……しゃべる猫だと!?

「にゃ~。なんだったんだにゃ、今の。目で追えない動きしてたにゃ。今何発殴ったのかにゃ?あのだんにゃ意味わかんない吹っ飛び方してたにゃ……」


 家を出た宵虎の耳に、そんな声が聞こえてくる。その事に、宵虎は首を傾げた。


「にゃ?…国の言葉か?妙な訛りだが……」


 言っている言葉の意味がわかったのだ。誰かが、宵虎の国の言葉で話しているらしい……。


「訛りじゃなくてアイデンティティだにゃ~」

「あいでんてぃてぃ…?」


 首を傾げながら、宵虎は周囲を見回す。辺りに人気は無い。生き物と言っても、何やら窓枠にしがみついて家の中を覗いている黒猫くらいのものだ。


「深く考えるなって意味………あれ?あたしは今、誰としゃべってるのかにゃ?」

「俺だにゃ」


 宵虎は語尾に”にゃ”をつけてみた。どこの誰とも知らないが、流れた末の異国の地、せっかく言葉が通じるならば、倣ってみるのも人情と。だが、


「ひっくい声でにゃとか言わないでほしいにゃ。正直気持ち悪いにゃ。なんで今まねしたのかにゃ?」

「…すまない。良かれと思って…」


 そう言って、深々と頭を下げた宵虎を、猫は寛大に許してやった。


「わかれば良いにゃ……」


 そして、そこで漸く、猫と宵虎の視線がぶつかる。

 一人と一匹、しばし見つめ合い……やがて猫は大声を上げた。


「……って、にゃああ!?ば、ばれたにゃ!?」


 そしてほぼ同時に、宵虎は今更驚き、目を見開いた。


「……喋る猫だと!?」


 そして、その声が余りに大きかったからか、部屋の中からアイシャが声を掛けてくる。


「お兄さん?な~んか、声が聞こえるけど?まだ覗いてたの?次はないって……」


 そして、どうやら着替えを終えたらしいアイシャは、カーテンと窓を開けた。

 その途端、窓枠に引っ掛かっていた爪が外れ、悲鳴を上げながら猫は落下する。


「ふにゃあああ!?………い、いきなり開けるにゃ!」


 涙目になりながらアイシャを睨み上げ、猫はそう叫んだ。

 アイシャは一瞬、その声の出所がわからず周囲に視線を走らせ―やがて猫が自分を睨んでいることに気付くと、驚きの声を上げた。


「え?…あ!猫がしゃべってる!」

「あ、やばいにゃ。…にゃ、にゃーん」


 と、そこで猫は今更ごまかそうと、猫の鳴きまねをした。

 それはまるで人間が猫の鳴き声を真似ているかのような、酷く不自然な鳴き声だった。


「……にゃーん?」


 真似をして宵虎は呟き、首を傾げる。そんな宵虎を、猫は容赦なく睨みあげた。

「だから、ひっくい声でまねしないでほしいにゃ」


「……すまない」

「すまないじゃすまないにゃ。ああ。やっぱりごまかし切れないかにゃ…」


 諦めたような風情で、猫はため息をついて見せる。

 そんな宵虎と猫のやり取りを眺めた末に、アイシャは一つ気付いて、猫にこう言った。


「あれ?ねえ、猫ちゃん。一つお願いがあるんだけど」

「なにかにゃ?」

「お兄さんにさ。さっき、なんて覗いたか聞いてみてよ」

「にゃ?自分で聞けば良いにゃ~」

「いいから」

「はあ…だんにゃ。なんで覗いたんですかにゃ?」


 猫に問い掛けられ、宵虎は正直に言った。


「覗いた?いや……見稽古だ。着方がわからなくてな」

「見稽古?……だそうですにゃ」

「はあ?見稽古?」


 思わず鸚鵡返しに呟いて、アイシャは首を傾げた。見稽古、と言う言葉はわかる。技は盗め、と言う話だ。だが、それと覗きがどうつながると言うのか……。

 まあ、この際、その言葉の是非はおいておいて。重要なことは……。


「猫ちゃんと話通じてるんだ……」

「どうなっている?そちらとも話が通じるのか?」


 それぞれそんな事を言って、宵虎とアイシャは目を合わせた。


「まあ、とにかくだ…」

「便利な猫ちゃんだね」


 やがて、二人の意見は完全に一致する。この猫は(通訳として)大変便利そうだと。

 そんな二人の視線に晒されて、猫は総毛立つ。


「にゃ、にゃにゃ!?身の危険を感じるにゃ!こうなれば……三十六計にゃんとやら!」


 言うが早いか、猫は今更逃げ出した。


「逃げるにしかずだろう」


 宵虎は普通にそんな事を言い。


「徒労に終わる、ね。お兄さん?」


 元も粉もない事を言ったアイシャは、宵虎に笑顔を向けながら、指で猫を指さした。

 それで、意図が通じたらしい―宵虎は一つ頷くと、走り去る猫を追って走り出した。


