幕間
厄介払い
メナリアが平和になってから、幾日経ったか―。
魔女の家――散らかり切ったその屋内とは違い、使い魔が管理しているが為に手入れの行き届いた庭のテーブル。
昼食としてパンやスープの類が並んだそこに腰掛けた魔女―キルケーは、不機嫌そうに向かいを睨み付け、言った。
「…あなた方は、いつまでこの街にいるおつもりですか?」
「え~。いちゃ悪いの?」
そう悪びれず答えたのは、金髪の少女―アイシャだ。
パンを片手に、だが食べもせず頬杖を突き、その視線はそっぽ………隣を眺め続けている。
「悪いとまでは言いませんが……」
そう声を上げながら、キルケーもまた、アイシャと同じものに視線を向けた。
そこにあるのは山と積まれたパン……そして、それに食らいつく和装の男だ。
二人……あるいは、山と積まれたパンの横で呆れた様子のネコも含めた三人の視線を一切気にした様子もなく、和装の男……宵虎は食事を続けていく。
それを横目に、溜息を一つ、キルケーは言った。
「はあ…。いつになったら出て行ってくれるのかと」
そんなキルケーにアイシャは視線を向け、どこか適当に答える。
「いつって…お兄さんがどっか行く時?」
「では、そのお兄さんに聞きましょう。ネロ?」
呼び掛けられた黒猫は、尚も食事を続ける宵虎に問い掛けた。
「はいにゃ。…だんにゃ。だんにゃはいつまでこの街にいる気かにゃ?」
「む?」
声を掛けられ、一端食事の手を止めた宵虎は、自身に向けられる視線―、ネロ、キルケー、そして最後にアイシャに目を向けた末に、唸るような声で言う。
「……アイシャに任せる。どうせ、他に宛もない。この辺りがどう言った場所かも俺は知らん。あちらの方が的確なはずだ」
宵虎の声は、確かにキルケーにも届いていたが、しかしそれは異国の言葉。
意味まではわからず、キルケーはネロに問い掛けた。
「なんと?」
「えっと……アイシャがいる間はいるって言ってるにゃ」
そのネロの言葉に、少し驚いた様子で聞き返したのはアイシャだ。
「ホント?」
「ホントだにゃ」
「……ふ~ん。そっか」
呟き自体はそっけなく、だがアイシャは嬉しそうに微笑んでいる。
そんなアイシャのちょっとした喜びに水を差すように、キルケーはすぐに言った。
「では、早急に二人でたちのいて下さい」
「え~。そんな、追いだす事ないじゃん。だって、お兄さんも私も、一応、街を救った恩人だし。なんでそんな邪魔みたいに言うかな~」
「あれを見て、自分で考えたらどうです」
声と共に向けられたキルケーの視線―その先にあったのは、山と積まれたパン。
いや、山と積まれる程あったはずの……今は数える程になったパンだ。
相当な量を出したはずではある。普通は一人で食べきれない程の料理を並べていたはずが、今やもうそのほとんどが宵虎の腹の中だ。
挙句宵虎は、ためらう様子もなく空のスープ皿をネロに差し出していた。
「おかわり」
「はあ……またかにゃ?ほんと、しょうがない人だにゃ~」
そんな風に答えつつ、ネロは一端人間に化けて、空の皿を下げていく。
その一部始終を眺めた末に、アイシャは少し引きつった顔で言った。
「もしかして、食べ過ぎって事?」
「はい。たしかに、貴方がたが恩人であることは認めます。が、流石に度を過ぎています。毎日毎日何をするでもなくただふらついて、その癖食事の量は酷く多い。メナリアは今、さほど余裕があるわけでもないのです。…これ以上この街にいる気ならば、働いてください」
「え~?やだ。働きたくな~い」
「では、出て行く事です。どちらにせよ、」
そこで、キルケーはパチンと指を鳴らした。
