神殿のスキュラ

 人気のない神殿の入り口。その影からひょいと、一人と一匹は顔を出す。


「にゃ~……。だ~れもいないにゃ」

「だから、そう言っただろう。なぜ、隠れる必要があった?」

「気分だにゃ!」

「……そうか」


 納得したのかしないのか、そんな事を言いながら、宵虎達は神殿の中を歩んでいく。


「けっこう複雑だけど……こっちであってるのかにゃ?」

「うむ。奥に何かいるぞ。気配でわかる」

「あたしが言うのもなんだけど、獣じみてるにゃ~」


 その声は神殿の中を僅かに反響する。

 外から見た通りの、広い神殿だ。廊のそばを水路が流れ、意匠の施された柱が方々に立っている。


「ふむ……手が込んでいるな」


 何もかも見慣れないからだろう、宵虎は物珍しそうにきょろきょろと辺りを見回していた。あるいは、観光気分で見て回ってみたい所でもある。

 だが、それをするには余りにも―神殿の奥深くから漂う気配は邪悪だった。


 不意に、歌声が響く。酷く悲しげな、スキュラの呪歌が。


「歓迎されているようだな。……どうせなら、楽しい歌にして欲しいものだ」


 と、そう呟いた所で宵虎は気付いた。

 いつの間にやら、隣を歩いていたはずのネロの姿が消えていて……


「じ~……」


 と、ネロは柱の影に隠れて宵虎を観察していた。


「何を遊んでいる?」

「にゃ~。洗脳されないのかにゃ?」

「…呪いの類は効かん。置いて行くぞ」

「あ、待つにゃ!」


 本当に置いて行こうとする宵虎の背中に、ネロはしがみつき、その身体をよじ登る。

 歩むごとに気配は強まり、歌声は大きくなっていく―。


 やがて、通路は終わった。その先にあったのは開け放たれた扉と、広い空間。

 祭壇のようだ。あるいは、高級な劇場オペラホールか。

 均等な間隔で立つ柱からは、滝のように水が流れ落ち、歌声に導かれ僅かに揺れている。

 けれど、宵虎はそんな広間の様子を見回す事も無く、ただその中心を睨んでいた。


 祭壇に座す女神。

 劇場オペラホール歌姫ディーバ

 スキュラは歌っていた。足元に夥しい数の蛇を侍らせて―。


 不意に、歌声が途切れる。柔らかな黒髪が白過ぎる肌を流れ、美女スキュラは獣の様な赤い瞳で宵虎を見て、形の良い眉を顰めた。


「貴方……なぜ惑わないの?私のモノにならないの?」


 美しいその声には、魔力が宿っていた。聞く者を惑わせ、魅了する魔力―。

 けれど、宵虎は特に普段と変わった様子も無く、ただこう答えた。


「……少々、悪食でな。呪いの類は効かん」


 その宵虎の様子に、どうやら本当に魅了出来ないらしいと、スキュラは吐息に似た声を漏らす。


「ふうん。耐性でもあるのかしら?……まあ良いわ。それで、何をしに訪れたのかしら?」

「お前がスキュラか?」


 問いに問いを返す宵虎。

 スキュラはどこか悲しげに目を伏せ、頷く。


「……そうね。そうなったわ」

「ならば、切る」

「なぜかしら?」

「害なす化生であるが故……」


 問答はこれ以上不要―そう言いたげに、宵虎はブロードソードを構えた。

 途端、スキュラの周囲の蛇が鎌首を擡げ、油断なく宵虎を睨みつける。


 中にはナーガも混じっている。あるいは、全て相手にするのは骨が折れるかもしれない。

 だが、所詮は蛇。そんなものに一々怯える宵虎では―


「にゃあああ!?睨んで来たにゃ!?あたし下がってるにゃ!…だんにゃ!頑張ってね!」


 悲鳴と共に入口へと逃げていったネロは、その物陰に隠れ、わざわざ娘に化けてからそう声援を送ってくる。


「………………」


 宵虎はかなり何か言いたかった。何か言いたいが何を言わずただネロを睨んだ。

 そんな様子に、スキュラは僅かに笑みを溢し、けれど気にした様子も無く話を戻す。


「害?何かしたかしら?」


 その問いに宵虎は気を取り直し、答えた。


「あの街の男を攫ったろう。そして街に蛇を放った」

「それが害?……ふうん。でも、私は悪意がある訳じゃないのよ。ただ私は、私の国が欲しかっただけ。私達の国が……居場所が欲しいだけ。奪ってしまったから…」


 国が欲しい。それが、スキュラの望みらしい。あるいは嘘かもしれないが、少なくとも宵虎は、その望みを嘘とは思わなかった。


