霞の先の廃神殿

「ほら、お兄さん。漕いで漕いで。サボんない」

「うるさい上に手伝いもしない……なぜ、ついてきたのだこの娘……」


 やんややんやと喋り続けるアイシャの声を背に、宵虎はせっせと舟を漕ぎ続けた。

 そうして近づいて行くと、やがて霧の向こう、島の全容が朧げに見て取れた。

 建物がある。巨大な神殿だ。ただそれがあるだけの、どうも小さな島らしい。


 と、近づいて行く宵虎達の耳に、不意に歌声が届いた。

 美しいが、どこか悲しげで聞くだけで気が重くなるような歌が、神殿から響いてくる。

 いや、それはただの歌ではない。


「歌?……な~んか、やな歌……」

「……呪いの類か。悲しげな歌だな……」


 それは、呪歌だ。二人にはその効果が及ばないらしく、どんな種類かまで判別することは出来なかったが、魔力ともいうべき不可思議な力の籠った歌である。


 やがて、宵虎達が島に辿り着くと同時に、その歌は止んだ。

 一足先に島に踏み入って、アイシャは呟く。

「よいしょっと。ふ~ん、やっぱり、神殿だけど……やな感じ。で、お兄さん。ここ入……」


 言いながら振り向いたアイシャだが、しかし宵虎は神殿に近付こうすらせず、何やら波打ち際を探っていた。


「……らないんだ。何しに来たの?」


 宵虎の行動の意味がわからず、ただただアイシャは呆れ返った。


 と、その時、宵虎は不意に神殿へと警戒の視線を向けた。

 その視線を追ったアイシャ―神殿から、何者かが姿を現していた。


 人の形をしている。人の顔をしている。着ている服は神官が着るような、白い礼装だ。

 だが、それは人では無い。鱗が生えているのだ。服の隙間から僅かに見えるその肌に、あるいは顔に、びっしりと鱗が……。


「シーピショップ、かな……」


 アイシャはそう、現れた魔物の種類に当たりをつける。海を行く神官―嵐を呼ぶとも言われる魔物。

 シーピショップは、宵虎とアイシャを睨み、口を開いた。


「何をしに来た。魔女に請われ、討ちに来たか。それとも、我が女王の軍門に下るか……」

「魔女?女王?……なんて言うか、女難の相がありそうだね……」


 ふざけた調子で、アイシャは呟く。その横で、宵虎はシーピショップの言葉に驚いていた。


「魔女?女王?………なぜ、俺にも言葉がわかる?国の言葉か?」


 何を言っているかが宵虎にもわかったからだ。ここは異国のはずだが……あるいは違ったのか。その疑念に頭を悩ませる宵虎だが、しかし次の瞬間、そんな事がどうでも良くなる光景を目撃した。

 シーピショップが、刃を持っていたのだ。宵虎のとても良く知る刃。

 ……宵虎の太刀を。


(やはり、この島に流れ着いていたか……)


 そう胸中で呟いた宵虎は、一歩進み出て、シーピショップへと言った。


「その太刀は俺の物だ。返して貰えないか?」


 その宵虎の言葉に、シーピショップは太刀を持ち上げながら言った。


「太刀?……ああ、この剣の事か。クラーケンの死体と共に流れ着いてな。珍しいからと、女王が俺に下さったのだ。これが、お前のものだと?」

「そうだ。返せ」

「断る。……お前が嘘をついているかもしれないしな。それにそもそも、返す義理もない。大切なものなら、大事に抱えておくべきだろう?」

「どうしても返さぬか。ならば……俺が勝ったら返して貰おう」


 宵虎はそう言って、脇差しに手を掛けた。


「力づく、か。……野蛮だな、異人」


 そう笑って、シーピショップは修練も何もない雑な構えで刃を上げる。

 一触即発の雰囲気―だが、その緊張感はアイシャの声で吹き飛んだ。


「ちょっと。ちょ~っと待ってくれない?……ねえ?今会話して無かった?なんで?」


 どうやら宵虎の剣をシーピショップが持っているらしい、とアイシャにも状況が掴めている。だが、それはおかしいのだ。宵虎が会話をしているのなら、その言語がアイシャにわかる訳がないのである。だというのに、シーピショップが何を言っているのかアイシャにもわかるのだ。宵虎と交わす、シーピショップの言葉が、アイシャにも理解できている。