途端、テーブルに並ぶ料理の数々、宵虎が新たに手をつけ始めていたパンや、ネロが運んで来ようとしていたお代わりまで含めて、その全てが宙に浮き上がり、一人でに飛び立ち、家の中へと勝手に下がって行ってしまう。
「にゃにゃ!?」
ネロはそう驚きの声を上げ、
「…………ぱんとやら……何故…」
虚空へと手を伸ばした宵虎は、呆然と去って行くパンを見詰めていた。
そんな二人を気に留めた様子もなく、キルケーはきっぱりと言った。
「もうお出しするものはありません」
「え~」
アイシャは不満たらたらと言った声を上げて、それからすぐに宵虎に構い出した。
「可哀そうじゃん。はい、お兄さん。私の分上げるね?」
そう言って、アイシャは自分の手にあったパンを宵虎に差し出す。
宵虎はすぐにそのパンに視線を向け、腕を伸ばし掛け、だが、中途でその手を止まる。
「む?これは、くれるのか?いや……また、いつぞやの様にからかわれるだけか…」
「あれ?いらないの?まあ、いいや。はい、お兄さん。あ~ん、」
「んが……」
アイシャは一向に手を出そうとしない宵虎の口にパンを突っ込んでいた。
そんな様子をどこか睨む様に眺めて、キルケーは一つ咳払いをする。
「コホン。……とにかく、何もしないのであれば、これ以上お出しするものはありません」
「え~?……ケチな魔女」
「魔術師です。…そちらが拾ったのでしょう?いい加減、そちらで責任を取ったらどうですか?」
「いや、マスター?そんなペットみたいな言い方しないでも……」
思わず突っ込んだ飼い猫を無視して、キルケーは続ける。
「勿論、働き口ならこちらで……」
だが、アイシャにはそのキルケーの言葉を聞く気はなかった。
「しょうがない。ラフートに帰るかな~。お兄さんも来てくれるらしいし。割とどうでも良いけど、一応、ギルマスに報告しないとだし」
「………そうですか」
僅かに残念そうに、キルケーは呟く。
そんなキルケーをアイシャは眺め、それから悪戯を思いついたような表情で言った。
「うん。出てってあげる。……代わりにさ。猫ちゃん頂戴?」
「にゃ?」
「なぜですか?」
「だって、お兄さんと言葉通じないし。流石に、通訳欲しいし」
「……ですが、」
言い淀んだキルケー……そこで、きっぱりと声を上げたのはネロだ。
「駄目にゃ」
そんなネロに、キルケーとアイシャは視線を向ける。
二人を前に、ネロは決意に溢れた口調で続けた。
「あたしは絶対行かないにゃ。あたしが行っちゃったら、マスターが一人ぼっちになっちゃうにゃ!」
「ネロ……」
どこか安堵したように呟いたキルケー……ネロは続けた。
「アイシャも、だんにゃもわかってないにゃ。マスターがどれだけ友達いないか……唯一話し相手だったグラウももう駆け落ちしちゃったし、いよいよマスターはぼっちだにゃ」
「ネロ?」
少し雲行きが怪しくなってきた気がすると声を上げたキルケー……ネロは続けた。
「ほぼ家から出ないし。その癖生活力無いし。尊敬はされてるけど友達はいないんだにゃ!ミステリアスを気取る他にどうしようもないくらいぼっちなんだにゃ!」
「……ネロ」
少し苛立ち始めた様子のキルケー…ネロは続けた。
「そんなマスターをいよいよぼっちにするなんて、あたしには絶対に出来ないにゃ!」
「ネロ!」
完全に苛立ち、大声を上げたキルケー……そこでネロは漸く、自身が失言していた事に気付いた。
「な、何かにゃ、マスター?」
恐る恐ると視線を向けたネロに、キルケーは微笑み、軽く手を振りながら言う。
「……行ってらっしゃい」
「……………にゃ?マスター?それは、一体、どういう……」
「決まりだね~。じゃあ、おいで猫ちゃん」
「おいでじゃないにゃ。行かにゃあああ!?尻尾掴むにゃ!?」
