ⅩⅩⅤ 非魔術的な選択

 一方、そうしてアテナ達が豊洲埠頭で待ち伏せを食らっていたその頃……。


「………………」


 俺は世田谷方面に向けて走る蘆屋の車の中で、悶々と気の晴れない時間を過ごしていた……ちなみに高校の保険呪医のくせして、蘆屋の愛車は赤いポルシェ356Cだ。


 もうどれくらい、こうして車に揺られているのだろうか?


 秘密の地下道を通って斥候の囲みを破った俺達は、近くの駐車場に普通に停めてあった蘆屋のポルシェに乗って、無事、その高級スポーツカーの快適な走行で安全圏まで逃れることができた。


 今回はこの前と違い、背後から銃を撃ちかけられたりとか、激しいカーチェイスを演じたりだとか、そうしたデンジャラスでダイ・ハードな展開も何もない。それどころか追手一人ついて来るようなこともなく、至って平和そのものだ。


 ……だから、もう何も心を悩ます問題はないはずだ。


 なのに、どうしても危機を脱したことにホッと胸を撫で下ろすような気分にはなれない……車窓から流れ行く夜の街をぼんやり眺める俺の脳裏には、先程、アテナと最後に言葉を交わした時の情景が幾度となく繰り返し再生されている。


 なぜ、あいつのことばかり頭に浮かぶのだろう? あいつはただの赤の他人のテロリストだし、24時間付きまとわれて、いい加減、もう顔を見るのもうんざりだったはずなのに……。


「どうしたの? さっきから浮かない顔ね」


 そんな俺に、ルンルンと鼻歌交じりにハンドルを握る蘆屋が訊いた。


「フン! 別にあいつとの別れを悲しんでるんじゃないぞ? ようやくお目付け役がいなくなって清々してるくらいだ」


「あら、あたしはそんなこと一言も言ってないわよ? その〝あいつ〟っていうのはアテナちゃんのことかしらん?」


 無意識に意地を張ってそう答えてしまった俺に、蘆屋はいやらしい笑みを浮かべて聞き返す。


「フン!」


 俺は返す言葉に詰まり、鼻を鳴らすと再び車窓からの景色を眺めて押し黙った。


 ……しかし、ほんとに悲しいとか淋しいとか、別にそういうんじゃないが、まさか、こんな形で突然に別れの時が訪れようとは……。


 …………ああ、そうか。そうだ。そうなのだ。


 あれで最後だというのに、あまりにもあっさりすぎるのだ。


 今までは家でも職場でも、こっちがどんなに迷惑がろうと四六時中あんなベッタリ付きまとわりまくっていたくせに……招きもしないのにづかづか他人ん家に上がり込んで、勝手に他人の冷蔵庫を漁った挙句、一つ屋根の下どころか、俺の部屋の、しかも俺のベッドのすぐ脇で寝泊まりまでしていたというのに……。


 ……いや。僅か数日の間のことだったが……それも嫌々仕方なくだったのだが、そうして一緒に過ごしている内に、最早、他人ではなくなっていたということか……。


 アテナだけじゃない。ニコラやフクロウ、それにグラウクスのみんなだってそうだ。いつの間にか、知らず知らずの内に俺はあいつらのことをなんだか仲間のような存在に思い始めていたのだろう。


 だから、こんなドタバタと、ろくに別れの挨拶も交わさぬままに別れるのがどうにも不満で納得いかないのだ。


 ……あいつはもう、小型賢潜を奪って海に出たのだろうか? ……いや、こちらの居所を掴んでいた当局のことだ。襲撃に備えて警護を強化しているかもしれない。もしそうだったら、アテナはプロヴィデンスに乗って敵と交戦している最中か……。


「ハイハ~イ? こちら美人の蘆屋お姉さんですよ~♪ ……ええ? まあ、それは大変!」


 そんな時、蘆屋が耳に着けていたイヤホン型のレシーバーに、おそらくニコラ達からだろう連絡が入った。


「何かあったのか?」


 そのあまり大変そうには見えないが、普段の言動からするとおそらく一大事らしい蘆屋の反応に、俺は彼女の方を振り返って尋ねる。


「二コリンからなんだけどね。なんか敵の待ち伏せくらっちゃったみたい。しかもゴーレム5機で」


「待ち伏せ? ……いや、それよりもゴーレム5機だとっ?」


 俺は思わず車内に大声を響かせた。


「ゴーレム5機……どんなにプロヴィデンスが高性能だからって、いくらなんでもアテナ一人じゃ無理だろ?」


「でも、もう戦い始まっちゃってるみたい。それしか逃げる方法ないし」


 常識的な俺のその判断も、蘆屋はさらっと聞き流してくれる。


 ゴーレム5機を相手にプロヴィデンスたった1機で……それでもアテナは自分の身を顧みずに戦うのだろう。自分の命よりも、任務の遂行を優先して……。



〝それにわたしは消耗品だからな〟



〝わたしは人間ではない。わたしはホムンクルスだ〟



〝おまえ達、自然に生まれた人間とは命の重さも違う〟



 前にアテナの口にしていた言葉が、無意識にも俺の脳裏に木霊する……。


 ホムンクルスだから死んでもいいっていうのか? 消耗品の人間兵器だから、任務のために死ぬのは当たり前だっていうのか? 見た目はあんな、中坊かそこらのクソ生意気な小娘だっていうのに……。


 非魔術的な……なんとも非魔術的なことではあるが……いつになく俺は論理的思考によってではなく、どのような魔術理論を持ってしても抑え切れえぬ、言いようのない感情に従って言葉を発していた。


「目的地変更だ! 蘆屋、豊洲に向かってくれ!」


「うふ。そうこなくっちゃ♪」


 …キキィィィィィーッ! …ブゥゥゥン……ブウゥゥゥゥゥン…!


 わざわざテロリストの心配をして戦地に赴こうなどという、あまりにも非魔術的でバカげた選択をした俺に、蘆屋は愉快そうにウインクをすると、自慢のポルシェを急速反転させて豊洲方面へと向かった――。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る