「ねえ、お兄さん。なんで会話出来たの?もしかして、私が今何言ってるかわかる?」


 そんなアイシャの問いかけに、宵虎は不思議そうに首を傾げるだけだ。


「あ、そう。通じてない。じゃあ、シーピショップさんに聞きます。なんでですか?」

「……知らん」


 シーピショップはうるさそうに答えた。


「あ、そう。……魔物だからかな。まあ、いっか。ついでだからさ、ねえ、シーピショップさん。私は、あっちの街で何が起きたのか知りたいんだけど。教えてくれない?」

「……なぜ、知りたい」

「そう言うクエストなの。調べるだけでお金が貰えるの。……話してくれたら私、お役御免なんだけど?」


 そのアイシャの言葉を、シーピショップは鼻で笑った。


「……ならば、知る必要はないな」


 その言葉の直後である。


 不意に、シーピショップは地を蹴った。訓練された歩法でもなく、ただ地面を蹴っただけ―しかし、魔物の身体能力は、ただのそれだけで十分素早い。

 一足飛びに宵虎達に迫ったシーピショップは、力任せに太刀を振り下ろす。

 やはり、ただ怪力に任せただけの雑な一閃―。


 宵虎とアイシャは特に苦労する事も無く、左右に散ってその一閃を交わした。

 空を切った刃が地を砕く―岩肌を両断するその威力は大したものだろう。

 飛びのいた先で弓を構えながら、アイシャは言う。


「え~。もしかして…ここで死ぬからとか言う?」

「察しが良いな」


 そう笑ったシーピショップへと、不意に宵虎が襲い掛かった。シーピショップとは比べ物にならない完成した動作で一挙に距離を詰め、脇差しを振るう。

 もし、宵虎が太刀をその手に持っていたのならば、勝負はその瞬間に決していただろう。

 だが、流石に脇差しでは間合いが狭過ぎる―シーピショップは大きく飛びのいて宵虎の一閃を交わして見せた。

 逃れたシーピショップを恨みがましく睨みつけ、宵虎は言った。


「半端な腕で振るうな。太刀が折れたらどうする…」

「ふん。別の剣を探せば良いだけだろう?」

「なら、返せ!」


 咆哮と共に、宵虎はシーピショップへと突っ込んで行った。

 シーピショップは宵虎を迎え討ち、正面から太刀を振り下ろした。

 シーピショップのそれは、確かに威力のある一閃ではある。だが、技も速さもまるで無い―宵虎から見れば、児戯である。宵虎は、ただ身を逸らすだけでその一閃を掻い潜り、シーピショップへと脇差しを振り下ろす。

 一閃を前に、シーピショップは背後に跳んだ。


 舌打ちをしたのは二人同時だ。

 薄皮一枚とは言え、袈裟に礼装を切り裂かれた事に苛立つシーピショップ。

 脇差しの短さのせいで、薄皮一枚しか裂くことが出来なかった事に苛立つ宵虎。


 そして、その様子に笑みを浮かべる者が一人。

「ラピッド・ブロウ」


 背後へ跳んだシーピショップへと、アイシャは躊躇なく矢を放った。

 真剣勝負……などにこだわる趣味はアイシャには無い。楽が出来たら全てオッケー。漁夫の利上等、美味しい所だけ貰って行く……そう言う立ち位置が好きなのだ。楽だし。

 着地直前―身動きできないシーピショップの胸を、矢が貫く。


「く……」


 苦悶の声と共に、シーピショップは着地出来ずに地面へと転がった。


「……………………」


 宵虎は、何も言わず、だがかなり何か言いたそうにアイシャを見ていた。


「私達の勝ち~っ!やったね、お兄さん!」


 アイシャは宵虎の視線の意味に気付かないふりをしてはしゃいでおいた。


「……まあ、良いか」


 微妙に納得がいかなかったものの、宵虎はそう呟いて戦利品―シーピショップが落とした太刀を拾い上げようとする。だが、宵虎が太刀を拾い上げる寸前、細長い何かが太刀に巻き付き、宵虎の目の前から太刀を掠め取って行ってしまった。


