私は獣。愛に飢えた獣。Beast Love Triangle。BLT。




 佐奈という子を消したい。彼女はさも自分の所有物であるかのように、香菜ちゃんの口元についたソースを紙ナプキンでぬぐった。何を考えているのこの子?思わず隣に座っている佐奈を横目で睨んでしまった。彼女にあるのは、レタスみたいにちょっと力を加えるだけでパキッと折れる安っぽい独占欲だけ。そんなもので香菜ちゃんを縛り付けないでほしい。保護者面して軽々しく香菜ちゃんに触るな。


 佐奈の首元を見た。私は人より八重歯がちょっと鋭い。噛みつけば、BLTサンドを食べる時より弱い力で、息の根を止めることができるはずだ。私は妄想の中で隣に座る邪魔者の首をトマトソース色に染め上げた。

 佐奈が私に軽く肩をぶつけて密着してきた。そしてぐっと押し付けてくる。向こうへ行けということか。それは私のセリフだ。私も負けじと押し返した。ちょうど私と佐奈は壁に沿ってひと続きになっているソファに座っている。一番端まで行ってしまえ、そこで一人でポツンと食べるのがお似合いだ。そう思いながら、私と香菜ちゃんの間に入ってくる異物の肩をさらに押しこくった。


 佐奈がトイレにでも立ったら、その隙に二人だけで席を変えようかとも思った。でもそれをやったら香菜ちゃんがかえって気を使ってしまう。彼女は一人ぼっちの子の気持ちに寄り添ってあげられる優しい子だ。佐奈はどうでもいい、香菜ちゃんの為に私は怒りをこらえることにした。


 あーあ、せっかく香菜ちゃんがよく見えるように正面に座ったのに、隣にこいつが居るせいで気分が台無しだ。過ごした年月がちょっと長いからといって何なんだ。どうせ無理やり土曜日のお昼ごはんに付き合わせているに違いない。相手の気持ちも考えないで…。そういうのは束縛というんだ。




 香菜ちゃんの食べる姿は子供みたいに可愛い。自分を偽らない純粋さがある。さっきも口元からソースを垂らしてしまっていた。そういうちょっとドジな所も愛おしい。食べる瞬間、香菜ちゃんは私を見ていた。私も視線に気づいて『好きだよ』という気持ちを瞳に込めて見つめ返した。彼女の瞳は大きく、そして子猫のように真っ直ぐだ。長いまつ毛。ちゃんとお化粧をすれば、もっと綺麗になるはず。ああ、口元のソース、私が拭いてあげようと思ったのに。いや、彼女と二人きりなら頬と一緒に舐めとってあげたいとさえ思った。


 佐奈は中学から香菜ちゃんの友達という事らしいが、私と香菜ちゃんはもっと前から、もっと深い所で繋がっている…。安っぽい友情なんかじゃない。




 私は四か月前、いまの女子高に転校してきた。転校は小学校から数えてこれで五回目、高校に入ってからは二回目だ。私は各地を転々としてきた漂流者。だから私の部屋は高二の女子として生きていく上での最小限の荷物しかない。それは人間関係においても同じだった。いや、そうせざるを得なかった。『転校』という二文字によって私はリセットされてきた。


 同じ経験を何度もすれば、次は慣れて楽になる。それは間違いだ。百回ナイフで切られたからといって、百一回目が痛くない訳じゃない。友達をまた一から作ることは、心を相当な量削らないといけない。

 転校する先々で、そんな私の心の疲労を理解してくれる人は誰もいなかった。それは学校を離れる最後の日に渡された寄せ書きを見ればすぐに分かった。『がんばってね』のようなありきたりな言葉だけで埋め尽くされた色紙。中には一字一句同じ言葉が三か所書かれていたものもあった。集団を転々とするたび、自分というものがどんどん薄くなっていく気がした。


 私は誰かに告白したり、逆に告白されたりした経験が一度もない。『好き』という気持ちをはぐくむ時間があっても、それを実らせる為の時間が私には無かった。

 いつ離れ離れになるか分からないと、当然部活にも入りにくくなる。私は部活というものを経験したことがない。それがまた教室で話せる話題の少なさに拍車をかけた。共通の話題を持てないという事は、集団に入っていく上でかなりの足枷あしかせになる。いまのクラスに入る前は不安だけが私の心を埋め尽くしていた。私は教室という三十九人の他人を詰め込んだ箱に一人ぼっちで飛び込むはずだった。


「小学校の頃一緒だった奏ちゃんだよね?将来の夢は確か…コックさんとか…」

 香菜ちゃんは私に気付いてくれた。小学校の頃、一年ほどしか一緒にいなかったのに。家に帰り、部屋の隅に置いていた将来捨てる予定の段ボールを開いた。寄せ書きを引っ張り出し、彼女が書いてくれた部分読んだ。教室で話した内容がそのまま書かれていた。誰かが私の事を覚えていてくれる。それだけで全てが救われた気がした。幽霊のような私を香菜ちゃんが見つけてくれた。自分の居場所が初めて出来た。彼女の中が私の居場所。


 文化祭で香菜ちゃんとペアを組み、肩を並べて一緒にホットケーキを作った。お揃いのエプロン姿で肩を並べられるだけでも嬉しかった。私にとって学校行事は、慣れない内輪ネタを外から眺めるだけの苦痛の場でしかなかった。それを初めてちゃんと楽しいと思えた。お祭りのラスト、小さい打ち上げ花火が作る暖かい光に照らされた香菜ちゃんの横顔を見た。心の中で何度も何度も、その横顔を胸に抱きしめた。


 誰にも渡したくない。香菜ちゃんが居なくなってしまったら、私はまたリセットされてしまう…。

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