覗き覗かれ
切り立った岩肌…深い深い谷の淵から、ひょこりと猫は顔を出す。
「だんにゃ~」
なんとなく谷底へとそう呼び掛けてみたネロの横から、アイシャもまた顔をだし、谷の底を眺めてみた。
「おに~さ~ん、剣見つけた~?」
そう呼び掛けてはみても、返って来るのはアイシャの声の反響ばかり。
そりゃそうか、とアイシャは身を起こして、周囲に視線を走らせた。
竜巻が近付いてくることもなければ、グリフォンが飛んでくる事もない。
あの後……ある程度橋から距離を取ったアイシャ達を、グリフォンは追って来なかった。
どころか、途中でカフス山の方へと飛び去って行ったのだ。
それを見送ってから、アイシャとネロは橋から距離を取ったままに谷へと近付いて行き、今こうしてそれを覗き込んでいたのである。
「にゃ~。グリフォン、来ないみたいだにゃ~」
アイシャと同じように周囲を見回しながら、ネロはそう言った。
「ね~。やっぱり橋を守ってたのかな?」
「橋の先に何かあるのかにゃ?」
「う~ん、グリフォンでしょ?だいたい、財宝を守ってるって話だけど……山に財宝があるとか?まあ、どうでも良いや。それより今はお兄さん」
特に財宝に興味がないアイシャに、ネロは頷いた。
「だにゃ。で、どう降りるにゃ?あ、そう言えばアイシャ、前空飛んでたにゃ」
「あ~、あれ?あれは……」
渋い顔で、アイシャは軽く頭を掻いた。
確かに、自身を弾き飛ばして空を飛んで見せた事はある。あれはあれで楽しかったし、やってみても良いのだが……。
「着地できないから、無理かな~」
前は宵虎にぶつかったから無事だったのだ。この高さから飛び降りて、見事減速して着地する、と言うのは、恐らく無理だろう。
少なくとも、試したいとは思わない。
「無理かにゃ?」
「無理だね~、多分。あ、そうだ」
不意にアイシャは声を上げ、むんずとネロを掴み上げた。
「にゃにゃ!?なぜもちあげるにゃ?……嫌な予感しかしないにゃ……」
そう喚いている間に、持ち上げられたネロの下から、地面が消え去った。
ひゅー、と薄ら寒い風が足元から吹き上げてくる。
アイシャに掴まれたネロは、そのまま谷底へと突き出されていた。
「にゃあああ!?何をする気にゃぁぁ!?」
「だって、お兄さん通訳いなくて困ってるかもしれないし。人間に化けられるくらいだし。……ね?」
「ね?じゃないにゃ!無理だにゃ、飛べないにゃ!良いから下ろすにゃ!」
「うわっ……暴れないでよネロ。手が滑るよ?」
そう言われた途端、じたばたしていたネロは、急にぐったりして動くのを止めた。
「にゃ………わかったから、勘弁して欲しいにゃ。あたし、飛べないにゃ~」
「え~、」
「え~じゃないにゃ……」
そううなだれたネロは、そこで漸く地面に戻して貰えた。
足の下に地面があると言う当然のことのありがたみを涙ながらに噛み締めるネロ……と、そんなネロの脇で、不意にアイシャは立ち上がり弓を構える。
「にゃ?どうしたにゃ、アイシャ」
そう声を上げながら、ネロはアイシャが鋭く視線を送っている先を見た。
そこは、谷とは逆側……荒野に転がっている大岩の影、辺りだろうか。
どうも、アイシャはそこを警戒しているらしい。
「誰?」
警戒の色を隠す気も無く、鋭い声で、アイシャはその岩の影へと呼び掛ける。
と、その直後、その陰から人影がゆっくりと姿を現した。
無抵抗を示すように両手を上げた男だ。背中には派手な意匠の槍……恐らく、アイシャの弓と同じく紋章魔術だろう武器を背負い、無駄のない足取りは武芸を納めている事を示している。
男にしては長い髪は赤毛……同じ色の瞳は鋭く観察するようで、全体としてどこか飄々としている風に見える。
「オーランド。ハンターだ。別に、危害を加えようって気はない。気を抜いた美人を覗くのが趣味でね」
オーランドと名乗った男は、そんな事を言いながら、アイシャ達の方へと歩み寄ろうとして――しかし、その直前でオーランドの足元が僅かに弾け、えぐれる。
牽制としてアイシャが矢を放ったのだ。
足を止めたオーランド――それを前に再び弓を引きながら、アイシャは言った。
「へ~、良い趣味してるね。私、そういう人嫌~い」
軽い調子で、だが警戒を解くことなくそう言い放ったアイシャ。
その足元で、ネロは言った。
「……だんにゃも前覗きしてたけどにゃ」
「お兄さんは良いの!……隠れる気0だったし」
「それはそれでどうかと思うけどにゃ……」
そんな風に会話をする一人と一匹を前に、オーランドは、視線をさ迷わせた。
アイシャを見て、ネロを見て。また…アイシャを見てネロを見た末に……その鋭い目を僅かに見開き、驚きに呟く。
