…………異国だと!?
(さて……どうやって切り分けるか……。鱗を剥げばあるいは……)
たった今倒したナーガを眺めながら、宵虎はそんな事を考えていた。
と、そんな宵虎の背後で足音が響く。
先程、弓を射っていた者が来たのだろう。宵虎はそう当たりをつける。
矢のない弓撃―宵虎の知り合いでそれを用いる者は老人だった。積年の鍛錬の果てに得た境地―そんな事を言っていた覚えもある。
それを用いたとなれば、紛れもない達人。一体、どれ程屈強な男か―。
そんな想像をして振り向いた宵虎は、そこに居た者に驚愕した。
そこにいたのが、どう見ても娘だったからだ。
「お兄さん?大丈夫?生きてるよね?……外国の人?」
その娘―アイシャは何かを言って、それから不思議そうに首を傾げていた。
アイシャからしても、宵虎の容姿は珍しかったのである。
だが、宵虎の驚愕は珍しいとかそう言う次元では無い。
「娘……だと?その若さで境地に至ったと言うのか……女の身で?」
驚きに目を見開き、宵虎はそんな事を口走る。
確かに、女の身で達人になった者も宵虎の知り合いにいる。いるにはいるが……あれはそもそも男とか女とか以前に人間ではない。人間ではあるが、人間ではないのだ。
と、その宵虎の言葉にもアイシャは首を傾げた。
「は?なになに?なんて言ったの、今?外国語?え?いやいや、それはないでしょ。お兄さん。お名前は?」
アイシャはそう問い掛けた。だが、その言葉の意味が宵虎にはわからない。
祖国を追われ、流れ着いた異国の地。当然、言葉が通じるはずも無いのだ。
そして、宵虎はその一つ前の驚愕に未だ震えていた。
「女の身で……あの爺が何十年も掛けた境地に……爺の人生とは一体……は!?なるほど……娘ではなく、美丈夫だな。ふ、異国の者の性別はわからんな……」
そこまで呟いてから、宵虎は今更自身の言葉で気付く。
アイシャの髪は金色。目は青い。口にする言葉は理解できない。
「………………異国だと!?」
目を見開き大声を上げた宵虎に、アイシャはポリポリと頬を掻いた。
「今の名前?……じゃないよね~多分。もしかして…言葉通じないの?……はあ。めんどくさ……。話聞けないじゃん」
その言葉、何を言っているのか宵虎にはわからない。もっとも、混乱しきった今、言葉が通じた所で宵虎に届くとも限らないが。
(落ち着け。冷静になれ。一つずつだ。一つずつ解決するべきだ……)
そう自分に言い聞かせた宵虎は、アイシャへと歩み寄った。
「ん?どうしたの、お兄さん?」
にこやかにアイシャはそう尋ねる。
宵虎はそんなアイシャの正面に立ち、アイシャをじっと観察し……。
「美丈夫だ。美丈夫だろう?……男だ」
そう言って、アイシャの胸に手を伸ばした。
むにゅ。確かにある柔らかな感触に宵虎が目を見開いたその瞬間。
気付くと、宵虎は仰向けに地にふせっていた。何が起きたのか……宵虎の理解は追い付かない。恐らく、投げられたのだろうが……まったく反応出来なかった。
「……確かに女だ。そして、紛れもない達人でもあがはッ!?」
宵虎は不意に潰れた悲鳴を上げる。宵虎の胸の上にはアイシャの足、そして見上げた先には、冷めきった目で宵虎を見下ろすアイシャの姿があった。
「……今の、何?どういうつもり?」
アイシャの視線に、宵虎は怯えた。
アイシャの後ろに鬼のようなモノが見えるような気がする。いや、紛れもなくそれは気のせいだがこの殺気は間違いなく鬼のそれ―。
(……確かに、女だ。女だが人間ではない。いや、人間だが人間ではない。く……認めるしかないな。この娘、紛れもない天分を持っている。達人か……)