アイシャに尻尾を掴まれ、宙吊りにされ、ネロはもがき……だが、どうあがいても逃れようがないと観念した末に、頼みの綱とキルケーへと視線を向ける。
「マスタ~……。本当に、良いのかにゃ?」
「構いません」
どこか意固地に、キルケーは言い切った。
こういう時に主がやたら頑固だとよく知っている使い魔は一つ溜息をついて、それから、一つ思い付いた。
「はあ……。あ、じゃあ、マスターもついてくるってのはどうかにゃ?旅行、みたいな感じでにゃ」
そのネロの言葉に、アイシャは思惑通りになりそうかと小さく笑い、けれど表情とは裏腹に口からは文句が飛び出た。
「え~来るの?まあ、別に、いても…」
だが、キルケーはその言葉を聞こうともせず、きっぱりと言い切った。
「ありえません」
そんなキルケーを少し不満気にアイシャは睨んだ。
「あ、そう。……まあ良いけど」
少し拗ねた様子でアイシャは呟き、それからすぐに宵虎の服の裾を引っ張った。
「じゃあ、お兄さん。行こっか?行商人とか、確か来てたしね」
「む?……なんだ?」
矛先を向けられたらしい……残り一つになってしまったパンをゆっくりとかじっていた宵虎は、首を傾げた末に吊るされたままのネロに視線を向けた。
「あ~。だんにゃ?アイシャは、この街を出て行くそうだにゃ。あと、あたしもついてくみたいだにゃ」
「そうか。…今すぐか?」
「この感じだと、多分そうだにゃ。二人とも全然素直じゃにゃあああ!?……なんでもないですにゃ」
アイシャに尻尾を強く掴まれ、キルケーに睨まれ、またぐったりとしたネロ。
そんなネコを眺めて、宵虎は言う。
「……で、ご飯は?」
「もう出ないにゃ」
「……そうか」
残念そうに呟いて、宵虎は残りのパンを飲み込み、立ち上がった。
今すぐ、と聞いたからである。
だが、そう言ったはずのアイシャの方は、暫し頬杖をついたまま座り込んでそっぽを向いていた。
けれど、あるいはキルケーが何も言わなかったからか、やがてアイシャは立ち上がる。
「ふ~ん。……じゃあ、いこっか、猫ちゃん」
「にゃ、にゃああ………」
未だぶら下げられたまま、ネロは本当に良いのかとキルケーに視線を向けた。
ネロが居なくなったら、キルケーが一人ぼっち、も確かにそうではある。
だが、それよりも、キルケーはアイシャが居なくなる方を寂しく感じるのではないか、とネロは思ったのだ。
本人の人付き合いの不器用さもあってキルケーにはあまり友達はいない。
文句を言う事はあっても、文句を言われる事は余りなく、文句を言い合ってはいてもアイシャとキルケーはそこそこ仲が良かった気がするのだ。
キルケーからしたら、アイシャは貴重な友達なのではないかとネロはそう思っていた。
だが、結局、キルケーが言ったのは、自分以外の事についてだった。
「一つ。預けるに辺り、頼みがあります」
その声に視線を向けたアイシャをまっすぐ見つつ、キルケーはどこかぶっきらぼうに言った。
「ネロ、と名前で呼んで上げなさい」
そう言ったキルケーに、アイシャはすぐに頷く。
「うん、わかった。…じゃあ、いこっか、ネロ」
「あ、にゃあ……。じゃあ、マスター?寂しくなったらすぐ呼ぶにゃ?」
つりさげられたまま、ネロはそう言った。
そして、振り返らず進むアイシャにつりさげられたままに遠ざかって行く。
宵虎は暫し、その様子を眺めていた末に、キルケーへと深々と頭を下げた。
「…世話になった」
そして、宵虎もまたアイシャを追って歩み去って行く。
一人、キルケーはその場に。遠ざかる二人と一匹を見送った末に、
「…はあ、」
小さく、溜息をついた。
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