「……あ。……俺の太刀……」

「あ~あ。またお預けされちゃったね、お兄さん。……ていうか、しぶといな~」


 めんどくさいと言わんばかりな視線を向けたアイシャ。

 その先では、シーピショップが立ち上がろうとしていた。その胸には確かに、アイシャの一撃によって風穴が空いている。だが、それに痛みを覚えた様子も無く、シーピショップは立ち上がり、そしてその手に再び太刀が握られる。


 太刀を掠め取った細長い物は蛇だった。そしてその蛇は、どうもシーピショップの身体から生えているらしい。


「……女王が下さった。俺の物だ……」


 頑なな声で、シーピショップは呟く。その胸の風穴にもまた、蛇がとぐろを巻き―やがて、その傷が塞がった。


「俺が、女王を……」


 シーピショップは宵虎とアイシャを睨みつけ、今にも再び切りかかろうと四肢に力を漲らせる―。

 ―そこで、歌が響いた。寂しげな呪歌―先程響いたのと同じ歌が。

 それを聞いた途端、シーピショップはふっと身体の力を抜いた。


「これは……わかりました。女王」


 そして、そう呟くが早いか、シーピショップは神殿の中へと駆けて行く。


「待て……太刀を返せ!」


 すぐさま、後を追おうとする宵虎―しかしそこで、宵虎は人影を見た。

 シーピショップと入れ替わるように、神殿から現れる人影。それは、西洋甲冑を纏った兵士だ―しかも、一人や二人では無い。何人も、何十人も……兵士は神殿から姿を現す。

 宵虎は舌打ちと共に足を止め、アイシャはうんざりと肩を落とした。


「甲冑の魔物?どんだけいんの……。って、うわ~見た事ある紋章。超めんどくさい予感がする……」


 兵士達の甲冑には全員に同じ紋章が入っている。炎と、剣。…メナリアの街を示す紋章が。

 兵士達はぞろぞろと歩み……やがて一斉に宵虎達へと駆け出すと、躊躇なく切りかかる。


 操り人形の様で、やはり雑な一閃だ。宵虎は脇差しであろうと簡単に受け流して見せた。

 そして、返す刀で反撃しようとして……しかし、宵虎の手は止まった。


「……魔物ではないのか?……なるほど。あの呪歌か」


 兵士達の顔に精気は無く、瞳はうつろだ。だが、その気配は紛れもなく人のもの……。

 どうも、洗脳でもされているらしい。


「やったー、住人見つけた。…はあ、最悪……」


 兵士達の剣を器用に交わし続けながら、アイシャは毒づいた。

 宵虎もアイシャも、怪物ならばまだしも人間を相手に殺し合いをする気はないのだ。

 宵虎は受け流し続け、アイシャは交わし続け―やがて、二人は背中を合わせる。


「殺すな、娘。人だぞ」

「何言ってるかわかんないけど……やっぱり人間って事かな。人殺しはちょっとな~。ああ……めんどくさ。いいや。退却退却」


 そう言って、アイシャは一足先に舟へと駆け出していく。


「口惜しいが、ここは一旦…………判断が早いな。……む?待て、」


 一瞬遅れて宵虎もまた舟へと駆け出した。だが、宵虎は舟に退路を見たわけでは無い。むしろ、そこに危険があると気配で察知したのだ。


「退却たいきゃぐっ!?」


 舟に飛び乗ろうとしたアイシャは、しかし宵虎に襟首を捕まれ、素っ頓狂な声を上げた。


「ごほっ……ちょっと、いきなりなに……」


 文句を言おうとしたアイシャの目前。

 不意に、海がせり上がり、そして水柱に舟が飲み込まれていく。

 ダン―しぶきと共に現れたのはナーガだ。海中から現れたナーガが、宵虎達の乗ってきた舟を飲み込んだのだ。あのまま乗り込んでいたら、アイシャもまた大蛇の腹の中だった……。


