結界の先の魔女
「え~。それマジかにゃ?本当かにゃ?騙してるんじゃないかにゃ?」
「ほんとほんと。いや~お兄さんぶっ飛んでるよね~」
「いや~、聞く限りお嬢さんも相当のもんだにゃ~」
「え~、なにそれ~。……どういう意味?」
「……なんでもないですにゃ」
道中ずっと、アイシャとネロは喋り続けていた。
「……二倍うるさい。………む?」
漸く、驚愕から覚めた宵虎は、うんざりした様子でそう呟き……と、そこで足を止めた。
気配があったからである。道の隅に、何か小さい物の気配が。
「……蛇?まだ居るのか……」
捕らえるべきか……そんな事を思った宵虎だったが、しかし気配はすぐにどこかに逃げて行ってしまう。
(……追うほどでも無いか……)
そして、宵虎はまたうるさい娘と猫についていく。……やがて、
「……あ、ついたにゃ。ここにゃ!」
ネロは街の一角で立ち止まった。
空き地だ。そう、空き地である。なにもない空間を前に、ネロはついたと言ったのだ。
「……ここ、とは?」
「なんにもないけど?」
首を傾げる宵虎とアイシャに、ネロは得意げに言った。
「一見すると~、だけどにゃ。マスター!帰ってきたにゃ~」
ネロはそう、何もない空間に呼び掛けた。すると……
「…………………何も起こらないぞ」
宵虎はそう呟いた。空き地はただの空き地。それ以上でもそれ以下でもない。
「ま、マスター……?なんで開けてくれな……ふにゃっ!?」
可笑しいな~と傾げられたネロの首根っこを、アイシャは掴み上げ、こう問いかける。
「ねえ、猫ちゃん?もしかして騙した?騙してないよね?無駄足とかそんなめんどくさいことさせてないよね?」
「え、笑顔が怖いにゃ…。ち、違うにゃ。あたしのせいじゃないにゃ。これは、あれにゃ!マスターが居留守してるだけにゃ!はあ、どうするかにゃ。マスターが入れてくれないと入れないにゃ…」
徐々に強くなってくる首根っこの痛みに、ネロはそう嘆いた。
すると、そこで宵虎は首を傾げる。
「入れない?……入れないも何も、何もないだろう」
そして、そう言った宵虎は、何もないその空き地へと歩み、踏み込もうとした。
「あ、無理に入ろうとすると…」
と、ネロは静止したが、しかし時既に遅く……
バリバリバリバリバリバリ……。
突然の閃光と轟音が宵虎の身体を焼き、宵虎は素っ頓狂な声を上げた。
「あがががががががが……」
その空き地には、見えない壁があったのだ。進めない…所か、触れた者を痛めつける壁が。
やがて、宵虎が仰向けに倒れこむ事で、その閃光は静まった。
「……入れないな」
「だから、そう言ってるにゃ……」
微妙に服を焦がし、煙を上げながら呟いた宵虎に、ネロは呆れた。
「ふ~ん。結界があるんだ……」
興味深そうにそんな事を言いながら、アイシャは手を伸ばす。
ネロの首を掴んだまま、その腕を結界へ。
「あの……お嬢さん?どういうつもりにゃ?なんであたしを結界に近づけてるのかにゃ?」
嫌な予感に苛まれながらそう尋ねたネロに、微笑みと共にアイシャは言う。
「結界とくとかなんかめんどくさいし、こうすれば開けるかな~って。バリバリ~って痛そうだし。……ね?」
「ね?じゃないにゃ。使い魔の悲鳴で開けさせるって事かにゃ?可愛い顔して発想が鬼畜過ぎ…って止めるにゃ!本気かにゃ!冗談で終わらせてほしいんだけどにゃ!にゃ、にゃにゃああああああ!?」
悲鳴を上げるネロの身体が、(アイシャによって強制的に)結界へと近づいて行く。
そして、その身が結界に触れる寸前―
パン。そんな軽い音が鳴り響き、そこにあった結界が消失した。
そして、いつの間にやら空き地に、小屋が現れていた。小さな、石造りの建物である。
「良かったね、猫ちゃん。帰ってきて良いって」
そう笑ったアイシャに、ネロは引きつった笑みを返した。
「そ、そうだにゃ。良かったにゃ。……この人、やっぱり敵なんじゃないかにゃ…」
*
小屋の戸の先には階段があった。どうにも、地下へと続いているらしい階段が。
所々に火が灯るその階段を、宵虎達は下りていく。
「地下か……」
「ふ~ん。この先に居るの?魔術師が?な~んか、趣味悪そう……」
「あ、そんな事言うとマスターが怒るにゃ」
そんな事を言っている内に、やがて、階段が終わり、目の前にまた扉が現れた。
「……扉。バリバリしないだろうな。……俺が開けるのか?」
「早くしてよ、お兄さん。入ろうよ~」
などと言いながら、アイシャは何が起こっても良いようにしれっと距離を取っていた。
「……だろうな」
呟いた宵虎は、覚悟を決めて扉を開けた。
バリバリ~と閃光が走る事も無く、ただただ普通に扉は開く。
「何事も無く開いたか……」
開け切った戸に宵虎が一息ついたその瞬間。先に広がる暗がりの向こうで閃光が走った。
「あ、お兄さん!危ない!?」
閃光―輝く縄が、宵虎へと一直線に飛来してきたのだ。やはり、罠があった。だが、覚悟を決めていた宵虎にしてみれば、その輝く縄を交わす事など朝飯前―。
