5章

不可思議な場所で言葉を交わす

「…あれ?ここは…」


 不意に、アイシャは光に目を開ける。


 いつの間にか、アイシャは白い場所に立っていた。ただ白いとしか言いようのない、何もない空間に。確か、足に怪我を負って、海に落ちたはずだが…。


 と、そこでアイシャは気付く。


「足、治ってる?……あ、お兄さん?」


 自身の足が痛まない事。そして、その白い空間に先客がいる事に。


 異国の衣装に身を包み、背中を丸めて座り込んでいる男。

 宵虎は肩越しに振り返り、呟いた。


「娘か」


 その姿にアイシャは思わず微笑んで、それから歩み寄っていく。


「なんでお兄さんがいるの?あ、天国?」

「………てんごく?」

「あ、天国知らない?えっとね~ってあれ?」


 宵虎の真横に立ったアイシャは、そこで首を傾げた。


 なんだか、おかしな事が起きた気がする、と。

 そして驚きは、宵虎も同じだったらしい。


「なぜ、会話ができる?」


 不思議がりながら目を合わせた末に、宵虎の隣に座り込んで、アイシャは言った。


「…まあ、いっか。便利だし」

「フ……そうだな」


 僅かに笑いながら、宵虎もまた呟く。

 暫し、二人並んで何もない先―真っ白い空間を眺める。


 やがて、口を開いたのはアイシャだ。


「あ、そうだ。ねえ、お兄さん。この際だから聞くけどさ、流れ着いたって本当?いや、まあ、もう死んでるかもしれないから今更だけどさ~」

「そうだ。流刑の折に、得体のしれないモノに呼ばれ、呑まれ、気付けば流れついていた」

「ふ~ん。って、流刑?お兄さん犯罪者なの?」

「…少々、主の命に背いてな」


 そう言った宵虎は笑っている。

 意外と悪い人なのかな……。そんな風に思いながら、アイシャも笑った。


「へえ、やりたい放題やったんだ」

「だが、後悔はない」

「ふ~ん……」


 また、暫しの沈黙。次に尋ねてきたのは宵虎の方だった。


「……そちらは?あの街で武芸を?」


 アイシャは少し笑った。尋ねられた事が嬉しかったのだ。ただ、間を繋ごうというだけかもしれないが、それでも、なんとなく。


 だから、アイシャはちょっとサービスする事にした。

 普段なら相手が興味を失うまでどうでも良い話を並べ立てて適当にごまかすのだが、良くわからない空間とは言え、こうしてちゃんと話せるのだから、と。


「違う違う。そうだな……。なんて言うか、私は天才なの」

「ああ。知っている」


 予想外のタイミングで飛んできた相槌に、アイシャは驚いた。そして、少し照れて笑う。


「……そっか。知ってた?」

「ああ」

「でもさ。そう言う事じゃなくて……私は、天才じゃなきゃいけなかったの。本当は、人よりちょっと覚えが早いだけだったんだけどね。えっと……武門のさ。結構良い家に生まれてさ。お父さんとか厳しくってさ~。でも、褒めてもらいたいじゃん?だから、頑張ってさ。頑張ったらさ、天才って事になったの」


 宵虎はただ黙って、アイシャの話に耳を傾けていた。


「人よりうまく出来るのは、天才だから。努力したからじゃなくて天才だから。才能があるからなんだって出来る。ってさ、自分で言うのは良いじゃん?カッコ良いしさ。でもね、親とか、兄弟とかにまでそれ言われるのはね……」


 それは、身の上話だ。これを話そうと思ったのは、あるいは流刑と聞いたからだろうか…。


「でさ。その内、戦があってさ。私、こ~んな小っちゃかったのに引っ張りだされて、”あの軍勢を足止めして来い”って。それも一人でだよ。酷くない?天才だから大丈夫~とか、言う方は楽で良いよね~」


 どうでも良い事の様に、どこか軽い調子でアイシャは言った。どうも、アイシャは自分の事を深刻に話すのに向いていないらしい。そんな事を、アイシャは今更知った。


「失敗したのか?」


 宵虎はそう問い掛けてくる。ちゃんと、聞いてくれているらしい。


「ん~ん。出来ちゃった。気配を殺して、狙った所に矢を当てるだけだったからさ。夜襲だしね。……長~い、夜でした」


 それ以上の事をアイシャは言えなかった。


 あの夜。森の中で息を潜め続けたあの時。一晩中怒号は聞こえ、敵は怒りのままに闇雲にアイシャの姿を探し続けていた。森がざわめくたびに敵かと震え、すぐ近くを通った男に恐れ、見つかったらどうなるかという想像に怯え……本当に、嫌な思い出だ。


