ⅩⅩⅠ 再覚醒

 東京皇大にある賀茂の実験室ラボラトリウムより、まんまとソーマをせしめて逃げて来た日の翌日夕刻……。


 俺は厩橋に近い隅田川の河川敷で、夕暮れの生温かい風に吹かれながらその時を待っていた。


 目の前では水上バスやら屋形船やらが悠然と白い波を立てて行き交っているが、この付近の河川敷は特に遊歩道が整備されてるわけでもないので、おかの上には俺以外、特に人影らしい人影も見えない。


 水面に沿って浅草方面を望めば、夕日を受けてオレンジ色に輝く〝東京世界樹ユグドラシル〟が、ビルの狭間に雷波塔世界一の高さを誇ってそびえ立っている。


「まさか、こんな場所だったとはな……」


 先日、連れて来られた時には目隠しされていたのでわからなかったが、よもやこんな都心のど真ん中に、米帝軍の最新鋭巨大人型兵器が隠されていたとは……しかも、外国人に大人気の観光スポット浅草のすぐ近くだ。  


 リバーサイドで景観もばっちりなこの辺りには、景気のよかった頃に高級分譲マンションが幾つも建てられたようなのだが、その後の大恐慌で建設途中放置されたものもあり、そんな物件の一つをガイア騎士団が密かに買い取って、今回の計画のために秘密のアジトとしていたらしい。


 工事中の建物ならば人も寄りつかないだろうし、ゴーレムを隠せるよう改修を施すことも比較的容易にできる。その上、川に面しているので物資の運搬にも好都合だ。この一見おちょくってるようにしか思えない大胆な立地も、まさかこんな所に…という人間心理の裏をかいた逆に見付かりにくい戦略であり、なんともまあ、考えたものである。


 そんなことをつらつら思いつつ暮れゆく街の情景をぼんやり眺めていると、背後に建つ全面シートで覆われたビルの方角から、制服姿のアテナがこちらに向かって土手を下りて来た。


「……ん? もうニコラの準備はすんだのか?」


 傍まで来たアテナに、振り返った俺はそう尋ねたのだったが。


「ああ、あとはおまえが炉に火を入れるだけだ。よろしく頼むぞ? お兄ちゃん・・・・・


「うぐ……その呼び方はやめろ」


「なぜだ? そういう設定なのだろ?」


 顔をしかめ、ものすごく嫌そうに注意をする俺に、アテナは素で不思議そうに小首を傾げる。


「いや、それは司馬や学生達を誤魔化すための設定であって、別に今はそう呼ばんでも…」


「じゃ、ハルミン」


「それも使用禁止だ! 普通に呼べ! 普通に! ……それよりも、怪我はもういいのか?」


「ああ、大丈夫だ。この程度の傷ならゴーレムの使役に支障はない。トラックに飛び乗ったくらいでヒーヒー言っている土御門センセイとは違う」


「やかましい! あんな高さからダイヴしたら誰だって普通、全身打撲になるわ! …ってか、そのセンセイってのもやめろ!」


 せっかく心配してやったというのに、アテナは撃たれた右腕をブンブン振り回しながら、そんな人の真心を大質量の隕石衝突で消滅させるかのような答えを平然と返してくれる。しかも、また変な呼び方勝手にしてるし……ま、こいつのことだから嫌味ではなく率直な感想を言ってるだけなんだろうが……にしても心配した俺がバカだった。


「なら問題ない。念のため言っとくが、別におまえのこと心配したんじゃないからな! 俺の仕事の邪魔にならないかとちょっと気になっただけだ! さあ、とっとと実験を始めるぞ!」


 俺は自分の心情を気取られないよう、わざと強がってそう誤魔化すと、アテナが何か答える前にビルへ向かって足早に土手を登り始めた。


 世の中がまだバブリーだった頃の遺産である鉄筋コンクリートの高層建築物の奥には、XLPG‐1――プロヴィデンスがその最先端の魔術を秘めた巨体を密かに眠らせている……俺はその心臓部たるウロボロス炉を稼働させる前に、ニコラが機体の最終チェックをすませるのを待っていたのだ。


