佐奈

 私は獣。愛を見つけた獣。Beast Love Triangle。BLT。




 香菜は目の上のたんこぶだ。彼女がBLTサンドに犬みたいにかぶりついた。大きな音がして、口の端からトマトソースが垂れた。はっきり言って下品だ。紙ナプキンで拭いてやると、嬉しそうに目を見開いてこっちを見つめてきた。まるで小学生か、しつけのできていない犬そのものだ。私が拭いてあげたのはあんたの為じゃない。汚い食べっぷりを奏に見せたくなかったからだ。あんたを目にした奏の気分が悪くならないようにしただけだ。香菜が口を開けた瞬間、BLTサンドのベーコンみたいな舌が見えた。一瞬で食欲が失せてしまった。


 私の爪が獣みたいに鋭かったら、手を大きく薙ぎ払ってスライストマトみたいに輪切りにしてやったのに。香菜はちょうどレタスみたいな色をしたヘンテコなパーカーを着ている。私は心の中で目の前のお邪魔虫を引き裂いて、BLTサンドに料理してやった。

 さっきも、この店に向かう道すがら、私たちを『かなさなコンビ』と呼んだ。本気で寒気がした。奏に変な誤解されると困るので全力で否定した。よくそんなことを平気で口にできるなと、ある意味感心した。私たちは中学生じゃない。そんなごっこ遊びな事を言われるとはっきり言って白ける。いい加減やめてほしい。こりごりだ。


 香菜は隣の席という立場を利用して、奏にちょっかいをかけている。小学校の頃、二人は同じクラスだったらしいが、だから何だと言いたい。文化祭の時もちゃっかり彼女とペアを組んで一緒にいた。奏に近づこうとしているがバレバレだった。同じ色のエプロンをつけていた所に汚い本性が垣間見えた。思い出しただけでムカムカする。からっとした秋晴れのお休みが、どんよりとした曇り空になりそうだ。




 平成三十年六月二日、午前八時四十二分。生まれて初めて奏を見た。私は堕ちた。奏という一人の女の子の存在に、私は堕ちた。透き通った白い肌、特徴的な八重歯、天使の絹糸のような真っ直ぐな髪。奏の持つ全てが私を射抜いた。一目惚れ?いや違う、そんな安っぽい言葉で片づけられるものじゃない。目をつぶって彼女の声を聞いただけでも好きになっていたはず。もっとだ。目と耳を塞いでいたとしても、奏が通り過ぎた後の残り香だけでも恋に堕ちていたはず。奏という存在が、私に『人を好きなる』という事を教えてくれた。私は今まで愛を知らない人間だった。


 今日も私がテーブルに座ると奏はすぐに隣に来てくれた。彼女も私を求めてくれている。そう思うだけで幸せの鼓動が胸の中で弾けた。奏は横目で私の首元を少し見てくれた。彼女の吐息を少し首筋に感じた。全身が鳥肌という名の歓喜の声を上げた。




 誰に対しても優しいと、優等生だと、人は私に言う。でもそれは特別に大切な誰かがいないだけの話だ。私の中で、周りにいる人全員が五十点だった。五十一点もいなければ、四十九点もいない。全てが平均で同じ。だから誰にでも優しくできる。理想のタイプと聞かれたら『優しい人』と、その辺の道端に転がっているような言葉で返事をしていた。だってどう答えていいか分からないから。私はそんな冷たい子だった。


 小学校の頃から『佐奈ってどんな子』というアンケート結果の上位三つ『優しい』『スポーツが得意』『勉強ができる』を私は粛々しゅくしゅくと実行し続けた。与えられた教科書に沿って機械のように勉強してきた。校内に紙で大きく張られた目標のような理想の子供。そう振る舞ってきた。でも部活で活躍できても、テストで学年一桁の順位を取っても、その先に何があるのか意味が見いだせなかった。父も母も姉もクラスメイトも部活仲間も、私の表面に塗装されたメッキしか見ていないように思えた。それを剥がした下に何があるのか、私自身少ずつ分からなくなっていった。


 高校に入って、中学から続けていたバスケをやめた。周囲に期待される自分でいることに疑問を感じていた。みんな残念そうな顔をしていたけれど、私にはその意味が分からなかった。きっと勉強もそのうち止めてしまうだろう。そう思った時、私は自分の心が灰色をしていると悟った。きっと私の胸を開いたら、心の替わりにコンピューターのチップのような物が入っているんだろう…。そう思っていた。


 でも奏と出会って私は変わった。彼女を見た時に感じた胸の激しい熱が、自分が生きた人間だということを感じさせてくれた。奏に好きと言ってもらえるなら、私は全ての人から嫌われても構わない。どんなにひどい陰口を叩かれ、濡れた雑巾を投げつけられたとしてもいい。彼女の心を手に入れられるなら、私はどんな汚い自分にも、卑怯な自分にもなれる。


 出会っただけで、そこまで変われるのかと思うかもしれない。でも、愛は時間じゃない。私の遺伝子が、私の心が奏を求めている。

 この恋は綺麗ごとで片づけられるものじゃない事は分かっている。でも奏を絶対に手に入れたい。私の初めての恋。違う、これは最初で最後の愛だ。束縛?わがまま?自分勝手?思い込み?何とでも言えばいい。私は機械でもなければ、みんなの理想を映す鏡でもない。自分の愛を押し通す為に他人を蹴落とそうとする汚い人間だ。


 『好き』という気持ちを込めて、隣に座る奏の肩に自分の肩を触れさせてみた。彼女は私の肩を押し返してくれた。密着した肩から『早く二人きりになりたいよね』という言葉が伝わってくる。私が出した気持ちを感じてくれている。嬉しい。彼女が更に私に肩を押してくれた。二人だけで秘密の会話をしてしまった。そうだよね、目の前の香菜って子、邪魔だよね…。


 ああ、奏をもっと知りたい。奏に触れて、この愛をもっと確かめたい。私にはこの子しかいない、絶対。

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BLT (Beast Love Triangle) 倉田京 @kuratakyou

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