漸く、宵虎は納得した。アイシャが達人である事も、ここが異国であることも、そうと受け入れて諦めるほか無い、と。
もう良い。もう、混乱は十分だ。納得した以上……今はそれよりも……。
「……おなかがすいた……」
納得したらおなかがすいたのだ。いや、元々おなかはすいていたが、混乱で一時忘れていただけ。そして、その呟きと同時に、宵虎の腹の虫が鳴った。
ぐうう………状況を読まず鳴り響いたその音に、アイシャは脱力した。
「はあ……。なんでこの状況でおなかが鳴るの?何?今の、この人の国のスキンシップだったのかな……」
気の抜けた音に収まりの悪かった腹の虫がどこかに行き、アイシャは宵虎から足をどかす。すると、宵虎はすぐさま立ち上がり、アイシャに背を向けてナーガの死骸へと歩み寄っていった。
そして、呆れて眺めるアイシャの視線もどこ吹く風と、宵虎はナーガの鱗を剥ぎだした。ぐうう、とお腹を鳴らしながら、宵虎は手際良く、ナーガの肉を切り取っていく。
「凄い音するね……って、……え?まさかとは思うけど、お兄さんナーガ食べる気?止めときなよ、お腹壊すよ?……生で行く気じゃないよね」
そんなアイシャの危惧を気にした様子も無く、宵虎はナーガの肉塊を切り取り終わる。
そして宵虎は、躊躇なくそれにかぶりつこうとして―
「だから~お腹壊すって!」
思わず、アイシャは宵虎の腕を掴んでその行動を阻止した。
と、次の瞬間、宵虎ははじかれたように飛びのいた。どうも、驚いたらしい。
「今、いつの間に間合いに入った……。気配を掴み切れなかった。達人とは言え………」
宵虎はそんな事を呟いていたが、しかし、宵虎が何を言っているのかアイシャにはわからない。やはり、別の国の言葉なのだ。
「え?なに、どうしたのいきなり飛びのいて……。別に取らないよ?……あ、それとも照れた?……って、セクハラしといてそれはないよね~」
そんな事を言いながら、アイシャはまた宵虎に近付いてみる。ひょいっと、軽い調子で。
すると、宵虎は間近に寄ったアイシャを前に、また目を見開いていた。
「馬鹿な……。正面からこうもやすやすと……呼吸を読まれたのか……」
「あ、やっぱり照れて……ないね。何をそんなにびっくりしてるの?……はあ、まあいいや。なんか色々めんどくさいし。とにかくさ、もう食べるなとは言わないから、せめて焼いてからにしよう?……ね?決定」
伝わらないと知りつつもそう言って、アイシャは宵虎の手からナーガの肉をサッと奪う。
「盗まれた……いつの間に?どうなっている…達人とは言え…何者だこの娘……」
またも目を見開いた宵虎に背を向けて、アイシャはしゃがみ込んだ。
「うわ~グロ……」
そして、そんな事を言いながら、地面に何やら複雑な模様を書き込んで行く。
やがて、模様を書き終えたアイシャは呟く。
「え~っと、火の……なんだっけ?まあいいや、
その雑な言葉が響くと共に、不意に模様から炎が上がり、宵虎はまた目を見開く。
そんな宵虎の目の前で、アイシャは自分の短刀にナーガの肉を刺して、焼きだした。
これは、紋章魔術である。この世界に古来より伝わる、精霊の力を借りて奇跡を成す術だ。
必要な要素は紋章と言霊。普通は、アイシャの弓に彫られたそれのように、武器として使うもので、当然、肉を焼くために用いる技術ではない。
が、そんな事を、やっている当人であるアイシャが気にするわけもなく、宵虎に至っては何が起きているのかすらわかっていない。ただ、宵虎にわかることも一つ。
「もしや……調理してくれるのか。……ふむ。良くわからんが、この娘。良い奴だな」