 今日、休日明けのいっそうかったるい教師の仕事を終えた俺は、引き続き生徒に扮して俺の監視を続けているアテナを伴ない、蘆屋の運転する車に乗ってこのアジトへとやって来た。


 ショートした箇所の修理もすべて終え、必要な原質も満タンに準備万端整ったプロヴィデンスの賢者の石機関再覚醒実験にいよいよ臨もうというのである。


 そして、その30分後……。


「――真の意味での五月において聖なる結婚ヒエロスガモスが行われ、理想的な硫黄と水銀の合一コンユンクティオによりて、昂揚した生命の小さなフラムラが煌めき輝かんことを……」


 関係各位が見守る厳かな雰囲気の中、白衣姿の俺は暗灰色の巨人の前で両手を大仰に広げて立ち、やはり錬金術の伝統に則ってセレモニー的な唱え言をする。


「……よし! 賢石機関始動だ!」


「賢石機関始動……」


 続けて雷子石板タブレットに映るウロボロス炉の状態を見ながらそう叫ぶと、灰色の使役者パイロットスーツに着替えたアテナが、ハッチを開け放したプロヴィデンスの使役者の玉座コクピットで雷源をONにする。


 すると、ブゥゥン…と腹に響く不気味な音とともにウロボロス炉を取り巻く超伝導雷磁石に雷気が流され、火相サラマンドラ化した二つの原質――ミュオニック・ジ・アクアとソーマを炉内に固定しておくための強力な磁場が形成される。


 それにも大量の雷気を必要とするのだが、本来、それを担うはずの内蔵蓄雷池バッテリーも空になっているため、この前のミュオニック・ジ・アクアを造る実験の時同様、近くの主要送雷線よりちょっくら拝借することにした。


 ちょうどこの近所には蔵前変雷所があるので、お手頃な太いやつ・・・・が通っていてくれて助かった。


 そして、高温の火相サラマンドラとなって炉の中へ注がれたその理想的な〝硫黄〟と〝水銀〟は、やがて〝哲学者の卵〟たるウロボロス炉の中で合一し始め、まさに賢者の石と呼ぶに相応しい無限のエナジーを放出し始める……数俊の後、微かに容器内部のエーテルを火相サラマンドラ化する音を立てて〝プロヴィデンスの目〟の位置にあるマイヌ・カーメラが赤く光り、節雷モードにしてあった使役者の玉座コクピットの、アテナを取り巻く曲線的壁面にもデジトゥス化された外の景色や様々な数値が映し出される。


