天才の妙技

「な~んで、見逃がしちゃうかな~」


 小舟の上に片足で器用に立ち、弓を下ろしたアイシャは、不満げに呟く。


「ていうか……私、手出ししないで良かったんじゃないの?真面目にやってほしいな~お兄さん。スキュラまで隠れとく予定だったのに…」


 口をつくのは不満ばかり。


 これが、アイシャ達の取った作戦だ。宵虎と、アイシャに化けたネロが正面から突っ込み、スキュラまで到達してからそれを引きずり出して、今やったようにアイシャが隙を作り宵虎が止め―という、極めて合理的かつ大変アイシャが楽な作戦だったのだが…。


「はあ…めんどくさ……」


 これで全部おじゃんである。怒りたい所だが……橋の上の宵虎は暢気に手を振ってきた。


「あ~あ、」


 と呟きながら、アイシャは手を振り返し―そこで気付いた。

 アイシャの立つ小舟の下を黒い影がうごめいて居る。


 ―ナーガだ。


「やっぱり、そうなるよね……」


 うんざりしながらも、アイシャは笑う。橋の辺りを狙うなら、別に防壁の上からでもアイシャにとって問題はない。霧も出ていないのだ。それでも、わざわざ小舟の上に居るのは、スキュラ狙う時にやりやすいように、と、もう一つ。


 ちょっと、やってみたい事があって、せっかくだから窮地に身を置いてみたのだ。

 もともと、あまり本気というものがどこにあるのか自分でも良くわからないアイシャだ。このくらいやらないと、出来ないかもしれない。


「絶対、海に落ちない。……泳げないしね!」


 眼下の影が消える―アイシャを飲み込もうと、ナーガが一旦沈んだのだろう。


 それを見て取って、アイシャは跳んだ。片足でぴょん、と。

 そして弓を真下に向け、放つ。


「ラピット・バースト!」


 放たれた矢は、――直後、その形を失う。キルケーを助けた時に使った、ただ吹き飛ばすだけの矢だ。それを、自分を吹き飛ばすために使う。


 ダン―現れたナーガが、小舟を飲み込む―その様子を、アイシャは空から見ていた。


「お?出来た!私、すごーい、」


 言いながら、アイシャは再度真下に弓を放ち、自身の直下でそれを弾けさせ、さらに高度を取る。


 吹き飛ばしで飛ぶ、という発想は昔からあったが、歩いたり走ったりの方がどう考えても楽だったのでやった事が無かったのだ。


 だが、片足使えないし、せっかくだからやってみたらできた。


「私、天才!」


 自画自賛しつつ、アイシャはまた高度を取る。

 空から見ると、ナーガはかなりいる様で、黒い巨大な影が水面に多く浮かんでいる。


「さて…」


 飛べたからには次は戦闘だ。だが何、難しいことはない。


 ただ、高度のマージンと再度跳びあがるための余力と回避用のタイミングとナーガへの射撃のポイントと姿勢制御と精度の高い行動予測を同時に実施するだけだ。


 要するに、―戦場の全てを完璧に把握するである。


「ひゃっほーっ!」


 水面から飛び出たナーガの噛みつきを、自身を吹き飛ばして軽々交わしながら、アイシャは未知の浮遊感に夢中だった。


 *


「……ついに、空飛んじゃったにゃ。一体、何者なのかにゃ…」


 当然のように空を飛びつつ、そのままナーガと戦い始めたアイシャを眺めながら、ネロはそう呟いた。そんなネロに、宵虎はにやりと笑って言う。


「……天才だ」

「ぜ~んぶ、それで済むのかにゃ?」


 呆れて肩を落とすネロ。その心情を表すように、耳がピコピコ動く。

 ネロは未だ、アイシャの姿のまま。ただ、猫耳だけ生やしている。

 そんなネロを、宵虎はじっと眺めた。


「にゃ?何かにゃ、だんにゃ?」


 ネロ―猫耳アイシャは、そう言って小首を傾げ、その様子に宵虎は深く頷くのだった。


「……可愛い、か。ふ、耳が四つある意味がわかった」


 そのセリフに、猫耳アイシャは嬉しそうに声を上げる。


「お!だんにゃ、ついにねこ耳に目覚めたかにゃ?あ、そうだ。せっかくだからなんか言ってほしい事あったら言ってあげるにゃ。アイシャが言わなそうな、言わせたい事とか!」

「そうか。なら……きゃー宵虎様格好良いと……」


 宵虎が言い掛けたその瞬間。


 バシュッ。不可視の矢が宵虎の顔の前を通過する。まるで脅しのように。

 空を飛び、ナーガの相手をしながらも、アイシャは不穏な何かを察知したのだろう。


「……先を急ぐか」

「そうだにゃ……。死にたくないしにゃ……」


 歩み出した宵虎の後を、猫の姿になったネロは追い掛けた。


「あ。待って~、宵虎様~」

「……猫に言われてもな」

「そんな苦々し気な顔されるとは思わなかったにゃ……」

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