さっき人間じゃないとか思った事も完全に忘れて、宵虎は短絡的にそう思った。
彼は、とにかくおなかがすいているのである。
*
ジュージュー。と、食欲をそそる音がナーガの死骸の横で響き渡る。
「焼けてきたかな~。……ちょっと美味しそうに見えるって、私もお腹すいてるのかな……」
そんな事を言って、もう十分焼けただろうと、アイシャはナーガの肉を火から上げた。そして、宵虎へと向き直る。
「はーい、お兄さん。焼けたよ?」
座り込んで待っていた宵虎は、じっと焼けた肉を見詰めていた。
よほど、お腹がすいているのだろう。肉しか目に入っていない様子だ。
「はい、どうぞ」
アイシャは、宵虎へと肉を差し出す。すぐさまその肉へ宵虎の手が伸び……しかし、宵虎が肉を掴む寸前で、アイシャは手を引っ込めてしまった。
セクハラされた意趣返しに、とアイシャはちょっとからかってみたのだ。だが……
「な……くれるわけではないのか……」
肉へと手を伸ばしたまま固まった宵虎は、この世の終わりの様な表情で、涙目だった。
「え~。……そんな悲しそうな顔しないでも良いじゃん。冗談だって~」
そう言いながら、アイシャは宵虎へと再び肉を差し出す。途端、宵虎は笑顔になって肉へと手を伸ばす。が、アイシャに操られた肉は、宵虎の手をすり抜けていく。
諦めず宵虎は肉を追い、しかしアイシャに操られた肉はその動きを先読みして的確に交わしていく。
「く……。なぜ、こうも交わされ続ける…」
「ふふ、おもしろ~」
無駄に高度な無駄以外の何物でもない攻防の末、宵虎はうなだれた。
(駄目だ。……取れる気がしない……。達人め……)
「あ、諦めちゃった?もう、ほら。今度こそ本当にあげるから。ね?」
今度ばかりは交わす気もなく、アイシャは宵虎に肉を差し出した。
だが、心の折れた宵虎はただ悲しげに肉を見るばかりで、手を伸ばそうとしなかった。
(…ちょっと、からかい過ぎた?)
なんとなく悪い気がしたアイシャは、身を乗り出して宵虎の口元に肉を持っていく。
「そんな目で見ないでよ。ほら、上げるから……」
そう言ったアイシャを宵虎は訝し気に眺め、やがて直接、肉にかぶりついた。
肉から短剣を抜きながら、アイシャは呟く。
「良く出来ました~。……なんだろう。ペットに餌付けしてる気分なんだけど。………ちょっと面白いかも」
肉が手に入った途端、それしか目に入らないかのように宵虎は夢中で平らげていく。
「で、お兄さんは何でここに居るの?この街の住人とか知らない?何が起きたか~とか。ナーガが皆食べちゃったの?……はあ。やっぱり、言葉通じない?」
そんな事を呟いてみたアイシャだが、肉に夢中な宵虎はまるで反応しなかった。
「……まあいいや。それよりさ、お兄さん聞いてよ。別に話通じなくても良いからさ~。私は細々と生きていきたかったんだけどなんて言うかね、昔取った杵柄って言うか、まあそれなりに有能らしくてさ~。困っちゃうよね~いきなりA級のクエストをさ~」
聞いてもいないし通じてもいないだろうが、アイシャはペラペラと喋りだした。
やがて、ナーガの肉を食べ切った宵虎は、また新たな肉塊を切り取って、喋り続けるアイシャに差し出した。
「中々旨いぞ。お前も食うか、娘」
「あ、おかわり?はいはい。それでさ~あの禿じじいが、あ、ギルマスの事なんだけど~」
宵虎が何か言っていたがわからず、とりあえずアイシャは喋り続けながらまた肉を焼きだすのだった。
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