橋上の戦い

「でにゃ~。だんにゃ。その時、防壁の上でマスターはこう言ったのにゃ。ネロ。その気になれば羽くらい生やせるでしょう?って。無理だにゃ、仮に生やせたとして飛べるとは……」

(……結局うるさい)


 と、肩に居座ったおしゃべりな猫にへきへきしながら橋を歩んでいた宵虎は、不意にその足を止めた。


「にゃ?どうしたのかにゃ、だんにゃ」

「出迎えだ」


 宵虎がそう呟いた途端、すぐそばの水面から、しぶきと共に黒く巨大な影が立ち昇る。


 大蛇、ナーガ。見上げるその巨体は天高く、その眼は紛れもない敵意を持って宵虎を見下ろしている。


 今朝、脇差しを手にした宵虎が苦戦した相手だ。

 だがしかし、宵虎はあの時とは違う。宵虎の手には、不慣れなものとはいえ剣がある。脇差しよりも長大なそれを手にした宵虎にとって、ナーガといえど所詮は……。


「にゃにゃにゃにゃにゃにゃーがにゃー!?襲って来たにゃぁぁぁ!?」

「…顔の前に来るな。頭にしがみつくな」

「だだだだってニャーガが~!?」

「……その気になればヒレくらい生やせるだろう?試してみるか」

「すいません。……黙っておきますにゃ。って言ってる間に襲って来たにゃ!?ふにゃ!?」


 やはり、この猫は置いてきた方が良かったのではないか。


 そんな事を思いながら、宵虎はネロを背後にポイと捨て、ナーガへと視線を向けた。


 月が隠れる。開いた大口は洞穴の様で、ただ白い牙だけが輝き、落ちてくる―。

 その一撃を前に、しかし宵虎は逃げなかった。


 ただ両足を踏ん張り、ただ迫る大蛇を睨み、ただ、その手の剣を構える。


 両刃の剣―ブロードソード。その名を、当然宵虎は知らない。宵虎にとってそれは、ただ切れ味の悪い異国の剣であり、あるいは扱いを知らぬ不慣れな武器であり、そして―

 ―刃であることに違いはない。


 肉薄する大口、剥きだされる牙―そこへと宵虎は刃を振るう。

 気合の声はない。余計に気負う事も無い。ただただ慣れ親しんだ動きに合わせ、奔る刃―。


 ざ―肉を断つ音が夜に鳴り響く。

 大蛇が、いた。


 上顎と下顎。その繋がりが、宵虎によって両断されたのだ。


 撥ね取られた上顎は彼方に。未だ胴と繋がった下顎はすぐ手前の海へと落ちていく。

 その狭間―雨のように降り注ぐ怪物の血を浴びて、宵虎は不満げに、自身の握るブロードソードを眺めていた。


「……やはり、鈍いな。なまくらか」


 大蛇の死体が海へと沈み、水柱が雨となる……。


 そんな一部始終を、ネロはポカーンと眺めていた。


「にゃ?……今何が?ナーガを、ぶった切ったのかにゃ?……ていうかだんにゃ、どうしちゃったのにゃ!?なんか、ちょっとカッコ良かったにゃ!」


 そんな事を言いながら、ネロは宵虎へと駆け寄り、またその肩にがっしと登る。

 そんなネロへと、宵虎は嬉しそうに言った。


「はっはっは。もっと言え」

「あ、台無しだにゃ。前言撤回しますにゃ」

「なぜだ……」


 宵虎は残念そうに肩を落とした。

 と、その瞬間。


 ダーン。轟音と共に上がる水柱は四つ。

 そして、その最中に大蛇は四匹。今度は、四体のナーガが同時に姿を現したのだ。


 しかし、宵虎の実力を知ったネロは取り乱さない。


「あ、おかわりだにゃ、だんにゃ!もっとカッコ良くなれるにゃ!」

「…良し」


 気合十分、大蛇共をばっさばっさと切り捨てよう―。



 パン。

 不意に鳴り響いた音と共に、ナーガが一体、倒れこんでいく。


 何事かと眉を顰めた宵虎の前で、はまた別のナーガの頭を貫いた。

 実体の無い矢―ただ揺らめきのようにしか見えず、ただそこに確かに必殺の威力を秘めた矢が、あっという間に四体のナーガを射殺していく。


 遠く、街の防壁の上。宵虎の目では朧げにしか見えないそこに、誰かが立っていた。

 紛れもない天分を秘めた、一人の達人が。


「この距離で、鱗を砕く威力だと?く……、達人だな。おかげで……楽になった…」

「悔しそうに言う事じゃ無いにゃ~。ていうかだんにゃ、元気出して。まだボスがいるにゃ」

「……ぼす?」

「…何しに来たか、覚えてますかにゃ?」

「格好良くなりに来た!」


 迷いなくそう言い切って、これ以上手柄を取られてはたまらないとばかりに、宵虎は神殿へと駆け出した。


「さいですか…。あ~、だんにゃがそれで良いなら、あたしはもう、何も言わないにゃ……」


 宵虎の肩にしがみつきながら、ネロは呆れ返るのだった。


 *


「ちょっとは、評価上がったかな~?」


 目を凝らし、水面の動きに集中し、瞬間瞬間の波の動きから異変を読み取り、ナーガが頭を出すポイントを見極める。

 そして、頭を出した瞬間には、ナーガはもう撃ち貫かれている―。


 そんな掛値の無い神業を続けながらも、アイシャには呟く余裕があった。

 信用されていないなら実力を見せつけて信用させてしまえば良い。アイシャはそんな風にどこか意固地に、宵虎達を手助けしていたのだ。


「……って、何やってんだろ私……」


 子供っぽいと自嘲したのは、宵虎達が神殿に辿り着き、もう援護の必要も方法もなくなったそれからだ。


 もう、良い加減立ち去ってしまおう。そんな風に思って、背中を向け掛けたアイシャ。


 だが、その視界の片隅で、遠くの海が再び揺らめいたその瞬間、アイシャは反射的に弓を構えていた。

 揺らめく位置は、神殿のすぐ近く。だが、その揺らめきはどうにも、宵虎達の方では無く、アイシャ―この街へと向かっているように見える。


 ナーガだ。それも、一匹や二匹では無い。

 しかも、そのナーガ達は、どうにも何かを運んでいるようだ。


 月光に輝くのは、おびただしい数の甲冑―。


「うわ……これって、無理やりついて行った方が楽だったんじゃないの?ていうか、さっさと立ち去っちゃえば良かった……」


 ナーガが運んでいるのは、兵士だ。まるで侵略でもするかのように、怪物と兵士が街へと向かって来る。


「あ~。めんどくさ~い……」


 後悔の声と共に、アイシャは深く溜息をついた。

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