「猫が……喋った?」
「にゃ~、なんか、一瞬で馬鹿に見えてきたにゃ……」
そう呆れたネロを置いてけぼりに、オーランドはアイシャに話し掛ける。
「君のペットかな?珍しいね……いくらで買ったんだ?」
「買ったんじゃないし、ペットじゃない。大事な仲間」
「その仲間をさっき崖から落とそうとしてたのは一体どこの誰だったかにゃぁぁ!?踏むにゃ!」
アイシャに軽く尻尾を踏まれて、ネロは悲鳴を上げる。
そんなネロを置いて――依然、弓を構えたままに、アイシャはオーランドに問い掛ける。
「それで?何の用?」
「……グリフォンが暴れていたようだからね。また、誰かクエストをこなしに来たのかと思って、様子を見に来たんだ」
「クエスト?…暴れてるグリフォンの討伐とか?」
「ああ。だいぶ前からあるクエストだが、まだ誰も成し遂げてなくてね。定期的にハンターが来るんだ」
「ふ~ん。グリフォンにてこずってるんだ?」
「それもあるが……そもそも、ここに来てからは別に目がいってやる気がなくなる」
「……どういう意味?」
そのアイシャの問いに、オーランドは答えず、口にしたのは別の事だ。
「谷の底に降りたいらしいな。俺は道を知ってる。案内しても良い」
「やけに親切じゃん。…何企んでるの?」
尚も警戒し続けるアイシャを前に、やはり飄々と、オーランドは言う。
「俺はお金が大好きでね」
「…はあ?」
「金さえあれば、世の中何も困らないだろう?人助けもまあ良い。ただ、口だけの礼は欲しくないんだ」
どこか芝居がかった調子で話すオーランドを、アイシャは睨み続ける。
面倒な言い回しをしてはいたが、要するに、下に降りる道へ案内してやるから金を払え、という事だろう。
「ああ。…そう言うハンターね」
ハンターの仕事の大半は魔物退治、あるいは危険な場所の調査……要するに、ある程度腕に自信のある者が付く仕事だ。
逆に言えば、腕に自信さえあれば他には一切共通点はないという事で、しかもギルドに登録すれば誰でもハンターになることが出来る。その後すぐ死ぬか名を上げるかはまた別の話だが、とにかくハンターを名乗っている人間の共通点は腕力くらい。
人格も目的も千差万別……目の前のオーランドがハンターになった目的は、ずばり金なのだろう。
魔物を退治すればそれで大金がもらえる、というシンプルな話だ。
その延長線上で……オーランドはアイシャに情報料を求めているらしい。
依然油断なくオーランドを睨んだままに、アイシャは腰のポーチに手を入れ、そこにある袋から硬貨を一枚取り出し、オーランドへと投げた。
硬貨を掴んだオーランドは、その額を確かめ――やがてその顔に笑みを浮かべる。
「銀貨か。良いだろう。ついてくると良い」
オーランドはそう言って、さっさと歩きだした。
その様子に、アイシャは漸く弓を下す。
「アイシャ。信用して大丈夫なのかにゃ?」
「……やばそうだったら逃げれば良いんじゃない?むやみに探すより楽だろうし……別に、お金とかどうでも良いし」
と、何の気は無しにアイシャが呟いたところで、オーランドは突然立ち止まる。
そして、振り向いた瞬間に大声を上げた。
「どうでも良いとはなんだ!世の中は金で回ってる…金が全て!金さえあれば何でもできる……豪華な食事、豪邸、女……地位も名誉も全て金で出来ているだろう!それをどうでも良いだと!?どうでも良いなら今すぐ有り金を全て俺に寄越せ!」
「うるさい。良いからさっさと案内して」
白い目でそう言ったアイシャを前に、オーランドはまた飄々とした雰囲気に戻って言う。
「おっと、すまない。つい熱くなってしまった。だが、人生の先輩としてこれだけは言っておく。金を軽んじると後で痛い目に遭うぞ」
なんだか、無駄に実感の籠った言葉だった。昔酷い目に遭ったりしたのかもしれない。
そんなオーランドを、ネロは呆れた様子で眺めて、呟く。
「……本当に、信用して大丈夫なのかにゃ…」
その呟きに答えたのはオーランドだ。
「安心しろ、喋る猫。人を裏切っても金は裏切らないのが俺の信条だ。さあ、行こう」
そうして、オーランドはさっさと歩み出した。
その後を、アイシャとネロは追って行く。
疲れたような様子で、ネロは呟いた。
「なんでこう……普通の人に会わないのかにゃ……」
「類は友を呼ぶって奴?」
「ああ、アイシャのせいかにゃあああ!?嘘だにゃ!冗談だにゃ!……一々脅すにゃあああああ!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます