魔女とスキュラ

 神殿の地下の一部屋に、街の女達が詰め込まれている。その中には、キルケーの姿もあった。不安げな女達の中、ただ申し訳なさそうに俯いている。


 不意に、その部屋の戸が開く。


「キルケー。女王がお呼びだ。来い」


 現れたのはシーピショップだ。その姿に、女達は僅かに悲鳴を上げ―キルケーは何も言わず立ち上がる。


 シーピショップに連れられ、キルケーは神殿を歩む。


 所々に水路が流れる、太古に作られた神殿。どう作っているのか気になって、キルケーが頻繁に足を運んでいたのはもう、随分昔の事のようだ。


 いや。キルケーが足を運んでいた理由は、神殿では無く―。


「懐かしい気がしますね。こうして歩むのは…」


 そのキルケーの言葉に、シーピショップ―グラウは応えなかった。


 やがて二人は、広間に辿り着く。蛇が重なった大広間―その入り口でグラウは足を止め、だから踏み込んだのはキルケー一人。


 そんなキルケーへと、祭壇の主―スキュラはあざけるように声を掛けた。


「久しぶりね、キルケー。あの日、逃げてそれ以来かしら」

「……そうですね」


 逃げた―そう言われても仕方がない。事実、逃げたのだ。蛇毒を使おうとするグラウを止めきれず、二体の怪物が生まれ出てしまうその光景から、キルケーは逃げた。


「酷い話よね。貴方が言ったから、彼は霊薬を信じたというのに……」

「……そうですね。そうも醜くなるとは思いませんでした。ぐ……」


 キルケーの首に蛇が巻き付く。スキュラは、憤りの炎を瞳にキルケーを睨みつけた。


「…それで済むと思って?」

「殺したければ殺しなさい。ただ、他の人は……」

「また、そんな事を言って。どこまで行っても良い子でいたいのね。……貴方の事、嫌いよ」


 蛇はスキュラの言葉に呼応するように、さらに強くキルケーの首を締め上げる。


 目の前が明滅する―あるいはこのまま死ぬか。

 それを覚悟したキルケーだったが、しかし不意に、首を締める力が緩んだ。


 スキュラは、微笑んでいた。昏い目で、ただキルケーを眺めながら。


「でも、もう良いの。私は、女王。為政者というものは寛大でなくてはならないでしょう?貴方は、生きている方が価値がある。私は、そう思う。だから、貴方を晩餐にはしないわ。最初は殺そうと思っていたけど……私は、寛大だから止めてあげるの」

「……」


 何も言わず、キルケーはただスキュラを睨んだ。

 スキュラは、諭すように言う。


「ねえ、キルケー。頼みがあるの。女達を連れてきたじゃない?その時にね、思ったの。これは、私の民に相応しい見た目をしていないって。これでは、ただの人の集落じゃない。だから、ね?……蛇毒を作りなさい」


 その言葉に、キルケーは驚く。


「何を言って……作れるはずが―」


 しかしキルケーの言葉は、その首に巻き付いた蛇によって強引に止められた。


「知っているのよ、キルケー。あれは、蛇毒を謳って貴方が作ったもの。そうでしょう?」

「思い違いです。あれは本当に―」

「口答えはいらないの。貴方は、私をねたんだのでしょう?だから、蛇毒を作った」

「違います。私は、本当に貴方を救おうと―」


 キルケーはそう訴えるが、スキュラは耳を傾けようとしない。

 ただ、キルケーが口答えするたびに苛立っていくばかりだ。


「良い子ぶるのは止めなさい。さあ、蛇毒を。……出来ないというなら、不出来な贋作でも構わない。皆が、怪物になればそれで良いんだから……」


 あの女たちが怪物になるのならなんだって良い。スキュラ自身と同じ目にあうなら……。スキュラはそう言っているのだ。


「醜くなりましたね。……ぐ」


 ただただ侮蔑を投げかけたキルケーの首を、また蛇は締め上げる。


「良い、キルケー。考えてみて。貴方が拒めば、ここに居る者は民ではなく餌になるの。逃げても同じ。反旗を翻しても同じ。別に私は良いのよ。ここが国であろうと牧場であろうと、構いはしないのだから」


 そのスキュラの言葉を前に、キルケーは頷くしかなかった。


「……わかりました」


 キルケー自身が殺されるなら、それは仕方がないと諦めている。

 だが、街の人々は無関係だ。ここでキルケーが頷かなければ、恐らく皆殺しだろう。


 出来るにせよ、出来ないにせよ、作るとは言わなければならない。

 キルケーへの拘束が緩む。だが、その首の蛇は離れようとしない。監視、だろうか。


 妙な動きをすれば、街の住人がどうなるか。

 深く息を吸い呼吸を整え、それからキルケーはスキュラへ言った。


「材料が必要です。…取りに戻っても?」


 スキュラはしばし、キルケーを眺め……やがて頷く。


「良いわ。行きなさい」


 キルケーは頷き―俯き、スキュラに背を向けた。


 キルケーに打てる手はない。せいぜいが時間稼ぎぐらいだろう。

 恨みの籠ったスキュラの視線は、ただキルケーの背中を見送った。


「本当に、貴方は良いのですか……」


 去り際、入口に立っていたグラウにキルケーは尋ねる。

 しかし、返事は思考を止めたような、どこか狂信的なモノだった。


「…彼女の望みが俺の全てだ」

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