンをあやし、抱き止め、それからヒルデはそのままに、グリフォンの親、その翼へともたれかかった。


 温かい羽に包まれ……そんなヒルデの胸の上で、グリフォンの子は、親へとじゃれつき始める。


 じゃれあう親子を間近に、ヒルデはぼんやりとそれを眺め、それからヒルデはなんとなく、さっき宵虎に撫でられた自身の頭に触れていた。


 *


 グリフォンの居る間を後に、その朽ちた扉を背にした宵虎は、その場で腕を組んで突っ立っていた。

 襲われてはかなわないとさっさと立ち去るつもりであった。だが…………


「戻る道はどれだ……」


 暗闇の中、ヒルデの手の篝火を頼りについて来たのだ。

 帰り道がわからないのである。その上、持ち運べる明かりは、ヒルデの持ち込んだ篝火が一つ。

 それを持って行ってしまえば、ヒルデが困るだろう。


 そんな訳で、どうしたものかと悩んでいた宵虎……その背に、やがてグリフォンの元を後にしたヒルデが声を投げて来る。


「タチオカ。……待ってたの?」


 振り向いた宵虎の先で、ヒルデは首を傾げていた。


「帰り道がわからん」


 宵虎はとりあえずそう言ってみたが、……まあ、言葉が通じるはずもない。


「…………」

「…………」


 二人、何も言わず観察しあい……やがて、ヒルデは口を開いた。


「待ってなかったのかな?……タチオカ。ここ、秘密。誰にも言っちゃダメ」


 真剣に、ヒルデはそう言って、けれど宵虎は首を傾げる。


「言っちゃダメ。わかる?」

「なんだ?……何が言いたい?」

「何言ってるか、わかんない……」


 どこか拗ねた様にそう呟くと、ヒルデは、そこらに立てておいた篝火を持ち上げた。

 そして、それを宵虎へと差し出す。


「む?」


 唸った末に宵虎はヒルデの手から篝火を受け取った。

 と、それから、ヒルデは宵虎のあいた手に手を伸ばし、握る。


 宵虎と手を繋ぎ、宵虎を見上げ、ヒルデは言う。


「帰ろう?」


 そう言って、ヒルデは宵虎の手をとって歩き出した。


 ヒルデには、なぜ、撫でられたのかはわからない。秘密、と言う言葉も、多分通じていないだろう。

 他のハンターに話して、大挙してグリフォンを倒しに来てしまうかもしれない。


 …………けれど、そこまで悪い人でもない気もする。

 結局、言葉が通じない以上、全て勘で、気がするだけである。

 思い返すと、そこまで悪い人じゃないような気がする……ただ、それだけ。


 テイムは才能だ。言葉なしで意図を伝え、意図を理解する才能。

 漠然とした勘でしかないが……あるいは、悪い人だと思えば、ヒルデは最初に会ったその時点で逃げ出していたはずである。


 宵虎の手を引き、ヒルデは帰路についた。

 幼い子供は自覚しない。


 グリフォンの親子を見て……そして、撫でられた拍子に、ずいぶん昔に父親にそうして貰った事を思い出して、少し寂しくなったのだという事を。


 それを自覚しないまま、ヒルデは宵虎の手を強く握り締めていた。

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