「陽子発生率80%、変換雷力供給率65%……いい感じだな。そっちはどうだ?」


 俺はモニターを眺めて頷くと、プロヴィデンスの暗灰色の巨体を見上げて叫ぶ。


「ああ、問題ない。表示を見る限り、搭載装備の使用状況もオールグリーンだ」


 その問いに、使役者の玉座コクピットの中からはどことなく機嫌のよさそうなアテナの声が返って来る。」


「よし! 賢者の石機関、再覚醒成功だ!」


「おおおおーっ!」


 アテナの色よい返事を聞き、思わず顔を綻ばせる俺の言葉を合図にして、周囲で実験の成り行きを見守っていたグラウクスの者達からは一斉に歓喜の声が沸き起こる。


「イヤッホ~イ! 僕のプロヴィデンス復活だぁ~っ! コングラッチレ~ショ~ン!」


 ニコラも鉄の巨人の足下に近付くと気でも狂ったかのように小躍りして喜びを表現している。


「フゥ…とりあえず動くようになってよかったわ……この子、もうすっかり〝プロヴィデンス〟って名前が定着しちゃったわね」


 そんな変態ゴーレムヲタのとなりに背後から歩み寄り、やはりその巨体を見上げながら安堵の溜息を吐くと、蘆屋はまるで愛玩動物でも眺めるような眼差しでぽつりと呟く。


「ああ、そう言われてみれば……Dr.ハルミンがそう呼んでたんでついついね。いっそのこと、GME内でのコードネームに正式採用しちゃおっか?」


「それいいわね! XLPG‐1よりも呼びやすいし。名付けの親のハルミンはどう思う?」


 ニコラの提案を受け、蘆屋が振り返って俺に訊いてくる。


「ん? 別にいいと思うが……ってか、それより、そのハルミンって方をなんとかしてくれ」


「じゃ、決っ定~♪ アテナちゃん。そうゆうことだから、今度からこの子のことは〝ぷろぶぃん・・・・・〟って呼んでね~」


「ああ、わかった」


 むしろ自分の呼び名の方に異論を唱える俺だったが、返事を求めておきながら蘆屋はそれを無視し、早々、頭上のアテナに向かってレクチャーをしている。しかも、今、正式採用されたばかりの名称とすでに違ってるし……アテナ、おまえもそれを了承するな!


「それじゃ、XLPG‐1改めぷろぶぃんちゃんの復活を祝して乾杯といきましょう♪」


 そんな俺の心の内のツッコミなど知る由もない蘆屋は、続いてどこからかシャンパンのボトルを取り出し、愉しげな笑顔の横にそれを掲げて見せる。


「オーッ!」


 すると、彼女に呼応するかのように、やはりどこに隠し持っていたのか、グラウクスの面々もシャンパンの瓶を手に手に歓声を上げる。


「ちょ、ちょっと待ってよ! まさか、プロヴィデンスにそれかける気じゃないだろうね?」


「もちろんよ。それ以外にないでしょう? あ、リーズナボゥにビールの方がよかった?」


 その光景に嫌な予感を感じたニコラがおそるおそる尋ねるが、蘆屋は満面の笑みを浮かべてその嫌な予感を即行、肯定する。


「だ、ダメだよ! なに勝手なことしようとしてくれてるの! せっかく綺麗に装甲磨いたっていうのに……それにプロヴィデンスには各種高性能センサーが付いてるんだよ? そんな代物にアルコールをかけるだなんて……ねえ、アテナちゃん! 君からも言ってあげてよ!」


 独りアウェイな状態に、いつもは敵対しているアテナに応援を求めるニコラだったが……。


「どうせ戦闘でボロボロになるし問題ないだろ? 中に入らないようハッチ閉めとくぞ?」


 使役者の玉座コクピットから出て来たアテナもあっさりそれに許可を出す。


「そんなあ……そうだ! ハルミ…」


「はい、これ。ハルミンの分ね」


「ああ、悪い。しかし、よくこんな高い酒用意したな? かけるのは少々もったいない」


 最後の頼みとばかりに今度は俺に声をかけるニコラだったが、その時すでに俺の手には、蘆屋から受け取ったボトルが1本、充分に振った状態で握られていた。


「はい、アテナちゃんも。でも、お酒は20歳になってからよん♪」


「ああ。アルコールの摂取は作戦行動にも支障が出るからな」


 さらに使役者の玉座コクピットから投降用のワイヤーで下りて来たアテナにも、蘆屋は瓶を手渡す。


「みんな、準備はいいかしらん? それじゃ、いくわよ~」


「あああ、やめて! おねがい! 後生だから!」


 そして、すがるニコラの懸命な静止を無慈悲にも振り切り、コルクを開ける寸前にしたボトルを掲げて蘆屋は音頭をとる。


「ぷろぶぃん復活おめでと~っ!」


「かんぱぁぁぁぁーい!」


 ポォンっ! …プシュゥゥゥゥゥ…!


「OHぉぉぉぉ~っ! NOぉぉぉぉ~っ!」


 暗灰色の巨体を照らすオレンジの光の中、黄金色の眩い泡がニコラの悲鳴とともに宙を舞い踊った――。

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