「怖かったろう」


 不意に、宵虎がそんな事を言ったので、アイシャはそっぽを向いた。

 ちょっと、泣きそうだったからである。


「……こほん。でね、帰ってもさ。だ~れも褒めてくれないの。天才だから、って当然みたいに言ってさ。寧ろ、怒られちゃった。なぜ、指揮官を殺さなかった。敵が一人も減っていないぞ、手を抜いたのか?って。効率良くやったのにさ~。で、今度は、こいつを殺して来いって。次はしくじるな、って。そもそも、言われた足止めはしたのにね……」


 改めて話してみると、やっぱり嫌な思い出で、だから、アイシャはそこで口を噤む。


「それで?」


 先を促されて、アイシャはごまかすように笑った。


「逃げちゃった。戦とか、家とか期待とか。そう言うの全部から」

「……そうか」


 聞き終えた宵虎は、ただそう呟くだけで特に感想も言わない。


「うん。そう。……どう?より信用出来なくなった?」


 アイシャがそう問い掛けたのは、不安だったからだろう。今の話に宵虎が何を思ったか……嫌いなら嫌いとはっきり言ってもらった方が幾分楽なのだ。


 けれど、宵虎は不思議そうに首を傾げるばかりだった。


「より、とはどういう意味だ?」


 完全にアイシャが予想していなかった所を、宵虎は気にしているらしい。


「え?……ごまかす気なの?私の事、信用出来ん、って言ったんじゃないの?」


 そのアイシャの言葉に、宵虎はまた不思議そうで……それから、漸く思い至ったらしい。


「ああ。あれか。あれは、お前の事では無い。お前が連れてくる他人の事だ」

「え?」

「街の人を殺しかねん、と思ってな。群れれば、敵味方の色分けは単純になるだろう?」


 宵虎は、そう言った。確かにあの時、ネロはアイシャが応援を呼んでくると言っていたが……どうも、アイシャは勘違いから拗ねていたらしい。


「ふ~ん。そっか。……そっか。じゃあ、私は?信用出来る?」


 冗談めかして、アイシャはそう笑い掛ける。恥ずかしさをごまかすためだ。

 そんなアイシャを眺めながら、宵虎は不意に、妙な口調で言う。


「天才なんざ、やる気ねえカスの言い訳だ。胸張って見下してやれ」

「ん?いきなりどうしたの?」

「師は昔、そんな事を言っていた。人の才能など見抜くことは出来ない。天才と言うのは、積み重ねた努力の結果が目に見える形になったというだけの話だ。それは、ただの勲章に過ぎず、誇るべきもので、そうして同時に意味のないもの……と言う事だろう」


 そこまで言った末に、宵虎はこうまとめる。


「お前の才能は知らん。だが、努力の片鱗は見た。お前は、天才だ。そう呼ばれる事を誇るべきだ」

「……回りくどいな~」


 多分、信用出来るという事だろうし、多分、褒められてもいるのだろうが、如何せんわかりにくい。と、アイシャが回りくどいと言ったからか、宵虎は少し考えた末に、わざわざきわめてシンプルにこう言い直した。