「その程度避け……なに!?」
……妨害さえ、なければ。
突如背後からの衝撃に押された宵虎は、交わす事も出来ず輝く縄へと突っ込んで行き―
「……む」
宵虎は捕まった。バリバリする事も無く、痛みを覚える事も無く…ただ、その光の縄は宵虎の身を縛り上げたのだ。
身動きが取れないまま、宵虎は恨みがましく自身の背後―アイシャを睨んだ。
「うわ~。お兄さん捕まっちゃった……大丈夫?痛くない?」
白々しくも、心配そうにそんな事を言ったアイシャに、ネロは呆れた。
「後ろから蹴って盾にしといてよく言うにゃ……。(お兄さんが避けたら私の身が)危ない!?……って端折り過ぎだにゃあああああ!?」
素っ頓狂な声を上げたネロの身は空中にあった。アイシャが投げたからである。
なぜ、投げたか。それは言わばそう、……身代わりだ。
「ふにゃ!?」
と言う悲鳴と共に、ネロもまた光の縄に捉えられ、地面に落ちた。
「……今の、避けられなかったかも。危なかった……。ありがとね、猫ちゃん」
そう言いながら、アイシャはサッとしゃがみ込み、宵虎の背に身を隠す。
「あ、はい。……もう、好きにするにゃ……」
突っ込む気も怒る気も失せて、ネロはうなだれる。
そして、うなだれていたのは宵虎も同じだ。
「なぜ、蹴られた。……何か、怒らせるような事をしたか?」
「覗きじゃないかにゃ~」
「……何の話だ?」
「それ、本気で言ってるのかにゃぁああああああ!?」
ネロはまた素っ頓狂な声を上げた。光の縄に引っ張り上げられたからだ。
宵虎もまた同じ目に合い、やがて一人と一匹は暗がりの中、宙吊りにされる。
その様子に、アイシャは思わず、声を上げた。
「
「……今、盾Aとか盾Bとか聞こえたにゃ……」
「盾えー?……えー、とはどういう意味だ?」
「文字ですにゃ……って、気になるのはそこなのかにゃ?ていうか、あたしまで宙吊りにする意味はないんじゃないかにゃ、マスター」
ネロは、不意に暗がりの奥へとそう呼び掛ける。
宙吊りにされた一人と一匹。その向こうから、一人の女性が現れる。
赤茶色の髪をした、小柄な女性だ。ローブのような厚手のドレスに身を包んだ彼女は、宙吊りにされたネロを冷たく睨んで、こう言った。
「罰です。ネロ、私は様子を見て来いとは言いましたが、連れて来いとは言っていません」
「ご、ごめんなさいにゃマスター……」
しゅんとうなだれるネロの脇、宵虎は現れた女性を見ながら言った。
「また女か。誰も彼も奇怪な術を……。とにかく、俺に害意はない。下ろしてくれないか」
とりあえず、そう頼んでみた宵虎だったが、しかしその言葉に、小柄な女性は小首を傾げるばかりだ。
「ネロ?この人はなんと言ったのですか?何語でしょうか?」
「あ、マスター。その人、どうも言葉が通じないらしいにゃ。で、だんにゃは下ろして欲しいって……」
「そうですか。まあ、どうでも良い事ですね。そちらの方は、言葉が通じるでしょう?」
当然のようにネロの言葉を無視して、小柄な女性はアイシャへと視線を向ける。
「……あ、無視ですかにゃ……」
「……下ろして、……くれないのか?」
またうなだれる一人と一匹。そんな様子を尻目に、アイシャは小柄な女性へと返事をする。
「何言ってるかわからな~い」
「…通じているではないですか」
苛立ったのか、険しくなった女性の視線もどこ吹く風と、アイシャは言った。
「でさ、貴方が魔女?っぽい格好してるもんね~」
そのアイシャの言葉に、小柄な女性の眉がピクリと動いた。
「魔術師です。……キルケーと言います」
「へ~。魔女のキルケーさん?」
その言葉に、小柄な女性―キルケーの眉はまた動く。明らかに苛立っている様子だ。
「……魔術師です」
「あ~、なんかこだわりある感じ?でも、魔女でしょ?魔女で良いじゃん。そっちのが言い易いしさ~。ていうか、似たようなもんだろうし」
「………はあ。私の話はもう良いでしょう。そちらは、何者ですか?」
「私?アイシャ。ギルドのハンター」
「……ギルドがなぜ?」
「あ!聞いてくれる?それがさ~」
それを皮切りに、アイシャは喋りだす。ペラペラペラペラと、明らかに不必要な情報まで混ぜ合わせながら。関を切ったように話しだしたアイシャに、キルケーは苛立たし気に眉根を寄せ、ネロは呆れて呟いた。
「うわ~。これ、長くなりそうだにゃ~。……短くしといてくれないかにゃ~。こっちは宙吊りなんだけどにゃ~」
と、そう呟いたネロの耳に、音が届いた。ぐうう、とお腹がなる音が。
「……おなかがすいた」
「この状況でかにゃ?はあ……だんにゃもマイペース過ぎますにゃ……」
深くため息をつくネロ。
暗がりには、ペラペラペラペラとアイシャの言葉ばかりが並んでいった。
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