ナーガ。侍。弓持ちの少女

「うわ、何あれ。気持ち悪……」


 防壁の上に腰掛け、街の様子を見下ろしながら、アイシャはそう呟いた。

 人気がない―本当に人がいないらしいと、高みから街を観察していた矢先である。


 防壁の外から見慣れない服装の男が街の中に現れ、それに呼ばれるように細長い物が男へと集まって行ったのだ。


 蛇だと、アイシャにもわかる。だが、道を覆うほど大量にうごめくそれは、虫の大群にしか見えない。細長い虫が人に殺到している……その想像にアイシャは身震いした。


「気持ち悪……近付きたくないな~」


 心の底からそう呟いて、それからアイシャはため息をついた。

 見慣れない服装の男は、蛇達と戦いを始めていた。動きからして、何かしら武芸を身に着けてはいるようだが、しかしあの数の蛇を捌き切れるかどうか……。


「はあ……。助けた方が良いのかな~。めんどくさいな~」


 口でそう言いながら、アイシャは弓を手に取り、立ち上がった。


「……でも、情報源、か。めんどくさいけど……」


 そして、アイシャは弓を構える。その手に矢はなく、そもそもアイシャは矢筒すら持っていない。ただ、楽器でも奏でるように、指で弦をゆっくりと引いて行くのみ。


「お仕事だしね……。しょうがない」


 囁くようなアイシャの声―その言葉が紡がれた途端、弓に彫り込まれた紋章が僅かに輝き、そして、アイシャの指先にがつがえられる。


 実体はない。ただ、澱むように、霞むように、凝縮された大気で形成される矢―。

 息を止める。眺める視線の先―連続する一瞬に集中し、観察し、頭の中で重ね合わせ、アイシャは数秒先に蛇が動く先を正確に見極めていく―。


 ―30匹同時に。


「……ラピッド・レイン」


 呟きと共に、アイシャは矢を放った。

 放たれたのは一本の矢。だが、実体のないそれを数えることに意味はない。


 全て、アイシャの思いのままに、散り、枝分かれするのだから―。


 *


「ッ!?」


 宵虎は蛇達の前から思い切り飛びのいた。

 何かが来る―その直感が宵虎の身体を動かしたのだ。

 そして次の瞬間―空から暴力が降り注ぐ。


 ダダダダダダダ―。


 土砂降りが傘を叩くような音が辺りに響き渡り、そして音が止んだ後には、見渡す限り、蛇の死骸が散乱していた。


 そのどれもが、頭に風穴を開けている。正確に、頭を打ち貫かれているらしい。


(なんだ?……弓衆でも居るのか?)


 まさか一人の人間がやっているとは露とも思わない宵虎は、ただそう訝しんで周囲の気配を探った。そうしている内に、また音―。


 ダダダダダダダ―。音が一つ鳴るごとに、蛇の頭に風穴が開いていく。


 動く蛇がいなくなるまでに、そう時間はかからなかった。


(矢が無い……まさかな、)


 蛇の死骸を眺めながら、宵虎は眉を顰めた。

 恐らく、蛇は射られたのだろう。だが、肝心の矢が見当たらない。矢を用いず弓を射る。その技術―いや、妖術があると宵虎も知っている。祖国に同じ事をする者がいたのだ。


 だが―

「……まだいるか」


 そこで、宵虎は物思いを止めた。気配がしたのだ。蛇の気配―それも、目の前に並んでいる死骸とは比べ物にならない大きさの気配が。


 ずるり、ずるり……地を擦る音は地鳴りの様だ。

 家々の合間から、それはゆったりと身を起こす。


 影が差した―太陽の光を覆い隠す程の巨体。いったいどうやって潜んでいたのか、家一つ丸のみにしそうな程の大蛇がその場に現れ、感情の無い目で蛇の死骸を、そして、そのそばに佇む宵虎を見た。