 その後ろ姿を眺めながら、アイシャは微妙に納得いかないと言った顔つきで頬杖をつく。


「それにしても…見稽古ってどういう言い訳なの?ていうか、言い訳になってるのかな、それ。開き直ってない?」


 *


 黒猫が細い路地に駆け込んで一瞬姿を消す。


「……逃がさん」


 宵虎は全速力で、その路地へと駆け込んでいく。

 だが、その瞬間。


「きゃ!?……じゃすまないにゃあああああ!?」


 曲がり角の先にいた少女と思い切りぶつかってしまった。

 あるいは、宵虎が普通の身体能力をしていたらそれは素敵な出会いだったかもしれない。だが、残念ながら宵虎の身体の頑丈さは尋常では無い。


 ぶつかられた少女は悲鳴を上げながらごろんごろんと転がって行き、やがてビターンと取れこんだ。


「にゃ、にゃああ…、全力でタックルされたにゃ……あ、ごほん。え、えっと……痛~い…」


 一つ咳払いしてから、その娘は色々とごまかそうとした。


「もう、何するんですか。お兄さん。どうしたんですか?そんな必死な様子で」

「………………?」


 そんな娘を、宵虎はじーっと眺めていた。


 黒い服を着ている。黒い髪をしている。目は、黄色い。だが、そんな容姿よりも何よりも宵虎の興味を引いて仕方のない特徴がその娘にはあった。


「な、何ですか?あ、もしかして猫ですか。猫ならあっちの方に逃げていったにゃ。あ、いや、にゃじゃないにゃ。あ~あ、はあ……ていうか、聞いてるのかにゃ?」


 もう色々と諦めた様子の娘に、宵虎は尋ねた。


「頭の上についているのは、耳か」


 そう、気になるのはそれである。娘の頭の上には確かに、耳が二つついているのだ。……猫耳にしか見えないものが。


「…耳ですにゃ」


 娘は頷く。頭の上にあるのは、事実耳らしい。


 なるほど。ならばそうと納得しよう。髪型では無く、耳だと。

 だが、それならそれで宵虎には新た疑問が浮かんだ。


「横についているのは?」


 その娘の顔の横には、普通の人間の耳がついているのである。


「それも、耳ですにゃ」


 娘は頷いた。そちらも、確かに耳だと。

 ならば、ならばである。宵虎には、どうしても気になる事があった。


「…………なぜ、耳が四つあるんだ…」

「それは聞かないでほしいにゃ~。って、あれ?これ…もしかして、ばれ、てない、かにゃ?もしかして?もしかして?気付かれてない、かにゃ~?……コホン、」


 一つ咳払いして、それから娘は言った。


「えっと、私この後用事があるので……行っていいですか?」

「ああ。……いや待て。最後に、一つだけ聞かせろ」


 宵虎に呼び止められ、娘はピンと背筋を伸ばす。


「な、何ですか~?」

(やっぱりばれてるかにゃ……)


 戦々恐々とした様子の娘を真剣なまなざしで眺め、宵虎はこう尋ねた。


「耳が四つあると……何か良い事があるのか?」

「そこはもうほっといて欲しいにゃ~。耳が四つあると、良い事?良い事は、ほら~えっと……可愛いとかかにゃ?」

「……二つなくなっても音の方向がわかるとか、どう?」

「発想がえぐ過ぎるにゃ。……にゃ!?ごまかし切れなそうな方が来たにゃ!?」


 突然聞こえてきた声に律儀に突っ込んで……それから娘は驚愕した。

 いつの間にやら、背後に呆れ顔のアイシャが立っていたからである。


「ごまかしって……自分で言っちゃってるじゃん……」


 その呆れた視線は背中から。


「可愛い……だと。…可愛いのか?奇怪では?」


 いつまでも耳を睨み続ける融通の効かない視線は正面から。


(まさに前門の虎、後門の狼……微妙に意味違う気がするけど……袋のネズミにゃ!?あたし猫だけど……)

「にゃ、にゃ………こうなったら、仕方がないにゃ。あたしの真の力を見せてやるにゃ!窮鼠猫を噛むのにゃ!……猫はあたしだけど。こほん。シャー!」


 そうして、娘は挑みかかるのだった。牙を剥き、爪は鋭く、猫耳はピコピコ。


 まさしく半人半妖のその姿、並の人間に遅れを取ることは……


 *


 縛られた娘―使い魔ファミリア、ネロは自身を睨みつける人間の形をしているだけで絶対人間とは認められない戦闘能力を有した二体の怪物たちを前に生き抜こうと必死だった。


「違うんです、違うんですにゃ。別にお二人に危害を加えようとかそう言う意図はないんですにゃ。ただちょっと様子を見て来いって言われただけで、悪さしようってんじゃないんですにゃ。…にゃ、そんなじっと耳を見てどうする気にゃ?ふにゃ!?さわるにゃ!」