「……ありがとう、お兄さん」


 青ざめながら、アイシャはそう言った。


「お肉を焼いてくれた礼だ」


 アイシャが何を言って居るのかは相変わらずわからないものの、流石にこの状況で文句を言われているわけでは無いだろうと、宵虎はそんな事を言ってみた。


「……はあ。まあ、助かったは助かったけど!?」


 言いながら、アイシャはその場を飛びのく。同じタイミングで宵虎もまた逃れ―その一瞬後に、二人の影をナーガが飲み込んだ。


 だが、二人の敵はナーガだけでは無い。逃げ伸びた先で、二人は兵士に切りかかられる。


「どうしよっかな~」


 剣と大口を交わし続けながら、アイシャは考える。逃げ場は、海しかない。


(いっそ、泳いで逃げてみるとか?でもな~)

(大蛇が邪魔だな………)


 宵虎もまた交わし続けながら、どうするかを考えていた。


 泳いで逃げれば、海の中で大蛇と戦う羽目になる。それは間違いなく不利で、危険だ。

 ならば、逆に逃げるのではなく攻めるか。神殿の奥へと行って、兵士を洗脳している魔物を倒してしまう。それが一番手っ取り早いだろう。問題は、それがどんな魔物かわからない事。そして、向かうためにはそもそも兵士を突破しなければ行けない事。


(全員気絶させるか…)

(弾みで二、三人やっちゃいそうなんだよね。そもそも、この間合いやだし、数多いし、ナーガいるし…)


 手加減を間違えれば殺してしまうかも知れないのだ。距離が取れるならまだしも、この近距離でナーガを捌きつつ兵士を全員気絶させるのはアイシャにも流石に厳しい。


「…面倒な」

「あ~めんどくさ…」


 宵虎とアイシャは、同時にそう呟いた。


 短絡的。それは、結局、手っ取り早い解決を望むという事であり。

 めんどくさがり。それも、楽にさっさと解決したがるという事だ。


 要するに、二人は特に話し合うでもなく、だがまったく同じ解決方法を選択した。


(こうなるとさ、結局…)

(助ける必要はなかったな)


 兵士の剣を逃れ、ナーガの近く、海辺に向かう。

 示し合わせるでもなく、だが、同じ場所に辿り着いた二人。

 ナーガが大口を開け、頭上から迫る事にも構わずに、二人は通じもしない言葉を交わす。


「泳ぎは得意か?」

「泳げないって言ったら怒る?」


 直後、二人は丸ごと、ナーガに飲み込まれた。


 *


 二人の侵入者を飲み込んだナーガが、海へと還っていく―。

 その様子を、シーピショップは神殿の窓から眺めていた。


 やがて、ナーガの沈んだ海が赤く染まる。そしてその赤から、浮かび上がる物があった。

 死体だ。巨大な死体―ナーガのものである。わざと飲ませて、柔らかい口の中からナーガを倒し、同時に海の中へと逃れる。作戦とも言えないような雑な手だ。


「蛇に追わせますか、女王」


 シーピショップはそう尋ねる。

 神殿の奥―巨大な蛇が周囲にのたうっている玉座に腰掛けた冷たい美貌をもつ女性へと。

 女王。この神殿の主は、柔らかな笑みと共に応えた。


「ええ。追わせはするわ。でも、襲う必要はない…。キルケーはきっと、あの二人に接触するでしょう?場所を探らせれば良い。隠れている私の民が見つかるかもしれないし…ね?」

「では、その様に」


 シーピショップはそう頭を上げて、その間を立ち去ろうとする。


「グラウ」


 女王が名を呼ぶ。グラウ―それがシーピショップの名前である。


「もうすぐ、国が出来るわ。私達の国が……貴方の居場所が。嬉しい?」


 その問い掛けに、グラウは恭しく頭を下げる。


「貴方が、それを望んでいるのなら……」


 そうして、グラウは女王に背を向けて歩み去って行った。

 その背を、女王は僅かに寂しげに眺めていた。

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