「……お前は、凄い奴だ。頑張ったな」


 それは、優しい声だった。その言葉を聞いた瞬間、アイシャはまたそっぽを向いた。


 頬が熱い……。確かに回りくどいと言ったのはアイシャの方だし、あるいはそう言う風にシンプルに褒めて貰いたいと言う思いもあったはあったが……。

 と、そんなアイシャを不思議そうに眺めて、宵虎は尋ねてくる。


「…………怒ったのか?」

「怒ってない」

「……一体、何に怒った……」

「怒ってないって!」

「……すまない」


 宵虎は落ちこんでしまった。自身で意図せぬまま、怒らせてしまったらしいと。

 そんな宵虎を横目に、アイシャは少し考えて……それから思った。どうせ、死んでるかもしれないし、死んでないにせよ夢みたいなものだろうし。たまには、素直になろうかと。


 ようは、アイシャは甘えたかったのである。怖い思いをして、ホッとして、ちょっと褒められて……。


「謝られてもさ……。あ、そうだ。やっぱり怒った。私、怒ってる~」


 朗らかに笑いながらそう宣言するアイシャを、宵虎は不思議がる。


「……怒って、いるのか?」

「怒ってるの!だから、ほら。許して欲しかったらさ……」


 そうして、アイシャは宵虎の正面に座り込み、照れ笑いしながらこう言った。


「…撫でて?」

「…………………なぜ?」

「良いから!」


 強く促してくるアイシャは、やはり怒っているようだ―少なくとも宵虎にはそう見えた。


 これは、逆らわない方が無難か……。そう宵虎は決め、おずおずとアイシャの頭に手を伸ばし、そして、優しく頭を撫でる。


「えへへ~」


 アイシャは照れたように、だが嬉しそうに笑っている。

 それがとにかく不可解で、宵虎はこう考える。


「……これは、何かの儀式か?それとも、文化なのか…」

「え?あ~、そうそう。文化文化~」


 嬉しそうにしながら、アイシャはそう適当に頷く。


「……そうか」


 怒っていたら、撫でれば良いのか。それで許してもらえるのか。

 まったく、異国の文化は不可解だ……と、宵虎は素で勘違いを深める。


 と、そんな宵虎に、アイシャは尋ねる。


「あ。ねえ。お兄さんさ。私の名前知ってる?」

「……アイシャ、だったか?」

「うん。そっちで呼んでよ」

「わかった」

「うん。でさ、私、偉い?」

「ん?……ああ、偉いぞ、アイシャ」

「頑張った?」

「ああ。頑張ったな、アイシャ」

「……えへへ、」


 照れ笑いするアイシャを前に、宵虎は思った。

 なにやら、騙されている気がする……と。そして同時に、こうも思う。


「……まあ、良いか…」


 何やら嬉しそうで、可愛らしい様子だ。殴られるよりは幾分マシである。


 そんな風にしている内に、いつの間にやら、周囲の白い光がどこかへと散っていく。

 それに気付いたアイシャは、宵虎の手から逃れ、ペタンと座り込んで、―ちょっと残念そうに呟いた。


「あ~。もう終わりっぽいね。……実はさ、私、こう言うの二回目なんだよね。家から逃げた時に来たんだ、ここ。そん時は、こう……なんか凄そうなのに会ったんだけどさ」

「今回はいないようだな」

「うん。……あれ?お兄さんも来た事あるの?」

「どうやって異国まで流れ着いたと思う」

「……そっか」


 白い光は散っていく。すぐそばにいる宵虎の姿も、その白い光に呑まれている。


「あ、そうだ。お兄さん。聞き忘れてたんだけどさ、」

「なんだ?」


 そう問い返す言葉すらも、光に呑まれ―


 *


「ん。…あれ?」


 目覚めたアイシャの視線の先には天井。ベッドに寝かされているようだ。


 窓から、朝の光が入り込んでくる。どうやら、どこかの家の中らしい…そうと知って身を起こすアイシャの耳に、ネロの声が届いた。


「あ、アイシャ起きたかにゃ。…だんにゃも、仲よくお目覚めかにゃ?」


 ネロは人間の姿で、エプロンをつけていた。どうも、料理をしているらしい。


 それから、アイシャは横を見る。床を挟んだ向かいのベット―そこで宵虎が身を起こして、周囲を見ていた。やがて、アイシャと宵虎は目を合わせると、口々に言う。


「お兄さん、名前、なんて言うの?」

「さっき、何を言い掛けた?」


 お互いに、気になる内容は一緒。だが………


「…やっぱり、」

「何を言っているかわからんな…」


 あの不可思議な空間では言葉が通じたのだが、どうやら現実に戻ったらしい今、またお互い口にするには別の言語らしい。


 二人同時に天を仰いで、それから二人、思い思いに呟く。


「あれは、夢か。……まあ、悪い夢ではないな」

「……はあ。なんて言うか、喋ってみたら年上だったな~。いや、知ってたけど」

「それにしても、文化か……。不可思議な国だ」

「なんか、ずるいな~」


 そこでまた二人は目を合わせ、やがて、アイシャは両手で顔を覆い身もだえる。


「あと……超恥ずかしい……私、何してんだろう…」


 そんなアイシャを横目に、宵虎はふっと笑みを浮かべる。


「良くわからんが……勝った気がする」


 思い思いに呟き続ける二人に、出来上がった料理を手に、ネロは白い目を送った。


「二人とも、どうしたにゃ?なんか変だにゃ。……あ、いつも変だったにゃ」

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