 いつまで猫耳に興味を持っているのか、本当に生えているのか確かめでもするように、宵虎は猫耳をいじくっていた。

 その様子に呆れた視線を送りながら、アイシャはネロに問いかける。


「様子を見て来いって、誰に言われたの?」

「マスターですにゃ…」

「ますたー?」


 知らない単語に、宵虎は首を傾げた。基本、親切なネロはこれだけ虐げられていながらもわかるように言い直してやった。


「にゃ?えっと、ご主人様ですにゃ…」

「……ご主人様?意味深な……」


 宵虎は首を傾げている。そんな宵虎は一旦おいておいて、アイシャは尋ねた。


「で、その、ご主人様って誰?」

「そりゃ~、魔術師の…おっと。相手が誰かわかんないうちはしゃべれないにゃ…」

「魔術師?ふ~ん。で、その人、神殿に居るの?」


 なおも問い掛けたアイシャに、ネロは答え掛け……


「神殿?違うにゃ…この街の…っておっと。口がすべるところだったにゃ」


 ……寸での所でこらえた。が、それでもそこそこな量の情報は漏れ出ている。


「街ってことは…敵じゃないのかな」


 呟きながら、アイシャは考える。今捕まえたのは、恐らく使い魔(ファミリア)。そのマスターは、神殿では無くこの街にいるらしい。ならば恐らく、この街にもともと住んでいる人の一人だろう。


 この使い魔に与えられた命令は、様子を見て来い。外からこの街にやって来たアイシャ達が何者かを見極めて、場合によっては助力を請おう、と言う辺りだろうか。


(とにかく。漸く、ちゃんと話が聞けそうかな……)


 そうほくそ笑んだアイシャの前。

 宵虎は耳への興味を失ったのか、今度はネロの着ている服に興味を示していた。


「にゃ?何をするにゃ。なんで服を引っ張ってるにゃ。どこ触ろうとしてるにゃ!」

「…着方を学ぼうと」

「まだそれ引っ張るのかにゃ…。それは素なのかにゃ?それとも下心満載なのかにゃ?」

「……下心?何の事だ」

「……はあ。もう良いにゃ。とにかく、止めて欲しいにゃ……」


 そう、宵虎とネロは会話していた。

 相変わらず、宵虎の言葉はアイシャには理解できないが、ネロの言葉は理解できる。


「やっぱり、私たち両方と話が通じてる。ねえ、猫ちゃん。なんで話通じてるの?」


 そう問い掛けながら、アイシャはネロの猫耳に手を伸ばした。


「なんでって、なんでがなんでかにゃ?……だから、触るにゃ!」

「うわ、本当にくっついてる。ふわふわ~……じゃなくて、ほら、お兄さんと私、別の言葉喋ってるでしょ?」

「別の言葉?…どっちもわかるけどにゃ……あん、そこ駄目にゃ~」


 悶えるネロの耳を弄り続けながら、アイシャは呟いた。


「さっきのシーピショップもそうだし……魔物はそう言う物なのかな。そっか。半分テレパシーだったっけ?…………うん、まあいいや。便利だし。それでさ、猫ちゃん。頼みがあるんだけど~その魔術師の所に案内してくれない?」

「お、お断りにゃ。敵かもしれない奴を連れて行く訳なあんっ……だから、いじるにゃ!」

「ふ~ん。そっか。でも、探すのめんどくさいしな~。…しょうがないな。ねえ、猫ちゃん。貴方の肉って美味しいと思う?」

「な、何を不穏なことを言いだしてるにゃ…」


 途端、冷や汗を流し出したネロの猫耳にそっと口を寄せて、アイシャは囁いた。


「このお兄さんね。……ナーガを食べたの」

「……にゃ?ナーガを?食べた?食べたって……食べたって事かにゃ?」


 信じられないといった面持ちで怯えるネロへと、アイシャは微笑みと共に言った。


「そう。ほら、別の国の人みたいだし…ナーガを食べるなら、猫くらい。………ね?」

「た、たたた…食べられる…わけないにゃ!だんにゃはあたしを食べる気かにゃ?あ、変な意味じゃなくてにゃ」


 動揺しながらそんな事を言ったネロに、宵虎は首を傾げる。


「食べる?…そう言えば、おなかがすいたな…」

「微妙に子供っぽいセリフが凄いサイコに聞こえるにゃ……う~!それでも、あたしはマスターを裏切るなんてそんな事は絶対に―」


 ぐうう。宵虎のお腹が大きく鳴った。


「…ただいまご案内しますにゃ」


 身の危険を感じたネロは、即座に抵抗を諦めた。そして次の瞬間、ポンとコルクを抜いた様な音が響き、いつの間にやら宵虎達の目の前から娘の姿がなくなっていた。


 娘を縛っていた紐が地面に落ち、その中心には黒猫の姿がある。


「さ、行くにゃ……はあ、」


 黒猫―ネロはそう言って歩き出し、アイシャは特に驚いた様子も無くそれを眺める。

 しかし宵虎は、目を見開いてネロを見ていた。


「……先程の猫だと!?」


 今更過ぎる驚愕の声を上げた宵虎に、ネロは呆れた視線を送った。


「マ~ジで気付いてなかったのかにゃ……。大丈夫なのかにゃ、この人……」

「お兄さん、何固まってるの?行こうよ、ほら」


 動こうとしない宵虎の腕をアイシャは引っ張り、


「人が……猫に?呪いの類か……」


 引っ張られながらも、宵虎は驚愕し続けていた。

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