「ならば、手段を間違えているな」

「そうかしら?望みがあって、力があって…だから使った。そこに間違いがあって?」

「ある。欲望のままに力を振るう……そこに正しさは無い」

「そう。それで……貴方は人の事を言えるのかしら?欲望のままにその剣を振るったことがないとでも?」

「……………………フ、」


 宵虎は笑った。返す言葉がなかったからだ。


 まったくもってスキュラの言う通り、おなかがすいたからとそれはもう色々ぶった切って来た宵虎である。よくよく考えれば、説教など出来る道理はない。


「だんにゃ!完全に言い負けちゃってるにゃ!慣れない事は止めといた方が良いにゃ!」

「…………とにかく、切る!」


 もう問答は十分、と宵虎は剣を手にスキュラへと駆け出した。


「……なんか、もう悪役っぽいにゃ……」


 呆れるネロの視線を背中に受けながら。


 宵虎はスキュラへと迫る―当のスキュラは動こうとしない。対処に出るのは蛇の群れ―濁流が飲み込もうとでもするように、視界を覆い尽くす蛇の群れは宵虎へと牙を剥く。


 だが、宵虎はその足を止めない。

 切って切って切り裂いて、力づくで蛇の群れを突き進む。


「そちらの猫……キルケーのペットよね。……貴方、魔女にたぶらかされたのね」


 蛇を切り続ける宵虎を眺めながら、スキュラはそんな問いを投げて来た。

 あるいは、会話をさせて隙を誘おうとでも言うのか。

 それを悟った上で、だが宵虎は言葉を返す。


「たぶらかす?……食い物は貰ったがな」


 この程度の蛇の群れ、例え片手間であろうと、宵虎にしてみれば大した脅威ではない。


「へえ、そう。餌付けをすれば、仲間になってくれるの?」


 そのスキュラの言葉と共に、宵虎の身に影が差す。

 その主はナーガ―群れた蛇ごと、宵虎を噛み殺そうと迫りくる。


 しかし、宵虎は顔色一つ変えなかった。


「あいにくだが……」


 閃く剣に淀みは無い。鱗を断ち、肉を裂き、牙を砕き、ナーガの頭部を跳ね飛ばす。

 地響きと共に崩れるナーガ。その光景に威圧され、群れる小蛇は怯え固まる。


 鮮血の巻きついた剣を肩に。

 赤い雨の中、宵虎は獰猛な笑みと共にスキュラを睨みつけた。


「……蛇は少々食い飽きてな」

「だんにゃ!今のちょっとカッコ良かったにゃ!悪役っぽいけど……。その調子だにゃ、だんにゃ!完全に悪役だけど…」


 色々と台無しな野次を飛ばしてくるネロ。

 良い加減うんざりして来た宵虎は、凄く何か言いたそうな目でネロを睨んだ。


「……………………。む!?のわっ!?」


 と、不意の衝撃に宵虎は吹き飛ばされた。毬の様に軽々と。


 吹き飛んだ先はネロの隠れている入り口の真横。壁へとしたたかに背を打ち、漸く止まった宵虎は、自身を吹き飛ばした物を知って顔を顰める。


 宵虎を吹き飛ばしたのは、ナーガだった。それも、たった今宵虎が頭を両断したナーガである。頭の無いその蛇が動いていた……欠け落ちた頭、その傷口がぶくぶくと膨れ、やがてナーガは傷一つ残さず、元の姿を復元する。


 いや、そもそもそれはナーガでは無い。

 その尾は見えず、スキュラのスカートから生え出ているようにも見える。

 なるほど。上半身は人だが、下半身は怪物―どうもスキュラとは、そう言うモノらしい。

 とにもかくにも……。


「……油断した」

「知ってるにゃ。見てたしにゃ。ていうか、再生しちゃうみたいだけど、どうするのかにゃ?」

「フ…………簡単な話だ」


 余裕綽々と言った笑みと共に、宵虎は立ち上がる。

 吹き飛ばされはしたが、そう大した怪我を負っている訳ではないのだ。


「……死ぬまで殺せば良い」


 獰猛な笑みと共にそう言って、宵虎はまたスキュラへと挑んでいく。

 その背中に、ネロは呆れと共に呟いた。


「馬鹿っぽい上にいよいよ悪役だにゃ……あ、嘘嘘!だんにゃカッコ良いにゃ!カッコ良いから一々こっちを…………はあ。見なくて良いにゃ……」


 また吹っ飛んだ宵虎を見ながら、ネロは深く溜息を吐いた。

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