流れ着いた侍

 ざざん。ざざん。高い防壁が見下ろす波打ち際に、和装の男が倒れていた。


 頭上で鳥が鳴く。その声に、男はゆっくり瞼を開けた。


「鳥のお肉……むう……」


 天高く飛ぶ鳥を忌々し気に見上げて、男―宵虎は起き上がる。


 イカだかタコだかわからぬ化生と死闘を繰り広げた事は覚えている。足を一本切り落としてやった事も覚えている。そして、その後どうやらどこぞに流れ着いたらしいという事もわかった。生還したのだ。だが、宵虎の表情は晴れない。


「……げそ……」


 周囲に、あの化生の足が無かったからである。切り落としたあの足は、どうも別の場所に流れて行ってしまったらしい。


「く……」


 悔しさに宵虎は歯噛みする。だが、悔いたところで腹が膨れるわけでは無い。

 そこで漸く、宵虎は防壁に視線を向けた。防壁の切れ目から、中の様子……どうも街らしい家々が見える。


「人の気配はないか。……だが、何かいるな」


 生まれ故か、暮らし故か。宵虎は気配というものに特別敏感である。その感覚が告げる。

 この街に人は居ない。ただ、がうごめいて居る、と。


 それを知ったと同時に、宵虎は迷いなく街へと歩み出した。

 天主の剣―邪を払う守護者。遠き祖国で宵虎はそう呼ばれる者達の一人であった。この街に居るが怪物であろうと、宵虎に恐れる道理はない。それに何より、


「おなかがすいた……」


 食べられるかもしれない。人の形をしてさえいなければ、宵虎はだいたいなんでも食べられるのである。だから、宵虎は迷わなかった。


 防壁の切れ目から街へと踏み入る。

 街はやはり伽藍洞。人の気配も声も無い。ただ、聞こえる音が一つ。


「シュー……」


 鳴き声か、あるいは呼吸音か。息が抜けるような音がそこら中から聞こえてくる。

 なんの音か、と問うまでもなく、音の主は宵虎の目の前に現れた。


 てらてらと輝く鱗。細長い、綱のような体に、感情の無い目。


 蛇がいた。怪物だとしては小さく、だがただの蛇だとするなら十分大蛇と呼べるだけの大きさの蛇だ。そして、蛇はその一匹だけでは無かった。


 シュー、という音に呼ばれるように、屋根から、窓から、路地から、街中から蛇が宵虎の元に集まってくる。


「蛇か……」


 蛇達からの敵意を感じ取った宵虎は、そう呟くと太刀へと手を伸ばした。


 幼き頃からその身に携えた愛刀である。流刑の折、流石に守護者たる宝刀は没収されたが、温情あっての事か、馴染みの愛刀を供として持っていくことを赦されたのだ。


 本当は、そんな物より握り飯が欲しかったのは内緒である。

 だが、内緒にしていても、あるいは愛刀には筒抜けだったのかもしれない。


「……む?」


 あるはずの場所に柄がない。空を握る右手に、宵虎は鞘を見る。

 鞘はあった。だが、肝心の太刀がない。


「あ……」


 宵虎は思い出す。そう言えば、気を失う寸前にあのイカのようなタコのような化生に太刀を突き立てたような気がする、と。


「俺の……太刀…………」


 無念と、宵虎は目を伏せる。幼き頃から共に過ごした愛刀が、どこかに流れて行ってしまったのだ。なんと言う事か……。


「探さねば……」


 宵虎はそう心に決めた。必ず、探そうと。

 ………後で。


 すらり、と宵虎は抜き放つ。格好を付けて持っていただけで正直あまり思い入れのない脇差しを。そして、宵虎は蛇達を睨んだ。


 集まった蛇は道を覆う程―そして、先頭の一匹が宵虎へと襲い掛かる。

 牙を向き、大口を開けて襲い来る蛇。

 応じた宵虎に躊躇は無い。流れる様な動きで蛇へと脇差しを振るう。


 襲われるなら、反撃するのは当然の事。それに何より―


「……蛇の肉は旨いのだったか」


 真っ二つに両断され、地に落ちた蛇を見て、宵虎はそう呟いた。

 周囲で殺気が膨れ上がる。蛇達が本腰を入れて宵虎へと襲い掛かろうと言うのだろう。

 だが、それに怯える宵虎では無い。


「まあ、……まずくとも腹は満ちるだろう」


 愛刀を探しに行くのは、おなかが一杯になってからである。

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