「……俺は半分もやっていないぞ。ほとんど勝手に死んだ」


 大蛇を見上げながら、一応、宵虎はそう言ってみた。


「ガアアアアアアアア!」


 返事は、雷のような咆哮と、大口を上げての突進だった。


 *


「げ。ナーガじゃん。……町の住人丸ごと腹の中とか言わないよね?」


 姿を現した大蛇―ナーガを眺めながら、アイシャはどこか暢気にそう呟いた。


 ナーガの狙いは、見慣れぬ服装の男に向いていて、その男はナーガと渡り合っていた。……もっとも、渡り合うと言うより逃げ回っていると言った方が正しいかもしれないが。


「足速いな~。すご~い」


 アイシャは適当にそんな感想を述べる。

 男の実力を見てやろうと思ったのだ。武芸の心得があるようだったし、身体能力は相当……という域を通りこして化け物じみているように見える。


「お?今、ジャンプして家飛び越してなかった?化け物じゃ~ん」


 と言うわけで、高みの見物である。

 倒せるものなら、あの男に倒してもらおう。その方が楽だし。


 と、そこで、アイシャは一つ思い当り、適当に弦を引き、適当に弓を放った。


「ラピッド・ブロウ」


 放たれた空気の矢は拡散せずまっすぐ蛇に向かい、蛇の鱗に当たり、傷一つつけずに散っていった。


「あ~。効かないな~。残念だけど手助け出来ないな~」


 アイシャはわざとらしくそう言った。


 アリバイ作りである。あのナーガを倒した後、男に怨まれないように効かない事にしておいたのだ。今の位置なら、あの男からも見えただろうし……。


 *


「……手を抜いたのか?いや……」


 大蛇の突進から身を交わしながらも、宵虎には呟く余裕があった。

 恐らく先ほどと同じだろう、実体のない矢が大蛇に当たったのが見えたのだ。


 そして、大蛇は無傷。


 宵虎も、脇差しで倒すのは面倒だからとどこかに居るのだろう弓衆の攻撃を待って逃げ回っていたのだが、待った末に来た攻撃が効いていない。


 やる気がないにしろ、威力が足りないにしろ―


「頼るべきではないか……」


 仕方なく、宵虎は逃げ回るのを止めて、大蛇への反撃を試みた。


 大蛇の大口が迫る―。


 宵虎は、その口へと正面から駆けて行く。そして、飲み込まれる刹那―宵虎は、跳んだ。


 がちんと閉じる大口を飛び越え、宵虎は大蛇の頭上を取る。


「ハア!」

 裂帛の気合と共に、宵虎は空中で器用に身を捻り、脇差しで大蛇の頭を切り裂いた。だが―。


 カン。


 鳴るのは、ただ鉄を打ちつけたような音だけ。

 脇差しでの一閃は、鱗にはじかれたのだ。


 長さ、重さを兼ね備えた太刀であれば、こうはならなかっただろう。だが、宵虎の手にあるのは小さな刃のみ。


 いくら宵虎が剛腕であっても、その小さな刃で大蛇を裂くことは出来ない。


「うむ。堅いな…」


 着地した宵虎は、ただそう呟いた。

 大蛇は身を捻り、再び宵虎へと大口を開けて突っ込んでくる。


 先ほどは空中。体も乱れていた。地に足をつけて切りかかれば、あるいは手傷くらいは負わせられるかもしれないが……。


(裂いた所で、浅いか……)


 それをやった所で大した意味は無いだろう。それが、宵虎の結論だった。

 ならば、このまま逃げ回っていても、無駄に疲れるだけ。


 宵虎は足を止め、脱力し、正面から迫る大蛇を睨みあげて、呟く。


「良かろう。喰え」


 直後、宵虎の身体は周囲の地面ごと大蛇の大口に飲み込まれた。


 *


「……は?ちょっと!?諦めないでよ!」


 男が飲み込まれる―その光景を目撃した瞬間に、アイシャはそう声を上げて弓を構えた。


 ナーガの狙いがアイシャに移り、迎撃しなければならなくなったと言う事もある。だが―

(基本蛇だから咀嚼はしない。丸のみ、なら即死はない。すぐ倒せば生きてる。頭を狙えば、中のあの人には当たらないはず……)


 これではまるで、アイシャがあの男を見捨てたようで気分が悪い。


 まだ粘れたはずだ。本格的にヤバそうならアイシャも助けるつもりだったし。だが、粘り切る前に男は諦めてしまったらしい。


(だから、嫌なの。こう言うの……)


 胸中で忌々しくそう呟き、アイシャは自身の元へ迫るナーガを睨みつける。


「集え……抗わず我が元に」


 その言葉と共に、アイシャはゆっくりと弓を引く。その指先に、大気が集まって行く。


 風が吹く。

 アイシャの指先、何もないはずのその場所に吸い込まれていくように。


 音が鳴る。

 悲鳴に似た甲高い音を、アイシャの元へ集う風が奏でていく。


「黙し嘆け。従い怨め。その矛先を我が意に委ねよ……」

 ―アイシャは弓を引き切った。


 その瞬間、風が凪ぐ。

 一瞬の静寂。嵐の前の静けさを、アイシャの声が吹き飛ばす―。


「貫け!ラメント………って、あれ~?」


 いざ、矢を放とうとしたその瞬間、しかしアイシャは思わず気の抜けた声を上げてしまった。そして同時に、せっかく真面目に集めていた力がシュッとどこかへ消え去ってしまう。


 ずずううん。まごう事なき地鳴りが轟く。


 ナーガが倒れたのだ。アイシャが攻撃する前に、勝手に。

 何が起きたのかとアイシャが注視する中、倒れたナーガの口から、男が這い出て来る。


「口に合わなかったようだな……」


 男が呟いたその声は当然、アイシャの耳に届くことは無く、ただ、アイシャの目には男の手にあるナイフが血に染まっている光景が見えた。


「わざと、食べられたの?口の中が柔らかいから?……野蛮~」


 その言葉とは裏腹にどこか楽し気な様子でアイシャは笑って、あの男に声を掛けてみようと、防壁から軽々と飛び降りた。


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